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Wounded Mass - ss:28

アスカ復活

 すでに見知っている特務機関ネルフの作戦司令室を、あたかも初めての場所のように装うには
どうしたらいいのだろうと、レイは思った。
 葛城ミサトの招集に応じて、放課後、自室に戻るかわりに作戦司令室に来たのだった。
 レイの心はこの新しい身体にすっかりなじんでいた。この身体が生まれたときに持っていたレイの意識は
新しくはいり込んだレイの意識と融合してひとつになっていた。そこで、自分の生まれ直したばかりの
ときから二晩の間に体験した記憶は、どちらが本当の記憶なのかよくわからなくなっていた。
じつは両方とも本当のことだということは理屈ではわかっていても受け入れることがむつかしかった。
 どちらの綾波レイとしてふるまえばいいのかもレイを悩ませた。綾波レイが死亡して新しい身体を
育成槽から取り出したことを知っているのは赤木リツコを始めとする保安部の数人。だから彼らには何も
知らない無垢のレイを装わなければならない。そして、この身体に死んだレイの記憶がよみがえって
いることを知っているのはシンジただ一人。だとしたら、その他の人々にはどう接したらいいのだろう。
葛城ミサトを始めとする特務機関ネルフのほとんどの隊員は綾波レイが死ななかったと思っているのだ。
知っているはずのこと、知らないこと、その使い分けをどうしたらいいのか、レイは途方に暮れていた。
 結局あの爆発の後遺症で記憶が混乱しており、一時的な記憶喪失に陥ったというシナリオを
シンジが考えついてくれた。ネルフの隊員には、生まれ立てのレイとして接すればいい。
チルドレンには本当のことを明かす。
 シンジがついて来てくれたのは心強かった。
 葛城ミサトは例によって作戦司令室の中央に、腕を組んで立ち、前方の巨大スクリーンを始めとする
いくつもの表示装置をながめていた。
 「まだ何かやることがありますか、ミサトさん」トウジの声がひびいた。「あの壁の向こう側、
偵察しますか」
 「そうねえ…あなたまだ活動余裕はある?」
 「はい、まだ平気ですわ。帰りは寝とれますしね」
 「じゃあお願い。そこの偵察はもうこれっきりにできたら一番いいから」
 「了解ですわ、ほな」
 巨大スクリーンの画像が破壊された月面の使徒の巣だった風景を映し出していた。映像はトウジの
五号機のカメラから送られて来ていて、今、五号機は巨大な陥没したばかりの新しいクレーターの
南側の縁に立ち、ゆっくりとそこだけ破壊の影響を受けていないようにみえる黒く輝く壁に向かって
進んでいた。
 オペレータはみなそれぞれの操作する表示卓に注意を集中しており、ふたりの入室には誰も
気づかなかった。
 作戦司令室の奥、一段高い総司令の席は空いていて、今は葛城ミサトが指揮を取っているらしかった。
 ふたりは並んで葛城ミサトに向かって歩いた。
 その気配に気づいたらしい。葛城ミサトは振り向いてふたりを見た。
 「いらっしゃい、シンジ君も来たのね」その声からは特に感情の起伏はなく、これから始まる会話の
内容を予想させるものもなかった。「レイ」
 「はい」
 「この間の戦闘で零号機は全壊したわ」
 「はい」
 「当分の間、あなたに割り当てられる機体はないの」
 「はい」
 「とはいえエヴァのパイロットは貴重な人材なので解任という訳にはいかないってこと、
承知してもらうわ。あなたは控えのパイロットとして戦闘時にはここで待機し、必要なら
どの機体であれ交代して操縦するの、わかったわね」
 「はい」
 「これからシンクロ試験受けてもらうわ。数値を確認したいから」
 「はい」
 葛城ミサトは巨大スクリーンに顔を向けた。
 「トウジ君、何かあって?」
