もどる

Wounded Mass - ss:19

起動、四号機

 四号機の威容はレイを圧倒した。
 黒く塗装された機体は今、起動試験に備えて特務機関ネルフ本部の地下深く
しつらえられた実験室に収容されていた。
 レイは、四号機のほぼ目の高さにある制御室の中に立ち、分厚いガラスの窓越しに
四号機をながめた。
 四号機の機体は、これまでのエヴァンゲリオンを見なれた者にはかなり異質に思えた。
基本的な設計思想は変っていないのだが、全身がもっといかつくて胴回りが太く、
それを支える下肢も太く、胸板も厚く肩幅もより広く、腕も太く、威圧的で、これまでの
エヴァの機体よりもさらに恐ろしい存在に思えた。
 内蔵したS2機関の小型化に失敗したためだとレイは知っていた。なんだか
ゴリラのような機体だとレイは思った。
 チルドレンの中で、レイだけここに呼ばれたのだ。もしもの場合、四号機の
エントリープラグ内のトウジにかわって何かできることがあるかもしれないという
理由だった。
 アスカとヒカリは自宅に待機していた。もちろんシンジはいない。初号機の
エントリープラグの中で長い眠りをむさぼっている。
 レイは起動実験のじゃまにならないよう、制御室の一番後ろにいて、知覚を全部、
アスカとヒカリに中継していた。
 これでふたりはあたかもレイと一緒にいるように、これから起きることを体験できる。
 トウジとは一切の接触を断っていた。
 トウジの気が散ってはいけないし、なにより起動実験で詳細に観察されている
トウジの心が誰か別の心とつながっていることを探知されるなど絶対にあっては
ならないことだった。そしてもう一つ、一番重要な理由があった。
 トウジはエヴァをトウジ一人で操縦できるという自信を持たなければならない。
 くつろいだ姿勢のレイに注意を払う職員は一人もいなかった。
 レイのやや前方、制御室の中央に葛城ミサトが両腕を組んで立っていた。
 立っているのはふたりだけで、窓際に並ぶ制御卓は空席なく操作員が着席して
それぞれの担当する計器の値に注意を払っていた。
 レイはこの光景が総司令の執務室に映し出され、そこでは、特務機関ネルフの
総司令碇ゲンドウと、副司令冬月コウゾウがその画面をながめ、音声に聞き入っている
ことを知っていた。また、赤木リツコはやはり自分の研究室でこの光景を観察していた。
 「えらく肥った機体ね」アスカの思念が届いた。「かっこ悪い」
 「S2機関を収容するのに必要なのよ」レイは思念を送った。「それ以上聞かないで。
何も知らないから」
 「え…じゃあ四号機、ケーブルいらないってことなの」アスカは本当に
知らなかったようだった。
 レイは肯定の思念だけを送った。
 「どこで聞いたのよ」アスカの思念が伝わった。
 「葛城三佐から。一番の関心事としてその考えがしみ出してきたから」レイは思念の
答えを送った。
 「アタシ達の機体にものせて欲しいな、S2機関」アスカはそんな思念のやりとりなど
なかったかのように続けた。「どんなに戦いやすくなることか」
 「ええ、そう思うわ」レイは答えた。
 「アスカ、本当にもう大丈夫なの」ヒカリの心配そうな思念がわり込んだ。「一晩寝た
だけで」
 「アタシはもともと何もダメージを受けてないわ、ただその…両腕を切られたときの
ショックがあるだけよ」アスカの思念はだんだんといきおいを失っていった。「本当に
失くしたように思えたわ、それだけよ」
 「そうならいいんだけど」ヒカリはなおも気づかった。「あなたは運が悪かったわ」
 「使徒の動きがあんなに早いなんて、予想もしていなかったから…準備不足よね」
 「まあ、気弱なアスカとはおどろきね」
 「気弱とは何よ、アタシがいつそんな後ろ向きの思考をしたっていうの、アタシは
あの使徒をちょっと過小評価しただけよ」
 「そうそう、そうこなくちゃ。それでこそいつものアスカだわ」
 レイはヒカリとアスカのやりとりを感心しながら聞いていた。
