■ HOPE  第拾九話 「切り札」




「ちょっと……止めて…」

「……少し黙れ……」

「いやっ………見てる……」



加持はミサトをエレベーターの壁に半ば強引に押し付け、唇を奪う。

「……んんっ……」


手に持っていた資料がエレベーターの床に散乱する。


カチリ……カチリ……

ミサトは唇を奪われたまま……レトロフューチャーな、アナログ式のエレベーターカウンターに目線を送る。



ポーン





目的の階についた途端、ミサトは加持から逃げるように、エレベーターの外に飛び出す。

「…もう、加持君とは何でもないんだから…、こういうこと、やめてくれる…」

ミサトは服の乱れを直しながら、複雑な表情で加持に言葉をかける。


「だが、君の唇はやめてとは言わなかった。君の唇と、君の言葉、どちらを信用すればいい?」

加持は英国紳士がそうやるように、胸元に手を当て、ミサトに一礼する。

それと同時にエレベーターの扉が閉じた……。




「………」

ミサトはしばしその扉を見つめていたが

「こんちくしょう!」

思いっきりバインダーを、エレベーターの扉に投げつけた。










ミサトは目的の部屋、リツコの部屋にたどり着く。

インターフォン越しに声をかける。

「リツコ、私よ」

『開いてるわ』

ドアのパネルに手を置き、扉を開ける。


リツコは端末に向かいながらチラリとミサトを見る。

「……どうかしたの?」

「…え?」

「背中、シャツが出てるわよ?」


ミサトは慌てて、シャツをスカートに入れる。

「別に……なんでもないわよ…」

ミサトは顔を紅潮させる。

リツコはしばしミサトを見ていたが、すぐに端末に目線を戻す。


「それで……初号機のほうはどうなの?」

「見ての通りよ」


リツコがミサトに端末の映像を見せる。

そこには巨大な調整槽に遣った初号機の姿。

ダイバー服を着た作業員が初号機の修理にあたっているのが見える。


「あれだけの大質量の使徒を一人で支えたんだから、大したものだわ。シンジ君」

「そうね…。初号機の修理の目処は立ってるの?」

「幸い内部骨格と外装が破損してるだけで、中枢機能に問題はないわ。人間で言うところの複雑骨折ってところかしら。あと二三日もすれば修理は完了。あとは微調整ってとこね」

「…それは結構」



ミサトはリツコのデスクに腰掛、一呼吸置いてリツコを横目で見る。

「……それで、例のアレは何だったわけ?」

アレとはもちろん零号機のことだ。

突然のパターン青の出現、展開されるアンチATフィールド、LCLに還元された使徒……、


「…………」

リツコは黙ってコーヒーを一口、口に含む。

「わからないわ…」

「ちょっと、わからないってどういうことよ」


リツコらしくない発言だ。

技術部トップ、赤木リツコ博士。


今までのリツコを見てきたミサトからすれば、それは当然の疑問といえる。

リツコはわからないことを、「わからない」で終わらせる性格ではない。

あれを見てリツコが何も調査をしないわけがない。



リツコは小さく息を吐く。

「あの時のデータは全て凍結されてしまったの。碇司令の絶対命令でね…」

「……司令の…?」

ミサトは片眉をあげる。


「推測でもいいわ…」

リツコはチラリとミサトを見る。


「そうね……、まず、初号機が、圧解されそうになった時、レイのシンクロ率が爆発的の上昇したわ…。細かいデータは凍結されてしまった以上、詳細は不明だけど、ゆうに350%を超えていたわ…」