 「壁の裏側は空洞です。気密もやぶれていて気圧はゼロ、動くものも生命反応もありませんわ。
赤外線で走査しても熱を持った物体もなし、完全に沈黙してます。
 ところでセンセイと綾波が来とるんですか」
 「ここにいるわよ、何か話す?」
 「トウジ、じゃそこはもう完全に破壊された状況なの」シンジは声をかけた。
 「ああ、もうかれこれ1時間ばかりあちこち覗いとるがな、動くものといったらワシの機体だけや」
 「気をつけて…委員長も」
 「ありがとう、碇君」上空の六号機からヒカリが答えた。「こちらも全周波数帯を細かく走査している
けど、静かなものよ。ここはもう、死んでいるわ」
 「じゃあ、ふたりともがんばってね」
 「はいよ、センセイもな、万が一使徒が現れたときはよろしう頼むわ」
 「まかせて」
 葛城ミサトは眉にしわを寄せた。
 「今、ふたりの偵察と並行してシンジ君たちが前回月から持ち帰ったデータを分析しているところよ。
六号機の情報収集能力は桁外れで、これまでの戦闘で得た情報の全部よりも多い情報を記録してきたの。
あれからMAGIは全力で分析しているんだけどまだ半分も終わっていないわ」
 「あの…」シンジが口をはさんだ。「かれ、どうですか…容体は」
 「ああ、シンジ君が救出した男の子ね。医療部に入院させて精密検査を受けているわ。ざっとした
報告では命に別状はなく意識はなし、パターンは緑で使途ではないと判定済み、そんなところかしら。
ゆうべの夜遅く受けた報告なのでその後意識を取り戻したどうかは知らないけど」
 「そうですか、生きてるんだ…よかった」
 「レイ」
 「はい」
 「シンクロ試験始めて頂戴。リツコが準備整えて待ってるから」
 「はい」
 「ミサトさん」
 「なに」
 「シンクロ試験の時間はどのくらいかかりますか…早くすむんだったら、待っててふたりでアスカの
見舞いに行こうかな、って」
 葛城ミサトはスカートのポケットから電話機を取り出した。「…リツコ、これからレイを行かせるわ。
終了予定時刻教えて…わかった、じゃ」
 葛城ミサトは電話機をポケットにもどした。「今日はとにかく1時間で止めるそうよ。その結果により
次回以降のスケジュールを検討するんだって」
 「じゃあ、食堂にいます」
 「アスカの容態、帰りに電話でもメールでもいいから教えてくれる」
 「わかりました」
 「じゃ、さよなら」レイはふたりを残して階下の試験室に向かった。
 「綾波、食堂で待ってるからね」
 レイは振り向き無言でうなずいた。
 「なんか無愛想になったわね、あのこ」
 レイはシンジと弱く接触を保っていたので、葛城ミサトがもう聞こえないだろうと話しはじめた内容を
全部聞いていた。
 「そうですか」シンジは気がつかないふりをしていた。「僕にはあんな感じだと思うけど」
 「そうお…何だか、私があのこに初めて会ったときのような雰囲気がしたわ」
 「僕にはわからないな…ミサトさん、じゃまでしょう、僕、もう行きます」
 「シンジ君」葛城ミサトの口調が詰問するようにきびしくなった。
 「はい」シンジはできるかぎり返事に感情を込めないようにして答えた。
 葛城ミサトは声をひそめた。「ゆうべ、レイの部屋に泊まったでしょ」
 シンジは無言でうなずいた。「メールで連絡しました」
 「これで二度目よ、アンタ達はまだ子供なんだから周囲から浮いちゃうようなことは謹んでよ。
目に余るようなら何か考えなきゃいけなくなるわ」
 「僕たちはわきまえてるつもりですよ…クラスのみんなだって知らないことだし。ミサトさん以外には
知らせてないんだから」
 「あんたねえ、自分たちが…」葛城ミサトは言葉を切った。チルドレンが常時監視されていることは
機密事項であることに思い当たったのだ。「と、とにかく…行動にはくれぐれも気をつけるのよ、いい」
 「わかりました」
