Track 15. 『ステイ』ヴィクトリア
目が覚めると僕は真っ白な部屋にいた。ずっと暗闇の中にいたせいなのだろうか、まぶしさで目を開けていられない。
やがて落ち着いてくるとそこが病室であると分かった。仕切られたカーテン、ベッド、棚に載った花瓶、それらのすべてがここが入院患者のための病室だと言っていた。
僕は昨夜、ユイたちと遊んでいてそのまま寝たはずだ。
ユイたちが使いたいと言っていたアロマを三人で飲み、それから乱交に耽っていたはずなのだが途中から記憶がない。また眠剤で記憶を飛ばしてしまったのだろうか?
身体を起こし、隣のベッドを見てみるが、どこにも、この部屋のどこにもユイの姿もマナの姿もない。
何が起こった、と考えていたとき、僕はあることに気づいた。自分の身体が小さく軽くなっているのだ。まるで子供のように、軽やかに動くことができる。
僕が部屋の中を歩き回っていると白衣を着たナースが入ってきて、ベッドに戻りなさいと僕に言った。
「あの、すみませんがここはいったいどこなのでしょうか?どうして僕はここに寝ていたのでしょうか?」
自分でしゃべって驚いた。声が若くなっている。いや、子供の声になってしまっている。僕はこれが夢なのではないかと思っていた。夢だ、夢であるほかない。僕は38歳の立派な中年男だ。それがどうしてこんなに華奢な身体になり、声も子供になってしまっている?僕はとうとう狂ってしまったのか?自分の身体さえが自分のものでない気がする、どうしてだ、僕は碇シンジではないのか?
暴れだしたい衝動が湧き出て、僕は病室のドアを蹴破って外に出ようとした。その瞬間ドアが開き、僕はやわらかいものにぶつかっていた。
抱きしめられる、暖かな感触が伝わる。
「シンちゃん、だいじょうぶ!?」
声は紛れもない、彼女のものだった。忘れることのない、あの懐かしい声。僕を初めて家族と認めてくれてた人。あの最期のとき、僕を守るために命を投げ出したあの人。
「ミ…サトさん…?」
僕は自分の目頭が熱くっていのを堪えられなかった。泣き虫、そんなんじゃない。
もう会えないはずだったあの人に今、再会できていた。
「シンジ君、もう大丈夫、大丈夫だから…」
ミサトさんは僕をきつく抱きしめていた。今までは女の身体といえば僕よりずっとずっと小さく華奢なものだったが、僕の小さくなった子供の身体はミサトさんにしっかりと力強く包み込まれていた。
僕は嗚咽していた。
ナースが気まずそうに、乱れたベッドのシーツを直している。
ようやく落ち着いてから話しを聞くと、僕はアスカがどこからか持ち込んだ合成幻覚剤をオーバードーズしてしまいNERVの病院にかつぎ込まれたということだった。当のアスカは使徒の精神攻撃を食らってすっかりふさぎこみ、生活は荒んでいるという。そんな中で知り合った仲間から手に入れたドラッグを、どういう話の流れでそうなったのかはわからないが僕も服用してしまったということらしい。僕の体重がもう5キロ少なかったら死んでいただろう、というのはアスカの弁だ。
とりあえず意識を取り戻した僕は退院し、パニック発作が起きた時のために抗精神薬を処方された。
こうなる前──2039年の頃──はいつも飲んでいたので効用は分かっている。
病院から自宅、コンフォート17へ戻るまでの道のりはよく見知った景色で、夕日を浴びた芦ノ湖がかつての輝きのまま佇んでいた。すべて、空気も風も水も、なにもかもがあの頃と同じだ。既視感などでは決してない。なぜなら今は過去で、僕が覚えているのは未来だから。
僕はいわゆる、サイエンス・ファンタジーでいうところのタイムスリップをしてしまったのだろうか?周りの誰に聞いても今は2016年であると答えていた。彼らが皆、口裏を合わせているというのは考えにくい。それに、現に僕の身体は14歳の頃に戻ってしまっている。筋肉もなければむだ毛もない、滑らかな少年の肌だ。年取った身体のまま戻ってきてしまったというわけではない。