「350%……ありえない数字ね…」

「ええ」


「で、レイは?何と言ってるの?」

「覚えてないらしいわ…。最後に見たのは初号機が押しつぶされる所、その後、意識が途絶えてる…。つまり……」

「つまり……?」


「一種の暴走状態にあった……のかもしれない」

「暴走?あれが?」


EVAの暴走ならば、ミサトもその目で見たことがある。

第伍使徒襲来の際、暴走した初号機の力は圧倒的だった。

まさに鬼神と呼ぶべき強さ。

一時は本部ごとの自爆が頭をよぎるほどの、強さを見せ付けた第伍使徒。


しがしながら、それすらも一方的に虐殺してみせたのが、暴走した初号機だった。

通常では、いや設計上、ありえないの強さを引き出すエヴァンゲリオンの暴走……。



しかしレイの、あの時の零号機の暴走はどうだったろう。

初号機が潰れる瞬間、ミサトは確かに聞いた。レイの声を……。

明らかに初号機を助けようとするレイの意思が、そこにはあった。

そして暴走……。

その姿は初号機の暴走とはかけはなれている。

あの巨大な十字架、そして天空に広がる四枚の翼……、展開されるアンチATフィールド…。

あの天空に広がる四枚の翼を見た時、ミサトは思わず、胸元のクロスを握り締めていた。

ミサトにとって忌むべき記憶、セカンドインパクト……。

成層圏にまで広がる巨大な光の翼…………

零号機の暴走はあまりにもそれに酷似していた。



「なぜ……あの時、パターン青が検出されたのかしら…」

「何度も言うようだけど……」

リツコは少し息を吐く。

「データが凍結されているのよ。私にもわからないわ……。ただ……」

リツコは目を伏せる。

「ただ……何よ?」

「EVAはセカンドインパクト、その際発見された最初の使徒を模倣して作られている…。

 あれも使徒の力を発現させたものなのかもしれない…。」

「あれが使徒の力だと言うの?」

「………あるいは、EVAの」



















「碇、そんなに悪いのか……?」

ケンスケはカヲルの顔を覗き込む。

「まぁ……ね。今回はシンジ君だけにかなり負担がかかってしまったんだよ。機密だからあまり詳しく言えないけど、学校に来るにはもう少し時間がかかると思う」


学校の帰り道、ケンスケ、トウジ、カヲルが並んで歩く。

カヲルの顔はいつものように微笑みを湛えているものの、どこか陰りがある。

それはカヲルが仲間を、シンジを思う気持ちが見え隠れしていた。


第七使徒戦、トウジ達クラスメイトはシェルターの中に非難していた。

非難勧告が解除され、シェルターを出たトウジ達が見たものは、今まで空を覆っていた雨雲を吹き飛ばし、青空から降り注ぐ夏の日差しと、オレンジ色の雨だった。

そのオレンジ色の雨は人体には無害との説明を受けた、が、明らかに大規模な殲滅作戦が決行されたことは、容易に想像がつく。







大通りの交差点で、カヲルは足を止める。

「じゃ、僕はここで」

カヲルは二人に声をかける。


「NERVに行くんか?」

「うん。シンジ君の見舞いもあるしね。それに色々と……。使徒戦の後は忙しいんだよ」

カヲルは肩を窄める。


「カヲル、ワシら、シンジの見舞いに行けへんのか?」

「……残念だけど、それは無理だと思う。シンジ君はまだNERVの病室にいるからね。一般病棟に移されれば、それもできるかもしれなけど……」

「さよか……」

トウジは少し表情を暗くする。


「心配することはないさ。大丈夫。シンジ君の命には別状ないよ」

カヲルは微笑む。


「そうだ!」

カヲルは何か思い当たったように声を上げる。

「シンジ君が退院したらみんなでどこか遊びに行かないかい?僕はここに来て間もないし、君達とももっと話がしたい」

カヲルが微笑む。

「あ、せやな!センセが退院したらみんなで盛大に祝いでもしてやろか!『祝!碇シンジ御退院とか垂れ幕』作ったりなんかしての!」

「ああ、そうだな。少し落ち着いたらカヲルも一緒にゲーセン行こうぜ」

ケンスケも無理矢理にでも明るい声で応える。


「ゲーセン……ゲームセンターだね。僕も一回行ってみたかったんだ。うん、そうしよう!」

カヲリはにっこり微笑む。


「ほなカヲル、シンジのことよろしゅう頼むで」

「俺からもな」

「わかった。シンジ君に伝えとくよ。二人が会いたがってるってね」

カヲルが微笑む。

ここで三人は分かれた。

















「さて……どうしたものかな……」

NERVへの道を歩きながらカヲルは独り呟く。


「ゼーレからの突き上げも来てるし………、やっぱり僕が動くしかないんだろうな……」

カヲルは空を見上げる。

今日も夏の日差しが眩しい。

右手をかざし、眉を顰める。


「全てはリリンの赴くままに……か……」



















「う……」

シンジはゆっくりと瞼を開ける……。

視界にとびこむ白い光が眩しい。

少し顔を顰める……。徐々に視界がはっきりとしてきた。


「また……ここか……」

何度目になるだろうか。

NERV病棟、ベッドの上。

この天井も見慣れてしまっていた。


隣に気配を感じ、視線を送る。

シンジを見守っていた人物……、綾波レイも文庫本から目を離し、シンジの顔を見つめる。

「綾波……さん……?」


シンジは体を起こそうとする……、が、その瞬間体に激痛が走る。

「ぐあっ……」

レイが慌ててシンジを手で制す。


「……フィードバックのダメージが残ってる……」



フィードバック……?

