■ HOPE  第拾七話 「四人目の適格者」





青い空から降り注ぐ、真夏の太陽。

第壱中学校、昼休みの屋上。

トウジ、ケンスケ、シンジは、三人一緒に昼ご飯を食べている。


「毎度あり〜」

ケンスケの前に広げられた写真の一つを男子生徒が買っていった。

そのほとんどがアスカを隠し撮りしたもの。

一度アスカにバレてキツくお叱りを受けているものの、ケンスケはちっともヘコたれていないようだ。



「あ〜あ……。猫も杓子もアスカ、アスカかぁ〜」

「みんな平和なもんやで。写真に性格は写らなへんからなぁ……」


学校でのアスカ人気はうなぎ上り。

シンジと同棲しているということがバレた時は、大変な騒ぎになり、一時期はシンジも生きた心地がしなかった。

しかし同じチルドレン同士、協調性を養うためという名目と、アスカ自身が「バカシンジなんか興味ないわ」と公言してくれているおかげで、なんとか批難の手から逃れることができた。

一緒に暮らしているというだけでも、嫉妬の目が向くのは避けられないはずなのだが、そこは内気な少年、碇シンジの為せる業か。

ケンスケは、転校初日にアスカのカリスマ性を見抜き、一早くこういった商売を展開。

おかげで結構稼がせてもらっているらしい。




トウジが焼きそばパンを口にする。

「やっぱ屋上で食べるメシはうまいわ」

トウジは満面の笑顔。食事をしている時が一番幸せそうな顔をしている。

その隣ではシンジも弁当を食べている。


「ちょっと埃っぽいけどね」

「わかっとらんでセンセは。見てみいこの気持ちのええ青空を!教室で縮こまってメシ食うてるよりも10倍はうまくなるで」

トウジは両手を広げ、空を見上げると、満足げな顔でパンをほおばる。



「それにしても、碇が記憶戻ってほんと良かったよな」

ケンスケが販売用の写真を畳みながら、二人に声をかける。


「ほんまやで。エヴァのパイロットっちゅうのは、難儀な仕事やな」

「僕も、ほんとどうなるかと思ったよ。結局記憶は戻ったから良いようなものの、今考えるとゾっとしないなあ」


記憶が無い時の記憶、というのもシンジにはある。

あの時の……ただ漠然とした不安感。わからないことだらけで、わからないことがわからない。

思考の渦に巻きこまれる感覚……。


学校でもそうだった。気分としては転入初日と変わらない。

クラスメイトは誰一人知らないが、みんなはシンジのことを知っている。

まるで他人に心の中を無断で覗かれていたような感覚。不審感。

あまり味わいたいものではない。

あの時トウジとケンスケは学校で唯一シンジに理解を示し、共に過ごしてくれた。

今更シンジも言葉にする気はないが、トウジとケンスケには心から感謝していた。

空を見上げ、記憶がない頃の自分を思い出していたシンジ。脳裏に一瞬、レイの姿がよぎった……。




「パイロットって言えばさ……」

シンジの思考を遮るように、ケンスケは口を開いた。

「新しいエヴァ、完成したんだろ?」

ケンスケは声を少しひそめる。

「え……?」

初耳である。

シンジは驚いた顔でケンスケを見る。


「機密なのはわかるけどさ〜、ちょっとぐらい教えてくれてもいいじゃないかよ、碇」

メガネをずり上げ、口を尖らせながら、拗ねたようにシンジを見上げる。


「教えるも何も、そんなこと知らなかったんだけど……新しいエヴァ?」

「ああ、パパのパソコンこっそり覗いたんだよ。そしたら新型のエヴァが来るって……。ほんとに知らないのか?」

ケンスケはシンジの顔を覗きこむ。

「うん……。あ、もしかしたら僕が記憶喪失の時に、連絡があったのかもしれないけど……」



「あ〜!俺もパイロットになりたいなあ〜」

ケンスケは空を見上げながらボヤく。


「アホか!今パイロットは大変だって話しとったばかりやないか」

「それはわかってるんだけどな。でもやっぱ憧れるんだよ……。だってエヴァンゲリオンのパイロットだぜ?」

ケンスケは目を輝かせる。



そんなケンスケを見たシンジは、少し声のトーンを落として口を開く。

「そんな……かっこいいもんじゃないよ。ならなくていいなら、ならないほうが良いと思う」

その表情からは実際パイロットをやってるからわかる、そんな深い意味合いの含みが見て取れる。



「…………」

ケンスケは自分の発言が少々ウカツだったことに気づき、視線を落とす。

「……ほら見ろケンスケ。センセも言うとるやないか。一般人なだけ幸せに思わんかい」

「そうは言ってもなあ………。実際の所、新しいパイロットは誰なんだろ……?」

「え?」

シンジが顔をあげてケンスケを見る。


「新しいエヴァが来るってことは、新しいパイロットが必要だろ?14歳にしかなれないんだから。…………俺もテストだけでも受けさせてもらえないかなあ」

「はぁ〜……おまえはほんま懲りんやっちゃなあ……」

トウジは溜息をつく。

一時はエヴァに関わり、シンジ達に迷惑をかけた上、こっぴどく叱られている。

命懸けの戦いを間近で見たトウジにとって、それでもなおパイロットに憧れるケンスケの心は理解できない。

それほどまでにパイロットに焦がれる心が強いのか、よっぽどの馬鹿なのか……。



「あ、そう言えば………」

シンジが思い出したように口を開いた。

「お、なんだ?何か心当たりあるのか?」

ケンスケは身を乗り出す。


「うん、たぶんパイロットは決まってると思う」

「なに〜〜!?ほんとかよ!!」

「うん。今日ミサトさんが合わせたい人がいるって言ってた。

 今日のチルドレン連絡会議で顔合わせするって言ってたから、きっとその人だよ」

「なんだ〜〜〜〜!!もう決まっちゃってるのかよ〜〜!!」

ケンスケは大の字になって寝転ぶ。

心底残念そうだ。


「べっぴんのおなごならええけどな。そのうち転校してくるかも知れへんし!」

トウジはニヤケ顔をシンジに向ける。

「美人は歓迎だけど……アスカみたいにあんまり勝気なのは困るよね」

「そりゃ言えとるわ!」

トウジとシンジを顔を見合わせ、声を上げて笑い合う。




「聞こえてんのよ、このサンバカトリオが!!」

そこには運悪く屋上に上がってきたアスカ。

青筋を立ててこちらを睨んでいる。


「ア、アスカ……」

「ち、違うんや惣流。いい意味やで。いい意味で!!」


バシッ!ドカッ! バキッ!!