 葛城ミサトが振り向いた。「レイ、始めるわよ」
 「はい」レイはうなずいた。
 「四号機はいつでもあなたのパーソナルデータで書き変えられるよう準備してあるわ。
もしもの時は、乗ってもらうわよ」
 「はい」レイはまたうなずいた。
 「リツコ」葛城ミサトは赤木リツコを呼んだ。
 「聞こえるわ、映像も鮮明よ」
 「司令、よろしいですか」
 「始めたまえ」
 「起動実験開始」
 赤木リツコの声が響いた。「主電源全回路接続」
 青葉シゲルが報告した。「主電源接続完了。起動用システム、作動開始。可動電圧、
臨界点まであと0.5、0.2…突破」
 四号機の真っ黒な頭部で二個の眼球が赤い光を放ち始め、その色は青白く変化した。
 赤木リツコは命令を続けた。「起動システム第二段階へ移行」
 青葉シゲルが答えた。「パイロット接合にはいります」
 正面の巨大スクリーンに投影される起動状況の模式図で、各段階を突破するたびに
その段階を示す図形の色が次々に赤から緑に変化していった。
 日向マコトの声が続く。「第二段階、開始」
 「神経網挿入、接合開始」青葉シゲルが報告した。「信号送信」
 伊吹マヤの緊張した声が続いた。「全回路正常」
 青葉シゲルの声。「初期接触異常なし」
 続いて日向マコト。「左右上腕筋まで動力伝達」
 四号機の両腕を振動が走り、肘の外側に取りつけられている、稼働状態を示す
長方形の蛍光体が淡い光を放った。
 伊吹マヤが確認する。「全神経接続問題なし」
 日向マコトが続けた。「全身の動力伝達完了」
 四号機は深呼吸するように一度だけ両肩をいからせ、全身を震わせた。
 正面の巨大スクリーンでは、絶対境界を示す黄色い直線に向かって緑の四角が次々に
赤い四角を飲み込んで行った。
 「絶対境界まであと0.5、0.4」伊吹マヤが数値を読み上げた。「0.1」
 そして、「絶対境界線突破」
 「起動成功」伊吹マヤの声ははずんでいた。
 制御室内にほっとした空気が流れた。
 「ごくろうさま」葛城ミサトはトウジに言った。「せっかく起動に成功したんだから、
ちょっと動かしてみる、いいわよ」
 「はい、やってみます」トウジの声はまだ緊張していた。
 無理もない、とレイは思った。トウジが以前搭乗した参号機もまた、起動実験には
成功していたのだから。まだまだ気を許せる状況ではないことを誰もが心の奥底に感じて
いるのだ。
 「右手、動かしてみます」トウジは言った。
 「同調信号検知」伊吹マヤの声がかぶさるように続いた。「右腕、動きます」
 その言葉どおり、四号機のにぶく黒光りする右腕がゆっくりと上に向かって動き
はじめた。
 制御室は小さなどよめきに包まれた。
 「異常数値はない?」葛城ミサトが鋭く言った。
 「異常なし」伊吹マヤが答えた。
 「異常なし」「異常なし」各操作員の声が続いた。
 巨大スクリーンの図形は緑色に輝き続け、同期信号を描く曲線に揺らぎはなかった。
 四号機は曲げた腕を顔のあたりにかざし、ぶかっこうながら敬礼の姿勢を取った。
一瞬の静止の後、右腕はゆっくりと降ろされた。
 続いて両腕の指が屈伸した。
 「歩いてみます」トウジの声が流れた。
 「気をつけて」葛城ミサトが答えた。
 「はい」トウジは短く答えた。
 四号機は全身をけいれんさせたように震わせると、右足を踏み出した。
 「やりぃ」葛城ミサトが歓声をあげた。「いいわ、その調子」
 四号機は踏み出した右足をしっかりと床におろし、続いて左足を進めた。狭い実験室は
ほんの数歩で反対側の壁に届いてしまう。四号機はかすかな振動を残しながら前進し、
壁の前で停止した。
 四号機はその位置で上半身を右にひねり、制御室内をのぞきこむような姿勢になった。
 「完熟訓練はこれからやってもらうわ」葛城ミサトはそこで深呼吸した。「飛行実験開始」
 「飛行ですって」アスカの思念が爆発的に飛び込んできた。「飛べるの、あれが」
 「飛べるんですか」レイは聞いた。返事がもらえることは期待していなかった。
