桜舞う
第四話




医師の一言で、院長室に緊張が走った。

「それはたしかなんですね?」

「はい、オリンピア近郊で起きた交通事故で入院していた意識不明の患者を、
受け持ちの担当医が本日午後三時半をもってその患者を脳死と判定しました。」

若い医師は興奮気味に言った。

「続けてください。」

「はい。その患者が入院していたタコマ市民病院では、
すでに患者の両親の了承を得たといっております。
患者の臓器を二十四時間以内で運べる地域のうち、
臓器提供を必要としている患者を、全米臓器医学会に問い合わせて検索した結果、
我が病院にて入院中の綾波レイが、
心臓の部分で最も適しているとの報告が出たと、先ほど連絡がありました。
本日中に返答を、とのことです。」

病院長はひげをさすりながら、ゆっくりと落ち着いた様子で言った。

「・・・わかりました。この病院の教授、主治医、心臓外科医を集めて、
午後六時からカンファレンスを開きます。
その旨を伝えなさい。」

「わかりました。」

若い医師は一礼すると、急いで部屋から出て行った。

病院長は一呼吸置いて、そばの受話器を手に取った。

「もしもし、私です。スタンレー教授はそちらにいらっしゃるかな?」






その日の病例検討会議、通称カンファレンスはいつにもまして激しかった。

「私は手術に賛成です。ここ二週間、患者の血圧、脈拍、そして基礎体温、
すべて十分に手術に耐えうるレベルを維持しています。」

「それは数字上のことでしょう。事実をまったく反映していない。
彼女は食事も満足にできず、点滴で栄養を取るのがやっとだ。
それに顔色もよいとはいえない。」

「だが彼女は、五年以上もドナーを待ち続けている。
これ以上、手術を延期するのは得策ではないでしょう。」

「それにこのチャンスを逃せば、またいつドナーが現れるかわからない。
すぐにでも手術に踏み切るべきだ。」

「だが医療はギャンブルではない。そのような理由では、手術されるほうも浮かばれんでしょう。」

重苦しい雰囲気が室内を覆った。

「しかし、実際手術をするにしても、うちの設備では不安が残ります。機器も満足ではない。」

「その点は大丈夫だ。ワシントン州立大学付属病院に連絡を入れれば、三日ほどで機器を運ぶ準備があるとのことだ。」

「だが優秀な執刀医がいないでしょう。」

「私の第一外科医局にパーマー助教授がいる。彼に任せればいい。」

「たしかに彼の心臓外科に関する技術はすばらしい。しかし彼はまだ臓器移植手術の経験が浅い。
少々衰弱しており、しかも未成年の女性を彼に任せるのは、心もとないのではないか?」