 レイは更衣室でプラグスーツに着替え、エントリープラグの立ち並ぶ試験区画にはいった。
 急造で追加された五号機と六号機用の試験装置から伸びる何本もの導線がまだ床の上に放置されていた。
その導線を踏みつけないよう注意しながら何人もの職員が機器の調整や測定をしていた。
 その区画の隅に制御卓があり、これも後から追加された部品で見た目がぶかっこうになっていたが
能率優先で運用されているのは明白だった。
 制御卓には何人かの操作員が座っていたが、今は誰も試験を受けていないためかのんびりとした
雰囲気だった。
 その後ろに赤木リツコが片手を白衣のポケットに入れて立っていた。
 その、少し猫背の姿勢は、レイには見なれたものだったが、今は生まれてまだ三日目のレイを
演じなければならない。
 レイは緊張して赤木リツコのほうに向かって歩いていった。
 赤木リツコはレイが試験区画にはいったときにすぐにレイに気づいていて、じっとレイを見つめていた。
その無言の視線は、レイがどんな失策からその出自を他の操作員に見破られてしまうのかを見定めて
いるようだった。
 レイは黙って赤木リツコの前に立った。
 「初号機で試験するわ」赤木リツコは必要な最小の命令でレイを動かすつもりらしかった。
 「はい」
 レイは従って初号機のエントリープラグに向かった。シンクロ率は自由に変えられるが、どの程度の
数値を出したらいいか迷った。
 結局、起動成功のために必要な最低の値に決め、さらにこの数値をわざと少し上下させて安定して
いないようにしてみた。
 一時間後、赤木リツコは試験を打ち切った。「今日はこれで終了よ、ごくろうさま」
 レイは黙ってうなずいた。
 そのまま赤木リツコはレイに対する関心を失い、レイはあいさつもせずに試験区画を後にした。

 これだけの眠りでも解決できない問題とは何だろうとレイは思った。
 今、レイはシンジとふたりでアスカの眠る病室にいた。
 そこは特務機関ネルフの医療部にある入院用の個室で、アスカの横たわる寝台は入口の奥に置かれ、
見舞いのふたりが入室してもなお十分なゆとりがあった。窓はないが天井が高く取られていて閉塞感を
薄めるための努力がなされていた。寝台のわきには低い移動できる物入れがあり、
花瓶がひとつ置いてあって、今はさきほどレイが持ってきた小さなひまわりが3本さされていた。
寝台のわきにはパイプ椅子が二脚並んでいて、さらに壁際には何脚かのたたまれたパイプ椅子があった。
面会者が入室すると、入口は開放に固定されるようになっていて、時々廊下を行き来する
看護士や患者の気配がした。
 アスカは黄色の薄い毛布をかけられ、脳波と心電図を記録するための測定器具をつけられ、
左手に栄養液の点滴を受けていた。寝台の足元には、めだたないように導尿カテーテルが伸び、
尿の容器につながっていた。
 寝台の足元には移動用の机があり、女性向けの雑誌が一冊置いてあった。
 「まだ、目を覚まさないのね」レイは単なる事実を口にした。それはふたりには何の意味もない
発言だった。むしろ、会話を盗聴している担当者に聞かせているだけだった。
 「脳波はもうとっくに睡眠の波形にもどっているのにね」シンジは相槌を打った。
 レイは尿の溜まった容器を見た。
 「あふれそうだわ」
 「交換しようか」シンジは応えてカテーテルを交換容器につなぎなおした。「後で看護士が
回収してくれるよ」
 「そ」
 シンジは作りつけの洗面台で手を洗ったが、それは形式的なもので、交換のときに汚れたというわけでは
なかった。
 「ヒトの行為とは面白いものだね」
 入口から声がしてふたりは振り向いた。
 少年が一人、入口に立っていた。薄い青の診療用の寝間着姿。外来患者ではない証拠に、
スリッパではなくサンダルをはいていた。ほとんど白に近い薄い銀髪のやや長めの髪。白い膚、
