「此処が君の部屋だ」加持は言った。「隣はレイちゃんの家だから、まあ、仲良くするんだな」
言外に何かを含ませた感じであったが、シンジは特に気にせず部屋を見渡した。
狭い為、病室のように寒々とした印象はない。しかし、同じ組織が用意しただけあり、部屋は簡素なつくりになっていた。コンクリートは剥き出しのままで壁紙も張られておらず、黒と白のタイルである床は、埃が堆積し、まだらに顔を覗かせているだけだ。一応、冷蔵庫とベット、それにエアコンとガスコンロは設置されているが、無駄なものはいっさい無い。
「必要なものはこれで買えと、君のお父さんからの伝言だ」加持はシンジに赤色のカードを手渡した。そこにはネルフのマークが印刷されていた。「それから、君の報酬の事だが、君が正式にエヴァンゲリオン初号機のパイロットになった日から計算して、三千万円を支払うことになった。これは君の好きな方法で支払うよう決定されたから、明後日までに俺か葛城かりっちゃんに伝えてくれ。……何か聞きたいことがあるかい?」
シンジが首を横に振ると、「じゃあな」と一言言い残し加持は出ていった。
ドアの閉まる音と共に、静寂が部屋の四方からじんわりとシンジを包み込んだ。長い一日だったように思う。使徒の襲来、初号機の起動実験、そして……あの空間での出来事。確かに妙な寂寞は感じるが、記憶の喪失によるものなのか、単に少年の言動によるものなのか、シンジには判断がつかなかった。別にいいじゃないか。特に支障はない。ただ、初号機の暴走から今日の起動実験後までの記憶に希薄な部分があるだけだ、とシンジは自分に言い聞かせ、備え付けのベットに寝転がり、青白い光を投げかけている月を見た。
第四話
「それで、何か分かったの」
ミサトはリツコの部屋に入るなり、中断した話のような口振りで声をかけた。
「ええ、色々とね。まず、S2機関が作動したこと。現在は小康状態にあるけど、確実に動いているわ。どうやら起動したことによって作動したみたい。もしくはシンジ君の搭乗によって、かしらね」
「どういうこと?」
「つまり、シンジ君と初号機のあいだになんらかの相関関係があるかもしれないといいたいの。もっと調べてみないと確実なことは言えないけれど……。それから、これを見て」
パソコンの前に座っていたリツコは、立ち上がりマグカップを掴んだ。空のコップにコーヒーを注ぎ終え、疲れから眉間を揉む。もう歳だろうか。そんな言葉が頭をよぎってしまう。ミサトと二人きりでいるため、リツコの感慨は殊更強調された。大学生時代と現在の立場、汚れ方、年月の重ねかた、全てかけ離れているのである。いまや、親友との会話は、機密情報に埋め尽くされた化かしあいの連続だ。
「なにこれ?」
ミサトは不思議そうに考え込むリツコを見つめた。
二人はもともと不釣り合いな性格であったが、何故だか初対面からしっくりきた。あい通じる何かがあるだ、とミサトは素朴に思い込んでいたが、最近ではどこかちぐはぐに感じる。丁度、使徒が襲来し始めてから……。何が変わってしまったのだろうか。
ミサトは気付いていなかった。自分自身も、少しづつ変わり始めていたことに。
「初号機のコアの波形パターンのデータよ。こことここの波長が少しずれているわ。つまり、コアの波形パターンに変化がある、ということね。知ってのとおり、シンクロ率はコアとパイロットの相関率によって決まるわ。今回シンジ君が出したシンクロ率は115%、この意味が分かる? 以前までのシンクロ率はせいぜい50%がいいところだったのに、一気にシンクロ率が跳ね上がった理由が」
「さあ、で、何でなの?」
