敗北

粒子案


 

「ミサト、もっと息はきなさいよ」

「ア、アスカ、お願い、もっと優しく」

 アスカの目の前には、半裸の状態のミサトが両手を机に付いて、苦悶の表情を浮かべている。

「何言ってんのよ。油断したあんたがいけないんでしょうに」

 そう言いながら、力任せに樹脂製の紐を引っ張る。

「ぐぅぅぅ」

 一際くぐもった悲鳴を上げながら、ミサトの腹部に巻かれたコルセットが肉に食い込む。

「見栄を張って、ウェディングドレスのサイズを小さく作るから、こんな苦労をする羽目になるんでしょうが」

 今日はミサトと加持の結婚式なのだが、上のような理由で、ミサトにとってはかなり試練の時になってしまっている。

「ほらほら、もう少しだから息を吐きなさい」

 実は、少し前に目標値をクリアーしているのだが、油断しまくってシェイプアップをさぼったミサトに、苦労をしてもらうために締め上げているのが現状だ。

 決して楽しんでいるわけでは無い。たぶん。

「アスカ、お願い、もう許して」

 どっか違う台詞が聞こえるけれど、ここは心を鬼にして締め上げるのが彼女のためだ。

 表面的には。

「そんな事言ったって、着られなきゃ話にならないでしょう」

 そう言いながら、更に締め上げたのだが、流石にそろそろ限界だと判断し、金具を使って適当な所で固定して終わりにしてあげた。

「はあはあ。ビール控えるべきだったわね」

 力尽きて机の上に伸びたミサトを見ながら、自分は決してこうはならないと心に誓うアスカだった。

「ほら、とっととドレス着なさいよ。こんな姿加持さんに見られたら、直前で逃げられるわよ」

 今さら加持の事をミサトに取られたと恨みを言うつもりは無い。

 ただ少し、意地悪をしてみたかっただけなのだが、癖になったらかなり困る。

「わ、解ってるけど、ちょっと休ませて」

 締め上げているだけのアスカでさえ、かなり疲労して汗だくになっているのだから、ミサトの体力が残り少ないのは解る。

 おめかしして来なければ、汗だくになってもあまり問題なかったのだが、今の状態は、施設内のシャワーを浴びたい気分だ。

「何言ってんのよ。式まで後二時間しか無いのよ。花嫁の支度は時間がかかるんだから、もう限界ギリギリよ」

 これは事実だ。

 締め上げることに、着付け係の人を頼らずにやっているので、これ以上の遅延は許されない。

 部屋の隅の方で、笑いたいのを必死に堪えているのを見るのは、なんだか可哀想だし。

「わ、わかったわよ」

 諦めたのか、ろくに息も出来ないミサトが起き上がると、よろよろと係の人が待つ方へと歩き出した。

「今日のご馳走は、食べられないでしょうけどね」

 邪悪な笑みを交えてそんな事を言って、更に虐めてみた。

「も、元々食べられないわよ」

 結婚式とは、そう言うものらしい。

「そうよねぇ。人がビールを飲んでも、見てるだけだもんね」

「うっ」

 一人だけさっさと結婚するミサトに対して、微かに嫌がらせをしている自分を、なんだか可愛いと思ってしまうのは、アスカだけかもしれない。

 

 ミサトの着付けが始まると、アスカはもうする事が無い。

 集まり出した連中と喋って時間を潰そうと、式場の外へ出てみたのだが。

「何やってるの?」

 いきなり見付けたのは、レイとマナが睨合っていると言う、かなり珍しい光景。

 もっとも、睨んでいるのはマナの方だけだろうが。

「綾波さんに、昨日の発言の事注意したのに、全然聞かないんだもん」

 シンジの右腕を確保しながら、唇を尖らせて言う昨日の発言とは、あられもない声がどうのと言う奴だろう。

 残念な事に、アスカはその時教室にいなかったので、後から聞いただけと言う非常に冴えない話だが。

「私は間違った事を言っていないわ」

 いつものように、抑揚の無いレイの声は、確実にマナを逆なでするだろう。

「どこが間違ってないのよ? シンジはあの後凄く危なかったんだからね」

 レイがいなくなった教室では、男子生徒の殆どと、女子生徒の一部が、シンジを吊るし上げようとしたらしい。

 偶然通りかかった、ネルフ絡みの教師が止めなければ、冗談抜きで危なかったはずだ。

 マナが自分の胸が小さい事を認めたのも、この時らしいが。

「それは、あなた方のせい」(作者注:あられもないとは、本来あるはずも無いと言う意味です)