シンジはベッドの中で自分の体に意識を向ける。

……確かに。右腕と左足が自由にならない。動かそうとすると激痛が走る。ギブスのようなもので固定されているようだった。


「僕……骨折してるの?」


レイは頭を横に振る。

「……折れていると脳が勘違いしているだけ。その内痛みも引くわ……」



そういえば……

最初に渡されたチルドレン用の教本。

エヴァとチルドレンはその感覚を共有する代償として、その痛みも共有することとなる……。

そのようなことが書いてあったのを、シンジはぼんやりと思い出す。


ということは、初号機も自分と同程度のダメージを受けた、ということだろうか……?



意識がはっきりしてくると同時に、痛みの感覚もはっきりしてくる。

「僕……どうしてここに……使徒は……?」

シンジは目線だけレイに向ける。

「……葛城二尉の立てた殲滅作戦、その第三段階で使徒は殲滅。その際使徒を素手で受け止めた初号機は中破……。覚えてない……?」



……そうだ。

たしかあの時……必死になって山の山頂に向かって……それで……使徒を受け止めて……でも耐え切れなくて……。

……でもその後が思い出せない。


レイが殲滅と言ったのだから、あとはアスカやレイがうまくやってくれたのだろう、とシンジは思う。




ぐぅぅ



その時、シンジのお腹が情けない音を出した。

「あ……」

シンジの顔はみるみる顔が紅潮していく。



「あ、あはは……、なんかお腹すいちゃってるみたい」

シンジは笑ってごまかす。



「……無理もないわ。三日も眠っていたのだから」

レイは冷静に言葉を返す。


「三日も?!」

シンジは驚きの声を上げる。


「……食事、とってくるわ……」

レイは無表情のまま、病室の扉へと消えていった。



嫌だな……また綾波さんにかっこ悪いとこ見られちゃった……。

















加持は煙草を口にくわえ、ぼんやりと眼前に広がるスイカ畑を見つめながら水をまく。

発令所にはいなかったが、加持もあの様子を見ていた。

輝く四枚の翼……零号機……セカンドインパクト……綾波レイ。

過去の経歴は白紙……抹消済み……か……。



セカンドインパクト。それは加持の人生を、いや、今生きている多くの人間の人生を左右したカタストロフィ。

零号機から天空に広がった光の翼は、あの惨劇を連想させるのに十分だった……。














「へぇ……意外な趣味があったんですね」



加持素早く如雨露を放り投げ、身を翻す。







「あ、すみません。驚かせてしまいました?」

明るい声の持ち主、渚カヲルはポケットに両手をつっこんだまま、飄々とした態度で加持に笑顔を向ける。



驚いた、なんてものではない。

加持はトリプルスパイなどという、いつ消されてもおかしくない状況に身を置いている。

それと同時にこれまで潜り抜けてきた修羅場は数知れない。

油断、などとは無縁。

加持が驚いたのは、何の気配も感じさせることなく、ここまでの距離を接近してきた渚カヲルという少年に対してである。



「いや……、考え事をしていたものでね。初めまして、だよな?渚カヲル君」


加持は平静を装い、カヲルに応える。




確信する。この少年は意図的に自分に接触してきている。委員会から直に送り込まれた少年。

綾波レイと同様、この少年の過去も白紙。抹消されている。

探りをいれるはずだった。

まさか、カヲルの方から接触してくるとは……。



「ええ、そうですね。初めまして。加持さん」

カヲルはにっこりと微笑む。

「少し……話をしませんか?」

「ああ……、俺も君と一度話をしてみたいと思っていたんだ」

加持は飽くまで、表面上は、冷静にカヲルと同じように頷いた。







スイカ畑を見渡すように、加持とカヲルはベンチに座る。



さて……どうしたものか……。


これはチャンスである。恐らく……、この少年が最も真実に近い……。

フォースチルドレン来日が決まってから、加持は極秘にカヲルについて調べてきた。

しかしながら、加持の力をもってしても、この少年の正体をつきとめることはできなかった。

その……少年が自らの意思で、自分へと接触を謀ってきている。

慎重にならねばならない。

余計なことは言えない。常に切り札。カードは手元に残しておく必要がある。

委員会から直で送られてきたチルドレン。

すなわち、カヲルは加持のことについても何らかの情報を持っている可能性が高い。

後手に回るようなことはできるだけ避けたい。











先に口を開いたのはカヲルのほうだった。


「碇シンジ君について……どう思います?」

「シンジ君……?」

てっきり委員会、ゼーレの話題をふってくるだろうと踏んでいた加持は面くらう。


「ええ、そうですよ。碇シンジ君」

カヲリは口元に優しげな微笑を浮かべている。


「加持さん……、僕はね。彼ほど人間らしい人間を知らない。

