Track 8. 『クレイジー・フォー・ラヴ』ダスティ





 僕はリビングのソファに横になって目をつぶり、アスカが冷蔵庫を開けてグレープフルーツジュースの缶を取り出す音がコンプレッサーの音に混じって聞こえていた。コップに移したジュースがテーブルの上に置かれ、僕は這いずるように起き上がって一口飲む。冷たさと酸味が意識を引き起こしてくれる。

 アスカは何も言わずに缶の残りを飲み干し、僕の隣に座った。

 しばらくそのまま、やがて僕が膝の上に手を出すとアスカは同じように手のひらを重ねてきた。

「来週だっけ?あいつら帰ってくるの」

 酔いの残る頭が記憶を引き出すのには時間がかかる、トウジたちのバンド、ザドアーイントゥサマーのツアー最終日を思い出して僕はああ、と答えた。

「すぐ打ち上げのパーティーあるからな、君も来るか?」

「ミライが行きたいとか言い出してんのよ、さすがに小学生連れてくのはねえ」

 別にいかがわしい集まりじゃないんだ、構わないさと僕はまたグレープフルーツジュースに口をつけた。果実パルプが舌の上で転がり、口の中に果物の余韻を残している。パーティー会場に予定しているパブの名前を思い出し、あそこは別に普通の飲食店だから大丈夫だろう、と確かめる。第2東京市内にはマヤさんの所有する店が十数軒あるがそのうちのひとつだ。

「あなたに会いたいんでしょうよ」

 アスカの言葉に僕は黙り込んでしまった。なんだかんだでミライはまだ子供だ、アイドルに会って友達に自慢したいとか、そんなことを考える年頃にはもう数年早い。僕に会える貴重なチャンスだと思っているんだろう。父親不在の家庭を作ってしまった責任は僕にある、アスカ一人ではどうしても手の届かない領域ってものがあるのだ、僕が父さんに対して抱いていたように、またアスカが継母に対して同じように、同性の親への反抗心そして思慕、異性の親へのしがらみ、それはかけがえの無いものなのだ。
 そういえばトウジたちは、と連想し、途中からつぶやきになって口に出す。

「イインチョんちも来るな、アズサちゃんもたしかもう高校生になったんだっけ」

 家族連中つれてくるのは僕たちだけじゃないからいいだろ、と付け加える。トウジとヒカリの娘、洞木アズサに最近会ったのは自室のシステムに導入しようと新型のエフェクターモジュールを買いに洞木楽器店に立ち寄った時だったか、おろしたての制服のミニスカートをはためかせながら、新しい彼氏ができたとか嬉しそうに話していた。お母さんったらほんとに頑固で困るのよ、高校生なんだから経験の一つや二つくらい、覚えてるのはそんな軽い愚痴だけだ。彼女のそんな性格もあってか、コダマ伯母さんにはよく懐いていたようだった。

 そう考えると尚更に、ユイと僕との間には相応の隔たりがあるのだということを実感する。

 ユイは多くの男たちを知り、もちろん僕より歳のいった男を相手にした事もあるだろう、そんなさまざまな人間に触れ、他の同年代の子たちよりは多くの世の中を見ている、だがあくまでも彼女たちは14歳の少女であり、周囲もそのように接している、それはマヤさんやジュンヤであっても同じだ。僕やアスカ、ヒカリ、トウジは家庭を持ち社会的地位もあり、いわゆる大人、成人だ。それは年齢といったひとつだけの基準では表せない違いがある。
 僕が会社を立ち上げたばかりの頃、当時付き合っていた中でいちばん年下だったカナコという女がいた、名字はヤナギハラかヤギハラのどちらかだったと思う。彼女は年頃に大人ぶって背伸びしてはいたけれども心の底ではわがままな子供で、しょっちゅう僕に無理を言ってはそのたびに泣いていた。僕が忙しくなってあまり会えなくなったということもあるのだが、自分だけを見ていてくれと自棄になって身体を投げ出してきたり、もともと淫乱というほどではなかったのだがとにかく身体の繋がりをがむしゃらに求めてくる子だった、僕を追い求めるあまり学校も疎かにし、たまに僕がそれを嗜めると嫌われたと思ってまた泣き出してしまう。手に負えない、と思いかけた事もあったのだが、思い返してみれば彼女は僕にそばにいてほしいと、つまりは身も心まで自分と同じところまで戻ってきてくれと願っていたのだ。冗談じゃない、君ぐらいの年頃なら恋人だけが世界のすべてみたいに思えるのはわかる、わかるが俺はそうじゃない、君とは10年間もの人生の差がある、それは絶対に縮めることなんて出来ないんだ、君が今の俺と同じ歳になったって、その時には俺も同じように先へ行ってしまっているんだから、細かいところは忘れたがだいたいそんな意味のことを言った。
 今の僕とユイとでは、その頃よりもさらに大きな差がある。だがどうしてだろう、僕は自分が何年も前から立ち止まり、同じところをぐるぐる回っているような気がしていた。もしかすれば本当にそのうち追い抜かれてしまうのではないか、成長できないまま僕は肉体年齢だけを重ねて衰えて死んでしまうのではないかと思うようになっていた。

 第3新東京市に暮らしエヴァパイロットとして戦いの日々を送っていた14歳の僕、手の届かない年上の恋人に涙を流した14歳のカナコ、そして旧人類を超えた精神への寄生生物を抱えながら生きる14歳のユイ、マナ。僕たちに共通するものとは何なのだろう?思春期の危うげな時期、それは人生全体からみればごくわずかな瞬間なのかもしれないけど、その中を生きる人間にとっては永遠とも思える瞬間、二度と取り戻せない次元のまほろばなのだ。

 また無力感が襲ってくる。
 僕は何もできやしない、もうすこし若かったらユイたちに僕の考えを説教する事もできただろうが、今は無理だ、僕自身が自分の考えというものを確かにできていない、頭を叩き割りたくなる。
 頭の中にぽっかりと空洞ができて、頭蓋骨の内側が風船みたいにふくらみ脳みそと神経がその空洞の奈落へ落ち込んでいく。意識はあるけれど身体との剥離が激しい、自分の目で見ている気がしない、この部屋にカメラが置いてあってそのレンズ越しに見ている、というより自分の目が自我を持たないカメラになってしまったかのように、現実感が無くなっていく、僕が居るこの部屋、この別荘は5年前に買ったものだ、当時は会社の業績も右肩上がりで現金買いすることができた、今はすこしずつ財産を整理しながら、ちょうどいい規模を調整するようにしている。この部屋に僕は居る、今は西暦2039年の5月27日で、ユイと出会ったのはいつだっただろう、2週間ほど前だ、もう5月には入っていたか。事実を、つまり僕の記憶にしまいこまれたこの世界を構成する要素をひとつずつ思い出していこうとするが、雲を掴むように、ひとつを放せばすぐに逃げて飛んでいってしまう、僕は何も手に入れられない、雲のように実体が無くてつかみとることができない、それは僕の意識、脳みそが身体の中に湧いた虚無の海に飲み込まれていく。