「辞書を引かなけりゃ解らないような言葉、使わないでよね」

「一般常識よ」

 何故かレイを遠ざけようと努力するマナと、それに振り回されるシンジ。

 無意識の内にそれを阻止しているであろうレイ。

 その三人の構図は非情に面白いが、アスカをのけ者にして三人で遊んでいるように見えるのは、気のせいでは無いだろう。

「あんたらねぇ。もう少し常識って物を身に着けなさいよね」

 そう言いながらマナの首根っこを引っ掴み、シンジから剥がした。

 一応これから結婚式なんだし、血の雨が降るような展開は、流石に拙いだろう。

「むぅぅぅ」

 唸りながらも、無駄な抵抗を諦めたマナを確保しつつ、これ以上の騒動にならない様にレイを牽制するのは、なかなか骨の折れる仕事だ。

「シンジ。あんたもう少しこいつらの仕付けをしっかりしなさいよね」

「ぼ、僕のせい?」

 元の原因がシンジなのだから、当然だと思うのだが、とうの本人は被害者のつもりらしく、すっとぼけた事を言っている。

 それに、シンジを巻き込んでおけば、二人を効率良く処理する事が出来ると言う、合理的な判断があるのは、間違いない。

「あんたがレイの部屋なんかで作業するのが、そもそもの間違いなのよ」

 自分達の家の状況は、この際目をつぶっておく事にした。

「そんな事いったって」

 案の定、湿っぽい反応しか返ってこない。

 その後、散々文句を言っている間に、いつの間にか時間は過ぎ去ったようだ。

 

「うわぁぁ!」

 突如、マナの妙な叫びで、それまでの喧嘩腰の会話は打ち切られた。

「ミサトさん?」

 今、目の前にいるのは、さっきまでアスカに締め上げられて死にかけていたミサトとは、全く別人としか思えないほど、ドレスアップを完璧に終わった花嫁だ。

「綺麗」

 珍しくレイの感情的なコメントが聞けたのだから、それだけでここに来た甲斐が有ったと言うものだ。

「葛城さんって、本当は美人だったんですね」

 それまで和んでいた空気が一瞬にして凍り付いたのを、アスカを始めとして、ほぼ全員が確実に感じ取っていたが、残念な事に、マナとレイは例外のようだ。

「いつもずぼらでいい加減だから気が付かなかったけれど」

 冷静なレイの分析は、いつもながら見事としか言い様が無いだろうが。

「普段の姿を見ていると、そうは思えないものね」

 アスカは、僅かに二人との距離を置いた。

「霧島さんがウェディングドレスを着れば、葛城三佐の四倍は綺麗だと思う」

 言ってはいけない事を、さらりと言って退けるレイ。

「ありがとう、綾波さん。でも、綾波さんが着ても3,8倍は綺麗だと思うよ」

 ちゃっかりと、自分の方が上だと主張している当たり女心なのかも知れないが。

「綾波、マナ」

 普段鈍いはずのシンジでさえ、今この時の危険を察知しているようで、後ずさりながらも二人へと声をかけた。

 なんだか、綾波マナと言う人物がいそうな呼び方だったけれど。

「「なに?」」

 ユニゾンでそれに答える二人の後ろには。

「ふ、二人の事は一生忘れないよ」

 その台詞を持っていたかのように、マナの左肩と、レイの右肩に置かれる白い手袋に包まれた恐怖の象徴。

「・・・。え?」

 声に出して反応したのはマナだが、二人いっぺんにお互いの顔を見た。

 そして、のろのろと、しかし確実に二人の視線が後ろの人物へと向けられ。

「遺言は、もう良いのね?」

 二人も見たはずだ。

 般若の表情を浮かべたまま、軽やかに頬笑むミサトを。

「あ、あ、あの?」

「お・し・お・き♪」

 そう言うと、両肩に置かれたミサトの手が、後頭部へと移動し、さらに力がこもり、一気に二人の顔を自分の胸へと押し当てた。

「「むが!!」」

 常軌を逸したミサトの脹らみのせいで、呼吸困難に陥ったのだろう。徐々に二人の抵抗が激しくなるが、時間が経つにつれ、沈静化して行き、そして最後には、二人とも動かなくなってしまった。

「あんたらがいけないのよ。本人の前で本当の事を言うから」

 恍惚とした表情で二人に死を与え続けるミサトに聞え無い様に、小声で呟くアスカは、そっと彼女達の冥福を祈った。

 