「シンクロ率の根幹にあるのはコアとパイロットとの相関。これによって、A一10神経の接続で、エヴァとパイロットがシンクロし、その値の調和がとれればハ−モニクスとなる訳。そして、今回のテスト結果は以前の彼を大きく上回るものだった。しかも、コアの波形パターンが変化したと言うことは、シンジ君側の変化ではなく、エヴァの側で何かが変化したと考えるのが妥当よ。その変化の仕方が、よりシンジ君とのシンクロを深める傾向をもっていたのは、何故かしらね」
「エヴァが意志をもって体を作り替えたって言いたいの?」
「もしくはエヴァととてつもない値でシンクロしていたシンジ君の意志で、ね」
リツコは説明が終わり、コーヒーを一口飲んだ。
「で、貴方の方はどうなの? あの二人はうまくやってるのかしら?」
「全然よ。アスカの方が敵意むき出しだから……レイは相変わらずってとこね。二人とも踊りは完璧なんだけど、どこか掛け違ってるのよね。やっぱり、シンジ君を使った方が良いかしら」
「初号機の完装は終了しているわ。あとは、パイロットの問題ね」
音を立てて扉が開き、加持が煙草を加えながら入ってきた。
「お嬢さん方、密談なら俺もまぜてくれないかな」
「なんだ、あんたか」
「御勤め御苦労様、加地君」
リツコはパソコンのモニターの電源を落とし、煙草に火を付けた。
「つれないな、葛城。りっちゃんみたいに労えないのかい、作戦もたててやったていうのに」
「あんたが勝手に寄越したんでしょ。感謝しなきゃならない謂れはないわ」
こうして軽口のような会話を交わしていると日々の軋轢など微塵も感じない。加持が来たことで、また大学時代のような関係に戻れるであろうか。希望を残しておくことは悪いことではないだろう。感傷的だが、叶うのならば、手にいれたいものはあるのだ。リツコは久しぶりに心から微笑んだ。
第7使徒撃退のためのユニゾン訓練を終え、レイとアスカはミサトに伝えられた部屋で寝ようとしていた。慣れない運動をしたため、普段体力を保つ為の訓練を怠ったことはない二人も、想像以上に疲れていて、シャワーを浴び終えた順にベットに潜り込んだ。
「ねえ、あんた、何でエヴァに乗ってるの?」照明の消えた部屋で、アスカはまどろみながら呟くように話し掛けた。「別に乗らなきゃいけない理由なんてないんでしょ」
「……絆だから」レイは答えた。
「誰との?」
「みんなとの」
「…………」
「……私には、他に何もないもの」
アスカは自分を省みてみた。誰かに認められたいがためにエヴァに乗っている、より強く、より早く、エヴァンゲリオンを操縦する訓練を続けてきた。結局エヴァ以外に何もなかったからだ。大学を出ようが、どんな資格を取ろうが、決してうめられない部分をエヴァでなら埋められた。エヴァが母親の悲願だった、というだけではない。純粋に他人には出来ないことであったからここまで執着してきたのだ。
しかし、シンクロ率、戦功、全てにおいて碇シンジに負けていた。今まで、アスカはどこかでまだ自分には何かあると考えていた。だが、もはや「特別」ではないのだ。「他に何もない」。それを気付かせたレイが、少し憎かった。
本当に皆との絆だと考えていたかと問われれば、違うと答えていたかもしれない。第伍使徒との戦闘の時には、碇シンジへの配慮であった。いや、碇ゲンドウに対する彼の否定が、自分との違いが、ただ口惜しかっただけだろう。
同じ会話を碇シンジと交わした時、レイはこう言ったはずだ。「貴方は死なないわ。私が守るもの」義務からでた言葉ではあったが、たしかにそう言ったのだ。しかし結果はどうであったか。
可粒子砲の攻撃で盾は灼かれ、みるまに融解していく。時の流れが変わったように、鮮明に写る死の業火。レイは全身に寒気が走るのを感じた。淡々と任務をこなすだけの存在であるレイにとって、恐怖が全面に出るのはこれがはじめてだった。それでも、強い圧力によって動くことも叶わない。