 ……もちろん。こっちきてあまり多くの人と接していない、という理由もあるかもしれない。

 それでも、シンジ君はあまりにか弱く、人を恐れ、そして自分が傷つくことを恐れ…………、それ以上に他人が傷つくのを恐れている……



カヲルは一旦言葉を切って、加持を見る。

「シンジ君から聞きましたよ。あなたのことを……。シンジ君はあなたを慕っています。

 いや……慕っている、というよりも……むしろ自分の兄のような目であなたを見ています。

 それほどまでにシンジ君が慕う、あなたに興味がありましてね」



加持は黙って二本目の煙草に火をつけた。


「それが聞きたくて、ここに来たのかい?」

「……いいえ」



わかっているのでしょう?

カヲルの目はそう言っている。

つまり……だ、互いの立場、ゼーレから送られたチルドレン、そして加持のスパイ活動……。

それらを互いに理解しているのだろう……と、そうカヲルはそう言っているのだ。





「でもその前に聞きたかったんですよ。あなたの口から」

「シンジ君のことをか?」

「はい」



「…………」

「…………」



加持は思案する。

この少年は何が言いたいのか。

一つ言えるのは、もうこちらの正体を、既にある程度カヲルは知っているとのことだ。

そしてもう一つ、カヲルはシンジに対して特別な興味を持っている……。


……加持は正直に答えることにした。




「……君の言う通りだ。俺もシンジ君を弟のように思っている」

「それは……なぜ?」

カヲルは加持の顔を覗き込む。


「君は……俺の仕事のこともある程度知っているみたいだな……」

肺の奥まで深く煙草を吸い込み、そして夕陽差す、ジオフロントの天井に吹きかけるように煙を吐き出す。

「全ての始まりはセカンドインパクトだった……」

「…………」

カヲルは加持から目を離さない。


「あれは真に人類にとって最大の災厄だった……。その時俺には弟がいてね……。

 まぁ……詳しい話は省くが、とにかく似てるんだ。シンジ君と弟と……

 そして、あの時14歳だった俺と、シンジ君がね……。それでいつの間にか肩入れするようになっていた……のかもしれない。

 君に言われるまでは、それほど意識はしてなかったけどな。

 だが、こうして改めて考えると、俺はシンジ君に……あの時、自分ができなかった夢、希望…………いや、俺自身の願いそのものを重ねているのかもしれない。

 勝手なことだと思うかもしれないが…………、だが、シンジ君には後悔してもらいたくないんだ。

 
 滅びを招くと言われる使徒。それに対抗しうる唯一の手段は、使徒と同じ力を持ったエヴァンゲリオンだけだ。

 人類の未来を背負わせるには、14歳の肩はあまりに小さすぎる……。

 それでも、彼には最後まで自分の意思で、生きていて欲しいと思っている……」



加持の独白を聞いていたカヲルは、ふっと力を抜いてスイカ畑に目線を戻す。

「……なるほど…ね……。その点については僕も同感です。彼には常に選択肢があるべきだと思います。生きるという事は『選択』という名の戦いの連続ですからね」


加持はチラリとカヲルを見る。

何ゆえ、この少年はここまで碇シンジに拘るのか、と……。



「さてと……」

カヲルはベンチから立ち上がり、パンパンとお尻を叩いて制服についた汚れを落とす。

「仕事の話をしましょうか」

カヲルは微笑み湛えたまま加持を横目に見る。


加持が一瞬体を強張らせる。



「仕事……と言っても、何かお互いに協力しあうわけじゃありません。取引だと思ってください」

「取引……?」


「調べたんでしょう?僕のことを……」

カヲルはにっこり微笑む。


加持は思わず身震いした。

ただの少年じゃない。そんなことはわかりきっている。

だがカヲルの今の微笑みは……14歳だとか、少年だとか、そういったものを超越したものが見てとれた。



「お互い話せること、交わせることは言葉は少ない……。そうでしょう……?加持さん」

カヲルは余裕の表情。

「……かと言って、僕はあなたに協力する気もありません。だから取引なんです」


「…………内容によるな」

加持は声を低くして応える。



「決して悪くない取引だと思いますよ。あなたにとってはね」

そういうとカヲルはポケットから一枚のカードを取り出す。

「あなたが欲しがっているのは……真実。そうでしょう?」


「…………」


「僕にはわかりませんけどね。あなたの追い続ける真実も、セカンドインパクトの事実も。そんなものには興味がありません。

 でもこのカードはあなたが追い求めるモノ、その一旦を担う鍵になると思いますよ」


「それは……?」


「特注のSクラスカード。MAGIのチェックなしにターミナルドグマ、そしてヘブンズドアーへの特急券です」

カヲルはにっこり微笑む。

加持は思わず生唾をゴクリと飲み込む。



加持が求めて止まなかった真実。

それはここNERVにある。そう確信していた。

でなければなぜ使徒はここを目指す?

