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Wounded Mass - ss:17

エヴァ・覚醒のとき

 エントリー・プラグ内での待機、それは使徒との戦いの準備だった。
 限られた命の奪い合い、それも、確たる理由も目的もわからないままに
ただ自分の命を守るために相手を倒して命を奪い去る、そこにどんな大儀があるのか
レイには分からなかった。
 レイは目を閉じて瞑想状態で待った。
 使徒はすでに戦略自衛隊の防衛戦を突破し、第三新東京市に侵攻中だった。
 他の二機のエヴァンゲリオンと供に出撃命令が出るのは時間の問題だった。
 レイはそっとまぶたを開き、正面の画面に表示される使徒との戦闘場面の中継画像を
眺めた。
 使徒は、四肢を途中で切り落とされたホルスタイン種の乳牛が直立したような容姿
だった。身長はエヴァンゲリオンとほとんど同じで、ホルスタイン種の乳牛のように、
もっと肥っていた。その使徒がほんの半時間ばかり前に山梨の山中に忽然と表れ、
使徒と確認され、戦略自衛隊の防衛網をものともせずに悠々と空中を遊弋しながら
第三新東京市に向かって進んでいるのだった。
 使徒の姿は戦略自衛隊や特務機関ネルフの偵察機から映像情報で送られ、
作戦司令部に設けられた巨大スクリーンに投影されていた。
 「投射兵器はすべて無力ね、通常弾、加粒子砲、レーザー砲、N2地雷を含めて、
かすり傷ひとつつけられない」
 作戦司令部の巨大スクリーンの前で腕を組み、両足を開いてスクリーンを見上げ、
葛城ミサトは吐き捨てるように言った。
 「ATフィールドを無力化した接近戦しかなさそうね」傍らで白衣のポケットに
片手を入れた赤木リツコが言った。
 「相手の武器を調べる必要があるわ」葛城ミサトは前方の映像を凝視したままだった。
「そのために戦時に盾になってもらっているというのに、あいつは何一つ手を出して
こないんだから」
 日向マコトが言った。「使徒、強羅絶対防衛戦を突破。戦自、退却開始しました」
 「エヴァンゲリオン、リフト・オフ」葛城ミサトは短く言った。
 レイは衝撃に備えた。
 三体のエヴァは並んで射出口に突入した。
 レイは加速度に耐えた。
 三体のエヴァはそれぞれ別の経路を取って地上に向かった。
 眼前の映像が黒から白に変り、最後の隔壁が開いた。青い空と白い雲、その一点に
黒々と使徒の姿が映し出されていた。
 今は戦略自衛隊からの攻撃はすべて止み、攻撃機は撤退し、地上車両は砲火を閉じて
使徒の進路を避けるように移動していた。
 使徒は何の抵抗も受けないまま、まっすぐに特務機関ネルフの総司令部に向かって
接近しつつあった。
 レイは三体の一番後方で地上に出た。先頭がアスカ、そのすぐ斜め後ろにシンジがいた。
三体のエヴァはそれぞれ携帯式投射兵器をかかえていて、すでに使徒を照準に捕らえて
いた。アスカの弐号機は大口径の連射砲、初号機はビーム砲、そして零号機はもっと
射程の短い速射砲だった。三体のエヴァは地上に長い影を伸ばして使徒を迎え撃つ体勢に
はいった。
 使徒は空中約五十メートルの上空をゆっくりと前進していた。
 「どうすんのよ、ミサト」アスカがいらいらしたような口調で言った。「作戦は」
 「アスカ、威力偵察をかけて」葛城ミサトは緊張した口調だった。「前進して、狙撃して。
あんたに攻撃の意図があるってことを知らせるだけでいいのよ」
 「よおっしゃあ」アスカは速射砲を腰だめにして前進した。真っ赤な機体を追って
アンビリカブルケーブルが生き物のように波打ちながら伸びていった。約五十メートル
前進した後、アスカは弐号機を固定し、使徒に向かって発砲した。一秒間に3回の
規則的な激しい発射音が耳をつんざき、あたりの空気と大地が衝撃に身震いした。
