「憶えていないってこと? ここに来てからのこと全て」
 リツコはミサトに目線をやりながら、シンジに聞いた。ミサトは内拉がれたように俯いたまま、顔を上げようとしない。
 「いいえ、断片的には知っています。ただ、自分の意志で行動した、とは思えないんです。むしろ、他人が勝手に僕の身体を使っていたような、よくできた活動写真を見せられたような…うまく言えませんけど、そんな感じです」
 シンジはミサトとは対照的に、落ち着いて答える。混乱していてもいいはずなのに、何事もなかったように平然としているのだ。
 「……それでも、自分のことを碇シンジだと感じているの?」
 リツコには合点が行かない。別人格ではなく、同一人物だという感覚も持っていないらしい。この前アスカの時は誤魔化したが、碇ユイがなんらかの干渉をしたとも考えられる。しかし、碇ユイがシンジをこのような状態にする必然性がまったくない。残る可能性は、シンジが嘘をついているということだ。それにしたって意味がない。
 「ええ、僕は僕自身のことを碇シンジだと考えています。…それに、思い出したこともありますし」
 「思い出したこと?」
 「母のことですよ」
 事も無げに言い放ったシンジに、リツコは固まってしまった。事前の調査では、シンジは母が消えた時について、憶えていないという報告が上がっていた。それ以外の碇ユイについての記憶は断片的にしろ憶えているらしいとの事だ。やはりシンジは碇ユイに接触したのだろうか。質問したいが、この場にはミサトがいる。リツコが逡巡していると、ミサトが口を挟んだ。
 「…お母さんのことって、なに?」
 シンジは振り向き、簡潔に言葉を返した。
 「母が死んだ時の様子ですよ」
 ミサトはまた俯き、ごにょごにょと口を動かした後、一言、ごめん、と謝った。シンジは興味を失ったように一瞥を投げ、リツコに向き直る。いささか、うんざりしている様にも見えた。
 「……そう」
 リツコもこの場では何も言えない。機密であり、特にミサトには聞かせられない内容だ。妙に勘ぐられても後々困る。
 「それで、あなたは以前のようにエヴァに乗ってくれるのかしら」
 現時点での重要事項はそれである。たとえ碇ユイが干渉したにしろ、そうでなかったにしろ、調査はシンジをここに引き止めておければいつでもできるのだ。だが、乗ることを拒否された場合、シナリオにも問題が出てきてしまう。それだけは、回避しなければならない。
 「かまわないですよ。知ってしまったからには、責任が生じますから。……ただ条件があります」
 「なにかしら?」
 「それは……一一」


第二話


 周りを見回してみても、何も不都合が無い。それがシンジには奇妙に思われた。仮想現実内に送られたはずであったのに、むしろただ遠い場所に旅行をしているだけのように思える。相変わらず自分は呼吸をしているし、筋肉を動かして廊下を歩いているのも事実だ。シンジは詳しい話を聞いていた上、この世界を断片的に体験していたが、自身の理解を越えたものに対する不信感は簡単に拭えるものではない。行ってみないことには、評価の仕様のない事柄である。
 病室につき、シンジは一つしか置かれていないベットに身を投げ出した。手の平を広げてみると、見慣れた太く節くれだった指とは違う、細く繊細な指が伸びている。もしも平穏無事に育っていれば、こんな手になっているはずだったのか、と、シンジはぼんやりと労働の痕跡が見当たらない手の平を眺めた。

 初老の男は伊勢と名乗り、名刺を差出した。皺に弛んだ襞の合間から、ギラギラした眼を覗かせているその男は、休憩時間の合間にシンジを訪ねてきた。シンジは類似した人を知っているかどうか、頭の中で検索してみたが一人も該当しない。名刺には人工進化研究所所長と銘打ってあった。何の冗談なのだろうかと怪訝そうにしているシンジを尻目に、伊勢は自分に着いて来てくれと低い声で言った。
 「困りますよ。今は仕事中です。それに、僕は貴方が誰だかも知らないし、何の為に僕を連れ出そうとしているのか分かりません」
 「社員の方にはもう話をつけてあるから、仕事を抜けても大丈夫だ。これは君にとっても重要な話だよ。なにせ君の出自に関する話なのだから……」
 シンジは驚くと共に、ますます目の前の男が胡散臭く思えた。君の出自、と、伊勢が言ったということは、同僚に対しても語らずにいる事実、つまりシンジが孤児だということを知っているのだ。
 十四の時に、シンジとその友人は孤児院から脱走した。折しも奇妙な病気の所為で人々が次々に死んでいったため、孤児院は何処も親を失った子で溢れ返っていて、シンジ達の行方を探す人間は居なかった。むしろ世話をする子供の数が減ってホッとしていただろう。
 「僕の事を、何処まで調べたんですか? 何故そんなことを……?」
 たとえ出自が分かったとしても、孤児院はシンジを探し当てようとはしないはずだ。奇病にかかる人間は年々増えていっている。陶然、親を失った子供達の数も増えていっているはずだ。シンジを捜索する暇も意味も無い。
 「それは、行きしなに話そう。さあ、着いて来てくれ」
 シンジは警戒を緩めずに伊勢の後に従い、待ち構えていた黒塗りの車に乗り込んだ。