なぜ15年も前から対使徒迎撃都市など建設した?

その鍵は間違いなくNERV最深部、ターミナルドグマにあるのだろうと推察していたからだ。

15年前誓ったあの決意……。

加持がNERV諜報部に所属するきっかけがそれだった……。


カヲルが示した取引のカード、それは加持が喉から手が出るほど欲しいものだ。


「ただし、使用できるのは一回限りです。どうです?」

カヲルは尚も加持に問いかける。




「………………見返りは何だ」

加持は声を低くして尋ねる。


「別に、大したことじゃないですよ。あなたにとっては簡単なことです。

 ……ただ、僕が動くのはマズイ。だからあなたにやってもらいたいんです。シンジ君が慕うあなたにね」


カヲルは加持にカードを向ける。

「取引成立……ですよね?」






「…………」

加持は一瞬躊躇したが、……おずおずとカヲルの差し出したカードに手を伸ばす……。





が……、カヲルはパッとそのカードを引っ込めた。

「……加持さん……、鳴らない鈴に意味はありませんよ」

カヲルは鋭い目つきで加持を睨む。

そこにはカヲルのいつもの微笑みはなかった。











「……結局…………、向こうが一枚上手ってことか……」

加持はポツリと呟いた……。





















カラカラと台車の音を響かせ、レイが病室に入ってくる。

「……食事、とってきたわ……」

「あ、うん……。ありがとう……」


レイは何も言わずシンジのベッド、その備え付けのボタンを押す。

ベッドの下、モーターが駆動し、シンジの上半身を起き上がらせる。



食事にありつきたいが、右腕がギブスで固定されていて、動かせない。

シンジは仕方なく左手でスプーンを持つ。


慣れない左手で肉じゃがを口に入れようとした時……



……カラーン



「あ……」


左手も痺れが残っていたらしく、プラスチック製のスプーンを床に落としてしまった。



「………………」


レイは何も言わずそれを拾い上げると、病室に備え付けの洗面台でスプーンを洗う。




「あ、ごめん。……ありがとう」


シンジは弱弱しい手つきで左手をレイに差し出すが……、レイはシンジの意図を無視し、肉じゃがをスプーンに乗せ、シンジの口元に運ぶ。





シンジは最初、その意図がわからなかった。

「…………どうしたの?」


レイの紅い瞳がシンジの顔を覗き込む。


「…………食べないの?」


シンジは呆けた顔をしてしまっていた。



つまりはこうだ、レイは満足にスプーンを握れないシンジの代わりに、食事をするのを手伝う、と言っているのだ。

よく恋人達がする、あーんという、アレである。




「え、ええ!?……あ、いや」

シンジの顔を赤くする。

「だ、だいじょうぶだよ!食事ぐらい、自分で……」


「……スプーン、落としたわ」

レイは無表情のままシンジを見つめる。




シンジの目の前にはスプーンに乗った肉じゃが。

溢さないよう、レイの左手がスプーンに添えている。

レイは相変わらず紅い瞳で、無表情にシンジの顔を見つめている。



「………………」

「………………」




ミーン……ミーン……ミーン……

外で鳴くセミの声が妙に耳につく、静まり返った病室……。











どれぐらいの間、沈黙が続いたのだろう……。








シンジはおずおずと首を伸ばすと……、パクリとスプーンを口に含んだ。

レイはシンジが肉ジャガを咀嚼し、完全に飲み込むのを見届ける。


「次は……?」

「……え?」


「次は何が食べたいの……?」


「…………」

「……………」



「…………や………野菜……サラダ……」


シンジは顔を真っ赤して答える。

レイはやはり何も言わず、野菜サラダをスプーンに乗せ、左手をスプーンに添えたまま、シンジの口元に運ぶ。




「………………」

「………………」



「……次は……?」


「…………」




こうして……。

ゆっくりと時間をかけた、シンジの最初の食事は終わった。

その頃には、シンジは首まで真っ赤に紅潮していた。














食事を下げてきたレイは、シンジの横の椅子に腰掛け、何事もなかったように文庫本を取り出し、読書を始める。

シンジはチラチラ、レイを盗み見る。

レイはいつも通り、無表情に読書に勤しんでいる……。


何と声をかけていいかわからない。

「あ、あの…………ごめん……」




「………何が?」

レイは本から目を逸らすこともなく答える。