 「全弾命中。ATフィードにはばまれました」青葉シゲルが報告した。
 「アスカ気をつけてっ」葛城ミサトが叫んだがそれは遅過ぎた。
 「ぎゃぁああああああっ」アスカが悲鳴をあげて連絡を切った。
 使徒は、何の前ぶれもなしに、切断された乳牛の前肢のような上肢を変形させ、
弐号機の両腕を肩のつけ根で切断したのだ。使徒の上肢はあっというまに円形の断面から
薄いかみそりのような形状に変形し、さらにそれが蛇腹が伸びるように目にも止まらない
早さで弐号機を襲ったのだった。
 「早いっ」シンジは思わず後ずさり、レイと使徒の間に初号機を割り込ませた。
 使徒の両腕はすぐに折りたたまれ、そのかみそりのような形状をたもったまま
ほとんど元の長さまで縮んだ。続いてその高度を下げ、下肢が地上数メートルの距離まで
降りてきた。使徒の姿は流麗といえるほどで、この使徒には体重などないのではないかと
思わされる優雅さがあった。
 弐号機は立ち尽していた。切断された両腕のつけ根から真っ赤な体液がほとばしり、
あたりの大地をどす黒く染めていった。
 「弐号機活動停止」伊吹マヤが報告した。
 阿賀野カエデの声が続いた。「パイロット意識喪失。生命活動に支障なし」
 「あの速度に追従しなきゃね…」葛城ミサトは唇を噛んだ。
 「アスカ大丈夫かしら」ヒカリが心配そうに言った。
 「あなた達はパイロットに何かあった場合のために待機してもらっていたんだけどね」
 葛城ミサトの後ろにはヒカリとトウジがパイロットスーツを身にまとって並んでいた。
トウジは参号機搭乗に際して仕立てられた黒のスーツ、ヒカリは体形を比較して
採用されたレイの白いスーツだった。
 「今回はともかくも実戦をその目でよおく観察してちょうだい…その余裕があれば
だけど」
 葛城ミサトは正面を向いたまま振り向きもせず、背後の二人も答えなかった。
 ヒカリは半歩左によってトウジの片腕をつかんだ。
 「使徒の攻撃態勢には何の予兆もありませんでした」日向マコトが報告した。「攻撃開始
の瞬間を何度か再生してみました。事前の外観変化、細かい動き、電磁波、光の反射率、
音響探索すべて反応ありません」
 「予測不能ってわけか。まいったわね」葛城ミサトがつぶやいた。「しかし手を
こまねいているわけにはいかないわ」
 「作戦なしの先制攻撃ってことかしら」赤木リツコは巨大スクリーンを見上げながら
言った。「特攻よ、それ」
 レイはヒカリの白いスーツ姿をしばらく眺めていた。シンクロ率が順調に上昇して、
正式にエヴァのパイロットとして迎えられれば、ヒカリのために別の色のスーツが
仕立てられるのだろう。しかし今は、レイのスーツを仕立て直した白いスーツ姿だった。
そして、レイと同じ色のスーツを着て作戦司令部に立っているヒカリはレイ自身の
分身のように思えた。「私が死んでも、代わりはいるもの」レイは口の中でつぶやいた。
 「私がフェイントに出る」レイは速射砲をそっと地上に置き、プログレッシブナイフを
抜いた。「碇君その間に攻撃して」
 「間合いを取って近接戦闘にはいる」シンジは初号機の左腕を背後に回してレイを
牽制した。「僕らが一撃で届く距離まで、あいつを近づけさせなきゃ、とてもじゃないが
あの速度に反応しきれないよ」
 使徒は無言で直立した弐号機の残骸のわきを特に注意もはらわずに通り過ぎた。
 もう、機体は全く動かないということを知っているようだとレイは思った。そして、
レイは真っ黒い球体の使徒の心と接触したときのことを思い出した。あの時、使徒は
全てを見ていた。戦略自衛隊の全ての組織、特務機関ネルフの全ての構造、それも
地下深く隠された作戦司令部の中までも。
 「エヴァの反応係数を上げてください」レイは主に葛城ミサトに向かって言った。
関係者全員が聞いているのだから本来は誰に向かって発言しているかを名指しすべき