 「ATフィールドの円盤に乗って飛ぶみたいなものね」意に反して葛城ミサトは
説明した。「ATフィールドは重力に対する斥力として作動するのよ」
 「どうしたらええのですか」トウジの困惑した口調が伝わった。「飛び上がれと
言われても…想像がつきまへんが」
 「浮かぶことを考えて」赤木リツコがスピーカごしに割り込んだ。「泳げるの、あなた」
 「はい」トウジは答えた。
 「潜って、それから水面に上がるときのこと、想像して」
 「はい」トウジは言葉を切った。
 「対床荷重を報告」葛城ミサトが言った。
 「変化なし」青葉シゲルが答えた。「いや、待ってください、対床荷重減少しています、
五十…三十…」そして「対床荷重、ゼロ。四号機、浮上しました」
 「浮いとるんですか、これで」トウジが訊ねた。「ワシには分かりませんが」
 「降りて…できるかしら」葛城ミサトが命令した。
 「この気持ちを…」トウジはつぶやいた。
 「四号機、着陸しました」青葉シゲルが報告した。「荷重、もどりました」
 「今日はここまでにしましょう」葛城ミサトは大きくため息をついて言った。
「一度にあれもこれもではあなたも大変だわ」
 「はい」トウジの声は少々うわずっていた。
 「シンクロ停止」葛城ミサトは構わなかった。「ごくろうさん」
 「ケーブル不要の上に空まで飛べるなんて」アスカの思念は複雑だった。「弐号機にも、
積めないかな、S2機関」
 「葛城三佐」レイはくつろいでいる葛城ミサトに声をかけた。「わたし達のエヴァには
S2機関を積めませんか」
 「弐号機はS2機関搭載を考慮した設計になっているわ」葛城ミサトの返答は又しても
驚くべきものだった。「ドイツの研究所で進めているS2機関小型化が成果を出せば、
可能になるわね。四号機のものはまだ開発過程なのを積み込んだからあんなに
大きいのよ」
 「いつ、いつできるのっ」アスカが先をうながした。
 「いつできるのですか」レイはたずねた。
 「進んでないのよ」葛城ミサトの声は沈んだ。「ネバダ支部はその研究の最中に
爆発事故で壊滅したわ。何が原因だったのかいまだに分からない。だからドイツの研究も
慎重にならざるをえないの」
 「四号機回収します」日向マコトが報告した。「ケージに固定」
 「ケージ固定します」青葉シゲルが復唱した。「ケージ固定、完了」
 「エントリープラグ排出、完了」
 「エヴァンゲリオン四号機、活動休止」伊吹マヤが報告した。「エネルギー休止状態」
 「レイ」葛城ミサトが声をかけた。
 「はい」
 「実験終了よ、帰っていいわ、ごくろうさま」
 「はい」
 レイは更衣室から一番近いエレベータホールの隅でトウジを待った。
 「何や綾波」トウジは少し驚いたようだった。「待っとってくれたんか、すまんな」
 「よかったわね、うまくいって」レイはエレベータの呼び出しボタンを押した。
 「今日、全然声かけてくれんかったな」トウジは感情を殺した声になった。
 エレベータの到着を示すチャイムが小さく響いた。
 二人は黙ってエレベータに乗り込んだ。
 「ええか…」トウジの思念が用心深くレイに送られて来た。
 「なに」レイは感情のない思念を返信した。
 「昨夜から誰も声かけてくれんかった。気ぃ使ってくれてたんやろ」
 「ええ」
 「もう解禁ね」ヒカリの思念がわり込んだ。「綾波さんが全部中継してくれてたのよ。
トウジ、やったわねおめでとう」
 「よかったわね」アスカがレイとそっくりの感情を押し殺した思念を送り、返事を
待たずに消えていった。
 「ああ、ありがとさん」トウジの思念は間に合わないようだった。
 ふたりはならんで特務機関ネルフの建物を出た。
 西の空に金色の群雲がちらばり、夕陽が地平線を真っ赤に染め上げていた。
金色の高層建築は長い影を伸ばし、セミの悲しげな鳴き声があたりをおおっていた。
 「綾波」トウジはレイに声をかけた。
 「鈴原君」レイはその続きを思念で送った。「発言、気をつけて。指向性のマイクで