「となると、我が病院には手術に適した医師はいない、ということになりますなぁ。」

教授たちはみな黙ってしまった。

すると今まで沈黙していた病院長が口を開いた。

「・・・私は、カリフォルニア州立医科大学のスタンレー教授と古い知り合いでね。
手術の話をすると、喜んでやりましょうとの答えが返ってきた。」

教授たちは驚いて病院長を見た。

「本当ですか?」

「あの心臓外科手術の権威が・・・。」

「スタンレー教授なら、十分にこの手術を担当できますね。」

会議室がざわつき始めた。

「・・・では、この話は手術を受ける、ということでよろしいかな。」

病院長は医師たちの顔を見回した。

「・・・そうですね。」

「私も異論はありません。」

教授たちは先ほどと打って変わって素直に手術に同意した。

それほどスタンレー教授という名前は医学会では有名だった。

「では、あとは患者本人の承認を得次第タコマ市民病院に連絡を入れる・・・
ということでよろしいですね?」

そこにいる全員の医師たちがうなずいた。

「では、本日の臨時カンファレンスは終了します。」

病院長が威厳を持って言った。






綾波は病室でこの知らせを聞いた。

答えはもちろん「手術を受ける」ということだった。

綾波は医師が部屋をあとにした後、窓から外の風景を眺めた。

そこから見える街並は、相変わらず閑散としていた。

しかし綾波には、街並みの微妙な変化が感じられ、それが自分の変化を反映しているようだった。






五年間、彼女は同じ病室で過ごした。

来る日も来る日も薬と点滴で、毎日が苦痛だった。

時折彼女を襲う胸の痛みは、彼女から生きようとする意思を奪っていった。

もういつ死んでもいいと思っていた。

生きることがつらかった。

私が死んでも、世の中は何も変わらずに流れていくのかと思うと、ふいに夜に涙があふれてきた。

そんな時、思いかけず届いた桜の花は、彼女を生に結びつける唯一の絆となった。

そこから、彼女の止まっていたときが動き出した。






どのような手術かは、前々から綾波は知っていたが、いざ時が来ると、急に怖くなった。

手術を受けるということは、もう現状維持はありえず、

病気が治るか、はたまた拒絶反応などで悪化し、

最悪の場合死ぬという、この二つしかなかった。

それにたいして、彼ともう一度会うときは元気な姿でいたいという強い意思が、

綾波に何事にも耐えうる勇気を与えていた。






手術は一週間後に決まった。

それでも綾波はいつもと変わらない様子で毎日を過ごした。

時おり綾波は日本のことを思った。

もしかして彼も今頃私のことを想っていて、そして私も彼を想っているのではないかと考えた。

それだけで彼と会っているような、温かい気分になった。

世の中にたった一人でも、自分を想ってくれている人がいれば、

それだけで、こんなにも生きる希望がわく、ということを、

綾波は身をもって知った。

綾波は、手術が成功し、体もある程度動くようになったら、こちらからも手紙を書こうと決めた。

毎日少しずつ良くなっていく自分の姿を、彼にもみてほしいと思った。

そして、いつか日本で、必ず彼ともう一度会って、そのときに自分の想いを私の声で伝えたいと願った。

そんなことを思いながら、綾波はもう一度外の風景を見た。

街にはさまざまな家から温かい家庭の光が漏れていた。

ふと上に目をやった。その日は綺麗な満月だった。

その白い光が、暗い闇の中で唯一輝いている自分自身の希望を象徴しているようだと感じた。






手術当日の朝、綾波はいつもより少し早く目が覚めた。

体を起こして、目をこすり、少し部屋を見回した。

いつもと同じ、静かでさびしい様子だった。

不思議と緊張はしなかった。

綾波は自分の手を見た。

細々とした指はどこか痛々しかったが、この手がシンジに握られたかと思うと、少し温かくなったような気がした。

そしてその手を自分の胸にあてた。

もう今日で、この心臓の鼓動を感じるのは最後かと思うと、

少し名残惜しい気がした。






ドアがノックされ、綾波の母がドアを開けると、担当医が入ってきた。

そして麻酔液を綾波の細い腕に注射した。

綾波は、このまま自分が眠ってしまって、もう覚めることはないのかもしれないと感じた。

すると目に涙がにじんできた。

「・・・これで私は・・・このまま眠ってしまって・・・手術台にのせられるのね・・・。」

綾波がぽつりと言った。

そしてそばにいる母に目を向けた。

「・・・お母さん・・・今までありがとう・・・。ずっと一緒にいてくれて・・・。」

綾波の母も胸が熱くなった。

綾波は涙を浮かべながら、母に笑いかけた。

「考えてみたら・・・私と同じ病気の人は・・・世界中に何百人もいて・・・
そのうち何人のドナーが見つかるか・・・。それですべて決まってしまうのね・・・。」

綾波は自分のすごしてきた日々を思っていった。

「・・・私・・・もう満足・・・。」

「・・・レイ、何を言うのよ・・・。」

綾波の母は娘の頭をなでながら言った。

「・・・たとえ手術が成功しなくても・・・私・・・今まで生きていて・・・とても幸せだった・・・。」

「・・・違うわ。・・・生きなきゃ意味なんてないのよ・・・。」

「お母さんと一緒にすごせた・・・。それに・・・碇君ともう一度出会えた・・・。」

綾波は自分の片手を少し上げた。

「・・・また・・・会えるよね・・・お母さん・・・・。」