「……え、いや……だって……」


「…………」


「………………」





「……ごめん……ありがとう………綾波さん……」

恥ずかしさで、消えてしまいそうなぐらい、小さな声で、シンジはレイにお礼を言った。






かくして、シンジが一般病棟に移されるまでの間、実に二週間。

一日も欠かすことなく、レイの食事の介抱は続けられた。


























「特に問題はなさそうね」

聴診器をはずし、リツコはカルテにさらさらと何かを記入する。

一般病棟に移されてからは、手足のギブスもはずれていた。


「あの……学校にはまだ行けないんですか?」

「あと二三日ってところかしら。実際怪我をしてるわけではないんだけれど……。念のためにね」

そう言って、リツコは椅子から立ち上がる。

「少しでも何か違和感を感じたら、私のところへ来るのよ」

「あ、はい。わかりました」

シンジは軽く頭を下げる。









リツコが病室を出て行くのと入れ違いになるように、ミサトが病室に入ってきた。

「しんちゃ〜ん!元気してる〜?」

ミサトの明るい声。


「ミサトさん!!」

なんだか久しぶりに聞く気がする。

シンジも自然に笑顔が浮かぶ。


「仕事は大丈夫なんですか?」

「だいじょぶ。だいじょぶ。日向君やマヤちゃん達ががんばってくれてるから」



……それって、日向さん達は全然大丈夫じゃないってことなんじゃないかな。

シンジは心の中で苦笑する。



「それにお友達も来てくれてるわよん」

「え?」



そこにはミサトに続くようにして入ってくる、トウジ、ケンスケ、カヲル、アスカ、ヒカリ。

「よっ!センセ!元気してたか?」

「みんな……、来てくれたんだ」


「碇君、もう一ヶ月近く休んでて、みんな心配してたんだから」

「怪我は大丈夫なのか?」

「あ、うん。実際怪我してるわけじゃないんだ。もう歩けるし、二三日したら学校行ってもいいって、リツコさんが言ってた」


「まぁったく、アンタって奴は!わかってるわけ?」

アスカがズイっと顔を近づける。

「な、なに?アスカ」

「家事よ、家事!!記憶無くなって、その間ず〜っとあたしが家事してて、やっと戻ってきたと思ったらまた入院して!」

「え、あ、ごめん」

シンジは引きつった苦笑いを浮かべる。


「仕方ないじゃないか。実際シンジ君があそこで耐えてくれたから、今の僕達がいるんじゃないか」

カヲルがすかさずフォローを入れる。

「仕方なくないわよ!だいたい、アンタが最初にミスらなきゃ、こんなことにはならなかったんじゃない!」

「それを言われると辛いな。でもあんな攻撃してくるとは誰も思ってなかったんじゃないかい?」

「攻撃?なんだそれ。俺にも詳しく聞かせてくれよ」

ケンスケは興味深々といったご様子。



「はいはい。そこまでそこまで」

ミサトがパンパンと手を叩く。

「ここは病室。シンジ君は入院中。みんな静かにしてちょうだい」

フン!とアスカがそっぽを向く。


「ま、なんにせよ、センセが元気そうで安心したで」

「うん。そうね……」

ヒカリも優しい笑顔を向ける。

「毎回毎回足引っ張ってくれるのは変わらないけどね」

アスカは不機嫌そうに腕を組んでいる。




そこにミサトがそっとシンジに耳打ちする。

「良かったわね」

「え……?」

「シンジ君には、こんなに心配してくれるクラスメートがいてくれて」

ミサトがシンジに微笑みかける。


シンジは呆けた顔をしてしまったが、……やがてはにかんだ微笑みを浮かべた。













シンジは病院の廊下で、窓の外をぼんやりと眺める。

窓の外からは淡い光が差し込み、病棟の廊下を薄い青紫で染め上げている。

普段、騒がしい病院も、今は静まりかえっている。



今何時頃なんだろう……。



一般病棟に移され、病院内なら出歩いてもいいと許可されていた。

あと後は事務的な手続きが終われば退院だ。

少し痺れは残っているが、日常生活には支障は無さそうだ。

念のため、とリツコから言い渡された松葉杖が、シンジには大袈裟な気がしてならない。






カナカナとセミの鳴く声が聞こえる。


静かだ……。








ポーン

その時、エレベーターの到着する音が響いた。

無意識にそちらの方に目線を送る。







コツコツ……。






冷たいリノニウムの廊下に響く、革靴の音……。

エレベーターから出てきた人物……。


その人物に、シンジはハッと目を見開いた。








父さん………?