なのだが、レイはそれをしなかった。
 「今がぎりぎりよ」赤木リツコが拒否した。「これ以上反応係数を上げたら、
あなた達パイロットへのフィードバックが限界を越えてしまうわ」
 「私は死んでも構わない」レイはつぶやいた。
 「それはだめ」葛城ミサトは短く、強い調子でその発言を否定した。「最後まで、
生きて戦いなさい。そして、もどって来なさい」
 「はい」
 レイは言葉を切り、機体の姿勢を微調整した。使徒の姿は前方に立ちはだかる
初号機の肩ごしに一部が見えるだけとなり、その姿はますます巨大になってきた。
 レイとシンジは思念で堅く結びつき、あたかも独りの人格のようになっていた。
 ヒカリとトウジはふたりとゆるやかな連絡を持ちながらふたりが何か重要な情報を
見落としていないか監視していた。
 シンジは後ろに回していた初号機の左手をするどく前につきだし、正面から使徒に
突撃をかけた。
 レイは同時に一歩斜め右に踏み出してからさらに大きな歩幅で突進し、すぐに
初号機の前に出てナイフをかざした。
 使徒はまったく動じなかった。顔のようにみえる部分の表情を変えることもなく、
かみそりのような上肢は戦いの構えもせずにだらりと下げたままだった。
 レイは使徒の両方の上肢に全神経を集中しながら突進し、ATフィールドのだんだんと
強くなる抵抗をものともせずに使徒に向かってナイフをつきだした。
 すぐに凄まじいATフィールドの反撃があった。かたちのない純粋なエネルギーの
障壁がレイの零号機の行く手をはばみ、突きだしたナイフの歯を受け止め、さらに
零号機自体の動きを封じようと襲いかかった。
 レイはナイフにいっそうの思念を集中して力を込め、ATフィールドの存在を確実に
受け止めた。零号機は一瞬の間使徒のATフィールドに完全に包み込まれた。零号機は
全身を拘束され容赦のない力で締めつけられ今にも圧砕されるほどの圧力を受けたが
レイは冷静だった。
 零号機はレイの意志に忠実に反応した。レイの思念はまとまってエヴァの発する
ATフィールドを形成し、零号機の右腕からナイフの先までATフィールドと一体化した。
今やATフィールドの発生器と化したナイフの形状をしたエネルギーの錐は、使徒の
ATフィールドを溶けたバターのように切り裂いた。
 解放され、頚城を解かれたエネルギーは可視光だけでなくもっと波長の短い赤外線や熱、
あるいはもっと波長の短いγ線やエックス線となってなんの制御も抑制もなしに
四方八方に飛び散り、周囲の景観を焦がし、崩れた建物を溶融させた。
建材の突きだした鉄骨が飴のように曲がり解け落ちて地上にしたたった。
この急激な発熱に突風が巻き上がり、焦げた匂いをまき散らした。
 レイのナイフと使徒の生身の身体を隔てるものは今や大気だけだった。レイは全身を
拘束されたまま、ナイフをさらにつき出して使徒を直撃すべく体制を整えようとした。
その一瞬の逡巡が致命的な失敗を招いてしまった。
 使徒の首のない顔(生体の一番上の部分)がしなるように曲がってレイを見た。
 「来るっ」レイは使徒の攻撃に身構えたが、ATフィールドに拘束された零号機の
動きはにぶく、ナイフを持った右腕と右足の膝から下を切断されるのを回避することが
できなかった。「くっ」レイは右半身の同期を自分で切断し、よろけながら
残った部分で体勢を立て直そうとした。完全に感覚の麻痺した右半身の
それまでの動きの慣性を利用し、両ひざをついて前に屈み込むと、左腕で切断された
右腕からプログレッシブナイフを引きむしった。しかし、制御の半分失われた零号機は
意のままに動かず、そのままもんどりをうって地上に倒れ込んだ。切断された腕と足から
赤褐色の液体が吹き出し、やがて止った。
 レイは自由になる左腕を動かして姿勢を直し、肘をついて上半身を引き上げると
初号機と使徒との戦闘を観察した。