「当たり前じゃない・・・。」

涙を流しながら、綾波の母は、娘の手を握ろうと手を伸ばした。

が、手が触る寸前、綾波の手はぱたりと落ちた。

綾波は涙が流れた後を残しながら意識を失った。

その寝顔は、心なしか笑っているように、綾波の母には写った。






中央手術室の自動ドアが開き、手術衣を着たスタンレー教授の姿が現れると、室内に緊張が走った。

八人の手術助手と、二人の麻酔医は、定位置についてスタンレー教授を迎えた。

手術室の上部には、そこから手術室全体を見渡せる位置に、

大きなガラスがある部屋が設けられており、

スタンレー教授の手術を見ようと、数多くの医師たちが見学に訪れていた。

手術帽をかぶり、大きなマスクをしたスタンレー教授は、

上部を見て軽く一礼してから手術台のそばによった。

全身麻酔がかけられている綾波レイは、白く美しい顔を上に向けていた。

手術部の胸部だけには青いシートはかかっていなかった。

「麻酔の様子はどうかね?」

スタンレー教授は、ゴム手袋をはめた指先を軽く屈伸させながら言った。

「はい、深麻酔期に入り、脈拍は七十で緊張良、血圧は百二十で状態良好であります。」

麻酔医は緊張した様子で言った。

「よし、では今から心臓摘出及び移植手術を始めるが、その前にいっておくことがある。」

助手たちは真剣なまなざしでスタンレー教授を見つめた。

「オペはチームプレーが重要だ。
この場にいる一人一人がきちんと役割を果たして初めてスムーズなオペが出来る。
各自、自覚を持ってこのオペに集中してもらいたい。」

スタンレー教授は威厳のある声で一人一人の顔を見るように言った。

「この患者は、若干衰弱しているのでオペにはスピードが要求される。
かといって、むやみに患者を傷つけるわけにはいかない。
各自細心の注意を払うように。」

そしてスタンレーは助手の一人を見た。

「パーマー君、君は将来この病院でこのような大手術を受け持つかもしれない。
特に入念に見ておくことだ。用意はいいな。」

室内のすべての動きが止まるように静まりかえり、白い照明の光が手術台を照らし出した。

助手たちは息を殺すように、スタンレー教授の第一刀を待った。

台の前に立ち、さまざまな機器だしをする熟練したナースの目にも、息がつまるような緊張の色がにじんだ。

スタンレー教授はちらっと壁時計を見た。

一時三十四分三十秒・・・。

「よし始める!メス!」

スタンレー教授の右側に立ったナースが、メスを渡した。

室内の照明があたり、きらりとメスが光ったかと思うと、

綾波の胸部にぐいとメスが入り、十五センチほど正中切開した。

三センチほどの深さまで切り下ろすと、たちまち鮮やかな血が、胸の両側へ流れたが、

スタンレー教授の鮮やかなメスさばきで、出血は少ない。

筋膜を摘み上げて、布を切るような手つきですうっと切り開くと、

第一助手のパーマーと第二助手がすばやく膜を持ち上げて、

コッヘルとストッパーで、切開部を広げて固定した。

助骨を切断し、心膜を開くと、そこにメロン大に肥大した心臓が姿を現した。

それは不気味に脈打っていた。

「まずは動脈、静脈を人工心肺につなげる作業を行う。メス!」

スタンレー教授の手さばきは見事だった。

すばやく動脈、静脈ともに人工心肺装置につないだ。

「血圧はどうだ?」

「はい、正常値を維持しています。」

「よし、ではこれより心臓を摘出する!」

スタンレー教授の声が手術室に響いた。

スタンレー教授は的確に血管部にメスを入れた。

出血の量も少なく、患者の負担は最小限にとどめられていた。

助手たちの中には、教授の腕前を見て、感動を覚えたものすらあった。






そしてすべての血管を切り終え、スタンレー教授はぐいと切開部に手をつっこみ、

心臓を取り出した。

「摘出完了!」

というと取り出した心臓を、プレートの上に無造作に乗せた。

その心臓の不気味な大きさは、これまでの患者の苦しみを表すような、

グロテスクな様子だった。

この時点ですでに手術開始から四時間経過していた。

「臓器を用意しろ。」

「はい。」

助手の一人が袋に入れられた臓器を取り出し、慎重にスタンレー教授に手渡した。

その心臓は先ほどのものよりも赤々しく、生命力を感じさせた。

スタンレー教授は受け取った心臓を慎重に胸部にはめて、

ピンセットと糸を使って血管や神経を一つ一つ縫合し始めた。

そのすばやさと正確さを見て、また助手たちは驚きを感じた。

すべての部位を縫合し終えたとき、手術開始から八時間を経過していた。

スタンレー教授は一呼吸置いて、そして口を開いた。

「ただ今から、人工心肺装置による血液循環から、心臓による循環に切り替える。」

室内の者すべてに緊張が走った。

もしこれで、患者の心臓が動かなければ、手術は失敗、患者は目を覚ますことなく死亡してしまう。

スタンレー教授は切り替えのスイッチを押した。

・・・・・・・・

不気味な静けさが続いた。

・・・・・・・・

まだ心臓は動き出さない。

・・・・・・・・

教授は背中に汗が流れるのを感じた。

・・・・・・・・

・・・・ドクン、ドクン、ドクン・・・・・

「心臓、動き出しました!」

助手たちはほっと胸をなでおろした。

上の部屋で見ていた医師たちも歓声を上げた。

しかし・・・

ピーーーーーーーー

「え・・・?」

心臓が痙攣している姿が目に飛び込んだ。

「まずい!もう、拒絶反応が出始めた!電気ショック用意!」

ドン!!