そしてレイと同じ赤い瞳。穏やかなまなざしと少しだけ大きな口が微笑しているような表情が印象的だった。
 「君は」
 シンジは一歩踏み出した。
 「じゃあ、助かったんだね、よかった」
 「碇シンジ君」少年は言った。「僕をビッグ・ブルーで助けてくれたのは君だってね。
看護士から教えてもらったよ」そして軽く頭を下げた。「ありがとう。僕は渚カヲル」
 「渚カヲル君」
 「カヲルでいいよ、僕も君のことシンジ君と呼ばせてもらっていいかな」
 シンジはうなずいた。「もちろん」
 カヲルは一歩、病室にはいった。「君は…」
 「綾波レイ」レイはカヲルの質問に答えた。
 「あぁぁ、君の名前も聞いているよ、エヴァンゲリオンのパイロットだね、通称はファースト・パイロット」
 「もう、そうじゃない。私には機体がないもの」
 「機体は造れるさ」渚カヲルはうつむきながら首を振った。
 渚カヲルの口元がいつも笑っているように見えるのは、あれは癖なのだろうかとレイは思った。
 「カヲル君、さっき言ってたビッグ・ブルーって、何のこと…あの使徒の巣のことかな」シンジが聞いた。
 渚カヲルはうなずいた。「使徒のパターンは青、その巣窟だからビッグ・ブルー、これは
特務機関ネルフが命名したあの場所の名前さ。僕はあそこで生を受け、知識と記憶を書き込まれ、
最後に使徒としての必要な処置を受ける寸前に君たちからの攻撃にあった。今の僕は使徒になりそこねた
ヒトなんだよ、碇シンジ君」
 「カヲル君…君が…じゃあネルフは君をどう処遇するつもりなんだろう」
 「ここに収容されてからありとあらゆる検査と診断を受け、僕のパタンは青ではないと最終結論された。
ビッグ・ブルーと使徒に関する情報源として協力を強く要請されている身だよ」
 「選択の余地はない、ってことか」
 渚カヲルは口元に笑みを浮かべたままうなずいた。「そう、その通り」
 レイはシンジに思念を送った。「信用できるのかしら」
 「わからない」シンジの思念が即座に戻った。
 「あぁぁ、そうか」渚カヲルは顔を上げ、ふたりを見た。「君たちも興味があるんだろう、
ビッグ・ブルーがどんなところで、何をしていたか、そして誰があそこを運営していたか、さ」
 そしてレイとシンジが驚愕したことには、渚カヲルは続けてふたりに思念を送って来たのだ。
「君たちの思考の交換は少し不注意だね。もっと指向性をもたせて傍受しにくくした方がいいよ」
 「え…あの」シンジは口ごもった。「そ、それはもちろんだけど…教えてくれるの、僕たちに」
 渚カヲルはまたうなずいた。「もちろんさ、もはや破壊され価値のなくなった場所の情報など秘密でも
何でもないからね」
 「ところで、病人は誰だい」渚カヲルは寝台に向かって歩を進めた。「ああ、ではこれが
惣流・アスカ・ラングレー、セカンド・パイロットか、ふうむ」
 渚カヲルは寝台のわきまで進んで立ち止まり、アスカをまじまじとながめた。両腕を自分で
抱きかかえるような姿勢で背を伸ばした。
 「美しい」
 「美しい…カヲル君もそう思うの」シンジは聞いた。「アスカのこと、美しいと思う?」
 渚カヲルはシンジに顔を向けた。「君はどう思うの、碇シンジ君」
 「あ…そりゃ、確かに」シンジはうつむいた。「そう思うよ」
 渚カヲルはシンジに向かって身を乗り出した。「で、君は、その感情にどう答えるの」
 「え…」シンジは絶句した。「それ…どういう意味…」
 渚カヲルは首をかしげた。「美しいものは嫌いかい」
 「そんなこと…言われても」そして顔を上げ「カヲル君はどうなの」
 「もちろん好きさ、悩むまでもない」そして再びアスカの寝顔をながめた。「目を覚まさないそうだね、
もう、脳波は睡眠状態なのに」
 「そうなんだ。アスカにはなにかまだ解決しなければいけない問題が残っているんじゃないかと思う。