 「くあぁぁぁぁぁっ」その間にシンジは初号機を零号機が引き裂いたATフィールドの
裂け目にむりやりわり込ませた。さらにその奥に上体を深く差し入れると、横から使徒の
零号機に向かって伸び切った上肢に向かって攻撃をかけ、両方の上肢をまとめて抱え
こんだ。そして容赦のない力で締め上げ、これを粉砕するか、さもなくば折り取るか、
少なくとも何らかの打撃を与えて超高速での伸縮能力を削ごうと試みた。
 使徒は初めて大声で咆哮した。それは今まで誰も聞いたことのない不気味なうなり声で、
聞く者全ての心に恐怖と混乱を呼び起こした。
 シンジはそのまま伸び切った使徒の上肢をばりばりと音を立てながら折り畳み、同時に
使徒の本体を引きずり寄せた。
 使徒はこの初号機の圧倒的な力に一時的に負けて引きずり寄せられるままになったが
すぐに体勢を立て直し、大きく上体をけいれんさせると、折り畳まれ部分的に
融合させられ、自由のきかなくなった上肢を初号機の腕の中からあっというまに自らの
体内に縮め込んでしまった。
 「なにぃっ」シンジが叫んだ。
 初号機はそのまま使徒のATフィールドを粉砕して使徒を生身にすると、その身体を
抱えて押し倒し、馬乗りになって使徒の上半身に両腕ですさまじい打撃を加えた。
一発が当るごとに大地が震撼し使徒の全身が大きくうねった。
 使徒はなんとか初号機の束縛を逃れようと全身をのたうち、鋼のばねのように身体を
反らした。
 その勢いはすさまじく、初号機は後ろにはねとばされた。
 使徒はすかさずかみそりの上肢をくり出した。
 初号機は信じられない反射神経でこの攻撃をかわし、次の瞬間二本の突きだされた
上肢の間を突進して使徒に体当たりした。
 使徒は上肢を暴れ馬を取り押さえる投げ縄のように振り回したが、初号機の突進を
止めることができず、衝撃をもろにくらって地上に倒れ込んだ。
 「やるじゃないっ」葛城ミサトが叫んだ。
 「初号機、アンビリカブルケーブル切断」青葉シゲルが叫んだ。「内部電源に
切り替わります」
 「初号機残り稼働可能時間三分」伊吹マヤが後をついだ。
 作戦司令部のスクリーンの一つが初号機の残り稼働可能時間を刻みはじめた。
三分から始まって一秒ずつ減っていく。
 「なんですってっ」葛城ミサトは青葉シゲルを見て叫んだ。「何があったの」
 「使徒の上肢が接触しました」青葉シゲルは答えた。
 「シンジ君っ、下がってっ、ケープルが切れたわ」葛城ミサトが叫んだ。
 シンジは答えなかった。
 カメラが切り替わりシンジの顔を大きく映し出した。
 「大丈夫、ミサトさん、あと二分半あれば、こいつは倒せるさっ」
 初号機の背中で噴煙が巻き起こり、鋭い摩擦音とともに切断されて使用不能になった
アンビリカブル接続部が強制射出された。接続部は断末魔の蛇のように
のたうちまわりながら本体から飛び去った。
 レイは零号機のまだ感覚が残り稼働可能な左半身だけで機体を操り、いざるようにして
初号機の背後に回り込もうとした。
 「レイ、何やってるの、あんたはもう戦闘不能なんだから」葛城ミサトが目ざとく
見つけた。「回収路」
 「マギは二十六番を推奨しています」伊吹マヤが答えた。
 「レイ、聞こえたわね、二十六番通路をめざすか、それ以上動かないで」
 「この機体のケーブル、初号機に渡せないかと思って」レイは答えた。「二十六番まで
たどり着くのに三分かからないから」
 「くっ…」葛城ミサトは言葉を切った。
 「レイの勝ちね、好きにしなさい」隣で赤木リツコがやや皮肉混じりの口調で言った。
 「はい」レイは苦労して機体を思うとおりの方向に移動させながら答えた。
 零号機が大地に深い移動痕を赤黒く残しながら近づいていく間にも初号機は使徒に
対して容赦ない攻撃を加え続けていた。
 使徒の外観はまだからくも無傷に見えたが、内部が度重なる打撃で破壊されていること