碇ゲンドウ。

黒い仕官服に身を包み、サングラスをかけ、何も言わず、シンジの方に向かって歩いてくる。





どうしてよう……。

何か話しかけた方がいのだろうか。

僕は父さんに何て言えばいいんだろう。





そうこうしているうちに、ゲンドウはシンジの目前にまで来ていた。

思わず顔を上げるシンジ。ゲンドウと視線が絡み合う。

ゲンドウはやはり、威圧するような目でシンジを見ていた。




「…………」


シンジは反射的に目を逸らしてしまった。


そのすれ違いざま……。






「…………良くやったな。シンジ」




…………え?



シンジは思わず振り返る。

そこには父の、大きな背中。




……今、何て言ったの?

父さん……。







コツコツ……。



ゲンドウの足音だけが廊下に響いた。












病室に戻ったシンジは布団にもぐりこむ。

窓から差し込む日差しはいつのまにかオレンジ色のものに変わっていた。

「…………」

父さん……。









プシュ。

空気音が鳴り、扉が開く。

入ってきたのはレイ。



シンジの寝台の側にある丸椅子に腰掛けると、バックから文庫本を取り出し、読書を始める。

そんなレイをシンジは見つめる。



ここ最近……、いや、シンジが入院してからというものの、レイは毎日こうしてシンジの元にやってくる。

学校の帰り、NERVの訓練の帰り。それも、一日も欠かさずに、だ。


……どうしてだろう。


それは何度も疑問に思ったが、口に出すことはできなかった。

NERVの病棟にいた時は、食事の介抱をし……。

そして一般病棟に移ってからもこうして毎日見舞いにくる。


見舞い……というのは、表現としてはおかしいかもしれない。

ただ毎日シンジの元を訪れ、読書をし、面会時間が終わると帰る……。

ただそれの繰り返し……。


こちらから話題を振ってみたりもした。

だが案の定、レイからの返答は「そう」とか「ええ」とか、素っ気無いものだった。



レイを見て、シンジはふと気がついた。

髪が濡れているようだ。



「……シンクロテスト?」

「……そうよ」


「…………」




……会話が続かない。

二人だけの病室は、いつもこういったものだった。



「…………」


シンジは思い切って聞いてみることにした。






「あの……綾波さん」

「……なに?」

レイは本から目線をはずさずこともなく、答える。



シンジはおずおずと口を開く。

「あの……どうして……こんなに僕に構うの……?」


レイはパタンと本を閉じた。



顔を上げてシンジを見る。

シンジと目線が合う。


「…………」


レイはしばしシンジを見つめていたが……



スッと立ち上がり、鞄を取ると踵を返す。

「……邪魔なら帰るわ」

そう言って扉の方へ向かう。





「ち、ちがう!待って!綾波さん!!」

シンジは思わず叫んでいた。



レイは振り返り、自分の手を見つめる。

シンジが思わず、レイの手を掴んでしまっていたからだ。


「あっ!ご……ごめん!」

シンジはパッとレイの手を離す。


胸がドキドキする。


「ごめん……ほんと。邪魔だなんて、そんなこと思ってないよ。ただどうしてかなって思っただけで……ほんと、ごめん……」

レイは立ち上がったままシンジを見つめている……。


「あの……」



「その…………」



「もう少し……一緒に……居て欲しい……」



恥ずかしかった。

口にした後、顔が真っ赤になっているのを自分でも感じた。



でも……、

それでも、そう言わなくちゃいけない気がした。

……レイの前では。




「…………」


「…………」




レイは、鞄を置くと、また椅子に腰掛け、静かに読書を始めた。



そんなレイを見て、シンジは心の中で溜息をつく。

良かった、誤解されなくて……。



そう……、シンジは知っている……。

これが、レイの、あの『優しさ』なのかもしれない……。





「あの……、綾波さん、いつも父さんとはどんな話をするの……?」


「……なぜ、そんなこと聞くの?」

レイは本から視線を離さない。


「だって、綾波さんと父さんって仲良さそうだから、それで……」


「…………」


レイは何も答えない。



「………ほんとは……別のこと、聞きたかったんだ」

シンジは少し俯く。

レイは顔を上げた。



「さっき……廊下で父さんと合ったんだ。

 そしたらね……なんて言われたと思う……?