「お、俺は何も言ってないだろ〜〜!!」

頬を押さえながらケンスケが叫んだ。



















第三新東京市から少し離れたところに位置する、見た所平凡な山々の風景。

突然サイレンの音があたりに響く。

山の中腹が扉のように開き、中から偽装されていた巨大な滑走路が姿を現す。

エヴァ専用長距離輸送機ウィングキャリア、通称F型装備。

それらを発進させるために使用されるシークレットルート、傾斜式秘密滑走路だ。



そこに巨大な銀の逆三角形の翼がゆっくりと着陸する。

滑走路につくと速度を落とし、鳥の翼のようにそれを畳む。



「…………」

ミサトは少し離れた管制塔でそれを見守っていた。

「さすがの私も驚いたわ……。まさか空を飛んでくるとはね」














第六会議室。

電気が消された部屋の中で、シンジ、レイ、ミサト、リツコ、冬月がスクリーンに写っている映像を見ている。


「これはアメリカ第二支部で行われた、四号機の実働実験の様子よ」

リツコが解説する。


コンクリートで覆われた滑走路のような広い場所。

サイレンが鳴り、赤色灯で囲まれたリフトの出口から、見たことのないエヴァンゲリオン。四号機が射出されてきた。

ゆっくりとリフトオフされる。



四号機は全体的に銀色のカラーリング。

体の基本は零号機や弐号機のようなプロダクションモデルのそれに準じているが、目を引くのは胸と足に増設された大型のブースターユニット。

肩の板状のウェポンラックも、他のエヴァのよりも厚みがある。

そのゴツゴツした姿はロボットアニメに出てきそうな、メカニカルな印象を受ける。


そして何より一番特徴的なのはその顔だ。

うなぎか爬虫類のトカゲを模したような、長いその顔には目が無いのだ。

果たしてこれで前が見えているのだろうか。

さらに初号機のような巨大な口が、頬まで大きく裂けている。

それらを包むように頑丈そうな装甲板が頭部全体を覆っていて、四号機が人工物であるとを主張している。

のっぺりとした頭部を満遍なく覆う装甲板は、どことなくステルス装甲を彷彿させる所がある。

背中にはアンビリカルケーブルを接続するためのソケット穴がついておらず、腰のあたりにブーメラン型の尾翼のようなものが付いている。



四号機は少し身を屈めると、突然駆け出す。

そのスピードから、パイロットがなかなかのシンクロ率を叩き出していることが窺える。

スピードが乗ってくると、その背中から皮膜のような同色銀の翼がにゅるりと生え出す。

生物的に生える出るその翼は、全体的にロボティックなイメージの四号機とは似つかわしくない。


四号機は一度ジャンプすると、足と胸部のブースターを噴射させ空に飛び立つ。

大きく広がった翼は全翼式の爆撃機のようだ。



「……さすがS2機関搭載機ってところかしら。活動時間無制限。その上飛行能力付きとはね……」

ミサトが腕を組みながら呟く。

「本物のS2機関の力はこんなものではないわ。四号機に搭載されているのは、正確にはS2機関ではないの」

リツコが口を開く。

「S2機関の原理を真似て、その動きを模倣、複製したもの。S2機関のプロトタイプね。その搭載実験がたまたまうまくいったものが、この四号機なの」

「なら、この飛行能力は?」

「ほぼ偶然の産物よ。起動してみたら、ATフィールドとの相乗効果で重力を中和する働きがあることを発見したの。

 足と胸にあるブースターは姿勢制御用で、その推進力はそれほどないわ。

 この四号機はこれから製造される量産機への足がかり。コンセプトモデルと言ったとこね」


「それじゃその量産機ってのは、みんな空を飛ぶわけ?」

「本物のS2機関を搭載する予定みたいだから、そうなるでしょうね」

「ならさっさとそっちのほうを配備してもらいたいものね」


大空を舞い、時折翼を羽ばたかせる四号機は、普段目にする飛行機などの軌道とは違い、何か物理の法則を無視するようなアクロバティックで機敏な動きで飛び回る。

一同はスクリーンの四号機の動きに魅入っている。



「…………」

リツコはそっとミサト達から離れ、一番後ろの席に座っている冬月に近寄ると、小声で話しかけた。


「……パイロットの件ですが、過去の経歴は白紙。抹消されています」

「レイと同じか……」

冬月はスクリーンを見ながら呟く。

「ただ、生年月日はセカンドインパクトと同一日です……」

「……なるほどな……」

冬月は何か心当たりがあるように呟く。


