■ HOPE 第七話 「学校」
夕飯にミサトのカレー(とミサトは言いはっている)を食べたシンジは自分の部屋にいる。
部屋の明かりを消し、机のライトだけがつけられている。
目には悪いが、暗い部屋の中にライト一つだけというのは何とも言えないムードが出る。
マンションの最上階に位置するこの部屋でも、耳を済ませば虫の鳴く声が聞こえてくるようだ。
机に座ったシンジは、今日ミサトに渡された資料を見ている。
シンクロ率、使徒の弱点コア、緊急時のプラグ射出…………。
チルドレンとして、パイロットして必要な知識だ。
今日は初めての初号機の操縦。
かなり疲れているのだが、興奮していて眠れない。
なんでもリツコが言うには、神経接続によって神経が過敏になり、興奮状態になることがあるんだそうだ。
14歳のシンジは今まで何かを操縦した経験がない。
エヴァの操縦は……、やや不謹慎かもしれないが、おもしろかったと言える。
初めはおっかなびっくりではあったが、慣れてくると手足のように動く初号機。
巨大な力が自分の思うままに動くというのは、何とも言えない高揚感を伴う。
もしかしたら車の運転もあんな感じなのではないか、などとシンジは想像する。
しかも操縦自体は何か特別な技能が必要な訳ではない。
訓練の初めは歩くことすらたどたどしかったが、最終的には機体を横転させたり、ATフィールドの展開も成功させている。
不思議なことだがあんな短時間での訓練で、初号機が自分の体に馴染んでいくのがわかった。
ATフィールド。あれは不思議な感覚だ。
人間は通常五感、触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚で物事を識別してる。
ATフィールドはエヴァに乗った時だけ感じ取ることのできる、第六感と言うべき感覚だった。
アスカのATフィールドに押された時にも、視覚的には何も見えなかったが
第六感でそこにアスカのATフィールドが展開されているのが、感覚的に「見えた」。
「…………」
シンジは少し背を逸らし、椅子の背もたれに身を預ける。
天井に顔をむけ、右手を顔の前に上げてその手のひらを見つめる。
思ったよりエヴァの操縦は辛くなかった。
ミサトによるとこれから射撃訓練や格闘訓練も始まるらしい。
でも、もしかしたらうまくやっていけるかもしれない。
これが加持の言っていた努力することなのかはわからない……。
わからないが、もしかしたら、このまま続けていれば、…………。
一瞬シンジの脳裏にゲンドウの顔が浮かぶ。
シンジは目の前の右手をぎゅっと握り締める。
エヴァの訓練を続けていれば、もしかしたら……僕はここにいてもいいのかもしれない……。
自分の居場所を見つけたような感覚。
明日から楽しい毎日が始まるのかもしれない……!
その時、シンジはそう思ってしまった。
だが………シンジはまだ知らない。加持が言った言葉の意味を……。
エヴァに乗る、という本当の意味を……。
◆
朝の教室。
シンジ達にとっては2日目の登校日。
アスカの席はたくさんの女生徒と男子生徒に囲まれている。
アスカは持ち前の笑顔で楽しそうに談笑している。
「…………」
普段のアスカの顔を知っているシンジとしては微妙な心境だ。
隣の自分の席はアスカの取り巻き達によって、埋もれてしまっている。
シンジは少し溜息をく。
このちょっとした空き時間の過ごし方が、対人関係の苦手なシンジには苦痛だ。
自分の席が埋まっている以上、席について音楽を聞くこともできない。
かといって談笑するような友人もいない……。
窓辺の席に目をやると蒼い髪の少女が、静かに座り文庫本に目を落としているのが見えた。
「綾波さんおはよう」
シンジはレイに声をかけてみた。
レイは一瞬チラッと文庫本から目を離しシンジを見たが、すぐに文庫本に目を戻す。
「あ、あの……、昨日はありがとね」
レイは相変らず本を読んでいて、何も答えない。
「綾波さん、昨日の訓練、ゲームしながら僕にどうすればいいのか、教えてくれてたんだよね。あの、助かったよ……」
「……そう」
「……………」
……クラス唯一の知り合いからも見放されてしまったようだ。
シンジは溜息をつく。
「無駄だよ、碇」
「え……?」
突然自分にかけられた声にシンジは振り向く。
そこには一眼レフカメラを片手に眼鏡をかけた少年がこちらを向いている。
彼は手をこちらに振って、来い来いと言ってるようだ。
「あ、あの……」
「俺は相田ケンスケ」
「僕は……」
「碇シンジだろ?転校生の名前ぐらいわかるよ」
ケンスケは少し微笑む。
「それにしてもさ……」
ケンスケは体を少しずらして窓際のレイのほうを見る。
「ま、碇は転校してきたばっかりで知らないだろうけど、綾波に声かけたって無駄さ」
「え、なんで?」
シンジは要領を掴めないといった顔をする。
「碇もあれだろ?なんとか綾波にお近づきになりたいってクチだろ……?」
ケンスケはくのくのっと、シンジのわき腹を肘でつつく。
「え、いや……」
「隠さなくたっていいって。実際綾波は美人だからな。最初は碇みたいに、言い寄る男も結構多かったんだぜ。でもなあ……」
ケンスケはハァと息を吐く。
「ダメなんだよ。何を話しても反応薄いし、相手にもされない。まるで人形相手にしてるみたいでさ」
ケンスケは肩をすくめてクビを左右に振る。
「ま、あの素っ気無さも人気があるんだけどな。被写体としても……ね」
ケンスケはレイにカメラを向けると、一枚シャッターを切った。
そのままレンズを通してレイを見ている。
「でも……、ここ最近はちょっとマシになってきたのかな……?」
人形……?