 手を伸ばしたって何にも届きやしない、たしかそんな能力を持つ使徒に会ったことがある、何番目のだったか。

 とりあえずもう寝るよ、と言ってソファから立ち上がった僕をアスカが追う。

「なんか言うことは無いわけ」

 その言葉で意識を引き戻され、僕の身体を蝕んでいた虚無が消えていく。
 わかってたよ、わかってたけど考えたくなかった。ともかく今は寝たいんだ、忘れていたい。忘れさせてくれるのか、ユイはそう言ってた、今は忘れて、と、だけど君は言う、思い出せと。つまりそっちが正しいってことだよな。
 だけど僕にできるか、僕は迷ってる、僕の心の中にもうユイはいるから。そして、ユイは僕の隠していた想い出も再び開けようとしている。

 振り向いて立ち止まった僕にアスカは一歩ずつ歩み寄り、そっと左手を掲げて僕の頬を撫でた。

「気持ち悪い」

 二日酔いが確実なのと、汗をかいたせいで。
 そしてあの紅い海のほとりでの出来事を、勢いよく忘れてしまっていた僕に対して。

 浜辺に横たわったアスカを放って、僕は背を向けていた。そしていつの間にかまた意識を失ってしまい、その間にアスカは一人で去っていった。捜索隊のVTOL機の窓から、浜辺に一直線に残された足跡を僕はずっと追っていた。追いついたのはそれから13年も経ってからだ。僕たちを引き合わせたのはジュンヤだ、彼と組んでアスカは仕事をしていた。それも僕と再会してからはあっさり引退し、妊娠、結婚と相成ったわけだ。
 あの頃はまだ会社の規模も小さく、僕も積極的に渉外などやっていた、しかし同棲していたアスカにほとんど毎日のようにボコボコに殴られて、身体はともかく顔の傷を隠すのに苦労したなと思い出す。

 おもむろに、アスカの肩に手を回し抱き寄せる。浮き上がるシルクの羽音に埋もれて、馬鹿、と小さく言ったのがわかった。
 腰を抱いて歩かせ寝室へ入る。ユイのDVDをしまってあるのは私室の作業机の中だから大丈夫だ、見つかりはしない。見つけられたらまずいから、あの部屋へ行かれたらまずいから、今ここで留めておけばいい、今夜中にはアスカも帰るだろうから、それまでの時間を守ればいい。

 部屋のドアを閉めるなり、アスカは僕を背中から押し倒してベッドに組み伏せた。喧嘩の腕は鈍ってないみたいだな、毛布に顔を突っ込んで軽くむせてしまう。

「すっかりやつれちゃってんじゃない、あたしに腕力で負ける?」

「ああ、残念ながらな。見てみろよ、腹もこの通り」

 寝返って仰向けになり、シャツをめくってみせる。腹筋の割れ目はかろうじて残っているが、筋肉はすっかり弱ってしまっている。酒を飲んでぐったり寝てばかりでは鈍る一方だ、すこしずつでも運動しなければいけないな、気力が続けばだが。
 アスカはそんな僕を見て肩を落とし、憐れみの微笑を浮かべた。薄い布地のドレスが肩から滑り落ち、冷たい蛍光灯の逆光に彼女の裸身が浮かび上がって僕は唇を舐めた。

「そんなんじゃあっという間にたるむわよ」

 小気味よく腹の肉を叩いて苦笑する。アスカは手をついてベッドに登り、僕を見下ろした。垂れた髪が僕の喉を撫でていく。

 わざわざ隠す事もしないが、アスカの左肩には隻眼の天使像が刺青してある。若い頃そっち方面にいたらしい。写真でしか見たことがないが、独眼龍緋炎、というチーム名だったそうだ。ジュンヤとはその界隈で知り合ったという。
 腕から胸、身体じゅうに大小おびただしい傷跡を抱え、それでも普段はまったく気に留める素振りも見せない。あたしも若い頃はさんざんワルしてねえ、そんなふうに飲みの席で語れるようになったら上等だ。再会までの13年という年月は、僕たちのわだかまりを解かすには必要十分であったと思う。

 アスカの顔がゆっくりと近づき、僕は目を閉じて受け入れた。

 ほろ苦い唾液の味、懐かしい。なかなか立ち上がらない僕にじれるように、毛布ごと抱きしめる。ざらついて起伏のある肌を手のひらと指の腹でなぞり、点から波紋を作って広がる刺激を拾い集める。何も疑問に思うことはない、当たり前の行為だろ?僕は胸の奥でそう繰り返す。
 唇の重ね目から漏れる息音を転がし、言葉を浮き上がらせる。寝返って僕が上になり、今度は僕から唇を押し付け、舌をなぞる。

「愛してる」

 穏やかに微笑む。ベッド脇の棚からローションを取り出して、指に絡めながら塗り回していく。アスカはくすぐったそうに、息を鳴らして軽く身をよじった。灯りを落とした部屋のわずかな光が、濡れた乳首の頂上に集まって星のきらめきを見せている。

 何度も、慈しむように撫であいながら僕は頭の中をアスカのことで一杯にしようとしていた。すこしでも気を逸らしてしまうとまたユイの快感に蕩けた表情がよみがえってきてしまう。幼い少女が禁忌に溺れる姿、そうさせたのは僕、しかし彼女にあの表情を作らせたのは僕だけではない、何十人という男に抱かれてよがり声を上げたことがある、ユイ。可哀想だとか、悔しいとかいう感情がまったくないわけではない、それはユイだって納得したうえでやっているはずだ、身売りされたとかいうわけではないのだし、ああいう少女たちは仕事、小遣い稼ぎとして意外なほど割り切っているものだ、だが中には黒く重い感情を抱えた娘もいる、ふとしたきっかけで隠れていた感情が噴出する、ユイもその一人だろうか?
 何度も浮き上がって飛んでいきそうになる意識を、アスカのざらついた手のひらが地上に押さえつけている。もう若い頃のようにはいかない、掲げられた左手をつかまえて僕は指先に口づけた。アスカ。アスカ。

「ママのおっぱいが恋しいんでしょ」

 笑いながら胸に手を被せる。
 授業参観とかで学校に行けば凄いだろ、ミライちゃんのお母さん美人だねって、悪ガキどもや中年教師のやらしい視線浴びまくりだろ?
 揉まれながらアスカは吹き出し、唇が艶かしく動く。

「どこの三流ポルノよ」

 僕も苦笑いし、間を取る。

「今夜会えてよかったよ。やっぱ、家族と過ごすのは大事なんだって、ずっと一人でいたら必ずどっかで参っちまうんだってな」

「過ごしててもダメな奴はいるけどね」

「俺は感謝してる、君にはほんと助けてもらったしな、疲れたときや苦しいときなんかもよく励ましてもらった。損得じゃ計れない気持ちって大事だと思うんだ、理屈で説明しようとするとわかんなくなるけど、それでいいよな」

 本当にそう思い込め、と。ユイとアスカを天秤にかけるようなことはしない、今はアスカといるべきだ、だからそのように心を騙して信じ込ませる、そこに理性を持って来てはいけない。
 まだしばらくはこっちに居るんでしょ?と訊いたアスカに申し訳ない気持ちが沸いてきて、これは僕の本心だ、僕はひれ伏すようにしてアスカの豊かな乳房の間に顔を埋めた。
 ああ、当分は、だけどできるだけは君やミライと会う機会を作れればいいと思う、今度の打ち上げの時でもいいし、夏になればミライの誕生日だしな、喋っている間も下半身に気合を入れ続けてアスカと触れ合う。考えてみれば何ヶ月ぶりなのだろう、妻との交渉をどれだけ無沙汰にしていたことか。昔はそれこそ浴びるほどにセックスを繰り返しても飽き足らなかったのが、俺も歳を取ってしまったのかと穏やかに笑う。