「……よろしいんですか?委員会が直接送り込んできたチルドレン、何も無いはずはありませんが……」

リツコが怪訝そうに尋ねる。

「いや……、碇は全てを承知した上でこの件を承認している。あの少年が何者かに関わらず、これ以上スケジュールを遅らせるわけにはいかんよ」

「ダミーシステムのほうですか?」

「…………」

冬月は少し考え込むように口を閉ざす。


「……あの少年については通常通りの扱いで構わんよ」

「では、何も手を打たなくて良いと?」

「いや、打つも何も、向こうから接触してくるだろう……」

冬月の口ぶりは半ば確信めいたものだった。

















「しまった〜!」

アスカはNERVへの道を走っている。

今日はチルドレン連絡会議。

わかってはいたのだが、ヒカリと遊んでいるうちに、時間が経つのを忘れてしまっていたのだった。

アスカにしては、珍しいミスである。


「まいったわね〜……今日はリツコと副指令もいるんだった」

通常の連絡会議は使徒戦直後でも無い限り、一時間もしない内に終わる。

チルドレンへのスケジュールの発表や作戦行動の反省会、IDカードの発行等……。

そのほとんどがチルドレン三人とミサト、もしくはマコトの四人で行われる。

「会議」と名前は付いているものの、実際はそれほど大掛かりなことはやらないのだ。

特にミサトが担当の時のメンバーは、葛城家+レイになるので、いっそ自宅でやりたいぐらいである。

それでもこの会議は、NERVの規則に乗っ取って行われているし、機密の多いチルドレンのスケジュールについても、直前まで発表されないことになってるので、流石にミサトの家でやるわけにはいかないのだが。


だがそんな連絡会議にも、稀にこうしてリツコや冬月が参加することがある。

ミサトも家でのガサツな態度とは違い、こうしたNERVでも規則や決まりごとには厳しい方だが、リツコはそれ以上だ。

副指令出席の会議に遅刻なんてしたら、それこそ胸に針を打ち込むような厳しい小言をネチネチ聞かされそうである。




目の前にNERVの通用ゲートが見えてきた。

アスカはチラッと時計を見る。

「ダメだ……アウトっぽい」

遅刻確定。それでも行かないよりはマシである。

駅の改札のような通用ゲートの前で止まり、鞄の中からIDカードを探す。

その時どこからともなく歌が聞こえてきた。



「―――♪――――――♪♪――――……」



歌……と言うよりハミングか。

誰しも知っている、かの有名な音楽家。ベートーヴェン第九歓喜の歌。



アスカが歌のする方を見ると、NERVの通用改札機の上に、軽く曲げた右足を両手で包みこむように、中学校の制服を着た一人の少年が座っていた。

銀髪に赤い瞳、天を仰ぐようにして、銀色の前髪の中から空を見上げている。その表情は少し微笑みを湛えているようだった。

やや神秘的な容姿だが、一目見て美少年だと言うことがわかる。


アスカはその少年に一瞬目を奪われてしまったが、ハッと我に返る。

こんなことしている場合じゃない。早く会議室に行かなければ。

その時、突然少年のハミングが止った。




「歌はいいねぇ……」

アスカはビクッとする。

「歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」






あたしに……言ってんの……?





アスカはその少年の方を見やる。

その少年は先ほどと同じ姿勢のまま、薄っすらと微笑みを湛え、天を仰いでいる。



その姿を見てアスカはハッと気がついた。

特務機関NERV通用ゲート……。その改札機の上に座り……、ハミングをしながら笑う謎の制服少年…………。

それが意味するものは…………





なるほど……。

アスカは一人納得する。







日本は春が無いって聞いてたから、安心してたけど………。

あったかくなると出てくんのよねー………こういう奴が………。




なるべく目を合わせないようにして、一番端っこの改札機に向かう。


「そう感じないかい……?」

少年はなおも言葉を続けている。




……無視無視。

アスカはまるで何も聞こえていないかのように、定期入れからカードを取り出す。





「……惣流・アスカ・ラングレーさん」


IDカードを通す寸前だったアスカはピタリと動きを止めた。

視線を左右に素早く走らせる。

見たところ、少年と自分以外は近くに誰もいないようである。



何やってんの……チルドレンガードは……!


