僕らは二週間程で公認のカップルになっていた。綾波を付け狙っていた連中は、あまりの僕らのラブラブ度に諦めたと、トウジからは聞いている。ちなみに、トウジとは委員長もとい洞木ヒカリの彼氏であり図式的に言うと僕の彼女の親友の彼氏という立場になる。彼は気持ちのいい人間で、僕よりも余程人望が厚い。だが、彼の話は半分間違っている。 確かに綾波は僕の家に入り浸り、朝食と昼食と夕食は必ず僕と共に取り、就寝までの時間を僕の部屋で過ごしている。その生活の中で一つ知ったことだが、綾波は人見知りが極度に激しく、普段は学校生活での様に喋り捲ることがない。あれは、彼女が迫害から身を守るために身に付けた処世術なのであろうことだ。頭の切れる彼女だからこそ実現できたことだ。
 それはさておき、トウジの何処が間違っているかというと、僕は綾波に気持ちを伝えていないのである。近すぎて、タイミングを逃がした。そういうことだ。


後編


 あの晩、綾波が過去を告白してくれた時に、気持ちを伝えていればよかった。しかし彼女は泣き疲れて眠ってしまったので、僕は何も言えずに毛布を掛けただけだった。でなければ、僕はわざわざお台場にデートに誘い、観覧車の中で告白しようなどと言う計画を立てもせず、愛想をつかされるのではないかと心配もしない。
 「早く行こう、碇君」
 陽気な綾波が僕の手を引っ張る。幸せってこういうことなんだと、改めて感じている僕は、なんとはなくこのままでもいいような気がしてきてしまう。だが、ハッキリと言った方がいいだろうと僕は思った。いつものように、うじうじしていては始まらない。僕が綾波のひんやりした手を柔らかく握り返すと、きゅっと反応が帰ってきた。熱烈な抱擁でなくとも、やっぱり僕達は繋がっている。あとは、言葉を伝えるだけだ。

 綾波は始めてみるものだらけで、興奮していた。僕を引っ張りまわし、フジテレビに侵入しようとするわ、海岸を何往復もさせられるわ、色々な店に入ろうとするわ、僕は万歩計を付けていたらどれだけ記録が更新されるかを考え、ゾッとしたと同時に楽しさもまた倍増した。それだけ、僕らが過ごす時間が密度の濃いものになっているのだから。
 「碇君、あれ買って〜」
 今日六個目のクレープを買い与えると、綾波は凄まじい勢いでぺろりと食べ尽くしてしまった。女性の場合、甘味は別腹らしいが、綾波の場合は多分ブラックホールに繋がっているのだ。位相科学者には、ぜひ綾波の腹の中を調べてもらいたい。僕が破産する前に。これが男の悲しみなのか、と軽くなっていく財布を見ながら憂いたが、そんなものにはお構いなしに、目の前の小悪魔はひたすら食料を平らげている。これで肥らないのだからたいしたものだ。
 僕らは空が微睡みはじめた頃、観覧車に乗るために列に並んだ。日曜日のため、カップルに混じって、家族連れや御老人達が見える。一時間三十分も待たされるらしいが背に腹は変えられない。ロマンチックな場所で二人きりになれるのなら、男であれば誰でも、幾らでも出すだろう。下心だけではなく、記憶を共有するためにも。
 
 「きれい…」
 綾波は揺らめく灯火のようなネオンを眺めながら、一言呟いた。僕にとってみれば照らされた綾波の横顔を見ている方が、胸が軋む。
 「…あの、綾波……」
 「今日はありがとう。今まで生きてきた中で一番嬉しかった。やっぱりわたし碇君にあえてよかったな」
 「いいんだよ。だって…」
 「だって?」
 心臓の鼓動の音だけが僕の内側を支配する。
 「だって、僕は綾波の事が好きだから」
 それを聞いた綾波は頬を赤らめ、僕の隣に腰を下ろした。そして、そして…。甘い香りが僕の鼻腔を満たし、視界いっぱいに綾波の顔が写る。
 数秒間ののち離れると、綾波は僕の額に自身の額をくっつけてこう言った。鼻にかかる吐息がくすぐったい。
 「…わたしも、碇君の事が好き……」