盗聴されているわ」
 「あ、なんや」トウジはとまどっていた。「改めて礼を言おう思うた」そして思念が
続いた。「どういうこっちゃ」
 「明日から、完熟訓練ね」レイは話題を振った。「私達の護衛役」レイは思念で答えた。
「ねらっている」
 「がんばらなあかん(ワシら疑われるようなことやったちうことか、まさか)」
 「私も。シミュレータ使わないといけないけれど(ちがう。直接観察できるところでは
会話を記録するのが業務内容になっているだけ)」
 「せやな、機体、はよ修繕できるとええが(それにしても、なんで昨夜からさっきまで、
接触して来なかったんや、三人とも)」
 「ええ(それは…)」
 ヒカリの思考がわり込んだ。「綾波さんからは言いにくいでしょ、トウジが一人で、
自分自身の能力だけでエヴァを動かせることを保証したかったのよ私達」
 「そ、それは」トウジは言葉を切った。そして深呼吸した。「碇がおらん、零号機も
弐号機も破損した、こんなときにまた使徒にやられてはたまらんからな。
しっかり練習して早よ動かせるようにならんといかん」
 「がんばって」
 レイはトウジの使命感に感心した。自分は何故エヴァに乗るのか、シンジと出会って
初めて考えはじめた命題は、今度はではほかのパイロットは何故エヴァに乗るのかに
拡張されていた。そして、ひとりひとりがみな違った動機からエヴァに乗っていることに
レイはある種の感動を覚えていた。
 ふたりは軌道車両に乗りこみ、がらんとした車内のだれもいない一角にならんで座った。
 トウジの黒いジャージ姿はレイの白い膚をきわだたせた。
 「あなたの言う通り。今はあなただけがたよりだから(セカンドはあなたの機体、
うらやましがっているわ)」
 「整備班の連中、本部に寝泊まりして機体の修理やってくれとるちう話しや
(惣流も気ぃ強いからなあ。ワシら、内輪でもめとる場合やないちうこと、わかって
もらわんことには…なにしろこっちから呼びかけても返事もせえへんしなぁ)」
 「ええ、でも、あのひとたちはあの場所が戦場なの(そう思う。でも、私はセカンドが
どんな態度を取るかわからないわ。心を開いてくれれば説得できるのだけど)」
 「ああ、その通りや。ワシらが全力出せるように、縁の下でがんばってもろうて…
頭下がる(しゃない。物事、なるようにしかならへん)」トウジは暗くなった空を
見上げた。「先に降りるで」
 「ええ、さよなら」レイは答えた。
 トウジは立ち上がり片手を軽く上げてあいさつした。「ヒカリに報告してから帰ろ。
まあ、明日には学校でも会えるし、訓練もあるけどな」
 「妹さんは。どうお」
 「ああ、お爺とお父とローテ組んでな、毎晩見舞い行っとる。どんどん
ようなっとるからな、もうすぐ退院できるやろ。今夜はお父の番や」
 「そ」
 「碇のやつ…もどってくる気あるんかいな。ワシ時々不安になるんや」
 「私も」そして続けた。「私、セカンドに会いに行く。会って、セカンドの気持ちを
聞いてみるわ」
 「頼むわ、ワシおらん方がええやろ…な」トウジはそのことばを残して車外に出た。
 後を追うように扉が閉じた。
 レイは窓ガラス越しにトウジに向かって黙ってうなずいた。そして、小さくなっていく
トウジの背中をぼんやりと見つめながら、今までの会話は、録音を聞く限り全く違う
話題を扱っているとしか思えないだろうということに少し満足した。
 レイは視線を天井に向けて目を閉じた。何の思いつきもなしにセカンドに会うという
発想が、どうして出てきたのかよくわからなかったのだ。セカンドに会って、
何といったらいいのだろう。セカンドは何というのだろう。レイは想像できなかった。
 レイはミサトの部屋の玄関でしばらく立ち尽くしていた。
 そして、この先どういう展開になるのか見当のつかないままに呼び出し用のボタンを
押した。
 レイが呼び鈴を鳴らすと同時に玄関の扉が開いた。
 「こんにちは」レイはアスカに何の感情も込めない口調で言った。
