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Wounded Mass - ss:15

生き急ぐ恋人たち #1

 副委員長の声にはためらいと緊張があった。
 「起立」
 「礼」
 「着席」
 じりじりと照りつける陽がようやく傾きはじめるころ、第壱中学校は今日の授業を
終えた。
 トウジがチルドレンに迎えられた翌日、今日は洞木ヒカリが急用で休みを取った。
 「鬼の霍乱やな」トウジはにやにやしながら言った。「委員長、今日まで皆勤と
聞いとるが。もったいないなあ」
 「ヒカリ、どうしたのかしら」アスカが心配そうに言った。
 「司令部、行くわよ」レイは無視したように言った。「葛城三佐、待ってるわ」
 「そうだね」シンジはうなずいた。「トウジ、委員長からのお弁当、今日も
食べそびれたね」
 「しゃあない」トウジはカバンを手に取った。「来れんのやからな」
 「明日が楽しみだね」
 トウジはうなずいた。「まあな」
 「すかしちゃってさ、まんざらでもないクセに」アスカがあごを突き出して言った。
「まったくヒカリも何だって…」
 「そうなんや」トウジは真顔でうなずいた。「委員長、なんでワシのために
弁当作る気になったんやろ」
 一瞬、トウジと三人の間に涼しい風がふいた気がした。しかし、トウジはそんなことに
気づいてもいないようだった。
 なぜこんなにも鈍感になれるのだろうとレイは思った。こんな明快な情動はレイでさえ
理解できるというのに。
 「ものをあげるのは一番単純で直接的な好意の表現よ」レイはつぶやいた。トウジには
聞こえただろうか。レイは気にしなかった。
 「そらどういう意味や」
 「好きということよ」
 「な…なんやてぇ」トウジは級友がまだ何人も残っている教室で大声を出した。
 雑談のざわめきがふと消え、全員がトウジを注目した。
 トウジは目を大きく見開き初めて周囲の視線に気づいた。「い、行こ」トウジはシンジの
背中を押してあたふたと教室を後にした。
 レイは無言で、アスカは級友にさよならのあいさつがわりに手を振ってから後に続いた。
 廊下はいっそう騒がしく、行き交う生徒たちは四人の会話には無関心だった。
 トウジは声を低めて続けた。「あ、綾波自分今さっき何といった」
 「ものをあげるのは一番単純で直接的な好意の表現だと言ったわ」
 「それや、せやったら何で委員長がワシに弁当作ってくれなアカンのや」
 「アンタ、ヴァカぁ?恋に落ちるのに理由なんてないわ、そんなことも
わからないんだからうちの男共はだめなのよ」アスカが言った。そして、歩みを進める
トウジの前に回り込み、トウジに顔を向けて続けた。「ヒカリが選んだ男なのよ、アンタ、
ちゃんと応えてあげなきゃだめよ」
 「いきなり言われてもなあ」トウジはことばを切り、視線を下げた。
 「何よ、何が不満なの」アスカはなおも食い下がった。
 「アスカ、トウジには考える時間が必要だよ、全然気にしていなかったことなんだから」
シンジがとりなした。
 「しょうがないわねえ」捨て台詞とともにアスカは引き下がった。「ファースト、アンタ
今日のアジェンダ知ってる?」
 レイは首を振った。
 「チルドレン全員集合なんだからなんかエヴァに関することなんだケドね、
まあ覗くまでのこともないし」
 「アスカ、ミサトさんにしても誰にしても」
 「分かってる、分かってるって」アスカは片手をひらひら動かしてシンジをさえぎった。
「だから現に覗いてないじゃない」
 「そりゃそうだけど」
 そして四人は無言で軌道車両の駅に向かった。むせかえるような熱気が徐々に退いて
いき、ふき出す汗は止まらないとはいえ、夕方がわずかずつ近づいてくるのが感じられた。
 昔は日本にも季節があったと聞かされたことをレイは思いだした。夏は暑く、冬は寒く、
一日の気温の温度差はもっとあった。レイは想像できなかった。それはどういう状態
なのだろう、ちょうどこんなふうに炎天下に冷房の効いた軌道車両に乗り込むような
ものなのだろうか。
 四人はてんでに軌道車両に乗り込み、何となく男女別々に並んで立った。端から、レイ、