世界で数人のチルドレン。その名前と顔を知りながら、明らかに意図的に接触してきている。

相手は同じ子供に見えるが油断はできない。

チルドレンを狙う組織などは、吐いて捨てるほどある。

ドイツでも誘拐まがいのことを何度か受けたことがある。


こいつがなんらかの特殊武術でも身につけているのか……、それとも囮で周りに特殊部隊が隠れているのか……。

もしかするとチルドレンガード達は、既にやられてしまった可能性もある。


手に持ったIDカード。

どうする?もう本部は目の前だ。

カードを通せば自分がここにいることをMAGIが感知してくれる。

でも通せばその瞬間、特殊部隊が突撃してくる可能性もある。

一瞬の逡巡。



先に動いたのは少年のほうだった。

改札機からぴょんと飛び降りるとポケットに手を入れてアスカのほうに歩いてきた。

アスカは手早くバックを地面に置き、両手を自由にし、身構える。


少年はアスカに近づき、ゆっくりとポケットから右手をひきぬく……。

アスカが少年の右手に視線を走せる、そこには…………





……握手を求める少年の手。


「僕はカヲル。渚カヲル。君と同じ仕組まれた子供。フォースチルドレンさ」

「ふぉ、フォース……?」

てっきり武器か何かが飛び出してくると思っていたアスカは面食らう。

「カヲルでいいよ、惣流さん」

カヲルはにっこりと微笑んだ。















第七実験場。

テストプラグに入った四人のチルドレンがモニターに映っている。

一番左から順にレイ、アスカ、シンジ、カヲル。


レイは無表情に

アスカは少し眉を寄せ

シンジは無関心そうに

カヲルは余裕の微笑みを湛え


みな瞑想するように目を瞑っている。






チルドレン達のシンクロ率は、80%付近でほぼ横一直線、拮抗していた。

上からアスカ、シンジ、レイ、カヲル。

だがその差は極僅かだ。


しかしシンジのシンクロ率は、他のチルドレンのそれとは、少し意味合いが違っていた。

搭乗回数は最も少ないものの、シンクロテストをする度に、シンジは大幅に記録を更新してきている。

今はシンジも他のチルドレン達と肩を並べているものの、このままのペースで上昇が続けば、近いうちにダントツでトップに踊りでるのは間違いない。




「これを……才能と言うのかしらね」

リツコは感嘆の溜息を交えながら呟いた。


「ハーモニクスも、シンクロ率も前回より大幅に上昇しています。シンジ君、エヴァに乗るために生まれてきたような子供ですね」

マヤも嬉しそうにリツコの言葉に続く。


「……本人が望んでなくてもね」

ミサトは苛立たしげに眉を寄せ、険しい顔でシンジを見つめている。


リツコはチラッとミサトを見る。

彼女の気持ちはわかる。家族として接するミサトは、シンジがエヴァに縋って生きることは望んでいない。

いっその事、エヴァに乗れなければ良かったのに、と思うこともあるのだろう。

しかし作戦部長としての立場がそれを許さない。

使徒殲滅。そのためにエヴァを乗りこなし、高いシンクロ率を上げる必要があるのだ。

そのジレンマ……。そこから来る苛立ち……。


古くから親友としてやってきているリツコは、ミサトの考えが手に取るようにわかる。

その彼女の浅はかで度量を超えた考えは、しばしば周りとそしてミサト自身を傷つけていたことを知っていた。

しかし彼女にいくらそれを諭しても、彼女はその生き方を変えようとはしないのだろう。

それはある意味不器用な生き方だ。



ミサト……あなたの、そういう中途半端な態度が、一番彼を傷つけるというのにね……。

リツコは心の中で呟いた。


「みんなお疲れ様。あがっていいわよ」








シンジはプラグスーツを脱いで、更衣室のシャワーを浴びる。

血の匂いがするLCL。電化し終わったそれは、鼻の穴まで入り込む。プラグ内にいる時ならともかく、外にでると非常に不快感を感じる。

シャワーの水圧を少し強めにして、頭からお湯を浴びる。


「お疲れ様」


シンジの後ろから、声がかかった。

振り向くとそこにはなんと全裸のカヲル。

なんの恥じらいも見せずに、屈託ない笑顔をシンジに向けている。


「あ、お疲れ様。渚君」

渚君は恥ずかしくないのかな……。

シンジは少し前を隠すように体をよじる。


「カヲルでいいよ、碇君」

カヲリはにっこりと綺麗な笑顔をシンジに向ける。

「ぼ、ぼくもシンジでいいよ」

シンジはカヲルの笑顔に顔を紅潮させながら、はにかんだ笑顔をカヲルに向ける。

「隣、いいかな?」

「あ、うん」



チルドレン更衣室には、壁際に10個ほどのシャワーが設置されている。

それぞれのシャワーは、膝の上あたりから肩のちょっと下ぐらいまでの、中途半端な位置に仕切りが設置されている。

なぜこんな半端な位置にあるのかは不明だ。ちょっと背伸びすれば隣が丸見えになってしまう。

今まで一人でしか使う機会がなかったこのシャワーだが、カヲルという同性のチルドレンが入ってきたことで、初めて自分以外の人間と共有することとなった。

人前で裸になる、という行為はシンジには抵抗がある。