盾が完全に消滅しようとしたその時、ふっと可粒子砲が途絶えた。ゆっくりと視界を上げていくとそこには、強力なATフィールドが展開され、先程まで盾を融解させようとしていた敵の攻撃が、嘘のように四散されていく様があった。
次の瞬間からは早送りのコマを見ているようだった。咆哮をあげる初号機。紫色の閃光が、視界を横切り、消えていく。その間も可粒子砲は撃ち続けられていたようだが、もはや役にも立たずに、初号機を迂回して虚空へと無駄に伸びていった。柴色の悪鬼が使徒に駆け寄っていった。肉眼では捕らえられず、零号機のズームカメラで見てみると、そこで行なわれていたのは、攻撃などと言う生温い表現では表せない光景であった。初号機が一方的に使徒を侵食していく様、喰い破り、肉を掻き分ける。使徒は浮遊していたはずなのだが、今や崩れ落ち、無言でその身を横たえていた。中央部で初号機が絶叫して、躯を折り曲げると、使徒が断末魔の悲鳴のように、空中に一つ、見る影もない弱々しい可粒子砲を撃った。
初号機はそのまま停止して、碇シンジは高シンクロ率が仇となり初号機に溶けてしまった。レイがその現象を目の当たりにした時感じたのは、奇妙な痛みであった。これまでに感じたことのない疼きは、命令を守れなかったことに対してなのか、碇シンジを守れなかった為なのか、彼女には分からなかったが、何故か喜ばしい痛みだったのだ。それは、自分の内面に変化をもたらしたモノを見つけ、興味をもったための感情だったかもしれない。レイ自身も気付いていない、せっかく見つけたモノを失うかもしれない幾分かの恐怖と、発見の喜びとないまぜになった一一。
感情の萌芽はレイの中でゆるゆると育っていた。碇ゲンドウに対するよりも弱い執着ではあるかもしれないが、それは碇シンジに向けられていた。
目覚めると冷たいコンクリートの天井があった。
予定よりも早く目覚めてしまったシンジは身支度を整えた。昨日、学校へ行くようにと加持に言われていたからだ。
本来なら、喜ぶべきことである登校は、ただ心を冷淡にさせるだけだった。鈴原トウジ、相田ケンスケ。二人は友人であったはずだ。しかし、二人との記憶は、酷く薄い。殴られた頬をなぞってみても、なにも感じない。実体を置いてきた空虚さにますます気落ちする。これも昨晩の気分の延長だろうか。
シンジはインスタントコーヒーを飲み干し、家を出た。迷っていた時、どうにでもなるだろうという、投げやりな考えが浮かんだからだ。自分にしては珍しいな、などと感じながらドアを閉めると、ふと、隣のドアが眼に入る。郵便物は郵便受けに入りきらず、辺りに散乱していた。昨日から気になってはいたが、此処に人は住んでいるのだろうか。廊下は外気に触れているはずなのに陰鬱で、掃除をする人間がいないのかゴミがあちこちに積み上がっている。しかも夜通し物音がしなかった。下を見下ろしてみて、見えるのは野良猫だけだ。向いにある団地には、人が住んでいれば当然はためいているであろう衣服は、ただの一つも眼に写らなかった。やはり誰も住んでいないのだろう。
これでも若者が、スプレーで落書きせず、ラブホテルのように使わず、たまり場にしないのは、ここが第三新東京市だからだろう。疎開は若者をごっそりと連れていってしまったのだ。
『隣はレイちゃんの家だから、まあ、仲良くするんだな』
一度、訪れたことはあったはずだ。加持に言われる間でもなく知っていても良いのだけれど、シンジは今実際にレイの部屋を見て、やっとその事実に辿り着いた。
チャイムはその用を果たさず、シンジは仕方なくレイの部屋のドアノブをひねる。鍵は下ろされていなかった。錆びた金属が擦れて軋み、冷えた空気が外に溢れた。
暗い部屋の中、止められずにいたエアコンが冷たい風を送りつづけている。かたかたと揺れる送風口は、唯一の物音だった。