アスカ、シンジ、トウジの順だった。
 「あー冷房はいいわねえ」アスカは心からという口調で言った。「熱で溶けかかってた
脳がまたまともになるってカンジ」
 「そ」レイはいつもの調子で答えた。「私は汗もきらいじゃない。シャワーで
洗い流すのは気分がいいから」
 「アタシはもっと即物的なの」アスカはひじを曲げてシンジをつついた。「シンジは
どうお、冷房好きでしょ」
 「そ、そうでもないかな」シンジはいつもの煮えきらない口調で答えた。「綾波のいう
ことにも一理あるし」
 「センセイも態度はっきりさせた方がええでえ、いつまでもヤジロベエの芯みたいに
あっちへふらふらこっちへふらふらしとりゃ世話ないがな」
 アスカが吹き出した。「アンタそれ、最高よっ」
 「着いたわ」レイがうながし、四人は改札を通ってそのまま総本部にはいった。
 「葛城三佐の部屋て、どこや」トウジは聞いた。
 「十九階よ」アスカは先に立ってエレベータを呼んだ。「アンタはまだ馴れてないから
しかたないケドね」
 エレベータが到着を知らせ、四人は中にはいった。
 シンジが最初にはいって行き先階を指示し、全員がはいり終わるまで扉を開いていた。
四人の後から女性職員がふたり、紙ばさみを胸にかかえてはいってきた。
 「何階ですか」シンジは訊ね、職員たちは恐縮しながら階を告げた。
 ひとりは途中で降り、ひとりはもっと先に進んだ。
 四人はエレベータから降りると廊下を右に進んで葛城ミサトの執務室に向かった。
 「それにしてもひどい組織よね」先に立って進みながらアスカはこれ聞こえよがしに
言った。「ミサトは一尉から三佐に昇進したんだから、部屋だって相応のもの準備すれば
いいのに。同じなんだから」
 「やってること同じだから、いいんじゃないかな」シンジが遠慮しがちに言った。
「もっと、儀礼的な昇進なんじゃないの、実質三佐の職務を果たしていたんだから、
みたいな」
 「やる気の問題よ、やる気の」アスカはこの声が録音されていることなど気にもとめて
いない風だった。「だったらなんでもっと前からそういう待遇しなかったのかということに
なるわ、ミサトもミサトよね一切もんく言わないし。ほら着いた」アスカは扉を叩いた。
「ミサト、チルドレン四名、雁首そろえて出頭したわよっ」
 摩擦音がして扉が両側の壁に吸い込まれて開いた。
 正面に執務用の机があり、うずたかく積み上げられた書類の向う側に葛城ミサトの頭の
一部が見えた。右手がひらひらと上がって指が踊った。「いらっしゃい、待ってたわ、
どうぞ中にはいって。扉を閉めるから」
 四人は中に進み、後ろで扉が閉じる音がした。
 葛城ミサトが立ち上がり、隣のいすに腰かけていた洞木ヒカリが続いて立ち上がった。
 「ヒカリ」アスカがびっくりして叫んだ。「アンタどうしてこんなところに」
 葛城ミサトは構わなかった。「トウジ君の時は、完全に紹介する順番を間違えたと
反省したのよ、五号機のパイロットを紹介するわ、洞木ヒカリさん、よろしくね」
 ヒカリは頭を下げた。「よろしく、お願いします」
 「五号機、って…どこで作ってるんですか」シンジは半ば放心した口調で言った。
 「ドイツ。四号機の最終擬装はほとんど完了していて、来週にもこっちに空輸の手筈よ。
五号機は現在組み立て完了して各部の調整中、こちらに来るのには一月くらいかかりそう
ね」葛城ミサトはここで一つため息をついた。「実はその他に一つ問題があってね」
 「なんですか」レイは聞いた。
 「洞木さんのシンクロ率は現在エヴァを起動させるのにぎりぎりの値なのよ。
もう今日からでも特訓にはいってもらって数値を上げないと、洞木さんよりいい数値を
出しているチルドレンが三人いるので、そのうちのひとりが正式パイロットに指名される
ことになるわ。いわば洞木さんは現在の所候補生なのよ、みんなと違って」
 「じゃどうしてこの段階で教えちゃうの、もし失敗したらヒカリはどうなるのよ」
アスカは憮然とした表情だった。
 「失敗したらまた第壱中学校の委員長の専任にもどってもらうわ、それは大丈夫」
葛城
ミサトは少し悲しそうな顔で微笑した。「それより、トウジ君のときにも同じこと言ったけ