綾波の体が少し跳ね上がった。

「ダメです!心音、回復しません!」

「あせるな!もう一度だ!電圧上げて!」

ドン!

「・・・だめです!動きません!」

「くそっ!」

スタンレー教授は、心臓を手につかみ、直接心臓をマッサージした。

「教授!出血しています!」

「分かってる!心臓マッサージが先だ!」

ぐっ、ぐっ、ぐっ、・・・・

その様子を見かねたパーマー助教授は目をつぶってしまった。

「目を閉じるな!」

教授の怒鳴り声に、パーマーは驚いた。

「君は医者だ・・。君には患者を見届ける義務がある・・・目をそむけるんじゃない!」

教授は心臓マッサージを続けた。

ぐっ、ぐっ、ぐっ、・・・・

「動け・・・。」

ぐっ、ぐっ、ぐっ、・・・・

「動けえええ!!」

ぐっ、ぐっ、ぐっ、・・・・

すべての医師たちの目が、教授の手にそそがれた。

そして教授は心臓から手を離した。

「・・・ハァ、ハァ、ハァ・・・・」

・・・・トクン、トクン、トクン・・・

心臓は再び動き出した。

「・・・手術を・・・続ける・・・。」

教授の息は荒くなっていた。

「免疫抑制剤を五十ミリグラム用意しろ・・・。」

と、助手の一人に向かっていった。

「・・・ですが、これ以上の投与は患者の大きな負担になります。
副作用が現れてしまう可能性も増します。」

「わかっている・・・。だが、これ以上心停止が起こらないようにするためには、やむを得まい。」

教授は助手を言い聞かせるよう穏やかに言った。

「・・・あとは・・・この患者の生きたいという意志・・・、それ次第だ・・・。」

教授は再びメスを握った。






「・・・ここは・・・どこ・・?」

綾波は何か心地よい、光に満ちた空間にいた。

辺りを見回しても、そこには白や黄色の光が目に写るだけであった。

ふと自分の服装に目をやると、

どこのものか分からないが、学校の制服のようなものに身を包んでいた。

体もどこも悪いところはない様子で、自由に動けた。

「・・・そう・・・これは・・・夢・・・なのね・・・。」

夢ならば、何かいいことがおきればいいのにと思っていると、

いつのまにか周りが学校の校庭になっていた。

綾波にはその場所はどこか見覚えがあった。

そしてそこにたっている桜の木に目をやると、そこには人影がひとつあった。

「・・・碇・・・君・・・?」

綾波は何故か彼をそうだと思った。

そして確認という意味も込めて彼に近づいていった。

「・・・碇君・・・なのね・・・。」

桜の木のそばに立っている彼はニッコリと微笑んでいた。

綾波も思わず笑みをこぼした。

「・・・碇君・・・私ね・・・手術を受けることにしたの・・・。」

風が二人の間を通り抜けた。

「・・・まだ、成功するかどうか・・・わからない・・・けど・・・、
もし・・・上手くいって.・・私が治ったら・・・多分・・・こんな風に・・・なると思うの・・・。」

綾波は今の自分の状態を指していった。

「・・・そしたらね・・・碇君・・・私の・・・気持ちを・・・。」

綾波は彼をちらりと見た。

シンジは遠く上を見上げていた。

そこから差す光が、シンジの体を包み込んでいた。

綾波はシンジがどこか遠くに行ってしまいそうな気がした。

「・・・碇君・・・イヤ・・・行かないで・・・。・・・私を・・・もう・・・一人にしないで・・・。
碇君がいないと・・・私・・・。」

するとシンジは綾波に近づいていき、彼女を力強く抱きしめた。

綾波はシンジの胸に顔をうずめて、彼の力強い鼓動を感じた。

体全体が温かくなっていくのを感じた。

すっとこのままでいたいと綾波は思った。






どれくらい時間がたったのだろうか。

シンジは綾波の体から手を離して、再びニッコリと綾波の顔を見て微笑んだ。

そして一冊の本を差し出した。

「・・・碇君・・・それ・・・。」

綾波はその本を受け取らなければならない気がして手を伸ばした。

綾波の手がそれに触れた。






ピッ、ピッ、ピッ・・・・

心電図の音が響いている。

綾波はゆっくりと瞳を開けた。