 やがて口数も少なくなり、それにつれて身体の睦み合いは激しくなる。次に褥を共にできる夜はいつになるかわからない、だから深く深く味わうように、アスカは僕を抱きしめている。粘つく体液を混ぜ合わせて、僕もアスカの中へ深く錨を下ろした。
 喘ぐアスカの表情、俺は最低な下衆野郎だな、愛妻を抱く時でさえ別な少女のことを考えている。
 身体じゅうに感じるアスカの匂いと温もりと、頭の中のユイの記憶、それらは水と油のように決して混じりあうことはなくしかし激しく入り乱れる。そうだ、よく考えたら俺とユイはまだ交わりが無いんだぞ?手で触ったかもしれないが、ともかくも性器を触れ合わせたわけじゃあない、だから何も無かったよな。もしかしたら悪笑がこぼれていたかもしれないが、アスカは気づいていない。
 酒の余韻に浸って気持ちのよくなった頭でユイのことを思い浮かべ、力の湧いてきた身体でアスカを抱く。なあ、俺は何をやってるんだよ?アスカ、愛してる。俺が元気になったらまた家族みんなで幸せに暮らそうな、俺は何を言ってる?あまりに抽象的過ぎて想像の翼が折れちまうぜ。おとぎ話なんかで、王子様はお姫様と、めでたしめでたしの続きが無いのはそこから先がとてもめでたくなんかないってことだからさ。わが身を振り返ればまさにその通りだろう、会社を興して儲かりだし、アスカと再会して結婚して子供も生まれて、そこで話が終わりならわかりやすいハッピーエンドだ。だが現実はどうだ?若い頃の無茶は確実に身体を蝕む、俺は鬱にかかって家庭から離れ、裏世界のしがらみなんかは振りきれるはずもなく、そして極めつけは援交少女だ。ユイ、出会ったのが俺でよかったな、出会ったのが君でよかった。ユイ、俺はこんな時でも君のことを考えてる、君は俺のことを考える時が一日のうちでどれだけあるかい?男ってのは都合よくできてる生き物だ、その場その場ですぐ女を好きになれる、身体を差し出せる、それは生物学的にも真っ当な現象だろ、でなければ子孫を残せないからな。だから俺は独りぼっちで泳ぐしかないのさ、俺は一人なんだ…

 中で果てた僕を胸に抱き、アスカはしばらくの間優しく撫で続けてくれていた。二人目欲しいの?と訊かれて、馬鹿言うな俺がこんな状態になってるってのに、言葉には涙が混じっていた。
 襲ってくる眠気に意識が沈む、沈んでいく瞬間がはっきりと知覚できる。
 境界を越えた先は夢の中だ。

 ベッドから降り、部屋のドアへ向かってノブを握る。膜を通して掴んでいるようなあやふやな感触、しかしノブはしっかりと回り、ドアは開いた。その向こうに見えたのは懐かしい、覚えている光景、あのテーブルもよく覚えている。コンフォート17。いつもならあの上にはビールの空き缶が整列していた、今夜もそうだ。廊下を渡ってダイニングに入る、振り返れば電話機の留守録ランプが点滅している。この部屋の中で動いているものはそれだけだ。誰もいない。僕だけがいる。

 ミサトさん、
 ペンペン、

 アスカ、

 声に出しても返事は無い、空気は薄く感じる。
 そうだよ僕はどうしてここにいるんだ?だってこの部屋は、いやこのマンションはとっくの昔に跡形も無く消し飛んでるじゃないか。第3新東京市は海の底だ。僕は夢を見ているのか?夢を見ているのだ、という実感が意識に上らない。意識できない。僕はビデオを見ているように、この部屋の中で歩き回れるしものに触って確かめる事もできる。
 アスカだよ、アスカは?さっきまでいっしょにいたはず。
 駆け出そうとして、ふいに自分の身体が軽く感じられることに気がついた。どうしてだ?酔いがまだ残ってるせいなのか、ここ最近の僕は身体もすっかり鈍ってしまいちょっと走っただけで息が上がるほどだった、だけど今は元気な身体を取り戻したように、あるいは身体の重量がそっくり減ってしまったかのように身軽に動くことができた。
 もう一度部屋のドアを開け放った時、僕はその理由に気づく。

 勝手に入ってこないで、

 暗がりの中から撃ち放たれた重い声が僕を叩き落とす。アスカ?声が若い、暗さに目が慣れてくるとその理由はすぐにわかった。ベッドの上で、シーツにうつ伏せて枕を抱いている女、いや少女、アスカ、かつての姿。寝癖がついて湿った赤毛が肩に絡まり、瞳は大きくつぶらに、しかし重く腫れた両の瞼が激しい憎悪と共に僕を射抜く。僕の目の前にいるアスカはまぎれもない、第3新東京市に共に暮らしていた頃の14歳の姿そのままだった。

 アスカ、と名前を口に出し、それだけしか僕は言えなかった。次の瞬間に目覚まし時計が僕の耳元をすり抜け、壁にぶつかって嫌な破壊音を撒き散らす。

 俺はいったいどうしたんだ?今頃、昔を思い出して夢を見てるのか、これはなんだ、これはなんだ、これは、だ、言葉が出ない。だけど僕が見ているものはたしかに僕の目に届いていて、見える、つまり脳が認識してる、俺には記憶がある、これから戦自が攻めてきて戦って、地下のリリスが覚醒して、サードインパクトが起き、やがて赤い海から人々が還り。これからの24年間の記憶を僕は持っている。アスカは、今ここにいるアスカは本当にあの時の彼女なのか?今がどの時点なのかはわからない、さほど重要ではない、ともかくわかるのは今の彼女は相当に機嫌が悪く荒れているということだ。
 半ば反射的に、僕はベッドの上に踏み込みアスカを押し倒していた。自分の意識と身体の手ごたえに食い違いがある、やはりこれは14歳の頃の僕の身体か、思っていた以上に華奢で非力だ。
 思いつく限りの罵りの言葉を吐き、僕の腹の下でアスカは抵抗する。抵抗されるほどに、加虐心というのか、痛めつけたい、犯したいという気持ちが這い出してくる。たとえば普段わがままを聞かされている仕返しとかそういったものじゃない、理由も無くどこからかわいてくる気持ちだ。アスカ。俺は狂っちまってるんだよ。
 胸を殴り、腕を逆に捻り、唇に噛み付く。あごを鷲掴み、頬に爪が食い込んで血が流れる。口にハンカチを押し込んで噛ませてやる、舌を噛み切られたりしたら不味いからな。その下品な鼻を折ってやろうか?僕たちの声は洋画の吹き替えのように別なところから聞こえていた。
 僕は自分の意思がある?あるかもしれないが、今僕がやっていることはなんだ?アスカを陵辱しているのは僕の意思なのだろうか。意思はある、だけど実際の行動との間に隔たりがある。身体が勝手に動いているわけではない、わけではないのに意識のギャップがある。途切れがちな思考にアスカの叫びと悲鳴が挟まり、しだいに涙声が混じり、ついには嗚咽に変わった。
 そんな彼女が愛しい。赤髪を振り乱したアスカの姿を僕はどこかで見たことがあるような気がした。
 ベッドから降りると僕はビルの屋上に立っていて、アスカは乾きかけのコンクリートの地面に小さくなって座っていた。降り続いていた雨はすっかり晴れ上がり、陽炎の向こうで同じように頭を垂れた弐号機がリニアレールで運ばれていく。
 僕は声をかけようとした。だけど僕の口は開いてはくれない。
 アスカの応えは『前回と』同じだった。