ど、違う言語使うチルドレンがまじると、作戦がやりにくいのよね」
 葛城ミサトは猫背になって全員に手を合わせた。
 「お願いっ、手伝って」そしてウィンクした。「洞木さんが残りの三人ぶち抜いて大手を
振って五号機のパイロットになれるように、シンクロ率あげるのに手を貸して」
 レイはぎくりとした。葛城ミサトが、チルドレンが心を通わせていることに気付いてい
るのではないかと思ったのだ。
 「せやな」トウジがぼそりと口を開いた。「この三人とちごうてワシはまだエヴァを起動
さした経験が一度しかあらへん。ワシのシンクロ率もエヴァ起動さすのがやっとやが、初
めてシンクロ試験受けたときから比べれば雲泥の差や。そのへんの知識は役に立つかもし
れん」
 「心を開けばエヴァは応えてくれる」レイは言った。「その方法は難しいけれど…説明し
てみる」
 「アタシ努力してるのよこれでも。シンクロ率落とさないようにするためにね。そのへ
んのテクはどーんと公開しちゃうわ、ヒカリのためなら」
 「あの…何ができるかわからないけど、知りたいことがあったらなんでも聞いてよ、何
とかするから」
 ヒカリは四人の言葉に何度も何度もうなずいた。「ありがとう、本当にありがとうね」
 葛城ミサトは満足げにうなずいた。「ううむ、それでこそチルドレンよ、嬉しいわ」そし
て「じゃあ今日はこれで解散、といっても洞木さんにはちょっち残ってもらって説明とか
するから。シンクロ試験用の設備は明日までに準備するので、明日の放課後から全員でシ
ンクロ試験再開よ。じゃあねえ」
 「あ、その前に…一つ聞いていいですか」シンジが言った。
 「なあに」
 「エヴァ、全部で何機になるんでしょう」
 葛城ミサトの表情が変った。口を結び視線を落とした。一瞬の沈黙の後、葛城ミサトは
言った。「本当言って、私も知らないんだ…知っていることは二つ。エヴァは、使徒が侵攻
してくるかぎり建造され続けるだろうということ、そして、六号機の建造は、七号機共々
中国で予定されているけれど、まだ始まっていないこと」葛城ミサトはあごを上げた。「以
上です」
 「ありがとうございました」シンジはいつもの口調で答え、四人は部屋を後にした。シ
ンジは閉じようとする扉に向かって振り向いた。「ミサトさん」
 「なあに、まだ何かあるのかしら」
 「今夜は食事、どうします」
 「ああ…洞木さんとの打ち合わせ、補給部との折衝、シンクロ試験用設備の進捗状況、
書類の整理、リツコとの打ち合わせ…今夜はもどらないことにするわ、早くて始発の頃ね。
そうすればシンクロ試験が始まるまで少し寝られるから」
 「分かりました」
 「委員長までチルドレンの仲間入りか、参ったな」廊下をエレベータに向かって歩きな
がらトウジはつぶやいた。
 「いっしょに過ごせる時間が増えるじゃない」アスカは屈託がなかった。「公務でさ」
 「しかしワシらチルドレンや」
 「何バカなこと言ってるのよ」トウジが言外にこめた意味をアスカはわざと誤解してど
なった。「チルドレンが幸福を求めることのどこがいけないというの、チルドレンだって
人間よっ」
 当然のことだとレイは思った。チルドレンの心は互いに通い合っていること、通い合う
ためにはセックスでの絶頂感を経験しなければならないこと、その帰結としてチルドレン
全員は性体験を持つことのすべてが全員の共有する最高機密なのだから。これらの
信じがたい事実が少しでも漏れれば、特務機関ネルフはその活動目的をひとつ増やす
ことになる。チルドレンの持つ特異能力の解明だ。チルドレンとして処遇されている
だけで、アスカやシンジやトウジが実生活にどれほどの障害を受けているかレイは
よく分かっていた。エヴァを操作するための訓練、シンクロ試験、そして使徒との戦い。
その上に超能力の解明に協力するのはもはや四人にとって耐えがたいものだった。
 だからアスカは話題をそらしたのだ、とレイは思った。総本部内では、チルドレンの
会話はすべて録音されていることをレイは知っていた。
 エレベータの扉が開き、四人は乗り込んだ。今は四人のほかには誰も乗っていなかった。