少なくとも、僕が記憶している使徒戦役の間にはこんな話はなかったはずだ。ましてやアスカが危険な世界へ足を踏み入れたなどということはあるはずはない。第拾五使徒によって精神攻撃を受けたアスカは引きこもりとなり、洞木の家に毎晩のように入り浸っていた。ミサトさんによれば今のアスカは第3新東京市や新横須賀市で夜遊びを繰り返しているそうだ。シンクロ率こそそれまでのレベルをキープしているものの、依然として予断を許さない状態だという。
僕はまず状況を整理することから始めた。
自分でもこれほど冷静になれたのは意外ではあると思う。
しかし、まったく知らない場所に飛ばされたのではなくミサトさんやリツコさんなど見知った人々がいるというのは安心できる材料のひとつだった。
まず現在は西暦2016年の7月20日。僕の記憶が正しければ翌日が第拾六使徒の襲来、すなわち零号機の自爆だ。これによって綾波レイは死亡し、3人目の肉体がターミナルドグマより引き上げられている。
初号機はいまだ凍結中だ。しかしこれは使徒との戦闘中に解除される。
弐号機はアスカの問題によりもはや戦力としては期待できない。
これくらいだ、僕が覚えていることは。
はっきり言って役に立つ記憶などない。ましてや運命の日が翌日に迫っているというような状態では、何か手を打つといったことも出来ない。
実際の、使徒との戦闘にすべてをかけるしかないのだ。
僕はすぐさま綾波の部屋へ向かった。
綾波は部屋にいた。その姿を見た瞬間、僕は立ちすくみ涙をこぼしてしまった。青いシャギーの髪、血色の鮮やかな赤い瞳。白く澄んだ肌、すべて、すべて同じだ。身に着けている第壱中学校の制服がどうしようもなく懐かしい。
綾波、綾波レイ。
会いたかった、ずっと会いたかった。
僕は立ちすくんだままそう言った。自分の状態がどうなっているかまでには気が回らない、たぶん、顔を真っ赤に泣きはらしているだろう。
「どうしたの」
困ったような顔で綾波が訊いた。僕は何も言わず彼女を抱きしめていた。24年だ。24年間思い続けていた彼女が今、甦った。何もいらない、他に何もいらない。ただ綾波、君さえがいてくれればいい。
「放してくれる」
むずがゆそうに綾波が身体をゆすっている。小さな、小さな身体だ。細く、今にも崩れ落ちそう儚げな身体。綾波レイ。僕はユイを抱いたときの感覚を思い出していた。そうだ、弱いんだ。子供というのはこれほどまでに弱くもろく儚いのだ。
僕はしばらくそうやって綾波の身体を抱きしめ続け、やがて嗚咽を収めてからゆっくりと離れた。
「ごめん、ちょっと取り乱しちゃった」
綾波は頬を染め、それでも何を言ったらいいのか困ったような顔で僕を見ている。
「僕のことは聞いたの?」
「ええ…セカンドから聞いたわ。薬のせいで倒れてしまったと」
「そうか…」
僕は部屋のベッドに腰を下ろし、ゆっくりとため息を吐いた。綾波は僕の前にじっと立っている。
「なぜ…」
「ん?」
「なぜ、私の部屋に来たの?」
「なぜって、来たいと思ったから」
綾波に一番に会いたかったんだ、
僕は何も迷うことなくそう言ってしまったことに気づいて顔を紅くした。僕はもともと、それほど他人に対して好意を露にしたりなどはしていなかった。もちろん綾波にも、この時点ではそんな風にして思いを伝えたりなどしていたことはなかったはずだった。
「あなたがあなたじゃない気がする」
「え?」
「今までの碇くんとは違う気がするの」
鋭いな、