それまでは、休んでいてもらっていいんじゃないかと思うよ」シンジはいったん言葉を切った。
「使徒とずっと戦い続けて来たんだから、これくらいの休息を取る権利はあると思う」
 そして渚カヲルを見た。「君と、戦わずにすんでよかった」
 渚カヲルもうなずいた。「賛成だね、碇シンジ君。僕が使徒になっていればお互いに戦う身だったのは
事実だ。まあ僕にとって勝敗はそれほど大きな問題ではなかっただろうけどね」
 「どうして…どちらかが命をなくしていたはずなのに」
 「僕にはまだ、生きることの意味がわかっていないのさ。そういう存在にとってはね、生と死は
等価値なんだよ」
 シンジは首を振った。「カヲル君、君の言っていることは…わからない」
 「生きる意味のわからない生者は死者と同じだってことさ」渚カヲルは微笑んだ。「でもね、碇シンジ君、
今の僕には何故生きるのかわかった気がしているんだよ」そしてまたアスカに視線を向けた。
「美しい…僕はね、この人のためなら命を投げ出してもいいと思えるのさ。つまりは、そういうときまで、
生きていたいという欲求があるんだよ、今や」
 「それ、好き、ってこと?」シンジは注意深く言葉を選ぼうとしたがうまくいかなかった。
 「眠り姫の目を醒ますことができるのは、姫を深く愛している者だけ。ねえ、碇シンジ君、僕には
その資格はないかな」
 「わからない」シンジは一瞬の沈黙の後、答えた。「わからないよ、カヲル君、僕にはわからない」
 「そうか」渚カヲルは再び微笑した。「じゃあ、確かめてみようよ、いいだろう?」
 「いいだろう、って…何を…ああ…そうか」
 渚カヲルは寝台のわきにひざを突き、アスカの顔に身を寄せていった。そして、かすかな吐息の漏れる
乾いた唇に自分の唇をそっと重ねた。
 それは唇同士を触れ合わせただけの儀礼的なものだったが、渚カヲルが顔を上げると、アスカは大きく
深呼吸した。
 「アスカ」渚カヲルの背後からシンジが小さく声をかけた。
 アスカは口を閉じ、二度呼吸したあと、ゆっくりと目を開いた。
 「お目覚めですか、我が姫君」渚カヲルは微笑して言った。「ご気分はいかが」
 赤い視線と青い視線が交わった。
 「あなた、誰?」アスカは渚カヲルの瞳を見つめながら質問した。「ここは…ネルフの中?」
 「僕は渚カヲル、ここはネルフ医療部の入院病棟です」
 「渚…カヲル…、あなた、知らないわ」
 渚カヲルはうなずいた。「初対面です、以後、お見知りおきを」そして背後に手を振り、「碇シンジ君と
ファースト・パイロットも、そこに」
 「アスカ」
 「セカンド」
 アスカは初めてふたりに気づいたようだった。「シンジ、ファースト、あたし…長い夢を見ていたわ」
 「お帰り」
 「お帰りなさい」
 ふたりは渚カヲルの両側に並んで声をかけた。
 アスカは置き上がろうとして力なく身を横たえた。「ごめん、動けないわ…なんか全身の骨が
溶けちゃったみたいなカンジ」
 「そのままでいいよ、無理しなくて大丈夫」シンジが元気づけるように言った。
 「アタシ、夢を見ていたわ。長い、長い夢だった。夢の中でこれは夢だってわかっていたこともあったし
そうでなかったこともあったわ。
 ママに会ったわ…育ての親にも会ったわ、アンタにもファーストにも会ったわ、そしていろんなことが
あった…」
 「あんまり急に話さない方がいいよ、本当に長いこと眠っていたんだから」
 アスカは左腕から伸びていてる栄養液のしたたる透明な管を見上げた。「アタシが生きてたのは
これのおかげってことか」
 そしてまた三人の方を見た。
 「アタシね、夢の中で考えていたのよ。アンタ達がイヤな記憶を忘れさせてくれる手伝いをしてくれたし、
後はそれを自分なりに納得するだけですんだから。ホント感謝してるわ。
 「何度も何度もくり返し同じ夢を見たの。それがどんな内容かは後で話すケド。