「あのー、綾波? いないの?」
どうやらレイは居ないらしい。部屋の中は相変わらず簡素だ。彼女は掃除をしないのだろう。埃がつもり、レイの足跡の形に床を覗かせていた。だが、そんなことを観察していても意味がない。レイが居ないのなら、これ以上ここにいても無意味だ。
シンジはレイの部屋から視線を逸らし、学校へ向かった。
「はい、もう一度始めから。アスカ、もうちょっとレイに合わせて」
ミサトの声が訓練場に響いた。音楽を止め、テープを巻き戻す。
「はぁ、はぁ、やってるわよっ!」
「…………」
踊りは完璧であっても、揃ってはいない。この訓練はユニゾンを目指しているはずである。しかし、まるで個人ダンスを見ているようであった。ミサトとしては、当然看過出来ない点だ。
「今目指してるのはユニゾンなのよ。二人の波長がぴったりにならなかったら意味がないわ。踊りが完璧でも、それは私達にとって意味がないの。分かる? 使徒の襲撃まで後五日。時間がないのよ。……午前中はここまでにしましょう。休んでいいわ」
ミサトは去り際に、考えていたことをつい声に出してしまった。
「シンジ君も一応連れてきた方がいいかしら……」
ミサトがなんとなく呟いたであろうその言葉は、アスカにとって敗北の二文字のようで、耳障りに響いた。アスカは顔をしかめる。ここでシンジに負けてしまったら、もう二度とエヴァに乗ることは出来ないだろう。胸を張り、堂々とエヴァのパイロットだなんて言えなくなる。息を荒くはいていたアスカは、滴らせた汗を拭い、身を直立させた。
「ファースト……続けるわよ」
「……分かったわ」
彼女への同情だろうか。考えてみても、疲れのせいでまとまらない。だけれども、やらなければならないことはレイにも理解できる。
アスカの必死な様子を見たレイは、簡潔に一言答えた。
懸念したことはまったくの無駄であった。学校に着いて、トウジとケンスケに出会い、あれやこれや聞かれ、すぐに気持ちは打ち解けていった。意味の無い雑談、クラスメートの動き、のどかな日の光に包まれた教室、退屈な授業。何の変哲のない一日は、自意識の悪循環を酷く無意味にさせる。今日と明日の持続性に縁取られれば、自己愛も被虐趣味も感じず、ただ身を任せるだけで、ただ進むのだ。やっと気を落ち着けられる場所に来たように、シンジは緩やかな時の流れに身を任せた。
「ねえ、碇君。アス一一」
「なんやいいんちょ、センセにナンパかいな。それとも、お馴染みの週番攻めか。やめとき。センセは病み上がりで疲れてるんやさかい」
「ちがうわよ! アスカさんと綾波さんの事を聞こうと思ったの……。二人とも来てないけど、大丈夫なの?」
昼食の時、洞木ヒカリに話し掛けられて始めて、シンジは現実に引き戻された。そういえば、使徒は依然として存在しているのだ。
「あすかさんって、誰?」
事実、シンジはアスカに合っていなかった。ミサトは慌ただしさの為、顔合わせを忘れていたのだ。
「えっ? アスカさんのこと知らないの? エヴァのパイロットだっていってたんだけど……」
「知らないよ」
「そう……。ならいいわ。ゴメンね、食事の邪魔しちゃって」
「うん、別に良いけど……」
「邪魔や、邪魔や。さっさと帰りや」
「……鈴原」
「ひっ、……なっ、なんやいいんちょ」
「貴方、今日の週番の仕事、やった?」
「かっ、堪忍や、いいんちょ。痛いっ、痛いっちゅうとんのや。耳を引っ張るなや。飯がこぼれてまうがな。痛っ。ついてくさかい、耳だけでも放しいや。あっ、あっ。裂けてまう。わしの耳が〜〜〜一一一一一一一一!」
それまで、傍観者を決め込んでいたケンスケに、シンジは顔を引きつらせながら言った。
「何だかパワフルだよね。洞木さんって」