僕はある種の諦観を覚えていた。僕が本当に時間逆行者だというなら、それは今までの僕と当然入れ替わってしまっている。だから周囲の人間にとっては違和感が生まれるだろう。今までの僕はどこへ行った?魂だけが戻ってきたとでも言うのだろうか。肉体はひとつだ。魂だってもちろんひとつだ。記憶は後から後から、上書きされること無く積み重ねられていく。僕はこれから起こる出来事だけでなく、これより前の出来事も覚えている。時間は前後して、僕はその中を泳いでいるんだ。僕はこれより前の出来事を知っているし、これから起きる出来事も知っている。僕が生まれてからの出来事、僕が時を遡るよりも前の現在、すなわち2016年、この現在の記憶だってもちろんある。ビルの屋上で座り込み、回収される弐号機を力なく見つめていたアスカの姿を覚えている。
あるいはつまり、時間逆行と未来の記憶を手に入れることには実質的な違いはないのではないかという考えだ。逆行も、戻ってきた時点での未来の記憶を手に入れていることに変わりはないから、たとえばある時点でそれから1年先までの記憶を手に入れてしまったなら、それは1年先から逆行してきたのと同じだというわけだ。
「そうかもしれないよ」
答えてから、綾波が淹れてくれた紅茶を一口飲む。
「ねえ綾波」
「なに」
「もし今度使徒と戦うときが来たら…僕のことは考えなくていい、ただ使徒を倒すことだけを考えてほしい」
「わかったわ」
綾波は静かにそう答えた。
僕の覚えている第拾六使徒戦では、初号機への侵食を試みた使徒を止めるために綾波は零号機を自爆させた。
プラグごとその時点で脱出させれば、融合していたATフィールドを失った使徒は崩れ消滅してしまう。僕はそう考えていた。
その考えが甘かったことを、翌日の使徒戦は証明した。
出撃した零号機に使徒が襲い掛かり、侵食を試みる。使徒の触手が零号機に絡みつく。僕は叫んで、初号機を突進させていた。使徒の光る尾がしなり、鋭く初号機に向かってくる。僕はパレットライフルの銃身をぶつけて使徒を無理やり追い払った。
ごめんなさい、そんな綾波の声が聞こえた気がした。
「綾波!!」
僕の目の前で、球状のATフィールドに包まれた零号機が爆発した。割れて砕け散る装甲版が内向きのATフィールドに弾かれ、ちぎれた骨や肉が地面を抉っていた。
目標、消滅。
青葉さんの声が通信から聞こえた。
もう終わってしまった。
僕の激しい落胆と共に、意識が落ちていく。
だめだ。
SF物語なんかじゃ、うまいこと記憶を生かして有用な戦術を編み出し、それによって有利に事を進められたりなどするが、現実はそうはいかなかった。
あの使徒を倒すには自爆しかない。
ライフルもナイフも効かない相手は、自分と融合させた時点で自爆させるしか倒す方法がない。
アスカを襲ったあの第拾五使徒にしてもだ。
あれを倒すにはロンギヌスの槍が必要だった。地上から打ち上げるエネルギーではATフィールドを破る事ができない。
すべての使徒はシナリオのために存在する。書かれたシナリオをもとに使徒が生まれていると思わせるほどにだ。
じゃあ、この後やってくるはずの第拾七使徒はどうやって倒せばいい?やはり以前と同じように、僕が初号機で握り潰すしかないのだろうか。地下にあるのはリリスだ、彼が、タブリスが求めているアダムとは違う。
結局、誰がどうあがこうが決められた歴史は変えられない。
そんな事を思いながらプラグの中で気を失う。
目が覚めても、僕はまだ2016年の夏にいた。
病院で包帯を巻いた綾波に会った。三人目の彼女だ。詳しいことは訊かずにやりすごした。その反応がミサトさんには意外だったようだ。リツコさんは仕事が忙しいらしくあれから一度も顔を合わせていない。
それ以外はまったく以前と変わることなく、ミサトさんもリツコさんも行方をくらましてしまった。
アスカは相変わらず、洞木の家に寝泊りしている。