 「民間人のままの方がまだええ…」トウジは低い声で続けた。「待避壕に避難しとれば
ええし、いざとなれば疎開もできる。せやけど、パイロットになったら戦わならん、
何がなんでもな、エヴァに乗らなあかんのや」
 「あったりまえじゃないそんなこと」アスカは言った。「アタシ達だけしかできないこと
なのよ、使徒を倒すのは」
 「それや」トウジはアスカに振り向いた。「もしも委員長の機体がよう動けんように
なって使徒の人質に取られ、ワシが手ぇ出さへんかったら委員長は助けたる言われたら
どないすねん」
 「あ…あんた、ヴァカぁ?」アスカは言葉を続けられなかった。
 「そういう事態になったら、もしも僕が人質に取られたら、迷わず撃ってよ」シンジが
言った。「立場が逆なら僕はそうするから…誰だろうと、そうせざるを得ないから」
 「分かった」レイは言った。「私も撃つ。使徒を倒すのがチルドレンの使命。
使命は完遂するためにあるのだから」
 「アタシはそんな無様なことにはならないと保証するわ、お互いにね」
 「全くや。そないなこと、実際考えとうもないわ」トウジは考え込むように言った。
「それにしても、どないやろ、愛する者ひとりの命と全人類の命、引き換えにしても
ええと思う奴などおるんやろうか」
 四人は地上に出た。夕闇が広がり太陽は西の山陰に姿を消そうとしていた。
セミの物悲しげな泣き声が四人を包んだ。
 「それで」とアスカはトウジの前に立ちはだかった。「決めたんでしょ」
 トウジはうなずいた。「筋書はどないすればええんかいな」
 「ううんとロマンチックにね、公園とか、映画とか、遊園地とかいくらでも
あるじゃない」
 「とりあえず告ったら、ふたりで結果報告に来るのよ、アタシ達みんなで
待ってるからね」アスカはトウジに念を押した。
 「わかっとるわい、ワシはここに残る。ミサトさんのマンションでええねんな」
 「そうだ、そしたらみんなで勉強会しましょ、シンクロ試験数字向上の勉強会よっ」
 「勉強会か、勉教もたまにはええな」
 「じゃ、先に行ってるから」シンジは手を振った。
 トウジを残して三人は軌道車両の駅に向かった。
 しばらくするとヒカリは一人で総本部の通用門を出てくるだろう。そして、トウジは
ヒカリに何というつもりなのだろうとレイは思った。
 歩きながら考えたがレイには想像がつかなかった。
 「愛の告白って、どう言うのかしら」レイは口に出してみた。
 「ich liebe Dich. 好きです、愛してます」
 「面と向かって、言えばいいの」
 「はんっ、さすがファーストね」アスカはレイに向かって空いた左手をひらひらさせた。
「ティーピーオーってものがあるのよ、時と、場所と、やり方ってのがあるの。アンタが
そういう台詞口走ったって、その能面みたいな表情じゃあみんな本気にするどころか
怖がって逃げ出すのが関の山ってもんよ」
 レイは返事をしなかった。本当はどうやったらいいのか聞きたかった。しかし
その対象が碇シンジなのだからアスカの気がおさまるはずがない。わざと訊ねて一波乱
という線も選択肢の一つだったが、シンジの言うチームワークを優先することに
したのだった。
 「いろんなやり方があるよ」シンジがとりなした。「こうすれば間違いないっていう
やり方もない」
 アスカの思念がわり込んだ。「あのパカのやりかたでも参考にしたらどうお」
 「自分らもまた遠慮のないやっちゃなあ」トウジの思念が答えた。「ええか、茶々入れて
ワシの気ぃみだしたりせえへんのやで」
 「ありがとう」レイはトウジの好意が嬉しかった。
 今、トウジは黒のジャージを着てカバンを肩にかけ、総本部の通用門を見通せる
ガードレールに腰をのせていた。
 ヒカリが通用門をくぐる。一人だった。第壱中学校の制服をきれいに着こなし、
白い靴下と磨き上げた黒い靴が目に痛かった。ヒカリは通用門を出た所で立ち止まり、
何気なくあたりを見回してトウジに気づいた。
 「待っとったで」トウジは声をかけた。「話しがあってな」
 「鈴原君」ヒカリはトウジに向かって歩み寄った。色白の肌が赤味をおびはじめたのが
分かった。「何なの、話しって」