 「それでね、わかったことがあるの、アタシは結局一人では生きられないんだ、誰かが後ろから
支えてくれていなきゃだめなんだ、でも逆にそうやって支えてもらっている限りはアタシは大丈夫、
どんなことでも耐えられるって」
 女性の看護士がふたり、足早に入室した。
 「意識がもどったのね」先に入室した看護士はメガネのふちに手を当て、アスカに目をやって言った。
「よかった、心配していたのよ」
 「診察するから、面会の人は退室してくださいますか」もう一人の看護士が言った。
「今、先生がみえます」
 そして白い布の移動式ついたてを押して移動させ、入口から中が見えないようにした。
 三人は従って廊下に出た。
 「僕の病室に来る?」渚カヲルはふたりをさそった。「話をしたいことがいろいろあるんだよ」
 「わかった」シンジはうなずいた。「僕も知りたいことがある」
 三人は並んで歩いた。
 「僕は人として生を受け、使徒になるはずだったなり損ないだ」渚カヲルは自分自身に
言い聞かせるように言った。「僕の、人としての生きる目的はなんだろう、碇シンジ君、
君に命を救われ、ここの病室で目覚めてからずっと、僕はそのことばかり考えていた」
 「カヲル君…」シンジには適当な答が見つけられなかった。
 「そのうちわかるようになるんじゃないかしら」レイは言った。「私はそう思って生きているから」
 渚カヲルはレイに振り向いた。「そうか、君も生きる目的をまだ持っていないんだね」
 レイは黙ってうなずいた。この、まだ得体の知れない相手に対して、率直に事実を語る気には
なれなかったのだ。また、会話はすべて盗聴されていることもわかっていた。
 渚カヲルはとある病室の前で立ち止まった。「着いたよ、さあ、どうぞ」そして扉を開いた。
 中はアスカの寝ているのと同じ個室で広さも規格も同じだった。寝台が一つ壁に沿って置かれ、
移動式の机が乗っていた。寝台のわきに引き出しと扉のついた小さな物入れがあって、
上には何も乗っていなかった。面会者用のパイプ椅子が二脚、たたんで壁に立てかけられていた。
 「お客さんは初めてでね」渚カヲルは当然のことを口にしながらパイプ椅子を並べ、
自分は寝台に腰を下ろした。「どうぞ」
 ふたりは並んでパイプ椅子に座った。
 「惣流・アスカ・ラングレー」渚カヲルはつぶやいた。「いい響きだ」
 「カヲル君、君はアスカに恋しちゃったっていうの、そのためなら死んでもいいだなんて…突然過ぎるよ」
 「恋愛とはそういうものさ」渚カヲルは首をかしげた。「理由などいらない。ある日突然訪れる
情熱的な狂気、それが恋愛だ。今や僕の心はアスカで一杯だよ。おかしいな、僕は彼女のことを何一つ
知らないというのに」
 「運命かしら」レイは言った。語尾に質問の意志をこめた。
 「運命、いい響きだ」渚カヲルはうなずいた。
 「でも、アスカはどう思うか、わからないよ」シンジが考え込むように言った。
 レイは席を立った。「私、帰る」
 シンジはレイを見上げた。「どうしたの」
 「わからない」レイは首を振った。「でもここにいたくないの」
 「ここは病におかされている人達の苦痛に満ちているからね」渚カヲルは言った。「無理もない」
 レイはふたりに思念を送った。「これ以上立ち入った話しは、他の誰にも聞かれたくないわ。
あなたも一人ならだまっていても怪しまれないでしょう」
 「そうだ、カヲル君、君の言うとおりだ。長居は無用だよ。学校、来るんだろう、きっと。そのとき、
続きを話そう」シンジも立ち上がった。
 渚カヲルはふたりを見上げた。「再会を楽しみにしているよ、元気で」口元が微笑していた。
 「さよなら」
 「じぁあ、これで」
 ふたりは病室を後にした。
 一人きりで残された渚カヲルの部屋は扉が閉ざされ、ふたりの視界から消えた。
 ふたりは黙ったまま並んで歩いた。