 「サードチルドレンの要求は、相応の報酬と一人で暮らせる部屋のみです。その他にはなにも条件を付けませんでした」
 リツコは顔を上げ、ゲンドウと冬月を見据えた。ほの暗い職務室は広く、ただ沈みかけた日の光だけで照らされている。
 「それだけなのか。ユイ君についての記憶が戻ったのならば搭乗を拒否するのではないかと思ったが……」
 「知ってしまったからには責任が生じる、だそうです。それと、用意する部屋は本部以外の場所がいいと本人が言っていました。穴蔵は健康に悪い、と」
 「シンジ君らしからぬ意見だな」
 冬月は苦笑し、ゲンドウに話し掛けた。
 「…どうする、碇。報酬はまだいいが、部屋となると監視しやすい場所を見つけねばなるまい。それとも、今住んでいる部屋の隣に住まわすか? 葛城君に反感を持っているそうだから、あまり得策とは言えんが」
 「……レイを使う。レイの家の隣にシンジを住まわせ、レイに監視させればいい」
 「…分かりました。では、そのように手配します」

 車内での会話は、シンジにとって信じられない類いのものだった。自分がクローンであると聞かされて、すんなりと了承できる人間はいない。
 「君のルーツ、つまり生まれたところだが、この現実世界ではない。「N計画」という仮想空間、コンピューター内に地球規模の生命圏を作り上げるプロジェクトの中で生まれた人間だ。学問的な証明は省略するが、まず間違い無いことだ」
 「冗談でしょう。何故僕が仮想空間とやらで生まれた人間なんですか。もしそうなら、僕がここにいるはずないでしょう」
 「それは今から話す。我々が作った仮想現実は、地球そのものを生み出した。そこでの生物は進化し続け、遂に人類が生まれたのだ。それからは現実世界と同一な発展を見せたのだが、「N計画」内の時間で西暦二千年、それ以降説明不能な出来事に見舞われてしまったのだよ。セカンドインパクト、使徒と呼ばれる巨大生物との戦闘、そしてサードインパクトによる人類滅亡。利用価値の減衰に伴い「N計画」は凍結させられたのだが、そのサードインパクトの時に唯一生き残ったが君なんだよ。そして、我々は君をこちら側の世界に転生させた。クローンとしてね」
 「サードインパクト? 使徒? 何ですかそれは。それに、僕がもしクローンであったとしても、何故僕を選んだんですか。何故僕を呼び出すんですか。」
 「見てもらった方が早い。呼び出した理由はこちら側の理由さ。だが、聞かなければ後悔するだろう。さあ着いたよ、降りなさい」

 車はいつの間にかピラミッドのような建物の前で停まっていた。その中に入り、シンジは伊勢の背を追い、飾り気のない細長い廊下を歩んでいく。白衣を着た人たちは伊勢を見ると軽く会釈をして、また作業に没頭しはじめる。どうやら、所長の肩書きは嘘では無いらしい。
 シンジは白い部屋に押し込まれた。窓はなく、天井の空調設備が音を上げている。二つの椅子が向かい合って置かれ、その間に一つの机が置いてある。部屋の奥の側にある椅子に伊勢は座り、シンジを促した。
 「さて、これから君に仮想現実内を見てもらう。当然君も出てくる」
 伊勢はリモコンを操作しスクリーンを下ろした。
 