 違うのは、僕はそのままビルの屋上から身を投げたこと。

 一瞬の無重力で内臓が吸い上げられる感覚の後、僕は宙に浮かんで大地を見下ろしていた。浮いている、これはやっぱり夢だろ。空から、たぶんドキュメンタリー番組か何かで空中撮影した映像を覚えていて、そいつが夢に出てきてるんだ。雲が途切れ、見えてきた山々の姿は箱根だった。輝く芦ノ湖のほとりに第3新東京市の特徴的なビル群もある、いつだったかマナが話していたように。僕はその景色を見ている。
 どこからかユイの声が聞こえた。
 僕は夢中でその源を探る。ユイは僕を呼んでいる。僕を呼ぶ声が、想いが伝わってくる。だけどどれだけ急いてみても、ユイには手が届かない。
 僕の14歳の頃の記憶だけを元にしてこの夢は構成されている、だけどユイのことはこの時点では知らなかった、ユイに出会ったのはつい最近のことだから、ユイの声を思い出すってことは僕が2039年の現在にいるという確かな証拠だ。
 帰りたいよ、こんな夢はもうたくさんだよ。知らない街に一人で放り出されて、僕は帰らなきゃならないんだ、まずここが何処なのかを確かめてそれから交通手段を探そう。駅へ向かって駆け出したとたん、腹と頭に鈍い衝撃が走った。僕は青い巨人に首根っこを掴み上げられ、長砲身のライフルを突きつけられていた。

 綾波、

 巨人の真っ赤な一つ目が、獲物に喰らいつく肉食獣のように鋭く絞られた。巨人は躊躇い無くトリガーを引き絞り、再び僕の腹に重い一撃が加えられる。衝撃で内臓がつぶれ、僕は血反吐を散らして崩れ落ちた。僕の思いは綾波には届かないんだ。零号機が止めを刺そうと立ち上がる。腹部に大きな破口を作っている零号機はスナイパーライフルの銃口をゆっくりと僕に向けた。

 こうなることを僕は望んでいたのかもしれない、綾波に殺されるなら。

 片方の頭を初号機に突っ込み、もう片方を零号機に向けたアルミサエルはその願い虚しくスナイパーライフルの集中砲撃を浴びて砕け散った。細長い身体が導火線のように、連鎖爆発は初号機の喉元をも吹き飛ばし、紫の巨人は胸に大穴を開けて大地に膝をついた。首の肉が削げ落ちて骨と動脈が露出してしまっている。だけど大丈夫さ、コアさえ無事なら手足がもげようが首を刎ねられようが、補完計画には支障はない。パイロットが生きていられるかどうかはわからないけれど。

 初号機の素体から血液がすべて流れ出してしまうのを見届けてから、零号機はおもむろにライフルの銃口を自分の口に突っ込み、トリガーを引いた。湿った銃声だけが直接身体に響き、撃ち抜かれた零号機の頭から脳漿と血糊が噴き上がり、同時に空が白く光ってコントラストが逆転し、そこで意識が反転する。

 終わりだよ、これで、

 僕は荒い叫び声を上げてベッドから跳ね起きていた。
 夢を見ていたんだ、そう認識するのに要した時間は背中の寝汗を乾かしてしまうにはじゅうぶんだっただろう、脂で粘ついた皮膚に毛布が絡みつく。
 あなた大丈夫なの、アスカが僕の腕をゆすって呼びかけている。僕は肩で息をしながら大丈夫だ、とゆっくり繰り返し、とにかく呼吸を落ち着ける。毛布を掴んで身体に押し付け、染みこんだ汗で上手く滑らないもどかしさをねじ伏せながら身体を目覚めさせようとする。カーテン越しの月明かりで、ふやけて柔らかくなったアスカの髪が見えた。

「例の夢?」

 そんなところだ、と目配せする。使徒戦役の頃の夢にうなされることは、僕に限らずアスカもいくらかはあったのでお互いに理解している。
 ただ、いつの頃からかはわからないが僕はこの悪夢が単なる戦いの余韻だけではないと思い始めていた。そしてそれはユイに出会ったことでより顕著になった、あの生き物をはっきりと身体の中に自覚してからだ。意識の中にふたつの肉体を感じる、このベッドの上にいるのは僕とアスカだけだが、もう一人の、いや人間ではないかもしれない、ともかくもう一対の目とひと揃いの脳神経を持った何者かが腹の上から僕を見上げている、そんな気がしていた。暗闇に瞬く幻光のおかげでより実体化して見える、へそから首を出して蛇のように様子をうかがっている生き物が居る。アスカ見ろよ、こいつだ、こいつが僕に夢を見せるんだ。声に出しはしないが、強迫観念によって思考が次第に狭められていくのがわかっていた。

 アスカの方を見ることができない、僕は夢の中で彼女を犯した。
 激化する使徒の攻撃に疎開も本格的になり、僕たちの周りからは急激に他人という存在が減っていっていた頃だ。毎日朝から晩まで顔をつき合わせるのは同じ人間ばかり、そんな中に軋轢や苛立ちは募るばかりで、思い出したくない、はっきり言えばあまり覚えていない。もしかしたら本当にそんな夜があったのかもしれない、記憶から封じているだけで僕は本当にあのマンションの一室で、少女を傷つけてしまったことがあったのかもしれない、亀裂から染み出す雨漏りのように熱い焦燥が動き出す。
 綾波を喪ったあの戦いにしてもそうだ、僕は何を覚えている?零号機は使徒の侵蝕を受け、さらに初号機にも襲い掛かろうとした使徒を倒すため、綾波は自分ごと、零号機もろとも自爆した。使徒の体当たりで粉砕されたパレットライフルの破片が宙を舞う光景を僕は覚えている。だが、各々の写真の断片につながりがない、何枚かのシーンを束ねたアルバムなら作れるが、連続した動く映像を組み立てることができない。写真に写っていない部分で何が起きていたのかは誰にも証明することができないのだ、それはドラマや映画などでセットの裏側がどうなっているかを想像する事と同じだ。

 日付が変わる頃、帰り支度をするアスカを僕は呆けたまま眺めていた、彼女があまりに心配するので頓服のデパスを目の前で飲んで見せ、それから表まで送った。

「それじゃ、おやすみね。ああそれとPTAの会報が来てたから、後でファックス送るからいちおう見ておいてね」

「わかった」

 おやすみ、と言おうとした口をアスカがそっと塞ぐ。
 若い頃のように、いや僕が忘れてしまっているだけで今でもこれくらいのことはしている、僕は黙って口づけに応えた。

 明滅しながら遠ざかるアスカの車のテールランプを見つめながら、早く行ってくれ、僕はずっと打ち付けられた杭のように立ちつくしていた。
 部屋に戻り、ほんの数時間前に妻と交わったベッドに倒れこむようにして寝転がる。
 激しく打ち鳴らされる心臓が潰れてしまいそうだ、薬が効きはじめるまでのわずかな時間がじれったい、ひとりになったらまたあの夢に襲われて、孤独に苛まれながら僕は狂ってしまう。どうしてアスカを帰してしまったんだろう、傍についていてくれたら、しかしそれは夢と同じことを現実にしてしまうだけかもしれない。