 「あ、あたしちょうど出かけようとしてたところなんだけど」アスカは言い訳がましく
言った。「何よ」
 「聞きたいことがあって」
 「中で聞くわ」アスカはレイを室内に導いた。
 レイは後ろ手に玄関の扉を閉じた。
 かすかな音がして自動的に鍵がかかった。
 レイは深呼吸するとくつを脱ぎ、玄関から居室に続く廊下の入口に鞄を置いてアスカの
後を追った。
 アスカは台所の食卓に向かって座り、両腕を食卓の上に投げ出していた。
 「鈴原君の起動試験、成功したわ」
 レイはそれだけ言ってアスカの向かい側のいすに座った。
 アスカは大きく伸びをした。「あーあ、これでアタシもお役御免かしらね」
 「何を言うの」レイはアスカの自嘲的な口調に危険な兆候を感じた。
 「だってそうじゃない、ケーブル不要で空まで飛べる四号機は、これまでのエヴァが
総掛かりでも勝てないくらい強力よ、アタシ達なんかもう用済みよ」
 「それがネルフの総意だとあなた信じてるの」
 「はっ、そうに決まってるでしょ」アスカは右手の人差し指をレイに突きだした。
「初号機だって無傷なんだし五号機はいつでも準備ができてるわ。今さらケーブル付の
機体なんて」
 「じゃ整備のひと達が私達の機体を徹夜で修理してくれていることをどう思うの」
 アスカは歯を食いしばった。「そ、それは…」
 「あなたこれまで最新のエヴァに乗っていたわね」
 「それが何よ」
 「たとえ四号機が私達の機体とくらべてはるかに性能の高いものだとしても、弐号機は、
零号機や初号機より完成度の高い機体だわ、あなたずっとそれに乗っていたのよ」
 「だからそれが何だっていうのよ、意味ないわ」
 レイは首を振った。「あなた、いつも先頭きっていないとがまんできないのかしら、
それとも先頭にいないと生きている意味がないというのかしら」
 「あたしはこれまでずっとトップだったのよ、選ばれた者、チルドレン、エヴァの
パイロットとして人類を代表して使徒を殲滅してきたのよ。その事実がすべてだわ」
 「碇君はあなたが弐号機と供に来るまで、最新型のエヴァに乗っていたわ」
 「ファースト」アスカの声には敵意があった。
 レイは構わなかった。「私は初号機が碇君のものになるまで、ただ一人のパイロット
だった」
 「分かってる…分かってるわよそんなこと」アスカはしぼり出すような声でレイを
さえぎった。「アタシが今味わってるのがアンタたちの気持ちだってこと、
わかってるわよアタシだって…」アスカはうつむいた。
 食卓に涙のつぶが落ちてはじけ、そこだけ色を変えた。
 レイには涙が食卓に当ったときの音が聞こえたような気がした。
 「使徒が来襲する限り、エヴァは闘わなければならないわ」レイは自分に言い聞かせる
ように言った。「そしてエヴァはわたし達が乗らなければ動かない」
 アスカは黙ってうなずいた。
 「エヴァはあなたを必要としているわ、ネルフも、碇司令も、葛城三佐もあなたを
必要としているわ」
 レイは立ち上がり、食卓をまわってアスカのとなりに立った。
 「そしてチルドレンは一番あなたを必要としている」
 アスカは顔を上げた。
 アスカの両頬はあふれ出る涙でいっぱいだった。まぶたは細かくふるえ、口元は堅く
結ばれていた。
 「あなたは大事な人よ、私にとって大切な人、セカンド」
 レイは身をかがめ、アスカの肩に片手を伸ばした。
 本当に軽く、かすめるような接触だったがアスカは雷に打たれたように全身をびくりと
震わせた。
 そして立ち上がり両手でレイを抱きしめた。
 アスカから抱きしめたにもかかわらず、それはまるでレイがアスカを呼んだように
思えた。
 アスカはレイの胸に頬を押しつけて肩を震わせ続けた。両手は固くレイをつかみ、
白い指は白蝋のようになった。
 レイはゆっくりとアスカの腰に手をまわしてアスカを抱いた。
 言葉はなかった。それだけで十分だった。





+続く+




◆マイクさんへの感想・メッセージはこちらのページから◆