元々心理学的にも常識的にも、裸になるということは、完全に心を開いた人間の前以外では、抵抗を感じる行為だ。

さきほど会ったばかりのカヲルと、こうして隣同士でシャワーを浴びるのは、緊張と恥じらいを感じるのは仕方がないと言える。



シャワーの湯がシンジの体を打つ。

心地良い刺激感。

シンジは目を閉じてシャワーの中に身をゆだねる……。






「これからよろしくねシンジ君」

突然のカヲルの声に、シンジは振り向いた。

そこには仕切りの上に乗せた両腕の上に顎を乗せ、微笑みながらこちらを覗き込んでいるカヲル。



「わあっ!」

シンジは慌てて前を隠す。


「あ、ごめんごめん。驚かせてしまったようだね」

カヲルは屈託のない無邪気な笑顔で笑う。


「あ、ううん。こちらこそよろしく……」

少し恥ずかしそうにシンジは答えた。




カヲルはシンジの言葉に嬉しそうに頷くと、シンジに向けて手を差し出した。

最初シンジはその意図に気づかなかったが、ハッと我に返ってカヲルの手を握り返した。

握った手を上下に振る。



カヲルは嬉しそうにシンジに話しかける。

「嬉しいよ。シンジ君と友達になれて」

「え?」


「僕はアメリカ支部に居たからね。ずっと一人で友達が居なかったんだ」


「友達が居ない」なんて言葉を簡単に口にする人間は、そうはいないだろう。

しかしカヲルは恥じる様子もなくサラリとシンジに言ってのける。

「だから、嬉しいんだよ。君に会えて」

カヲルは綺麗な笑顔をシンジに向ける。


シンジはその笑顔に一瞬見とれてしまう。

なんて優しい笑顔をする人だろう。

カヲルは本当に自分と友達になれたことを嬉しがっているようだ。

いや、それ以前にさっき会ったばかりの自分を、もう「友達」と自然にそう呼んでいる。

それが当たり前のように。



「ぼ、僕も……ずっと男は一人だったから……」

恥ずかしそうにシンジが答える。

「なら、これからは一緒にいられるね」


なんだか危ないセリフだが、カヲルの笑顔を見ると他意がないことがわかる。

純粋でストレートな物言い。

こちらの心にズカズカと入ってくるわけではなく、自然にシンジの隣に座る……。

何かと似ている……。なんだっただろうか……。

既視感。




「あ、そろそろ出ないといけないね」

シンジは壁に設置された時計を見ながら言う。

「次はどこに行くんだい?」

「作戦室だよ。シンクロテストの結果が発表されるんだ」

「そっか。なら案内してもらってもいいかな?まだ来たばかりで、ここのことは良くわからないんだよ」

カヲルは困ったような笑顔を向ける。

「うん。もちろんだよ」

カヲルはシンジの言葉に嬉しそうに微笑んだ。










作戦室につくとミサトとリツコが既に居た。

作戦室は本来、使徒襲来の際に作戦、会議を行う場所で、発令所がリアルタイムに命令指示を出す所ならば、作戦室はその情報、分析を担当している。

各部署へのネットワークが集中していて、その設備もNERV本部内では、発令所の次に充実している場所になっている。

シンクロテストの結果発表などで使う場所ではないのだが、テストの発表はここか発令所というのがなぜか慣例になっていた。


少し遅れてアスカとレイが入ってくる。

アスカは首からタオルを下げていて、まだ髪が濡れていた。


チルドレン達を一度見回すと、ミサトが口を開く。

「まず、シンクロ率の発表の前に、紹介しておかないといけないわね。渚君」

カヲルは促されてミサトの横に立つ。

「四号機配備に伴いアメリカ支部から来てもらったフォースチルドレン、渚カオル君よ。これから一緒に戦っていく仲間だから、仲良くしてちょうだいね」



「渚君。何か、自己紹介する?」

ミサトがカヲルに尋ねる。


カヲルはコクリと頷いた。

「渚カヲルです。四号機パイロットで生まれはドイツ。育ちはアメリカ。国籍は日本です。よろしく」

にっこりと微笑む。


カヲルはチラッとシンジを見た。

シンジは、はにかみながらコクンと小さく頷いてみせた。


アスカは不機嫌そうにカヲルを睨み、レイは無表情、無反応。





「…………じゃ、いいかしらね?結果を配るわね」

リツコはプリントアウトされたシンクロ率の結果を四人に配る。


アスカ 82.32%

シンジ 80.09%

レイ  79.87%

カヲル 79.65%


僅差。ほぼ同じ値を示している。

一同はその結果に目を通す……。


アスカは不服そうにその結果を見ていたが、ふとあることに気が付いた。

「あれ?リツコ、いつもの折れ線グラフは?」


いつも受け取るプリントには、時間を横軸、シンクロ率を縦軸とした、折れ線式のグラフがプリントされていた。

だが今回のテストは、ただ漠然とシンクロ率が表記されているだけだ。



「…………」

リツコが一瞬険しい顔をする。


「時間の経過を追っても大した意味はないから、今度から省くことにしたのよ。渚君も加わって、スペースの関係もあるしね。そうやって具体的に平均値を表示したほうが見やすいでしょ?」