気がつくと、そこは病室のようだった。

上に見える天井がいつもと違っていたが、ベッドの感触は同じだった。

綾波は呼吸器がつけられた状態で瞳だけを動かして辺りを見回した。

点滴、心電図、チューブなどが目に入った。

「・・・碇君・・・。」

ぽつりと彼の名前を言った。

一筋の涙が綾波の目から流れた。

彼女は再びゆっくりと瞳を閉じた。














目を覚ますと、カーテンから光の筋が数本漏れていた。

枕元の時計を引き寄せて、時間を見た。

六時四十七分・・・

目をこすり、ベッドからゆっくりと起き上がった。

部屋では、薬品や、消毒液のにおいはしなかった。

だが、目を覚ますたびに、自分はまだ入院しているのではないかと不安になる。

辺りを見回してから初めて帰ってきたんだと実感できた。

窓際まで行き、カーテンを開けると差し込んできたまぶしい光で思わず目を細めた。

暖かな光が、部屋の中に満ちてくる。

手術から一年がたち、再び四月になった。

綾波は過酷なリハビリを終えて、日本に帰ってきていた。

彼女は高校三年時への編入が認められ、今日がその初登校の日だった。

朝食や洗顔を済ませ、綾波は再び自室に戻った。

横に目をやり、壁にかけてある真新しい制服を手に取った。

制服に着替え、鏡の前に立っている自分の姿を見てみた。

新品の制服に身を包んだ自分の姿は、どこかぎこちなく、しっくりと来なかった。

鏡の前でくるりと回ってみた。

それでも自分の姿の印象は変わらなかった。

その後、学生カバンの中に、ノートや教科書を一つ一つ確認しながら入れていった。

そして最後に、一冊の古ぼけた本をそっとカバンの中にしまいこんだ。

綾波は準備を終えて、部屋から出たところで母親に話しかけられた。

彼女は心配そうな視線を娘に向けていた。

「レイ・・・まだ日本に帰ってきてから三日とたっていないのよ。

ほんとに今日から学校へ行って、大丈夫なの?」

母は綾波の体を気遣うように言った。

「・・・うん。・・・大丈夫。・・・私・・・一日も早く・・・学校に行きたいから・・・。」

彼女のはやる気持ちは、母も痛いほど身にしみて分かっていた。

「・・・そう。・・・仕方ないわね・・・。」

あきれるように言ったがどこか愛情がこもっていた。

「・・・あの・・・お母さん・・・。私・・・この制服・・・似合ってるかな・・・?」

そういわれて母は綾波の制服姿をじっとみた。

不意に過去の綾波の姿がよみがえってきた。

急に胸が熱くなったが、母は涙が出そうなのを必死でこらえた。

「・・・ええ。・・・とってもよく似合ってるわ・・・。」

すると綾波はうれしそうな笑顔で少し恥らうように、

「・・・ありがとう・・・お母さん・・・。」

と答えた。

「じゃあ・・・気をつけて行って来るのよ・・・。無理しちゃだめだからね・・・。」

手をぎゅっと握り締めて、声をしぼり出すように言った。

「・・・わかった・・・。行ってきます・・・。」

そういうと綾波は靴を履いて、とんとんとつま先を鳴らした後、

学生カバンを手に取り、ドアを開けて颯爽と外へ向かって駆け出していった。

母はそこで初めて涙をこらえるのをやめた。






綾波は直接駅へは向かわず、かつて通い慣れていた方の道を歩いていた。

この道から見える風景は、以前と少し変わってはいたが、それでも当時の雰囲気はありありと感じられた。

綾波はすぅーっと息を吸い、そしてゆっくりとはいた。

ここから見える家や人影、道端に咲く花一本にも生命が感じられた。

綾波は、ただこうして外の空気を吸い、町を眺め、自分の足で歩いているだけで、

幸福を感じることが出来た。






綾波はある場所まで来ると、ゆっくりと歩くのをやめた。

彼女の視線の先には、小学校の校庭、そしてそこに立つ一本の桜の木があった。

綾波はその満開の桜の木を見ながら、彼とはじめて話したときのことを思い出していた。

それにくわえて、なぜだか分からないが、あの場所で彼とあったような気がしていた。

(・・・あの時・・・碇君・・・笑ってた・・・。)