 レイは本題にはいりたくてうずうずしていたし、その気配はシンジからも伝わって来た。
 シンジからの思念が届いた。「もう少し…もう少しの間、がまんだ」
 「そうね」レイは肯定の思念を返した。
 渚カヲルからの思念が届いた。「僕はいつでもいいからね、準備ができたら声をかけてくれたまえ」
 シンジから渚カヲルへの肯定の思念が出されたのがレイにはわかった。
 ふたりは特務機関ネルフの建物から外に出た。
 陽はもう傾いていたが気温は午後の熱気を失っておらず、ふたりの額には汗が流れた。
遠くの山からかすかに流れてくるセミの鳴き声を聞きながらふたりは歩いた。
 その時、アスカの思念が伝わった。「はぁい、看病してくれてありがとう。アタシはもう完璧よ」
 「よかった、アスカ。なかなか目を覚まさないから心配していたんだ」
シンジは考え込んだ表情のまま思念を返した。
 「まだ、無理はしないでね」レイは先程渚カヲルに注意されたように、チルドレンだけに
受け取れるように気を使った思念を送った。
 「アスカ、よかったわ」はるかな上空からはヒカリの思念が届いた。
 「おめでとはん。な、ヒカリ、ワシの言うた通りになってんやな」トウジも加わった。
 「何のこと、言ったとおりって…」アスカは聞くより早くその内容をヒカリの心の表層に
浮かび上がったイメージから理解した。「まあ…」
 「ううむ、これは本人の同意をあらかじめもらうことができない状況だったからねえ…事後承諾で
許してはもらえないだろうか」渚カヲルの思念には屈託がなかった。
 「強引なヒトね」アスカの思念は内容とはうらはらに非難の調子などはいっていなかった。
「アンタみたいなヒトでなかったら、許さなかったところだわ」そして続けた。
「惣流・アスカ・ラングレーよ、よろしくね」
 「こちらこそ」渚カヲルの思念はあくまで礼儀正しくやさしかった。「君が好意を示してくれて
本当にうれしいよ」
 「アタシね、長い夢を見ていたって、さっき話したでしょう、何度も、何度も同じ夢を見ていたわ」
 「どんな夢だったの、アスカ」
 「それよそれ、ヒカリ、アンタ想像できる?アタシが眠っているとね、王子様にキスされて
目を覚ますのよ、嘘じゃないのよ、くり返し何度もその場面を夢に見たわ」
 「アスカ、それすごいじゃない、それで夢の中では相手は誰だったの?やっぱり碇君だった?」
 「委員長…それは」
 「残念なことに顔はよくわからないのよ、何だか影になっていて。まあもしシンジだって
わかっていたらそれはそれでつまらなかったかもね。アタシはだから目を覚ましたときに、
最初に会うのは誰だろうって思っていたのよ、夢の中で」
 「それがセンセイやのうて、残念やったか?」
 「期待はしてたカモ」アスカの思念にはためらいはなかった。「でも、今は満足しているわ、カヲル、
ありがとう、起こしてくれて」
 「こちらも心から感謝するよ、アスカと呼ばせてもらっていいかい」
 「もちろんよ、アンタもチルドレンなんでしょう、エヴァとシンクロできるわよね」
 「うむ、僕はそのために作られたのだから」
 レイはアスカが次の質問を発する前に、アスカが使徒との戦いで意識を失ってから現在までに起きた
事象をアスカの記憶に流し込んだ。言葉で説明するよりよほど早く、わずか数秒で大量の情報を送った。
 アスカは一瞬沈黙して内容を再検討した。
 「フウム…そういうワケか」アスカの思念が沈んだ。「加持さん…」
 誰も何もせずにアスカを待った。
 「悲しいケド、受け入れるしかないのよね」
 誰も返事をしなかった。
 「それで、これからアタシ達は何をするの?」
 「人類補完計画の阻止だ」
 シンジの言葉に反対する者はいなかった。





+続く+




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