「え〜、あたしあれの方が良かったのになあ」




リツコはシンジを見る。

「それにしても、良くやったわね、シンジ君」

「え?何がですか?」

身に覚えがない。きょとんとした顔でリツコを見る。


「シンクロ率よ。すごい上昇率だわ」

「はあ……」

シンジはあまり興味無さそうだ。

そこにアスカがつっかかった。

「まだあたしのほうが上じゃない!あたしだって上昇してるわ!」

「あら、でも10日で4よ?次回はシンジ君がトップかもしれないわね」


常にトップでありたいと願うアスカは、特になんの努力もせずに成長を続けるシンジが気に入らない。

「良かったわね!お褒めの言葉をいただけて!」

「え、はぁ……、ありがとう」


皮肉さえ通じない鈍感なシンジ。アスカはシンジを睨みつける。

「もう知らないわよ!このバカシンジ!」

アスカは踵を返してさっさと出てってしまった。



なぜアスカを怒らせてしまったのか。シンジはカヲルを見る。

カヲルは肩を竦めてみせた。


その様子を見ていたミサトは呆れ顔だ。

「……まったく。シンジ君とカヲル君は追加テストを受けてもらうから。一時間後また実験室に来てちょうだいね」









NERVの廊下をチルドレン四人が並んで歩く。

「せっかく日本に来たってのに、あんた達のお守りばっかでやってらんないわよ!」

アスカの怒りはまだ収まらないらしい。

「その上変な奴も追加されるし!」

アスカはカヲルをキッと睨む。

「何が四号機よ!あたしの弐号機をナメないでよね!あんたなんか居なくたって、あたし一人で十分なんだから!」

カヲルは一瞬キョトンとした顔を見せたが、アスカに微笑み返す。

「フンッ!」



「あ、アスカ……」

「なによ!あたしは今機嫌悪いの!」

「いや、でもカヲル君は今日来たばかりで……」

「だから何よ!もうあんたは……、わかってるわけ?!あんたが家出してた間、あたしがあんたの分の家事やってたのよ!?」

「え、あ、ごめん」

もうシンクロ率の話とは関係が無い。

アスカはとりあえず当たる物が欲しいらしい。



「しかも何?聞いたらファーストの部屋に居たって言うじゃない!いやらしいわね!!」

「えぇ?!!」

アスカは知らないと思っていたのに。

きっとミサトが話したのだろう。

ミサトの性格を考えれば予想可能な範囲だった。



シンジは慌ててレイを振り返る。

レイは特に興味がなさそうに、無表情な顔で後ろを付いてきている。

「ちょ、ちょっとアスカ!」

シンジはアスカの腕を引っぱり、レイとカヲルから少し離れる。

「な、なによ!」


シンジが小声でアスカに耳打ちする。

「何も綾波さんの前で言うことないだろ!?」

「なによ!!あの女の肩持つわけ!?」

レイの前での体裁を気にするシンジ。

それがまたアスカの怒りに油を注ぐ。


「あんた記憶戻ったんでしょ?なんであたしがアスカで、ファーストが綾波さんなのよ!!」

「え、いや、それは」





その時、ポンとアスカの肩に手が置かれた。

アスカが振り返るとそこには微笑むカヲル。


「アスカさん」

「へ?」

突然のことに、アスカはキョトンとした顔をする。


「さん付けして欲しいって、今言ってただろう?だからさ」

カヲルはにっこりと微笑む。


「それとも、アスカちゃんのほうがいいかな……?

 アスカさん……アスカちゃん…………。うん、アスカちゃんにしよう!」

カヲルは一人で何かを納得する。


「勝手に変な呼び方で呼ばないでよ!!気持ち悪い!」

「いや、僕はもう決めたよ。君はアスカちゃんだ」

「勝手に決めるなっつーの!!」

アスカはカヲルの頭をパッコリ殴りつけた。





「ちょ、ちょっとアスカ」

「ひどいな。これが日本式の挨拶なのかい?」

「うるさいうるさい」

「…………!!」

「………!」



…………
……







もみ合いながら歩く三人。その後ろをレイは無表情に着いて歩く。

その時、不意にカヲルがレイに振り返った。

微笑みを湛えているが、その目はどこかレイを試すように、笑っていない。


レイは思わず足を止めてしまう。

訝しげに目を細め、カヲルを見つめ返した。



















その後追加テストを受け終わったシンジは、カヲルと共に廊下を歩いていた。

「そう言えば、カヲル君はどこに住むの?」

「とりあえず、ここの居住区画を申請したよ。もう荷物も届いてる」

「D区画の?」

「いや、F区画さ」


それなら一度シンジも利用したことがある。

一番最初にNERVを訪れた時だ。職員用と説明を受けていたのを思い出す。

必要最低限の設備は備わっているたものの、一人暮らしであそこに住むのは、少々寂しい所だ。


「あそこかあ……」

「シンジ君は?どこに住んでるんだい?」

「僕はミサトさんの所だよ。アスカも一緒に」

「そうなんだ」





「……カヲル君、一人で寂しくならない?」

心配そうにシンジは尋ねる。

「どうかな?」

カヲルは肩を竦める。


「今日が初日だから何とも。

 でもアメリカ支部は同年代の友人はいなかったからね。その点ここは賑やかで良いよ」

笑って答える。


「…………」

屈託のない笑顔を見せるカヲルだが、その生い立ちは決して恵まれたものでは無さそうだ。



「でも……少し羨ましいかな」

「……え?」

少しトーンを押さえたカヲルの言葉にシンジが顔を上げる。



「家さ。帰るべき場所。ホームがあるということは幸せに繋がるからね」

帰るべき場所……。

居場所、ということだろうか?