「まあ、いいんじゃないのか。トウジもなんだかんだ言ってああいうのが好きみたいだし」
「そうなの、かなぁ」
「やれば、出来るじゃないの、あたし達」
「そうね……」
踊りを繰り替えすうちに、だんだんと二人の呼吸が合致していった。
二人の運動神経の良さと、アスカとレイがそれぞれ相手にあわせようと考えたこともあいまって、踊りはある程度見られるものになった。
これならば、ミサトもわざわざ碇シンジを呼ぼうとはしないだろう。アスカは疲れと安堵から、息を一つ深く吐いた。
「レイ、お昼にするわよ」
「レイ?」
「そうよ、あんたの名前はレイでしょ。早く行くわよ」
「わかったわ」
共に踊っているうち、いつの間にかレイへの反感はアスカの中で弱くなっていった。共同で何かを行なえば、相手への親近感が湧くのが普通だ。人が他人を恨む切っ掛けなど、ほんの些細なことなのだから。……ほんの些細な一一一。
学校が終わり、シンジはネルフへ向かった。
始めは、加持を探した。しかし何処にもいなかった。施設の中を一通り見てまわり、結局見つからず、当然他に加持のいそうな場所の心当たりがないシンジは、リツコの研究室を目指して歩いていた。
その途中、ゲンドウがシンジの方へ歩いてきた。ゲンドウに依然感じていた恐怖は、もうすでに微塵も感じない。今胸の内に巣食っているのは、静かな怒りだ。自分を捨てたこと、エヴァのパイロットにしたこと、一一、一一、一一。それら全てがゲンドウを見た瞬間に灰黒色に沈澱し、溢れ出しそうになったシンジは黙って通り過ぎようとした。
「……ここで何をしている?」
予想外にゲンドウの方から話し掛けてきた。
今まで何度かすれ違うことはあった。しかし、立ち止まることも、眼をあわすこともなかったはずだ。シンジはゲンドウを睨め付けた。
「給与の支払い方法を伝えろと言ったのは、父さんでしょ」
「……そうだな、どうすればいい」
低いしわがれた声は、耳障りだ。シンジはほとんど衝動的に答えていた。
「全て現金で。後で誰かに届けさせて」
「分かった……」
シンジはゲンドウの背が消えるまで、それを睨みつづけた。
「シンジ君、明日からのスケジュールを伝えるわ」
ミサトは萎縮しながら切り出した。
「もう一度、起動実験を行なってから、とりあえずユニゾンの踊りを憶えてもらうわ。
初号機は凍結中だけど、万が一の時のために備えは必要だから」
シンジは虚ろな眼を彷徨わせて、気のなさそうな返事をした。重い沈黙がミサトの上にのしかかる。不意に洞木ヒカリの言葉が思い浮かんだ。
「そういえば、アスカさんって誰ですか? 今日、クラスメートから無事かどうか聞かれたんですけど」
「へっ? ああ、エヴァンゲリオン弐号機のパイロットよ」
ミサトはシンジにアスカを紹介していないことを忘れていた。自分自身の忙しさにかまけていた、という訳ではなく、単にシンジに会いづらかったからかもしれない。しかし、話題が見つかったことでミサトはとたんに饒舌になった。
「ごっめんね〜、しんちゃんに紹介するの忘れてたわ。でもやっぱりおっとこのこね〜、アスカのことが気に「どうでもいいですけど、もう帰っていいですか」
「えっ、ええ。いいわよ」
「失礼します」
シンジは一礼し、背を向けて去っていった。
「私が、何をしたっていうのよ」
自分の腕を、痛いほど強く掴んだ。
その夜、昨日のようにアスカがレイに話し掛けた。
「ねえ、レイ」
「何?」
「あんた、親はいるの?」
「いないわ」
「死んじゃったってこと?」
「いいえ。始めから存在しないの」
レイには、アスカの態度が不思議に思えた。何故先程からしきりに自分と話をしようとするのか分からなかった。
自分の感情を鋭く見つめることので出来ない人間は、他人の感情も理解出来ない。レイにとって、アスカの行動は不可解でしかなかった。