 抜けかけのアルコールと効きはじめの向精神薬が濁った酩酊を呼び、僕はふらつく手を伸ばして携帯を掴むと再びベッドの中にもぐりこんだ。この時間なら大丈夫だろうか、大丈夫なはずだ、ボタンを押す指が震える。回線が接続されてコールが掛かり、十数秒ほどで相手が出た。

 のどが鳴る。
 僕の焦燥をよそに、明るい少女の声が出迎えて僕は自分と彼女との間に大きな隔たりを感じた。

「はい、一条です」

 もしもし、僕だよ、

「あ、ごめん今ちょっと友達と居てさ、10分位したら掛け直すね」

 うん、

 慌しく切れる通話の間際に、おそらく繁華街だろう、雑踏の喧騒が聞こえた。友達と居る、本当にそうなのかもしれないが、仕事中に電話してしまったとしたら悪いことをしたな、と思い直す。相手の男は何と思っただろう、誰から?と当然訊くだろうな、ユイは笑いながら適当にごまかして、そして何食わぬ顔で僕に向かうだろう、ないしは電話が通じたということはもう別れるところだったのかもしれない、真っ最中なら電話に出る事もできないだろうから。

 僕は待つ、しかしきっかり10分後というわけにはいかないだろう、相手の男が渋るかもしれないし、電話できる場所まで移動するのにだって時間がかかるし、そう思っているうちにも冷えた汗に体温を奪われて意識が蕩けていく。

 走ってドアを開けると、広く、薄暗い灰色の部屋だった。コンクリートむき出しの壁が僕を圧迫するように無機質に立ち並び、簡素なパイプベッドが横たわっていることで綾波の部屋だとわかる。しかし家主の姿はない、代わりに別の人間がいるのがわかった、だけどこいつはヒトじゃない、倒すべき敵、夢の中の僕は瞬間的に判断し、そう、本能に導かれるようにそいつに踊りかかっていた。
 リツコさんが教鞭を手のひらに叩いて僕を見下ろす、学校のガキ共が僕たちを取り囲んで闘技場の観客のように囃し立てる。そうだ僕は見世物だ、碇シンジは物語の主人公だから、こうやって踊らされるのさ。拳をきつく握り締める。
 もう久しく、忘れてしまった戦いの感覚を思い出す、いちばん近いのはダウンタウンを歩いていてチンピラとやりあったり、そんなところだ。格闘術の心得があるわけでもない僕にはただがむしゃらに掴みかかることしかできない。いつのまにか握っていた、覚えている、第3に来る前の中学校で護身用のつもりで持っていたニードルがあった。ついに実戦投入されることはなかったのだが、刃物をちらつかせた少年を皆は怖がって避けていた。それが僕さ。憎い、壊してやる。
 迷うことなく顔面を狙ってニードルを突き立てる、肉がちぎれる感触、たとえばスーパーで買ってきた牛ロースの塊に包丁を入れるときのようにだ、しかし人体というものは他の動物に比べて恐ろしく切断抵抗が大きいから、簡単には切れない。一撃目は頬を貫くことができず、再び殴りつける、今度は一瞬の引っ掛かりの後深く切っ先が入った。赤と白の濁液が飛び散る、破れた眼球が溶け落ちる。左目破壊、抉られた顔面を晒し、しかしソイツは痛みなど感じていないように、なんのダメージも受けていないように見える、見えない、立体視できない。やられたのは僕なのか、僕と僕は組み合ったままガラス壁にぶち当たり、アメリカのアクション映画さながらに辺り一面に真っ白い粉雪が舞ってガラスの破片が降り注ぐ。大きな破片が弾丸のようにソイツの身体に突き刺さる、僕の全身に槍で突かれた衝撃が伝わる。血が流れ出す、だけど痛みは無くただ異物感だけがある、見えなくなった左目と腹に刺さったままの両刃剣を抱えて僕は壁面のダクトから脱出しようとする、だけど転げ落ちて床から仰向けになって天井を見上げる、空には輝く巨大な十字架、9対の白い羽とセフィロトの樹。
 僕が見ていたのは弐号機の視界だった。
 ベッドから落ちた僕はぼんやりと天井に張り付いた常夜灯を見上げている、ベッドの上で携帯のバイブレータがマットレスを揺さぶっている。発信者名も確かめず、飛びつくようにして僕は電話に出た。

「碇さん?今大丈夫?」

 うん、ごめんなこんな遅くに、

「私はいいよ、いっつもこれくらいまでは起きてるし、それでどうしたの?伊吹社長から話、聞いたんだよね」

 それもある、ただ、

 すこし言い淀む。いいのか、こんなことをして、マヤさんに言われたばかりだというのに俺は何をやってるんだ、彼女に逆らうのはこの街では自殺行為だぞ、わかっているのか?だけど俺はユイに縋りたい、頼む、俺はもうヤバイよ、本当におかしくなっちまう。
 構うものか、別に俺はユイに何の義理もない、ただ思うがままでいい、
 ユイ、お願いだ俺を望んでくれ…

「突然で悪いんだけど、今から会えないかな?ほんとに、無理は言わない」

 甘く吐き出す息音が聞こえる、ユイの感情が動いたのがわかる。

「ううん大丈夫だよ、私も碇さんに会いたかった」

 時間を打ち合わせ、僕はすぐさまガレージに向かいS2000を出した。ユイが待つ第2東京郊外の川沿いの公園まで、車通りのまったく途絶えた深夜の幹線道路を走る。峠をひとつ越えた先に銀河のような第2東京の街明かりが浮かび上がってくる。

 ユイは先に着いて待っていた。僕は公園入り口の駐車帯に車を停めユイの元へ急ぐ。今夜の彼女はベージュ色のワイルドなサファリジャケットに濃い色のジーンズ姿だった。まだ夜は冷えるこの季節、川から吹き上げるそよ風に襟の羽毛が揺れている。わりと露出の少ない服を好むのだろうか、薄着でいることの多いマナと比べて思う。

 迷っていても仕方がない、僕はユイに先ほど見た夢のことを話した。エヴァに関してはさすがに言えないが、ともかく昔のことを思い出してそれが奇妙に歪められて夢に出てくる、猟奇的な夢を見てしまうといった意味が伝わればいい。
 これはやっぱり波みたいなものがあるんだと思う、調子の悪いときはいくらがんばっても仕方ないからね、
 僕をじっと見ていたユイが額にかかった前髪をかき上げ、頭をゆすって唇を躍らせた。

「車で話さない?」

 僕は頷き、道路端のS2000へ戻った。バケットシートに身体を預けたユイが拘束具に座らされた女囚のように見えて僕は握り締めた指をじらす。
 何から話せばいいのだろう、マヤさんに頼まれた事もあるし、何よりも今の自分をどうにかしなければ、だけど何をするんだ?ユイを抱けば落ち着くのかといえばそれも違うだろう、

「やっぱり私の事も考えてる余裕無くなる」

 そんなことは、

 そんなことはないと言おうとして詰まってしまった。たしかに、僕がユイを呼び出したのは自分の都合だ、今後の身の振りとかの話だったら日中になってからでもいいのに、こんな夜中に逢瀬を、そう僕はそれを望んでいたはずだ。
 なんて身勝手なんだ、
 わかってる、俺はそうするしかない、俺みたいな男にはそれくらいしかできないんだ、俺はもう何もかもダメになってしまったんだ、昔のようにはいかないんだ。