シンジは記憶喪失になっていた頃の自分を思い出す。

『あなたはここに居ていいのよ』



「そう……かも。そうかもしれないね……」

「うん。そうさ」


カヲルは近日中にシンジの学校に転入して来るとのことだった。

明日もまた会う約束をし、居住区画前でシンジはカヲルと別れた。



















本部の入り口ゲート前、シンジは誰かがベンチに座っているのに気がついた。

制服を着た、青い髪の少女。

「綾波さん?」

レイはベンチに座り本を読んでいたが、シンジの声に気がつくと、本を閉じて顔を上げた。

シンジが近づくとレイも立ち上がる。


「あ、どうしたの?」


レイは何も言わずにシンジを見つめている。


「え、えっと……」

どうしたんだろう。何か言わないと……



「……帰らないの?」

「え……」

「……………」

「あ、うん。帰るよ」



レイは踵を返してゲートに向かう。シンジはレイの意図がわからず、その場できょとんとしてしまう。


ゲートの前で、レイはまたシンジの方を振り返る。

シンジは慌ててレイの後を追った。





モノレールの中、会話はない。

シンジ達が乗っている車両には、他の乗車客はいなかった。

NERV本部発で市街地を回るので、それも当然と言える。



もしかして……待っていてくれてたの?……僕を……。



シンジはチラチラとレイの方を盗み見るが、レイはまっすぐ前を向いたまま座っている。

隣同士で座っているが、シンジとレイとの間には、10cmほどの隙間が空いていた。

何も言わぬまま、何も話せぬまま、モノレールは駅に着いてしまった。






家までの道のりを二人は並んで歩く。

陽はすっかり落ちて暗くなっていた。


「…………」

「…………」



やはり、会話は、ない。

夜風がそっと二人を撫でた。レイの髪が風になびく。


レイの髪から、甘い香りがシンジの鼻に届いた。

なんだか妙に懐かしさを感じる、レイの香り。

あの奇妙な同棲生活が思い出される……。




シンジは思い切って口を開いてみた。

「あの、綾波さん」

レイはチラッとだけシンジに目線を送る。

「今日、あの、待っててくれたんだよね。どうして?」




「…………」




「…………」





別に自分を待っていたわけではなかったのだろうか?

変なことを言ってしまったか……?









「……あなたが……」

レイがポツリと呟く。



「……側に居て欲しいと……」









小さなベッドの上、肩を並べて横になるシンジとレイ。

『誰かに側にいて欲しかったんだ……』





あの時の言葉を……?






「…………」






「あの……、ありがとう……」




「…………」






シンジとレイは十字路に着いた。

家の方向が大分違うので、ここで別れなければならない。

辺りは大分暗い。


「あの、綾波さん、家まで送っていくよ」

「………いい……」


「いや、でも、もう暗いし……。女の子一人だと……」

「……戦闘訓練は受けているわ」


シンジはレイとの格闘訓練を思い出す。

レイは体力もスタミナもないので、格闘訓練は苦手としているが、合気柔術のような技で、相手の体重や勢いを利用して上手に立ち回る。

シンジはレイに一度も勝ったことがなかった。



女の子一人送ることもできないほど、僕は頼りないのか……。

シンジはそんな自分を恥ずかしく感じる。



レイはシンジを置いてスタスタと行ってしまう。

「あ、あの!綾波さん!」


レイは足を止め、肩越しに顔だけシンジを振り向く。

「あの……もし……、もしなんだけど……」

シンジはもじもじと言いにくそうに切り出す。



「その………迷惑じゃなかったら……。また遊びに行ってもいいかな……?」


「…………」




レイはしばしシンジを見つめる。






「……以前、答えたわ……」




「以前……?」






シンジはハッと目を見開いた。

『迷惑だなんて思ってない……あなたはここに居ていいのよ』

吸い込まれるようなレイの笑顔。



「あ………」






「…………また」



レイは今度こそ行ってしまった。

シンジはレイの背中が見えなくなるまで、その場でその後姿を見送っていた。



















シンジはせっせと夕食を食卓に並べる。

「アスカ、夕飯できたから食べてよ」

「んーー。」

アスカはカーペットに寝転んで、恋愛ドラマに夢中になっている。

最近流行っているらしく、学校でもしばしば話題になっていた。

しかしシンジはそういったものには興味がないので、話の内容はわからない。



バスルームからミサトが出てきた。

ヘソ出しのタンクトップにホットパンツ。タオルで髪を拭いている。

「お、今日はひっさびさにシンちゃんの手料理ねー」

「すみません、なんか家の中ほったらかしになっちゃってて」

「いいのいいの。シンちゃんも息抜きできてよかったでしょ」

息抜きだったんだろうか?