 「まずはこれからミサトさんのマンション行ってな、勉強会や。みんなそこで待っとる」
 「勉強会って、何を」
 「シンクロ率や」
 二人は軌道車両の駅に向かって歩きはじめた。
 「ところで話しは変わるがな」
 「なに」
 「弁当や。明日からも期待してええのんか」
 うつむいて歩いていたヒカリが顔をあげてトウジを見た。「ええ」
 「そら、嬉しいな」
 「私も…作りがいがあるわ」
 「ずっと作ってくれるんか」
 「ええ」
 「こういう御時勢ですまんと思うとる」
 「鈴原君?」
 「セカンドインパクトとかなくて、使徒とか侵攻して来へんような、平和な世の中
やったらワシらもっとこう、ゆっくりと話しを進められたんやがなあ」
 「一体何の話しなの」
 二人は前後して改札をくぐり、プラットフォームに進んだ。
 「もうネルフ謹製の定期券もろたんか」
 ヒカリはうなずいた。「これ便利ね」
 軌道車両はすぐに入線したが、そろそろ夕方の混雑が始まっていた。
 二人は並んで立ち、両側や後ろの乗客と肩や背中をぶつけあった。
 「せやけど現実としてワシらパイロットになってしもうた、これはどうしようもない
ことや」
 「ええ…私、恐い」
 「ワシもや。参号機乗っとられたときはもうアカンと思うた」
 「あれは…そういうことだったの」
 「もう話してもええやろ」トウジはそこで言葉を切った。「後でな。ここは人が多すぎる」
 「ええ」
 軌道車両は次の駅にはいり、ひとしきり客の乗降があって車内はいっそう混雑した。
 二人は両側から押されて肩と肩を触れ合わせた。
 トウジは、ヒカリのいったんはおさまっていた赤面がまた現れるのを見た。
 ヒカリは黙ってうつむいていた。白いうなじの肌が薄く赤味をおびた。
 トウジは所在なさげに視線を流れ去る風景に向け、それでもとなりに立つヒカリを意識
してか全身を緊張させていた。
 軌道車両はさらに次の駅にはいった。
 「あと、ひとつやな」トウジは言った。
 「ええ」
 ここでは乗客よりも降客のほうが多く、車内の混雑はほとんどなくなったが二人は肩を
離さなかった。
 二人はだまって次の駅で降りた。
 公園、まわろうか」トウジは言った。やや遠まわりになるがそれでも十分も歩く
くらいの距離だった。
 ヒカリは黙ってうなずいた。
 夜の帳がゆっくりとふたりを包みはじめた。外灯がぼんやりした光を投げかけ、二人の
周囲にいくつもの淡い影を作った。
 「ワシらパイロットや、使徒と戦うためのパイロットや。いつ終わりが来るかわからん
人生になってしもた」
 「いいえ、私達きっと最後まで生きているわ…そう信じてるから」
 トウジはうなずいた。「しかしそれは結果や。確かに人間みなかならず死ぬ。ワシらの
場合それまでの時間が少々短かなる可能性が上がったちうことや。時間が限られとる、
そういう気持ちで生きなあかん、残念なことやが」
 「そうね、その通りね」
 「せやからワシは先を急がならん、すまんなあ」
 「どうしてあやまるの、私それがわからないわ」
 「男と女の好いた惚れたは一晩で成就するようなもんやない。きっかけはそら
一瞬かも知れへんが、それがホンマもんかどうかはじっくり時間をかけてお互いの
気持ちを確認せならん、そういうもんとちがうか。せやけどワシら、その時間がないんや、
なんもかもいったん始めたら最後まで進めておかんならん…後に悔いを残さんためにな」
 「ええ、そう思うわ。やっと鈴原君の言っていることが分かってきたみたい」
 「トウジや、ワシも自分のことヒカリと呼ばせてもらう。なあヒカリ、ワシはヒカリが
毎日弁当作ってくれるとまで言うてくれてるのにその好意に気ぃもつかんような鈍感な
男や、せやけどヒカリのこと大事に思う気持ちは世界中の誰にも負けん」
 「す…トウジ…私、うれしい」
 「ヒカリ、好きや」
 「トウジ、私も」
 ヒカリはトウジを見上げ、黙って目を閉じた。
 セミの声がいっそう大きく響き、指揮者でもいるかのように一斉に鳴き止んだ。





+続く+




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