シンジは振り返ってレイを見る。
窓際のレイ。わずかに伏せた紅い視線を本に落とし、髪は朝日を銀色に反射している……。
3日前の出会いもそうだったように、レイは何か神秘的なオーラを纏っている。
「人形……ってことは……ないと思うけど……」
「え?」
ケンスケは顔を上げてシンジを見る。
「……素っ気無いけど、結構やさしいほうだと思うけどなあ……」
3日前シンジがレイに相談したことを思い出す。
確かに素っ気無い。返事をしてくれないことも多い。
だがパイロットとして悩んでいた時のこと。
人生の先輩としてアドバイスをくれた加持とはまた別の、シンジの身になって考えてくれた意見をレイはくれた。
『……最初からできるはずなんてない……』
『……不幸になってしまうかもしれないから……』
「お、おい碇、お前まさか綾波と知り合いなのか!?」
ケンスケは驚いた様子でシンジに顔を近づける。
「え……」
「さっき、ゲームがなんとかとか言ってたよな?一緒に遊んだことあるのか?」
「あ、いや……その……」
シンジがどもる。
確かにレイとは知り合いだ。
だがそれを話せばエヴァのパイロットだということも話さなくてはいけなくなる。
……言ってもいいことなのだろうか?
ガラッ!
その時1人の少年が教室に入ってきた。
黒いジャージの上下に格刈りの少年。
「なんや、随分減ったのォ……」
やや不機嫌そうな顔をしてケンスケの隣の席にドカッと座る。
「ああ……、疎開だよ、疎開。この前の戦闘からさ……。ま、無理もないよな」
トウジがシンジに顔を向ける。
「なんやお前、見かけん顔やな?」
「ああ、こいつ転校生だよ。昨日きたばかりでさ」
ケンスケがシンジに指をさして紹介する。
「あ、碇シンジです」
シンジはペコリと頭を下げる。
「なんや、そない丁寧なことせんでええで。ワイは鈴原トウジ。ケンスケのダチや。トウジで構へんで」
トウジは少し笑って言う。
「ぼ、僕もシンジでいいよ」
シンジも少しはにかんだ笑みを浮かべる。
転校早々、二人も友達ができた。
うまく行くかもしれない!シンジの心に嬉しさがこみ上げてくる。
「あー!鈴原!」
ヒカリが声を上げて近づいてくる。
「どうしたの? 1週間も休んじゃって。心配したんだからね」
少し怒ったような顔でトウジに近づく。
ケンスケは密かにクスッと笑う。
だがトウジの顔色は冴えない。
「妹のやつがの…… 」
「「「え……?」」」
トウジの暗い声にシンジ、ケンスケ、ヒカリがトウジを見る。
「この前のドンパチに巻きこまれての……」
「嘘……」
ヒカリが呟く。
「……ほんまや。あの化け物と戦ったロボットおったやろ。あいつが壊したビルの瓦礫の下敷きになってしもうたんや……」
ロボット……!!