結局レイの家でもシンジが家事全般をやっていた気がする。


「それで、どうだったの?レイの部屋は?」

ミサトはニヤニヤして見ているが、シンジとしてはあまり触れて欲しい話題ではない。

「いや……どうって言うか……」

「なになに?かわいらしい部屋だった?」

その逆だ。

「いえ……あれは……なんて言うか……」

人間の住むところじゃない、思わずそう言いかけてしまった。

レイに失礼だ。

しかし……うちっぱなしのコンクリート壁に大量の内服薬……。

それはまるで何かの実験室のようだった。


「一度、ミサトさんも行ってみたほうがいいと思います」

「へ?なんで?」

予想外の答えにミサトはきょとんとした顔をする。

「なんでもです。行けばわかりますから……」









アスカも席について夕食に手をつける。

ペンペンにもアジの開きをお皿に乗せてあげる。

「「「いただきまーす」」」


「なんかこういうの久々じゃない?」

ミサトが二人に話しかける。

「あー、そういえばそうね」

「使徒が来たり記憶が無くなったりで、あんまりゆっくりできてませんでしたからね」

「ま、何であれ、こうして家族三人と一羽、一緒に夕飯とれるってのは幸せなことよ」

カシュッといい音をさせてミサトがビールを開ける。


「四号機の話、前から決まってたんですか?」

「らしいわね。わたしも実機を目にしたのは今日が初めてだったけど」

「まったく、余計なのを呼んでくれるわよ」

アスカは不機嫌そうにしながらも、シチューを食べる手を止めない。

「でも、カヲル君、かなりいい人だったよ」

「なんかあやしいわ。いつもニヤニヤしちゃって」

「そうかなあ。僕、友達になれたよ」

「あんたらはボケボケコンビだからでしょ?!あたしはあんまり関わってほしくないわ」


「なぁに?アスカ、やけにつっかかるじゃない。カヲル君のこと気になるの〜?」

アスカはギッとミサトを睨む。

「ご、ごみん。そんなに怒ることないじゃないのよ〜……」



「あ、ところでさ、アスカ。それ、どうかな?」

「ん?なにが?」

「それ、そのシチュー」

アスカは自分の手元のシチューを見る。

「どうって……?」

「おいしい?」

アスカは一瞬キョトンとした顔をする。

「な、なに言ってんのよ、突然」

「おいしくない……かな?」

シンジは表情を曇らせる。

「そうは言ってないでしょ!」

アスカはちょっと声を大きくする。


「じゃあ、おいしい?」

「え……ま……まあまあじゃないの……」

アスカはシチューをくるくるかき回す。

「良かった。やっぱりおいしいって言ってくれると嬉しいよ」

シンジは微笑む。

「まあまあって言ったのよ!まあまあ!」

アスカは少し頬を赤らめる。


レイの部屋に居た時は、何を作ってもレイは『……別に……』の一点張り。

唯一の例外は肉だけだった。


「いいわね〜〜」

ミサトは腕を組みながらヨコシマな笑顔でウンウンと頷いている。

アスカはキッとミサトを睨む。

「ごみんなさい……」

ミサトもアスカには弱いらしい。




「食後に何か飲みます?コーヒーとか」

ミサトは答える代わりにエビチュの缶を掲げた。

「あたしココア」

「じゃ僕は紅茶でもいれようかなあ」

台所でヤカンに火をかけたところでシンジは気がついた。

「あ……紅茶セットとマグカップ置いてきちゃったのか」


「ん〜?紅茶セットって?」

「あ、いえ、なんでもないんです」

ミサトに言ったらまたからかわれることは間違いない。

しかもアスカの前では、また昼間の話を蒸し返されかねない。


ま、いいか。

綾波さん、ちゃんと使ってくれてるかな……。















部屋の電気を消して布団にもぐりこむ。

こっちに来てから色んなことがあった。

父との再会、仲間達との出会い。加持の言うような死ぬかもしれないような怖い思いもした。

圧倒的な力を発揮するエヴァンゲリオン。血の匂い、エントリープラグの温もり……。


日々慌しく過ぎていく日々は、目の前のことを消化してくことで手一杯。

ゆえに、こうして眠る前に色んなことを考えるのが習慣になりつつある。


カヲル君か……。

突如現れた新しいパイロット。

もともと人付き合いが苦手なシンジだが、彼は少し特別に感じる。

好感が持てる、というのはもちろんだが、なんというか、一緒にいるのがまったく苦にならない。

それどころか共にありたいと思えるような、惹かれる部分があるのだ。

そしてそれは決して彼の人当たりのいい性格や、笑顔のせいだけではない気がする。

なぜだろう。

でも彼ならこれから一緒にやっていけそうだ。

近いうちに第壱中学に登校してくるらしい。

そうしたらケンスケとトウジにも紹介できる。

なんだか楽しい学校生活が始まりそうである。







カヲルのことを想像していると、カヲルの紅い瞳がレイの紅い瞳に重なった。

綾波さん……。


あれ以降、大した話をしないまま、シンジはミサトの家に戻ってきてしまった。

でも今更なんて言ったらいいのか、思い浮かばない。


だいぶ迷惑かけちゃった。

記憶が戻った今考えると……、綾波さんの部屋で一緒に生活していたなんて、なんだか信じられないな……。

綾波さん、また錠剤とかだけで生活してるんだろうか。

せめて野菜だけでも毎日食べたほうがいいと思うんだけど……。



『……あなたが……側にいて欲しいと……』



綾波さん、今日も一緒にいてくれた……。

僕、もう記憶戻ったのに……。


しかしあの時、レイが待っていてくれたことに、心が温まるのを感じたのも事実だ。

まだ自分のことを気にかけてくれているのだろうか。

レイはあれ以降何事もなかったように、いつも通り素っ気無く、無表情に、周りにもシンジにも接している。

だがシンジは知っているのだ。レイが持つ、その『優しさ』を。

なんだか自分だけがレイの、本当の素顔を知っているような気がして、少し嬉しくなる。



シンジは寝返りを打つ。

なんで……綾波さんのこと気になるんだろ。



ここ最近、レイのことを考えると胸の中で解消されないモヤモヤが溜まる。

レイの部屋でも感じていた。レイにひどく興味がそそられるのだ。

なぜかはわからない。わからないことがわからない。

なんだか記憶喪失の時に逆戻りである。

それとも、これは記憶があるないに関わらず感じることなのだろうか。

そもそも記憶があるないで、何が変わるのだろうか。


『……自分のカタチがわからなくなってしまったのね……』


自分のカタチ……とはなんだろうか。

レイはそれを把握しているようだ。



紅い瞳、それは全てを悟っている深い赤。

レイの部屋で、夜寝る前にした禅問答を思い出す。



今度また綾波さんに聞いてみようかな……。







新しい友達、渚カヲル。気になる少女、綾波レイ。

気兼ねなく話せる友達、トウジ、ケンスケ。


シンジは生まれて初めて、学校に行くのを待ち遠しいと感じていた。










+続く+






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