 『良くやった』って褒められたんだよ……。父さんから……」


レイはシンジの顔を見つめている。


「正直、すごく、嬉しかったんだ。

 父さんに捨てられて、憎んだままで。

 それでもパイロットになって…………。

 父さんを憎んだままパイロットになっているなんて嫌だったんだ……。

 でも……やっと父さんが認めてくれたんだって、そう思えて……



 でも……、違うんだ……。

 すごく嬉しかったってことは……つまり……」



シンジは一旦言葉を切る。



「ただ……ダダをこねて、父さんに構ってもらいたいってだけだったんだ……」

「…………」



「これ、加持さんの言葉なんだけどね……」

シンジは苦笑する。

「そんなダダのためだけに……、命をかけて、エヴァに乗るのかな……僕は……」



「…………」

「…………」




ずっとシンジを見つめていたレイが口を開いた。




「……人は……、人同士は、完全にわかり合うことはできないわ……」

シンジは顔を上げてレイを見る。


「……人から嫌われている。好かれている。そういった考えさえも、幻想に過ぎない……。

 でも……、努力することはできる……。相手を理解しようと……努力することはできるわ……。


 だから……


 本当にあなたが碇司令と理解し合いたいと言うのなら……

 その努力をするべきだと思う……」




レイは真紅の瞳でシンジをまっすぐ見据えている。



そう、この瞳だ……。

シンジは思う。

あの同居生活の中で時折垣間見た、全てを悟りきったような、深い深い紅……。


この深い紅に、僕は惹かれているんだ……。



「…………」

「…………」



シンジとレイは互いに見詰め合う。



「……でも……、 努力って言っても、どうやったらいいか……」



「……あなたは碇司令の何を知ってるの……?」


「…………何も知らないよ、あんな父親のことなんて……」


「……なら、碇司令はあなたの何を知ってるの……?」


父さんが……?

どうだろう。もう何年も会っていない父から突然の呼び出し。

パイロットになってからも、言葉はほとんど交わしていない。


「……たぶん、……何も知らないと思う……」



「……あなたは?」

「……え?」


「碇君は、どのくらい自分のことを知ってるの……?」


僕の……こと……?

自分のことぐらい……わかって……



いや……


あの記憶喪失の時、感じた。

記憶がある、ないに関わらず感じたことだ。

いつかレイに聞こうと思っていたこと。



「……自分のカタチ……ってこと?」

「……そう」


「…………」


自分のカタチ……

自分のカタチってなんだろう。

僕が僕である定義、基準ってなんなんだろう……。



ピピピッ


レイの携帯電話のアラームが鳴る。


「……もう面会時間終わり……?」

「……ええ、そうね……」




「…………」

「…………」





「………あの、綾波さん……」


「……なに?」



「あの……、ありがとね……、ずっと側に居てくれて……」



「…………」

「…………」


シンジとレイの目線が合った。



「…………別に」








レイが出て行ってしまった後、シンジは布団に潜り、目を閉じる。


結局、全てはわからずじまいで終わってしまった。




『別に………』か………。


素っ気無い言葉。

誰に対してもレイはああいう態度で接しているのだろう。

だがシンジは知っている。

レイの優しさを。


『別に……』


なんと素っ気無い言葉だろうか……。





でも………

でもきっと………



こんなに暖かい『別に』は、彼女にしか出せないんだろうな……。


そう、シンジは、思った………。











+続く+





後書き

またもや感想メールいただきました!
ほんっ〜〜〜と〜〜に、励みになります!
一通一通返事が出せないのが心苦しいですが、ご勘弁ください。
投稿スピードも遅いですし、シンジ君とレイがラブラブになる日も遠いかもしれませんが、暖かく見守っていただければ幸いです。
感想メール送ってくださった方々、本当にありがとうございました。
次回で20話ですが、まだ書きたいことの1/10も終わってなかったり……。
完結できるかわかりませんが、感想メールが一通でも届く限り、投稿させていただこうと思います。
それではまた、次回にお会いしましょう。

追記:12/30
こういうことはご法度なのでしょうが、今後のストーリーへの致命的なミスと、誰がどうみても間違っているといった誤記があったので
再投稿させていただきました。
さて、私事ですが、またもや入院することになってしまいましたorz
退院時期は未定です。が、携帯の持込を許可してもらったので、もしかしたら携帯から投稿するかもしれません。
感想メールは携帯からチェックしてます。
簡単な短文でも、わたくしのような稚拙な書き手としては、かなり励みになります。
もし気が向いたら、で結構ですので、感想メールいただけたらと思いますm(_ _)m




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