は明白だった。やがて体表が裂けてしまうにちがいない。使徒の動きは目に見えてにぶく、
今は初号機からのくり返し打ちだれる両腕の鉄拳の連打を受けるままとなっていた。
 「この、このっ」シンジが食いしばった歯の間から声とも息ともつかない音を出した。
 レイは機体を移動させながらもシンジが気になって画像から目を離せなかった。
 シンジの表情はいつになく狂暴で、どこか使徒を連想させるものまであると
レイは思った。しかし、今はシンジの思うままに動いてもらうのがいいだろう。
思念を送って、せっかく集中しているシンジの士気にすきが生じ、現在の絶対有利な
体制をひっくり返されてしまわないとも限らない。
 そういう状況で、レイはやっとの思いで初号機の背後に回り込んだ。
 一番簡単な渡し方は、レイと初号機が背中合せになり、シンジがレイの抜去した
接続部を受け取って自分で装着することだ。
 しかしこの状況で、たとえ二人が精神的に同調していてあたかも一人のパイロットが
操っているような絶妙のタイミングで二機のエヴァを操れるとしても、ほんの一瞬でも
気を抜くことはできない。
 ここは自分一人でやらなくてはだめだとレイは思った。接続部を強制射出、
これを拾い上げて体勢を変え、初号機の背後から装着する。
 まずアンビリカブル接続部を正常手続きで抜去した。レイは訓練通りの馴れた手つきで
操作した。
 接続部は静かな音を残して零号機から離れ、轟音とともに地上に落下した。一度だけ
低くはね上がり、横倒しになって動きを止めた。
 「零号機内部電源に切り替わりました。残り稼働可能時間三分」伊吹マヤが報告した。
 そして、「初号機活動限界です」
 「なんですってっ」葛城ミサトが叫んだ。「レイ、作業を中止してすぐに二十六番に
向かいなさいっ」
 「でも、碇君が…」レイは抵抗した。
 「もうあんたの機体しか残ってないのよ、応急処置でも何でもして、また出て
もらわないといけないんだからっ」
 「はい」
 レイは無念の思いで現場を後ずさりしながら離れていった。
 初号機は完全に動きを止めた。
 使徒は最初、何が起きたのかわからないようすだったが、すぐに初号機の両腕を
捕らえて体勢を入れ換え、逆に初号機に上からのしかかると上肢の形態をかみそり状に
変化させて初号機の上半身を所構わず突き刺した。最初、使徒の上肢の先端はエヴァの
装甲版を貫通することができなかったが、何度も何度も打撃を加えるうちに装甲版には
亀裂が走り、やがてそこから広がった裂け目が初号機の左肩の装甲版を粉々に破壊した。
 レイはその間に何とか零号機の機体を昇降口まで移動させた。
 零号機が近づくと艤装された昇降口が開き、レイは零号機を架台に倒れ込むように
乗せた。架台は機体が自走できない場合を想定して、エヴァが横たわれるだけの
大きさがあり、レイはそこに零号機をあおむけに寝かせた。
 昇降口は零号機を収容するとただちに装甲版を閉鎖し架台は格納庫に向かって斜めに
下降を開始した。あたりは完全に無人で、収容中になんらかの攻撃を受けた場合の
損害を最小限に留めるよう配慮されていた。架台が下降するにつれ、通過した空間は
何重もの装甲版により閉鎖されていった。分厚い扉の閉じる重苦しい音が
くり返し響いた。
 レイは自動的に伸びてきた器具で機体を架台に固定すると、情報系以外の動力を
切断して残存電力の消費を押さえ、何が起きているのかだけは分かろうとした。
 シンジは完全に活動を停止した制御卓に取りつき、操縦桿を両手で握り締め、
この屍体をなんとかして再生させようと無駄な努力を続けていた。
「動けっ、動けっ動けっ動けっ動けっ動けっ、動けっ」
 その必死の思いはレイの心に直接つきささってきた。
 レイは操縦する必要のなくなった操縦桿をはなし、全身の力を抜いて思念を集中し、