「ごめんな、だけどとにかく君と会って話をしたかったんだ、俺は」

 俺は、

 君のことが好き、言える訳あるか!
 深くため息をついて胸に詰まった想いを抜き取る、気休め程度にしかならないが、それでも焦った気持ちを落ち着ける役には立つ。

 マヤさんからユイとマナを頼むと言われたことを伝え、彼女たちの願いであることを確かめる。ユイは照れくさそうに指先をいじり、僕はかすかな切なさを弄びながらそんな彼女の姿を眺めていた。今夜は幾ら払えばいい?俺は君と居たい、つまり彼女の時間──身体を拘束する──を買うってことだ。今夜眠れなければ明日は学校で寝過ごすか、フケて休むか。もちろんそれ以上の意味だって当然あるさ。

「わかってるとは思うけどさ、私は別に今の生活スタイルを変える気はないから、そこんとこはわかってるよね」

 ああ、

「常連っつうの、継続して付き合ってるひともいちおういるんだけど、まあそのあたりはうまくやってるからちょっかいはかけないでね」

 俺もそこまで野暮じゃないさ、
 力の抜けた笑いを吹き出し、僕は革巻きのハンドルを撫で下ろした。薬の効きが足りない、量が少なすぎたのだろうか。

「なあ、今から家来ないか」

 ユイは悪戯っぽく目を丸め、唇が吊り上がってえくぼができた。綻んだ目元が可愛い、俺は何を言ってるんだよ。

「ほんとに?一人暮らしったってさ、奥さんとかに押し掛けられたらどうするの?」

「さっき帰ったとこだから」

 笑い転げるユイの背中がシートの上で前後に反りながら揺れ、僕はその姿がとても扇情的だと思った。どれだけ厚い服で隠していようが、彼女の肉体を俺はもう想像に焼き付けてしまっている、唾を飲み込む。

 一条さん、君はどんな夢を見るんだい?霧島さんは昔の第3新東京市が崩壊する現場を見たと言っていたけれど、僕も今夜見たのは似たようなやつだったんだ、

「マナのことはいいの」

 ユイが初めて見せた感情に僕は思わず面食らってしまった、やきもちを焼くとかいったことが想像できない、触れることを許されない、それくらいの聖性があったユイが、ぶった声を出して唇をとがらせている。

「ごめんよ、いや霧島さんからは内容を聞いていたんだけれど、そういえば君からは聞いてなかったなって」

「マナだって今頃どっかでよろしくやってるよ、だから今夜は戻らなくても大丈夫」

 シートベルトを引っ張って弾く。ベルトに叩かれたユイの胸がはじけて揺れるように見えた。

「私なんかはほら、タッパもあるし目つきとかもきついしどっちかっていうと不良キャラで通ってるから、そうでもないんだけどマナなんて酷いよ、学校でもあの調子なんだもん、いかにも私ヤリマンです、って書いた紙背中に貼ってるみたいな感じじゃないの」

 ひといきに喋ったユイを見やり、目を合わせた。気まずそうに微笑み、お互いに、そしてもう一度正面に戻す。

「私はね、けっこうエッチな夢みること多いんだ、夢の中で私と同じ姿をした生き物に会ってね、それで言うの、ひとつになるのはとても気持ちのいいことだから、ってね、小さい頃はそんな夢見たって、なんのことだかわからなかったんだけど大きくなっていろいろ知識増えてくるとさ、ああコレがそうなのって感じでわかっちゃうのよ、だから小学校の頃とかクラスの連中が少女漫画読んで騒いでるのを見ても何それ?って感じでさ、だからもうその時点で既にだったんだよね、そういう漫画とか、ドラマでもいいかな、そんなのの中で愛とはなんぞや、なんてうだうだ言ってるけど私にしたらすっごい今更って感じで、まあつまりそういうコトに対して抵抗っていうのか、特別な意識がなかったって言ったらいいかな」

「なるほどね、だけどそういう話はもっと落ち着ける場所でしたいところだ」

 笑みがこぼれているのにユイも気づいただろう、奇妙な緊張が数瞬の間停滞する。

 俺が見た夢、少女時代の妻を強姦する、それもあるいはユイと同じように生き物が見せた夢なのだろうか、つまりそれは僕自身の心の闇の象徴であり、自分の抱える不安に対して生き物という仮の姿を与えることで心の中に線を引く、ユイもマナも僕も同じように、肥大した精神を抱えてどうにか生きていこうとする、その意志が生き物を生み出している。

 家に向かう道中、僕は会話を途切れさせないように必死だった、沈黙は卑しい妄想を運んでくる、そうなったら僕は正常でいられる自信がない、耐え切れずに車を止め、そこらの草むらででもユイを犯してしまうかもしれない。
 顔の見えない大勢の男たちに囲まれ犯されるユイの姿が思い浮かぶ、僕は唇をきつく結んで想像を振り払おうとする。あんな仕事をしているんだ、そういう目に遭った事だってあるだろう、幸いにして免れたとしても、いつかは襲ってくる災厄だ、それは覚悟の上で、でなければやっていけないはずだ。以前ユイは言った、自分ひとりだけだったら堕ちていたかも、マナがいてくれたから立ち直れた、その言葉の影に何が潜んでいるのかを僕には確かめることができない。
 僕は今冷静な思考を失っている、頭の中がユイのことだけでいっぱいになってしまっている。このままでは間違いを犯してしまう、だけど止めることはできそうにない。笑ってくれよ、心神喪失になった俺は未成年の少女を抱いて、妻を裏切るんだぜ。こんなことはやめろ、今すぐ彼女を送り返せ。だけどダメだ、ユイが悲しむから。あっそう、碇さんってその程度のヒトだったんだ、冷たい仏頂面で言い放ち踵を返すユイの姿が僕を打ちのめす、そんなことできない、できるわけない、僕は一条ユイという名の女郎蜘蛛に絡め捕られてしまった。ユイを断ることさえできるのならこんなに苦しみはしないだろう、彼女とは無関係の、赤の他人なのだから、別れたって後腐れはない、そう割り切れるのなら僕は迷わない、どれだけユイに罵られようとも数日経てば忘れ、またいつもどおりの生活がやってくるのだから。
 そのいつもどおりの生活というものに僕は恐怖していた、果ての見えない絶望にまた落とし込まれるのかと、どうやってそこから立ち直ったらいいんだ、希望、古臭い言葉だが希望がない、俺はこれからどうやって生きていけばいいんだよ。
 誰かに相談できるのならそうしたい、だけど今日はもうオーダーストップだ、話せる知り合いはみな今日の活動を終えて帰ってしまっているだろう、だから僕は孤独だ。
 ユイしか、彼女しかいない、選択肢は一つだけ、
 他にないのか?ひとつだけだ、

 ひとつだけだ、

「なに?」

 いやなんでもない、独り言だ、
 こぼれた呟きを取り消す。カーラジオの選局をランダムで選ばせると懐かしいメロディが流れてきた。

「ザドアーイントゥサマー『夏へのトビラ』、これ碇さんが初めて出した曲なんだよね」

 うんそうだね、CMRBレーベルで出したのはこれが最初だ、かれこれ15年前になるのかな、

 あれから私もさ、古本屋行って昔の音楽雑誌探して調べたりしたんだよ、そう言って微笑んだユイに僕は自分の気持ちが穏やかに静められていくのを感じていた。ユイ、君は子供なのになんて出来た人間なんだ、自分が情けなくなるよ。そうだ、僕はずっと音楽でやってきたんだ、だからこれからもやっていけるだろう。