彼女はそっと自分の胸に手をあてて、そこで心臓の鼓動を感じながら、ぽつりとつぶやいた。

「・・・私も・・・碇君のこと・・・。」

そこまで言って彼女は細い指で自分の涙をぬぐった。

そして学校へ行くために駅に向かって歩き出した。






学校の門の前には、今日もいつもどおり学生たちが登校していた。

「なぁ、お前、知ってるか?」

「なにが?」

「今日さ、転校生がうちのクラスに来るらしいよ。」

「へぇ・・・。」

「それがさぁ、なんでも帰国子女ってうわさだよ。」

「ふーん。どんな女の子かなぁ。」

「はぁ?お前バカか。帰国子女ってだけでは男女の区別はつかないんだよ。
・・・でも、まぁ確かに女の子だたらいいよなぁ。
うちのクラスの女子どもは相変わらずぱっとしないのが多いからなあ。」

「おい!そろそろ走らないと、遅刻するぞ!」

「うわ!ほんとだ!急ごう!」

二人の生徒は駆け出し、門を潜り抜けたところでチャイムが鳴った。






教室に入ってくるなり、担任は口を開いた。

「今日は転校生を紹介します。」

そのひとことで、クラスがざわついた。

「ちょっと事情があって、六年間アメリカに住んでいたらしいけど、
それまでは日本に住んでいたみたいだから、言葉の点は大丈夫でしょう。
じゃ、入ってきてちょうだい。」

クラスが一瞬シーンとなり、ドアが開いた。

「うお・・・。」

「色白ーい・・・。」

「細いなぁ。」

「・・・綺麗だ・・・。」

クラスのどよめきを担任が制した。

「じゃ、自己紹介して。」

綾波は無表情のまま教壇に立った。

「・・・綾波・・・レイです。・・・よろしくお願いします・・・。」

そう言ってぺこりと頭を下げた。

「じゃあ、綾波さんの席は・・・惣流さんの隣ね。」

アスカの隣の窓際の席が、一つぽっかりと空いていた。

「じゃ、綾波さん席についてね。私はほかのクラスで授業があるからこれで・・・。」

担任が教室を出た後、綾波はゆっくりと机の間を歩き、アスカの隣の席に着いた。

「・・・よろしく。・・・惣流さん。」

「・・・よろしく。」

アスカは肩肘をついた手で、頭を支えながら答えた。

その目はどこか遠くを見ているような目だった。

「・・・碇君が・・・」

綾波のこの言葉に、アスカが驚いた様子でこちらに顔を向けた。

「・・・あなたに・・・ありがとう・・・ごめんね・・・って・・・。」

二人は顔を見合わせた。

するとアスカの目にみるみる涙がたまっていった。

彼女はそれを隠すように顔を背けた。

「・・・あのバカ・・・。」

アスカの背中は震えていた。

声を殺して泣いているようだった。






綾波は、窓から見える外の風景に目をやった。

そこには校庭に続く道沿いに、綺麗な桜並木があった。

そのうちの一本の木の下に、一人の女の子が寂しげに立っていた。

しばらく彼女の姿を見ていると、

今度は向こうのほうから男の子が姿をあらわし、女の子の近くまで走りよってきた。

すると女の子がそれに気づいて顔を上げた。

二人が顔を見合わせ、顔いっぱいに笑顔を見せたとき、綾波の目の涙で二人の姿がぼやけて、一つになった。

涙をぬぐってもう一度見てみると、その姿は消えていた。

しばらくその場所を見つづけてから、綾波はクスリとわらった。






風で桜の花びらが舞った。

その花びらを追うようにして目線をあげると綺麗な青空が見えた。

その雲ひとつない青空に、一羽の鳥が遠くへ飛び去っていった。






おしまい









あとがき


そこの話の余韻に浸っているあなた!
その熱い気持ちを私に伝えてください!
最後までこの話を読んでくださったあなたは感想を送るのが義務となります。
さあ、すぐに感想を書きなさい!

・・・すいません、初投稿なのにいきなり命令口調で。
はじめまして、私は先生といいます。
「先生」と言う名前です。

この作品は以前2ちゃんねるという掲示板に載せていたものを、多少手直ししたものです。

とりあえず、どんなささいな事でもいいので感想をくれるとありがたいです。
私が相当喜ぶからです。ホントに信じられないくらい喜びます。
アドバイスでも批評でも愛の告白でもどんなことでもOKです。
とにかくメッセージを送ってください。

まあ、とりあえず、これからちょくちょく作品を投稿したいと思うので、温かく見守ってやってください。

それじゃあ、また次の機会に。





◆先生さんへの感想・メッセージはこちらのページから◆


■BACK