 よく、テレビのコメンテーターなんかは、寂しさから子供達は肉体関係に走る、なんてことを言う。確かに僕達も、お互いに寂しく、お互いに理解者が欲しかった。誰かにあたためてもらうことができないから、身を寄せあうことしか出来なかったのかも知れない。でも、たとえ切っ掛けはどうあろうとも、僕らの感情は否定されるべきではないと思っている。それが見せ掛けだなんていうかもしれない。でも、今僕が綾波のことをこんなにも想っているということ。この感情だけは誰が何と言おうと真実だ。

 …ということで、僕らはそういう関係になってしまった。告白した日にいきなり、ではない。徐々にその方面に向かっていっただけだ。もちろん、節度は守っているし、のめり込み過ぎないようにもしている。最近の綾波には色気が加わり、普段の行動の節々にそういう雰囲気ただよっていた。それが僕との関係の影響だと思うと嬉しくなる。
 僕自身も変わったらしく、徐々にクラスの皆とも打ち解けていった。友人も出来たし、積極的にもなった。いいことづくめだ。

 二学期が終わる頃、ちょうど綾波が来てから二ヶ月半ほどたったある日、一通の手紙が来た。僕ではなく、綾波宛にだ。そこには…
 「えっ、転校?また?」
 僕は一瞬彼女が何を言っているのか分からなかった。
 「そう、私の親戚が、また私を引き取りたいって…。そう言っているわ。大阪の方に引っ越したから、今度は差別されることもないだろうって」
 「そんな……」
 本当は引き止めたい。でもそれは子供の理屈だ。お金を出しているのが彼女の親戚である以上、彼女はそれに従わなければならない。僕のお金は冬月先生が出しているし、自由に遺産を使う権利もない。更に言えば、僕が出すと言っても彼女が拒否するだろう。

 それから僕達は学校に行くのをやめた。出席日数も足りているし、連絡さえすれば問題も起きない。少しでも僕らは二人でいようとしていた。がむしゃらに抱きあったり、東京中を駆けずり回ったりもしてみたが、やはり時は残酷だ。

 明日はもう綾波が大阪に行く日だ。僕らは満月の下、土手沿いを無言で歩いていた。冷えた手を重ねあえば、手袋もいらないほどあたたかい。綾波がひたと止まり空を見上げて月を指差した。
 「いつか、月にいけるかな?」
 僕は彼女の気持ちを知っている。だからこう答えた。
 「行けるよ、必ず」

エピローグ

 綾波が行ってしまい、僕は涙が枯れるまで泣き、また元の暗い奴に戻った。今でもメールは続けているし、電話でのやり取りもしている。たしかに絆は切れてはいない。しかし、傍にいるといないとでは寂しさが違う。この学期が終わったら、急いで彼女に会いに行くつもりだ。

 綾波とのたった3ヶ月の思いではあまりにも鮮明すぎて、何故だか幻のような気がしてくる。なるべく綾波の匂いを消そうと部屋を整理しているとアスカに出会うよりももっと昔の写真が出てきた。そこには僕と僕の両親の他に綾波のようなアルビノの身体を持った男の子が並んでいた。そこで僕は思い出した。カオル君という幼い時の小さな友人と、彼が死んだ時の状況。何故綾波に驚かなかったのか、何故アスカに驚かなかったのかが分かったが、こんなことを今さら話しても仕方がないだろう。

 僕はある晩、綾波と歩いた土手を一人で歩いていた。彼女が居ないだけで周りの温度が背筋を凍らせるほど下がってしまう。見上げれば今日も満月だ。漆黒に縁取られた天体は、淡い光を僕に投げかけている。『いつか、月にいけるかな?』彼女の言葉を思い出す。僕は自分に命じた。

 たとえ綾波が傍らに居なくとも、
 −−…大きく息を吸って
 この想いが彼女の元へ届くように、
 −−叫べ!






後書き

設定的には北千住界隈。家が近いので……
リナレイの感じがよく掴めませんでした。もっとからかいが多いのかな?まあ、ここいら辺が今の僕の限界です。
後半部分は少し詰め込み気味なので、また後日書き直すかも知れません。
それでは。


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