「その頃の碇さんって幾つだったっけ?かなり若いはずだよね?」

 まだ少女の面影を残している山岸のヴォーカルにトウジのギターとムサシのドラムが彩りを添える、古き良き時代のロックを再現させたこの曲は今でも僕のそしてCMRBの礎になっている。

「23だよ、ちょうどこいつを発表するために会社を作ったんだ、最初はどこかのレコード会社に持ち込む方向で考えていたんだけど、連れが大学で経済学を専攻していてね、せっかくだから独自のブランドを立ち上げようぜってことになったんだ」

 ケイタには本当によく働いてもらった、僕が居ない間会社を実質的に動かしているのは彼だ。そういえばCGT代表のYOSHI氏が新しい企画を考えているという話を思い出し、おいおい僕に判断を仰ぐ電話が来るだろう、と考える。

 辛いことを吹き飛ばせる、穏やかな中にも激しい情熱を秘めた詞を山岸と共に心の中で歌い、曲がちょうど終わる頃に僕はS2000を家の門の前に横付けしていた。
 ユイをエスコートして玄関のドアを開ける、さっきアスカが僕にしたように。
 まずリビングに上げ、飲み物を出す。ソファに軽く腰掛けたユイの、組んだ脚がとても滑らかで優美だ、ジャケットを脱げば均整のとれた身体がよくわかる。不覚にも見とれて棒立ちしてしまう、アスカでさえここまで僕を虜にしたことはないというのに。およそ僕が出会った女の誰よりもユイは美しい、微笑を送りあう僕たちはそれだけでどうしようもなく惹きつけられる。

 それからユイが部屋を見たいと言ったので案内した。作業机の周りに連ねて並べられた機材を見てとても感心したようで、すごいすごいと何度も言っていた。

「マナはたしか、SC−88とかいうやつ持ってたよ」

「渋いチョイスだね、往年の名機だよそれは。僕も学生の頃はメインで使ってた」

 チェロを習っていたこともあり、僕はすんなりと音楽の世界に入っていけた、コンピュータ・ミュージックを始めてまず試したのは自分の演奏を再現することだが、こと弦楽器というのは非常に細やかな表現を要求される、サンプリングにしてもだ、いくつものパラメータとそれが示すデータを何度も書きなおし、磨き上げるように音を洗練させていく作業は経験と共に絶対的なセンスも要求される。

 机の引き出しを開ければ、読み古されてボロボロになったマニュアルに挟まれるようにしてユイの出演したDVDのパッケージが顔をのぞかせる。パッケージに印刷された自分の顔に視線を吸いつけられるようにして、ユイは僕からDVDを受け取った。
 いっしょに観る?と訊くとユイは黙って首を横に振った。
 ほんのわずかな間を挟み、思案からニヒルな表情を作ってユイは言う。こんなのでなくてもすぐ本物を見せてあげる。

「今見ると恥ずかしいよ、身体もぜんぜん幼児体型で痩せてるし、半年前まではランドセルしょってたんだよ?」

 浜辺で波の飛沫を浴びる自分を指差し、ユイは僕を見上げて白い歯を見せた。

 僕は二つの感情に板ばさみになる、こんな無邪気な子供のユイを守り慈しんでやりたいという思い、それから隠し切れない女の匂いに欲情する思い、少なくとも両立は出来ない、と僕は近づくユイを避けるようにパソコンの電源を入れ、シーケンサーソフトを立ち上げて演奏できる準備をさせた。
 この行動でユイに背を向けたのがまずかった、と後悔したのはシンセサイザーに初期化コマンドを送ったのと同時だった。

 ユイが僕の背中に抱きついてきた。

「遊ばないの」

 腹の中身が逆流しそうになるのを必死で押さえ込み、僕はユイの手をつかんでどかせようとした。だけどユイは僕を放そうとせず、逆に恨めしそうな目で僕を見上げる、小刻みに震える唇に僕は心臓が破れそうなほどの衝撃を受けた。ユイが昂ぶっている、それは本能的な恐怖だと思う。

 ここじゃまずい、

 僕は寝室へユイを連れ込んだ。じわじわと、一層ずつ防御が破られていく。僕はとうとう後がないところまで来てしまった。

 客相手にマジになったらダメだろう、

 口元を歪ませて僕を睨むユイ、僕は荒れ狂う心臓と自棄気味の思考が今にも頭を突き破りそうになっていた。もし僕にいくらかでも本気の想いがあるのなら、これは馬鹿にしてる以外のなにものでもない。俺は馬鹿か、ユイを怒らせてどうするんだよ。

 俺とやりたいと思うのは勝手だが、俺に求めるのは筋違いってもんだろ、俺たちはそんなことのために出会ったんじゃないだろう?

 自分の喋っている言葉に現実感がない、こみ上げてくる感情が怖くて、わざと気取ってしまっているのは俺の方なんだ、
 図星を突かれたユイは寝室のドアの前でじっと立ちつくしている。僕はベッドに腰掛けて肘をつき、彼女を見上げる、一条ユイ、援助交際をしている少女。彼女は何を見て生きている?毎日が楽しいか、充実しているか、未来に希望はあるか?次々と思い浮かぶ死語を思考によってねじ伏せ、僕の視線はあくまでも冷徹にユイを撃ち続ける。

 騙されたとか思うなよ、最初に言ったよな?君を見て綾波レイのことを思い出したって、だから君がどんな人間なのか興味を持ったんだ、身体の中の生き物や奇妙な夢のことを聞いて、俺たちはきっと似た種類の人間なんだとわかった、

「嘘つき」

 声も、身体も、握り締めた小さな拳も震えている。
 僕の胸に鉄の楔が打ち込まれる、痛みは僕を逃がさない。
 ユイは僕を憎むか、それは演じてなどいない本当の感情、つまり──本気で僕に心を傾けていた、そういうことなのか?
 繰り返しだ、こんなんじゃ他の大勢の少女たちとなんら変わらない、ユイ、君はその程度だったのか?
 ちょっと精神がおかしなだけのただの子供だぜ、
 援助をしたければすればいいさ、金は払う。だけどそれだけだぜ、君が関係をそこまでに留めるって自分で縛りをかけてるんだからな、マヤさんになんて言って頼んだんだ?これじゃその辺にいる悲劇のヒロイン気取った電波少女と変わらないぜ、もう何ヶ月もしないうちに身を崩して誰にも助けてもらえないまま不幸な人生を送るんだぞ、
 こんなことで意地を張っている僕もユイと変わらない。どこかで自分は大人なんだという驕りがあったのか、傷つけることを止められない。だけどそれはユイにとっても必要なことだろう、自分の気持ちが本当のものなのかを確かめるためには。

 君の気持ちは理解できるさ、だけど俺の都合はどうなるんだ?考えたことあるのか?俺は君と違って家庭も仕事も抱えてる、何もかもを思い通りに出来るわけじゃないんだ、周りの人間たちに気を配ってやらなきゃならない、俺を動かすってことは俺の周りの人間たちにも影響を、言ってしまえば迷惑をかけることになるんだ、そこまで考えたことがあるのか?