零号機との接触を試みた。
 その経験をもとに初号機に対して何か働きかけができるのではないかと思ったのだ。
 零号機の精神構造はやはり使徒によく似ていた。
 人間の思考領域とは全くちがった感覚だったが、初めてではないレイはこれを
やすやすと受け入れ、零号機の精神世界にはいって行った。
 時間が限られているので細かく観察はしなかったが、零号機は使徒と違って明確に
自己意識をもっていた。それはほとんど生存本能だけといった原始的なものだったが、
あきらかに自己と他者を区別しており自己の保身のためにどのような努力を
すべきかという概念があった。
 レイはもっと零号機と接触を続け、詳しく調べたいことがあったが、今は初号機との
接触を優先するときだった。レイは零号機との接触を終了した。
 現実時間ではほんの数秒しか経過していなかった。
 「初号機、左腕切断」伊吹マヤが報告した。
 「シンジ君は」葛城ミサトが叫んだ。「シンジ君は大丈夫なの」
 「もうシンクロしていないのよ、パイロットには何の打撃もないわ」赤木リツコが
ぽそりと言った。
 レイはシンジの心にたった今経験した零号機との接触記録を流し込んだ。
 「碇君、初号機の心は掴めて?」レイはその思念に不安と期待を込めた。「どうお、
初号機は心も止っているの」
 「…わからないっ」シンジは苦しそうに答えた。「エヴァにも心があるのは分かった。
でも、同じように個性もあるんだっ、零号機そのままの接触方法じゃだめだ」シンジの
感情はすでに平静なものではなくなっていた。「動け、動け動け動け動け動け、動け、
動いてよ、今動いてくれなけゃ何もかもおしまいなんだよっ」
 レイはシンジの心に自分の思念を重ねて少しでも冷静さを取り戻させようとした。
 「碇君」
 二人の融合した思念は再び初号機の心を求めてさまよった。シンジの絶望と怒りと
悲しみ、レイの慈しみとシンジへの愛の混ざり合った思念が初号機の心の琴線をほんの
わずかふるわせた。
 そして三度目の奇跡は起きた。
 初号機の全身に力がみなぎった。暗く閉ざされていた瞳に光が宿った。
 「出力上昇、初号機、再起動」伊吹マヤが叫んだ。「信じられません出力がどんどん
上がって行きます」
 「何ですって」葛城ミサトが叫んで身を乗り出した。
 巨大スクリーンは遠景で破壊される初号機と使徒を映し出していた。
 今、使徒にのしかかられ左腕を引きちぎられた初号機は、しびれた身体の自由を
取り戻そうとしているように全身を小刻みにけいれんさせていた。
 「シンクロ率は…シンジ君の左腕は大丈夫なのっ」葛城ミサトは言った。
 「シンクロ率上昇中、起動可能です。パイロットの左腕は…」伊吹マヤは言葉を切った。
「あり得ません、パイロットはエヴァに左腕があると感じています」
 「そんな…だって初号機の左腕はさっき使徒に…ひきちぎられて…」
 初号機は全身を大きくそらし、使徒をはねとばした。右腕が矢のように伸びて使徒の
かみそり状の上肢を掴みそのままぐいと引き寄せた。
 使徒は抵抗して蛇腹を伸ばした。
 初号機はつかんだ上肢をさらに引き寄せ、自らの機体の後ろにまで引き伸ばした。
伸び切った蛇腹に大きくあごを開いて噛みつき、ばりばりと音を立てて噛み砕き、ぐいと
あごを振って噛みちぎった。
 使徒はこの意表を突いた攻撃に悲鳴を上げ、思わず怯んで後退した。
 初号機は噛みちぎった上肢を右腕で握ったまま直立した。そして、まだ赤い液体を
したたらせている切断面を、引きちぎられた左腕の傷口に当てた。次の瞬間、初号機に
押しあてられた使徒の上肢は輪郭がぼやけて振動したようにみえ、あっという間に
初号機の傷口に融合した。融合した使徒の上肢はたちまちその姿を変え、あたかも
初めからそうであったかのようにエヴァの左腕と化した。
 「初号機、左腕機能回復」伊吹マヤが消え入りそうな声で報告した。