また、アスカの方もレイの感情を見極めきれずにいた。ただ、無表情な顔の奥にある自分への気持ちが、否定的でないことを願って話し掛けていた。
エヴァのパイロットであり、二人とも女性である。少なくともアスカは、レイに対して少しづつ友情を感じていた。
「ねえ、そっちにいってもいい?」
「……かまわないわ」
そう、かまわない。二人分のスペースはある。だがレイには自分の傍に来ることの意義が分からなかった。
アスカはレイの隣に寄り添い、眠りについた。
「おやすみ」
「……おやすみ」
レイはアスカが寝入った後も、眠れなかった。隣の人物の暖かみを感じるからだ。不愉快ではなく、妙にこそばゆい。
「ママ……」
アスカの小さな言葉。その眼から流れるひとすじの涙。レイにはその言葉が疑問の答えに思われた。
それからは滞りなく過ぎていった。二度目の機動実験も終え、訓練と学校を往復する毎日だった。レイとアスカと踊りの訓練をすることはなかった。アスカがシンジに反感を抱いているため、今あわせるのは得策でないとミサトは言っていたが、本心はシンジと会いたくなかっただけであった。避けるほどに、その存在は責め苛む。ミサトは悪循環から抜け出す術をもたなかった。
「あっ、ゴメンよ。シンジ君」
だからといって、相手に日向マコトを選ぶ必要はない。それ以上に、日向マコトとユニゾンをしても意味がないだろう。もっとも、ミサトは「誰か知らない人間と呼吸をあわせることは、それだけで価値があるのよ」などと暴言を吐いていたが。
「目標は強羅絶対防衛線を突破。現在山間部を第三新東京市に向かい進行中」
マヤの声が響きミサトは顔を引き締めた。
「アスカ、レイ、準備はいい?」
「もちろんよ。レイ、最初からATフィールド全開フル稼動最大戦速でいくわよ」
「わかったわ。62秒でケリをつければいいのね」
シゲルは戦闘の開始時刻を告げた。
「目標、0地点へ突入!」
エントリープラグ内のモニターを見ていて、シンジは初めてアスカの顔を見た。あの空間で見た少女だ。あの時の赤毛の……。
しかし、そんなことを気にしている暇はない。彼女達が負ければ、自分が出なければならないのだ。シンジは気持ちを切り替えて、戦況に耳を傾けた。
「外電源パージ。発進」ミサトは静かに命令を発した。
使徒は分裂したまま歩をすすめる。通常兵器は空しく使徒全面で爆発するだけだ。確かに当たっているはずだが、表皮にかすり傷一つ付けることも出来ない。
弐号機と零号機は慣性の法則に乗って、地上高くに打ち上げられた。使徒はその存在を認め、天高く飛ぶ二体のエヴァを見つめる。そして、顔だと推測される部分から光線を放った。それらはATフィールドに阻まれ、消える。使徒を踏みつけ、宙返りで着地する二体のエヴァ。着地点に用意されたパレットガンで鏡面のように対象に使徒を撃つ。
「いけるわ」
ミサトは確信をもった眼差しでモニターを見た。
アスカとレイは戦いの最中だとは思えぬ心地よさを感じていた。相手の考え、行動が「分かる」感覚。使徒が予想していなかった場所からの援護攻撃に少し揺らいだ。
「「いける!」」
シンジはその光景を見て戦慄を憶えた。自分自身にあのような動きができるのだろうか。これから、生き残ることは可能なのか。
「問題ないよ」
あの少年の声が聞こえたように感じた。
エヴァが二体の使徒を蹴り飛ばすと、危険を察知した為か、補填をする為か、一つに融合した。そして……
一閃。弐号機、零号機の手が二つのコアを刺し貫く。
勝負は爆発と共に、終焉の鐘をならした。
+続く+
後書き
これからは、一話一殺を目指します。
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