 映像に写っているのは、確かに自分だった。シンジは、自分そっくりなその人間がロボットのようなものに乗り、巨大な生物と戦っているところを、奇妙な感覚に支配されながら見た。たまに挿入される日常生活では知らない女性と共同生活をしている。面識のない人物が自分と話しているのは何とも珍妙だった。
 「もういいだろう」と伊勢は呟き、巨大な画面から映像を消した。
 「これで分かったかね。君のルーツは仮想現実だと言うことが。君を作ったのは、他でも無いこの私だ」
 シンジは急に、薄ら寒くなった。自分の存在が科学技術によって作られたものだと知らされ、今までのアイデンティティが崩壊しそうになったのである。両親が居ないことよりももっと決定的だった。
 「……君を作る時に、一つのミスが生じた。君の遺伝子の中の揺らぎ、つまり現実世界の遺伝情報とは異なるかたちの遺伝子があり、君を創造する際に未完のフラグメントが大腸菌か何かに突っ込まれたらしいのだ。それがいま猛威を振るっているウイルスの原形になっている」
 シンジは思わず、自分の体を眺めた。この身体が仮想現実ので生まれ、あまつさえウイルスが自分の遺伝子から生まれたらしい。自分の存在への不信感が、シンジの中で大きくなっていく。
 「ただ、君が生きていてくれて良かった。君の遺伝情報は、君から生まれたウイルスの抵抗性を持っている。それを解明すれば、あるいは君の仲間のような人々を助けることが出来るかもしれない。……だがそれには君の協力が必要だ」
 「どうすれば、いいんですか」シンジは虚ろな声で答えた。
 「ニュートリノを君の身体に照射し、全身をデジタル化する。ゲノムの三次元構造と、代謝サイクルや分泌性因子を調べなければどうにもならないのだ。だが、その場合君は死に至る」
 「僕が死ねば、皆が助かるんですか」
 「……そのことだが、一つだけ生き残る方法がある。君の情報を仮想現実に送り、あちらの君に上書きする。そうすれば君は生きていけるだろう。ただし、君が使徒と戦わなければならないが……」
 もしも、ニュートリノ照射を受けなければ、一生シンジは自分を責め苛むであろうことを分かっていた。良心の呵責は、多分自分を許さないであろうことが……。
 シンジはニュートリノ照射による肉体情報の三次元化を了承し、仮想現実で生きることを選択した。

 「碇、何故レイを使う。シンジ君とレイの接触はあまり好ましいものではあるまい」
 冬月はゲンドウの顔を覗き込んだ。サングラスの下を伺い知ることは出来ない。
 「問題ない。もしもレイに変化があれば、交換すればいい」
 だが、冬月はゲンドウがレイに執着していることを知っている。もし仮に手を掛けなければならない状態になったとしても、ゲンドウはそれをしないだろう。
 「まあいい。それよりも、シナリオの修正はどうする。この時点で覚醒は不味いぞ。ゼ−レからの突き上げも激しくなってきている」
 「老人達にはいい薬だ」
 冬月は溜息をついた。
 「予算を収集するこっちの身にもなってくれ……」

 その後、シンジは仮想現実での出来事を逐一覚えさせられ、使徒との戦いを体感させられた。奇妙なかたちのヘルメットとグローブを装着すると、仮想現実での感覚を生々しく体験できるようになっていたのである。殴られ、腹を抉られ、幾度も使徒からの攻撃を受けた。こちらからは、何も出来ないのに、である。
 訓練を続ける間、シンジは綾波レイという少女についての説明を受けた。どこかで見たような気がする。しかし、シンジは気のせいだろうと思い、それ以降レイについて考えを巡らせることはなかった。
 
 「では、約束の事をお願いします」
 シンジは伊勢にマナとムサシ、ケイタの治療を頼んでいた。今現在彼等はこの場所で療養している。以前よりも彼等との距離を感じ、シンジは一度も彼等の元へ行かなかったが、やはり大切な仲間であることには変わりはない。
 「分かっている……」
 伊勢は頷き、部屋を後にした。
 シンジは厚い壁に囲まれた廊下を歩き 水槽のある部屋に入り、ストレッチャーに身を横たえた。ストレッチャーは自動で動き、シンジを円筒の水槽に挿入しようとする。
 「じゃあシンジ君、これから君をニュートリノ照射にかけるよ。……何か言い残したことはないかい?」
 シンジの訓練を担当した若い研究員の声が耳に響いた。その研究員の顔を眺めたシンジは、かぶりを振って眼を閉じた。体温よりも少し暖かめの水がシンジの身体を包み込み、意識が拡散していく。徐々に徐々に輪郭がぼやけ、まるで眠りにつくように……。




+続く+




後書き
やっと第ニ話が完成しました。
ここでの仮想現実の設定は貞子さんが出てくる某ホラー(かな? 後の方になるとホラーの要素が減ってくるけど)三部作の三作目から借用しています。興味のある方は小説を読んでみて下さい。個人的には二作目が好きです
それでは。


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