 初号機はしばらくの間、左腕の動きを確認するような動きをしたあと、猛然と使徒に
襲いかかった。
 上肢を奪われた使徒は、唯一の攻撃力を奪われたらしく、抵抗らしい抵抗もせずに
初号機のくり出す打撃を受けて倒れ、ついに外皮がやぶれて茶色の体液がほとばしった。
使徒は苦しそうな声をあげた。
 初号機は容赦しなかった。使徒の傷口に両腕を当てると、無造作に引き裂いた。
 使徒はほとんど真っ二つに引き裂かれたがそれでも死なず、うごめきながら初号機から
逃れようとした。
 引き裂かれた使徒の体組織の切れ端が初号機の両手に残った。
 初号機は両手を見つめ、かがみ込むように上体を倒すと、その両手を口に持って行き、
使徒の肉をほおばり、そのままがつがつと音を立てて咀嚼し飲み下した。
 そして、使徒の血をしたたらせた両手を地に着け、四つんばいの姿勢で使徒に向かって
進んだ。
 使徒は断末魔の悲鳴を上げた。
 初号機は使徒の引き裂かれた傷口に顔を押しあて、大きく開いたあごで使徒の肉を
食いちぎり飲み下していった。
 集音機を通して初号機がシトの肉を引き裂き噛み砕き飲みこむ音が無気味に響いた。
 「使徒を…喰ってる…」葛城ミサトが惚けたような口調で言った。
 伊吹マヤはスクリーンを凝視していたが、急にもう耐えられないという表情になり
両手で口を押さえた。
 使徒は何度か最後のけいれんをくり返し、動かなくなった。
 初号機は上体を起こした。顔から上半身が使徒の返り血を浴び、さらに沈みかけた
夕陽にはえて真っ赤に染まっていた。初号機は何かを捜すように何度か辺りを見回した。
それが見つかったのかどうかわからないまま初号機は立ち上がり、雄叫びを上げた。
その声は勝利の喜びのようでもあり戦いの哀しみのようでもあった。
 レイはこの光景を上空を飛行する偵察機から送ってくる映像で見つめていた。
 画面の右の一番端に小さく人影が見えた。人影はすぐに映像の視野から消えたが、
レイはそれが加持リョウジだと分かった。
 戦闘地域になぜ戦闘員ではない加持リョウジがいるのか、レイは疑問を持った。
 レイは思わず心の触手を伸ばし、加持リョウジに接触した。
 「エヴァの覚醒、シナリオにはない事態だ。こりゃゼーレが黙っちゃいませんぜ」
 たったこれだけの思考はレイにいくつもの謎と疑念を与えた。もっと調べたいと
レイは思った。しかし、今は時間がなかった。
 レイは渋々と加持リョウジとの接触を断った。
 使徒は最後に一度、全身をけいれんさせ、全ての動きを止めた。
 「使徒、活動停止…エヴァのシンクロ率が」伊吹マヤが言葉を切った。
 「どうしたの、マヤ」赤木リツコがうながした。
 「シンクロ率、四百パーセント」
 「なんですって」
 その時レイはシンジの思念が伝わってくるのを感じた。
 「綾波…ちょっとの間向こうにいって来るよ。すぐ帰ってくるから」
 「碇君、向こうってどこ」レイは問いかけたがシンジは答えなかった。
 そして、レイはシンジの存在が希薄になっていくのを感じた。
 希薄になる…それは死のような存在の消滅ではなかった。以前の戦いで使徒に
飲み込まれたときとも違っていた。ただ、レイの中のシンジの存在感だけがだんだんと
薄れていく、それは新しい体験だった。
 「碇君」レイは呼びかけた。「碇君、聞こえて」
 「あかん…消えてもうた」トウジが思念を送ってきた。
 「私まだ碇君のこと感じられるけど、どこにいるのかはわからない」ヒカリの思念が
言った。
 レイは首を振り、うなだれた。「碇君…行ってしまった…私を置き去りにして…
こんなこと」
 初号機の咆哮が宵闇のとばりの中に長く響いた。





+続く+




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