シンジの心臓が早鐘のように鳴る。
「しかしあのロボットのパイロット、むっちゃ腹立つわ!味方が怪我させてどないすんねん!」
自分の血の気がサアッと引いていくのがわかる。
「鈴原……」
ヒカリは心配そうにトウジを見る。
「……それなんだけどな、トウジ」
ケンスケは生徒達に囲まれてるアスカを指さす。
「うおっ!めっちゃべっぴんやないけ!なんやあいつは!」
真剣な顔からうって変わり、目を輝かせてアスカを見る。
「ドイツから来た惣流・アスカ・ラングレー。碇と一緒に昨日転校してきたんだけどな……」
ケンスケは一旦話を切り、言いにくそうにしている。
「なんやケンスケ、どないしたんや?」
「あいつがそのロボットのパイロットなんじゃないかって噂なんだよ……」
◆
数学の時間、担任利根川の授業だが、話はそれにそれてセカンドインパクトの苦労話になってしまっている。
こうなると授業を聞くものは誰もいない。
……しかし例えそうでなかったとしても、シンジは授業どころではなかっただろう。
『妹の奴がな瓦礫の下敷きになって……』
『あのロボットのパイロット、むっちゃ腹立つわ!』
せっかくできた友達。
だが彼の妹はエヴァによって重傷。
自分もパイロットだと言ったら彼はどんな反応をするだろうか……。
自分は人類を救うためにエヴァに乗ったはず……、だが彼の妹はそのエヴァによって怪我をし、入院している……。
…………。
あれ……?
ふと気が付くと、ノートPCのアイコンの一つが点滅している。
不思議に思い、そこをクリックしてみるとチャットルームが開かれた。
どうやら利根川の話に飽きた生徒達が、ここでチャットしているらしい。
少し迷ったが、シンジも中に入ってみた。
シンジが入るや否や、クラスメートからの質問が飛んできた。
『アキ子:ロボットのパイロットっていう噂はほんと?(yes/no)』
……!!
全身から脂汗が吹き出す。
もう……バレてる?
僕がパイロットだと……。
トウジにもバレた……?
しかしそれはシンジの予想とは少々違った展開となる。
『アスカ:YES』
「「「「えええええーーーーーーーーーーー!!!!!!」」」
クラス中の人間が声を上げ立ちあがる。
「うそうそっ!どうやって選ばれたの?!」
「怖くなかった?」
「必殺技ってどんなの?」
「…………」
矢次に質問が飛び交う。
アスカは少し困った顔を浮かべてはいるが、まんざらでもない様子だ。
機密事項だとか、才能があったとか、適当なことを言っている。
シンジは慌ててチャットルームの過去ログを確認する。
そこには彼氏はいるのかとか、普段は何をして遊んでいるのかなど、他愛のない質問がアスカ宛てにされていた。
先ほどのパイロットの質問も、アスカ宛てにされたものだったらしい。
たまたまシンジが入った瞬間とパイロットの質問とが重なったようだ。
シンジはホッと胸を撫で下ろす。
恐る恐るトウジに目を向ける。
そこには腕を組んで険しい顔したトウジ……。
それを見たシンジは、なんともいたたまれない気持ちなる。
難を逃れた安堵感……。
その一方で自分とアスカに対する後ろめたさ……。
もしアスカが、僕もパイロットだって喋ってしまったら……。
一瞬そう考えたが……、止めた。
結局また……僕は逃げてるのか……。
◆
昼休み。
またもやアスカの席は人で埋もれている。
隣のクラスからわざわざ来ている生徒すらいる。
人ゴミを押しのけて誰かがアスカの前にやってきた。
「惣流……」
その声にアスカが振り返る。
「ちょっと顔貸してくれや……」
屋上。夏の日差しがやや眩しいが、適度な風が涼しい。
アスカは少し目を細め、風になびく赤い髪を掻きあげる……。
「鈴原君……だっけ?」
アスカが振り返る。
腕を組んだ黒いジャージ上下のトウジ。仁王立ちでアスカを睨んでいる。
その後ろでオロオロした様子のケンスケ。
「なんでワイがここに呼んだかわかるか……」
トウジが低い声で言う。
「ええ……なんとなくは……」
左手を口元に当て、右手を体の後ろに隠し、ややシナリを作ったその姿はアスカのかわいさに拍車をかけている。
「あのね……鈴原君……」
チラッとトウジを見るアスカ。
「気持ちは……嬉しいんだけど……あたし今、誰ともお付き合いする気はないから……」
…………………。
………………。
……………。
…………。
「ち、ちがうわアホんだらああああああ!!!!!!!」
トウジが怒鳴る!