みんなばらばらだ。
僕は自分の部屋のベッドに大の字になり、自分の無力さを実感していた。
誰にもつなぎとめる事はできない、そう僕の中の誰かが言っていた。それを最後に、2016年での僕の記憶は途絶えた。
何度目かに見た夢の中で、僕はまた2039年に戻っていた。
夢と現実の境目に共通点は見出せない。僕は自分の家のベッドの上で、ユイとマナに腕枕をしていた。
目を覚ますと彼女たちは艶っぽく僕に絡み、僕は微笑みながら彼女たちを愛撫した。彼女たちを寮まで送り、僕はその足で会社のオフィスへと向かった。仕上げた原稿のチェックと提出をしなければいけない。
スタジオ内で出会ったUVの二人と飲みに行き、僕は夢の中で見た昔の記憶を話した。武藤が心配そうに僕を見ていて、僕は大丈夫だよ、と言った。
「マヒロちゃんはそんなふうに昔の夢を見る事はあるかい?」
「いえ私はとくにはないですよ」
そうか、と僕は焼き鳥をつまんだ。
「でも、お義姉ちゃんはなんかそういうのあるって言ってなかったっけ?」
「そうなのかい」
「ああ、だが今ではもう慣れたよ、私はテレビゲームによくあるような魔法の世界にいてそこで戦士をやっているんだ、人間を改造したモンスターを相手に戦うのだ。しかも不思議なことにな、そこではカズキが私の助けた後輩なのだ」
武藤も津村もサードインパクト以後の生まれだ。ユイたちのように不思議な夢を見てもおかしくないのだろう、と思う。
「そういえば去年の今頃だっけ、大阪オートメッセで歌ったの」
思い出したように武藤が言った。
僕と津村も頷く。
ちょうど僕の調子もいちばん上向いていて、ステージで二人と一緒に演奏した。曲目はヴィクトリア『ステイ』をはじめ、デイヴ・ロジャース『ブン・ブン・ジャパン』、メガ・エナジー・マン『ゲット・ミー・パワー』など、レース系のユーロビートを歌った。
このイベントでUVの知名度も上がり、当初はアニメのタイアップ曲でデビューした事もありあくまでもマニアックなユニットと思われていたのが一躍メジャーへとのし上がったといったところだ。
「社長も無理しないでくださいね、身体が資本ですから」
武藤の気遣いに僕はありがとう、と言って別れた。
僕は自分が何をすべきかを忘れかけていた。
新しい曲を作る作業、これは大方片付いている。
そしてもうひとつ、ユイたちの夢の正体だ。これは時田氏の調査隊に同行する。
この二つだけのはずだ。
僕はこのひと時の過去の記憶が、これから起こる未来を暗示しているような気がしていた。歴史を変える事などできはしない、しかし自分の意思とは異なるところで歴史は変わり動いている。アスカの例がそうだ。夢の中で見た過去の記憶は、僕の記憶と異なっていた。アスカは夜の街を遊び歩いたりなどしなかったし、ただ洞木の家に入り浸っていただけで特に何をしたというわけでもない。
僕は夢を見ていた?
夢の中ではしばしば、現実と異なることが起きる。
僕が僕自身の記憶を誰かに投影していたのだろうか?サードインパクト直後の頃、荒れた生活を送っていた僕の記憶が、僕のイメージの中でアスカに投影されていたのだろうか?だからアスカがあんなことになっていた。荒れていた僕の、自分の鏡にアスカはなっていたのだろうか?アスカは夜の街を渡り歩き、危険な世界に足を踏み入れていた。それは僕自身がかつてやってきたことだ。僕がかつてそうしていたように、今度はアスカが僕と同じ道をたどろうしているのだろうか?アスカがどんな記憶を持っているのかは僕には確かめるすべがない。彼女自身が語ったところでそれに意味があるわけではない。仮にアスカが僕と同じ立場に立たされたならどうするだろうか?僕が手に入れたブツに興味本位で手をつけてしまい、僕と同じように病院で目を覚ますだろうか?