 きゅっと唇を噛むユイ。
 相手にする男の多くは僕と同じような中年だろう、もちろん所帯持ちの。彼らが夜の少女を買うとき、彼らはお互いに、自分の周りにいる人間のことを考えるだろうか?その場限りのつき合いだから、あくまでも交際だから、割り切るという言葉は便利だ。どんなに言葉を糊塗してみたところで人のしがらみから逃れることはできないのだ、この現代社会に生きる限りは。何も考えずにただ愛欲に溺れられるなら幸せだが、それは遠くない破滅をもたらす可能性が大いにある。

 ベッド脇に置かれた写真立てをユイに手渡す。彼女の指は強張って震えていた。

「今は別居してるけどな、嫁と娘だよ。わかるか?俺が君とやっちまえば、それは彼女たちへの裏切りだ、事と次第によっちゃあ家庭崩壊だぜ、想像できるか?」

 僕たち家族三人が写っている写真立てを強く握り締めて震えている、床に叩きつけてぶち壊したい衝動に駆られている、ユイは、もしかしたら僕も。なんでこの場でこんなことを言うんだ、僕はユイを突き放したいのか。
 アスカ、俺は何がしたいんだろうな?
 自分の半分以下の年齢の少女をつかまえてこんなに痛めつけている、俺もそんなことをする人間になってしまったんだよ。

 馬鹿、

 同時に呟いていた、しかし声に出したのはユイだけだった。

「碇さんの馬鹿…」

 涙が少女の頬を伝い、床にひとしずくずつ落ちていく。
 でももっと馬鹿なのは私、そこまで言葉に出したところでユイはとうとう堰を切ったように声を上げて泣き出してしまった。人々が眠りに落ち、静まり返った夜に少女の号泣だけが痛いほどに響いている。僕はベッドの上から動かず、立ち尽くして泣いているユイをじっと、あるいは観賞するように眺め続けていた。

 時計の針が動いても、ユイはずっと泣き通しだった、堪えていた想いの大きさは僕にも想像できる。だけどそんな素振りは欠片も見せずユイは自分を繕っていた、その演技力は認めるが、今この場においては邪魔でしかない。ケンスケが彼女との関係を控えたのだってそれが原因だろうと思う。

 まだ俺とやりたいって思うかい?

 ユイは首をどちらにも振れない。かすかに顔を上げて、震える唇で何かを言おうとしていたが声にならなかった。

「俺だって君を無関係の人間だとは思ってないさ、変わった精神の事も含めて、貴重な仲間だと思ってる。だけど、つき合いの形ってのはひとつだけじゃないだろ?君はすこし染まりすぎてたのかもしれないぜ、俺は君の気持ちを否定するわけじゃないんだ、ただもう一度君自身に考えてほしかったんだよ」

 言ってしまって、それがあまりにも綺麗事、理想論すぎると気づいたときには遅かった。

 ユイはまだ14歳なのだ。援助交際をするようになったのはケンスケと出会って以降だから、13歳のときから、そして彼女の家庭事情は詳しくは知らないがあまり愛情を注がれていたとは考えにくい、不干渉、ということは僕と──先生、と呼んでいた、正確には呼ばされていた叔父夫婦──似たようなところなのだろうか、と思い描く。僕の場合、男性であったということと大きな事件に遭うことがなかったおかげで何事も無い暮らしを送りやがてNERVに召喚されることとなったのだが、ユイを見ていると僕も下手をすれば彼女のようになっていたかもしれないのだと思わされて背筋が寒くなる。
 サードインパクト直後の荒れた街で生きるため、女を渡り歩き身体を売っていたことは僕にとってはもはや過去の思い出だ、しかしまかり間違えば僕も彼女くらいの歳で同じことをしていたかもしれないのだ。現にそういった人間は居るし僕も見たことがある、その時は別段何の感情も抱かなかったのだが、今こうして思い出すとぞっとする。

「おいで、もう泣かなくていい」

 腕を広げ、ユイを迎える。彼女は躊躇いがちに僕に歩み寄り、涙を拭いながらそれでももう一度、僕に瞳を合わせることができた。
 胸からあふれるほどの優しさを込めて僕はユイを抱きしめる。
 僕の言葉程度で彼女が変わってくれるとは思わない、僕はそこまで傲慢じゃない。ユイにとっては身体のつながりでしか関わりというものを作れなかったのだ、それしか知ることができなかったからだ。それは僕にしても、第3新東京市に来て出会った人々、ミサトさん、トウジやケンスケ、綾波、アスカ、彼らによって初めて僕は人とのつながりというものを知っていった、それは恵まれていたことだったのだ、もし彼らに出会う以前に違った形でつながりを知っていたなら、僕はユイのようになってしまっていただろう。

 僕の腕の中で丸くなり、ユイはようやく落ち着いたようだった。場所変えようか?と言うとユイは今度はしっかりと意志を込めて首を横に振った。いい度胸だ、このベッドの上で今夜俺は妻を抱いたばかりだというのに。君にとってはいやらしい中年女の臭いが染み付いているだろう?

「私だって、シャワー浴びてないから碇さんの知らない男の臭いがするはずだよ」

 俺もユイも似たり寄ったりだ。涙でふやけた笑いを吐き、ユイは少しだけ元気を取り戻した瞳を輝かせる。

「別にさ、私と奥さんと同時につき合ったっていいじゃない、できないことじゃないでしょ?」

「たしかにな」

「さっき貴重な仲間だって言ってくれたよね、私もそう思うけど、だけど貴重なだけじゃない、かけがえのない人だと思うの。私も碇さんもお互いに、死んだら代わりはいないんだから」

 殴られたような衝撃があった、その通りだ。
 綾波。
 ユイ、君は本当に綾波の生まれ変わりなんじゃないのかい?
 僕はユイを離さない、今夜だけは君といさせてくれ。綾波、綾波なんだよ。

 穏やかに息をしているユイを撫でながら、僕はもう一度時田氏に会い、ユイのことを話そうと思っていた。時田氏の言っていた若者たちの不思議な精神、そしてユイたちが見る不思議な夢、その二つにはきっとつながりがあるのだと。僕とユイが出会ったのはきっとそのためなんだと思っていた。

 ユイが身体を寄せ、僕は彼女を抱いたままベッドに仰向けになる。

「碇さんに会えてよかった」

「僕もだよ」

 見つめあっていた僕のほんの一瞬の隙をついてユイはすばやく僕に覆いかぶさり、唇を重ねていた。ユイのやわらかな、熟れきらない少女の唇が僕に触れる。
 とっさのことで息が詰まり、僕は唇を揉みながら吸った。息の漏れる音は淫靡さを増し、ユイが悩ましげな声で鳴く。抱きしめている手を背中からわき腹や胸に動かし、さすり、あるいは押し揉み、愛撫する。長い長いキスが僕たちにとって堪えようのない興奮の時間だ。

 やがて離れたユイはニンマリと笑顔を浮かべていた。本当に、元気があっていいな。僕は彼女ののどを撫で、満足げ鳴き声が耳朶をくすぐる。

「灯り、消す?」

 服の裾をつまみながら首を傾げてみせる、呆れるくらいに媚び媚びな仕草だけれど可愛らしいと思ってしまう。

「いやもうすこし君を見ていたいよ」

「へへ、ありがとう」

 舌を出して微笑む、ユイの笑顔は悪魔的だ。
 やがて僕たちはお互いに、ほぼ同時に、それぞれの服のボタンに手をかけていた。





+続く+




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