「え?」
アスカはビックリした顔でトウジを見る。
トウジは顔を真っ赤にしてズンズンとアスカに近づくと、グイっとアスカの制服の胸倉を掴み上げる。
「ちょ、ちょっと!」
「ええか!よく聞けよ!」
トウジは怒りで鼻息が荒くなっている。
「ワイの妹はな。今病院に入院しとんのや、オカンはワイが小さい時に死んでもうた。
オトンは仕事で家にはおれへん。ワイがめんどう見なアカンのや……。なんでや、なんでワイの妹がこないな目、合わなアカンのや」
「し、知らないわよ、そんなこと……」
その瞬間トウジがカッと見開く!
ガシャン!
「いたっ……」
アスカの体をフェンスに押し付ける。
「おまえのせいじゃーーー!!!」
トウジの怒りが爆発する。
「お前がへっぽこな操縦してからに、ワイの妹が瓦礫の下敷きになってもうたんや!!!」
アスカはトウジの顔を目を見開いて見ている。
「顔に傷残ったらどないするつもりやねん!べっぴんが台無しや!」
「………………」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
アスカはゆっくりと目を閉じ、顔を俯かせる。
「……そういう……こと……」
「……?」
トウジが怪訝そうな顔をする。
アスカはトウジの腕をゆっくりと払うと、フッと笑う。
「妹さん、気の毒だったわね……。
でもあたしに怒るのはお門違い。あの時操縦してたのはファーストだからね……」
「ファースト……?」
アスカはゆっくりと顔を上げるよ。
「……綾波レイよ」
「なっ!綾波もパイロットなのか!?」
事の成り行きを見守っていたケンスケが声を上げる。
「っーーー!!」
トウジは一瞬目を見開いたが、そのまま顔を伏せる。
「……そか、迷惑かけたてもうた……。すまんな、惣流」
トウジは険しい顔をし、踵を返して出口へ向かおうとする。
「……待ちなさい!!」
トウジの背中にアスカが声をかける。
「まさかあんた、あの女のとこ行くんじゃないでしょうね……?」
「だったら……なんやっていうんや……」
トウジは背を向けたまま搾り出すように言う。
アスカは腕を組んで、ゆっくりと目を開く。
「言っとくけど……あたしはあの女のこと、大嫌いなの……」
「……それがどないしたんや」
「アンタみたいのが一番ムカツクって言ってんのよ!」
アスカがトウジを睨む。
「なに!?」
トウジはバッ振り返る。
「妹のため……ですって!?ふざけんじゃないわよ!!」
今度はアスカが怒鳴る。
「甘々なのよ!アンタが言ってることは!!」
ズンズンとトウジに近づく。
アスカがトウジの制服の肩口あたりを掴み上げる。
「あの時、非常警報が出ていたはずよ。一般市民はシェルターへの非難が義務付けられているわ!
なのになんでビルの影になんていたのかしら!?」
「ワイの妹はまだ小学生で……」
「だったら明白じゃない!あんたの妹が怪我をしたのはあたしのせいでも、あの女のせいでもない……」
スゥっと息を吸う。
「あんたの妹自身と、それを守れなかったあんたのせいじゃない!」
「な、なんや…て……」
トウジが目を見開く。
「そんなことも分からずに……、いえ、わかっていても現実を受け入れずに八つ当たりして!!」
ガシャン!
今度はアスカがトウジをフェンスに押し付ける。
「あの時あの女は使徒と戦った!あんたらを守るためにね!!
あんたの妹が怪我だけで済んだのはあの女のお陰なのよ!!
ファーストに守られてオンブダッコされた上、妹のお守まで押しつけようって言うわけ!?」
アスカは一旦トウジの体から手を離し、手のひらを自分の胸に当てる。
「こっちはね、命がけなの!!
命をかけてんのよ!!!
あんたみたいな弱虫は、見てて虫唾が走るわ!!」
トウジの胸倉をぐいっと掴み、自分の顔に引き寄せる。
「いい?あの女に何かふざけたこと言ってごらんなさい……その時は……」
アスカはスゥっと息を吸い、ギラリとトウジを睨み付ける。
「…………殺すわよ」
「……………」
「…………」
トウジとケンスケは言葉も出ない……。
決して言葉上だけでは終らせないと、アスカの目は語っていた。
(あ、あいつ……本当にエヴァのパイロットだ……)
ケンスケだけが、アスカの持つ訓練された殺意を見抜いた。
ガチャ!!
その時屋上の扉が開いた。
三人は振り返る。
そこには息を切らして駆けてきたシンジ。
「アスカ!非常召集だ!」
+続く+
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