夢は過去と同時に未来も見せてくれる。デジャ・ヴ、既視感がそれにあたる。僕は僕の記憶というものが、僕自身の思い出の集合でしかないのだと思っていた。事実は別にあり、記憶はあくまでも個人が固有に持っているものだと思う。
だからだ、僕の中の僕自身の記憶がアスカに投影されていたんだ。
記憶なんてものは信用できない、ただ事実はそこにあるだけだから。
それから1ヶ月ほどが経って、僕とアスカは正式に離婚することになった。娘であるミライはアスカが引き取ることになった。
僕が住んでいた別荘は会社名義だったために取られることもなく、それぞれが固有に持っていたものだけで家も財産ももすべてが残った。僕たちはただ書類にサインをするだけで手続きが終わった。
これでもう、僕とアスカは他人だ。ミライにも会うことはできず、向こうが電話してきたときだけ話すことができる。会うことにさえも了解の書類が必要だ。
ミライからは一度だけ電話が来た。
僕は自分がいかに酷い事をしてしまったのかと今更のように思い知らされ、泣きそうになったが必死でそれを堪えた。こんなところで泣いてしまっては俺は本当にクズ人間だ。
心配するミライに僕は大丈夫だから、と繰り返した。
「お母さんの言う事をちゃんと聞いていい子にしてるんだよ」
「うん」
ミライの受け答えは思っていた以上にしっかりとしていて、僕はある種の驚きと安堵を味わっていた。同時に、まだ10歳にしかならない少女にこんな事をしてしまった自分の愚かさを噛みしめていた。
「あのね、お母さんが言ってたの。お父さんは自分が小さい頃からの夢を追いかけるから、だからひとりになったんだって。周りのみんなに迷惑をかけたくないから一人になったんだって」
「そうか、そうだね、うん、僕は自分のやりたい事を見つけたんだ」
小さい頃からの夢というのは綾波にもう一度会うことだ。そのために僕は一条ユイという少女の真実をつかみ、自分のものにしなければならない。
だからと言って周囲の人間に迷惑をかけるのは何かが違うと僕の中のポリシーが邪魔をしていた。本当にやりたいことがあるなら、利用できるものは須らく利用しつくすべきだと、そう思ってはいてもだ、やはり誰かが、ましてや家族がいやな顔、苦しむ姿を見るのはつらいことだ。つらいと思ってもやらなければいけない、それが夢を追うってことなんだ。僕はその覚悟を決めたはずだ、だから今こうして独身に戻ってきたんだ。
「もしミライも何か将来自分のやりたいことができたとしよう、そしたら必ず考えるんだ、自分が何かをすることで絶対周りのみんなに影響が出る、それを考えるんだ。そしてそれでもやりたいとなったら迷わず進んでいけばいい」
「お父さんが作った曲はいつも聞いてるよ、学校のみんなも大好きだって言ってるよ」
「うん、ありがとう」
「カードの残りがもうすぐなくなるよ」
「公衆電話からなのかい?」
「うん、家の電話だとお母さんがうるさいから」
「ごめんな、ミライ」
俺に謝る資格があるのか。だけど言わずにはいられなかった。
「もう時間がないから、それじゃ、バイバイ」
「ああミライもな、元気で」
電話が切れ、かすかな電子音がうつろに聞こえてくる。
僕はこれで、ユイたちと何をしようが自由だ。
笑ったりなどはできない、アスカと別れてせいせいしたなどとは思ってはいけない。僕はこれで本当に一人ぼっちになってしまったんだ。ユイ?彼女にだって付き合っている子はいる、援助交際だけれど、それでも上客のような男だっているはずだ。
誰か助けてほしい、
そう空に向かって僕は呟いていた。
できればもう誰にも会いたくない。一人にさせてほしい。
ユイたちとの自堕落な暮らしが思い浮かんだ。若い頃、少年時代、そうやって女の部屋で遊び暮らしていた日々の思い出が蘇る。またあの頃に戻るのか?爛れた生活を送る、またそこに戻っていくのか?それも悪くないかもしれない。
ユイやマナは僕にとって何なのだろう、愛した人の面影を残した、代わりの人形?そんなことはないはずだ。そうだとするなら、今度こそ僕は父さんと同じ事を繰り返しているに過ぎないということになってしまう。
僕はパラレルワールドに迷い込んでしまったのだろうか?
空は雨模様で、時おり雷鳴が轟いていた。
夏の嵐がすぐそこに迫っている、僕は急いで駐車場に向かうとS2000に乗り込んだ。どこへ行くでもない、行く当てもない。
当てもなくS2000を走らせる、時間だけは無常に過ぎていき、燃料計の針は下がっていく。距離計の目盛りが陰鬱に上昇していく。
目の前に稲妻が激しく光ったときに僕はまた意識を失っていた。
+続く+
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