「シンジ?」

 藤色の空をバックに、少女のような容姿をした少年の顔が見える。

 どう考えても、結婚式は終わっている時間だ。

「どっか具合悪くない? ミサトさんの胸で窒息しかけたから」

「うん。大丈夫みたい」

 今考えれば、ミサトには言ってはいけない事を散々言ってしまったのだから、式に出られなかったのは仕方が無いのかもしれない。

 まあ、折角の料理が食べられないのは残念で仕方が無いが。

「!」

 一瞬そんな事を思ったマナだが、起き上がり辺りを見回した所、とんでもないものを発見してしまったのだ。

 シンジのもう片方の膝で、気持ち良さそうに眠っているレイを。

「綾波さん?」

「ああ、綾波はさっき起きたんだけど、マナが寝ているのを見たら、もう少しこうしていたいって」

 優しい声で説明するシンジには悪いが、マナの機嫌は急降下をとげてしまった。

(私が寝ている間に、ずるい)

 やっている事は同じなのだが、意識が戻った後にやられると、なんだか腹が立つのだ。

「綾波? そろそろ帰ろう」

「ええ」

 驚いた事に、シンジが声をかけると、即座に反応して起き出したレイは、当然の事だが、とても眠っていたようには見えない。

「起きてたんなら、座ってれば良いのに」

「気持ちいいもの」

 その気持ちは解らないでは無いが、割り切れないものがあるのも間違いない。

「帰ろ」

 取り合えず、アスカは周りにいないので、シンジの左手を確保した。

「マ、マナ?」

「良いじゃない?」

 ふと見ると、触発されたのか、レイもシンジの右手を確保している。

(負けない)

 別に対抗する必要は無いのだが、取り合えずシンジの腕へと身体を密着させてみた。

「あ、あの、ふ、二人とも?」

 当然の事かもしれないが、レイも同じようにしているので、シンジの動揺は激しくなるばかりだ。

「あんたら、飽きないわね」

 そんなこんなで歩いていれば、アスカに発見されるのは当然だろう。

「ア、アスカ」

 助けを求めるように、シンジが視線を向けるが、呆れ顔のアスカは手を出す気が無いようだ。

「シンジなんかをからかってどこが面白いんだか。それよりシンジ? ろくに胸も無い女にすがりつかれて、何取り乱してるのよ?」

 この言葉にむっと来た。

「アスカさん、酷い。綾波さんの胸がいくら小さいからって、そんな言い方無いじゃない」

 取り合えず、そう言う事にしておく。

「はぁ? 何バカな事言ってんのよ? 無い乳ちゃんの分際で」

 どこからその呼び名を知ったのかは謎だが、ここは命がけで誤魔化すに限る。

「な!! 無い乳って、そんな。綾波さんがあんまりに可哀想よ」

「・・・。あんたの事よ。霧島マナ」

 墓穴を掘ってしまったらしい。

「うぅぅ!! 垂れ乳ちゃんの分際でよくもよくも」

 咄嗟に思い付いたので、アスカに向かって喧嘩を売ってみた。

 勝ち目は、殆ど無い気がするけど。

「だ、誰が垂れ乳ちゃんですって?」

「アスカさんよ」

 売られた喧嘩は買わなければならないようで、アスカの反応は過激を極めた。

「この、アタシの胸のどこが垂れてるってのよ?」

 実際には、垂れていないと言うか、見事としか言い様が無いのだが、それを認めるわけにはいかない。

「ふふん。今は平気かもしれないけれど、二十歳になればもう垂れるわよ」

「ぐぬぬぬぬぬ。無い乳のくせに」

「垂れ乳ちゃんに言われても、痛くも痒くもないわね」

 一歩も引かずにアスカと睨合いつつ、シンジの腕を放して戦闘体勢へと移行した。

「良い度胸してるじゃない。ミサトと同じ様に、アタシの胸で窒息させてやるわ」

「私の胸のろっ骨で、その無駄な脂肪を適度な大きさにしてあげる」

 思わず、また墓穴を掘ってしまった。

「無様ね」

 突如の乱入者は、何故か機嫌が悪い赤木博士だ。

「そうよね。自分の胸が小さいって認めてるんですものね」

 アスカの追撃はかなり痛い。

「今日の敗北を認めるのは、明日勝つためよ!」

 希望だけは捨てられない。

 だが、リツコの無様発言は、違う方向だったらしい。

「それじゃ無いわ。貴女がシンジ君の腕を放したおかげで、レイが彼を引きずってどっかに連れて行ってるのに、気が付いて無いでしょう」

「え?」

 そしてマナは、自分の犯した最大の間違いを、この時知った。

「ああ!! 綾波さんの裏切り者!!」

 そう絶叫してみたものの、やはり今日の敗北を認める以外に道は残されていない。

「全てシナリオ通りなのか?」

 額に十字形に絆創膏を貼った碇ゲンドウが、何故かやつれた雰囲気とともにそんな事を言っているのは、やや無気味だったりする。

 








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