横8センチ

深さ1センチ

その傷跡は、確かに手首に刻まれていた





















ザクロ




















僕がこの町にやって来て、1ヶ月近く経つ。

初めの頃は新しいことに戸惑ったりもしてたけど、

今ではけっこう慣れてしまった。

最近はトウジとケンスケという友達が出来たので、学校も楽しい。

ミサトさんは…相変わらず生活無能者ぶりを発揮している。

保護者としてあれでいいんだろうか…?

でも、ミサトさんはネルフにいる時はすごく格好良い。

感情に走りやすいのがちょっとアレだけど。

…綾波、レイ。

最近、綾波が気になる。

僕と同じパイロットなんだけど、全然接触がなくて。

入院してたから会うこともなかったし。

けど、そんな綾波が気になる。

今日も体育の時間に、プールサイドの綾波を見てたら、トウジ達に追求されて。

トウジによると、綾波は1年のときからあんなだったらしくて。

誰にも近寄らせない雰囲気。

僕は、そこに惹かれたのかもしれない。





ミサトさんの家。

今日は、リツコさんが来ていた。

「何よこれ。相変わらずインスタントな食事ね」

「お呼ばれされといて文句言うんじゃないわよ」

ミサトさんはカレーの入ったカップラーメンを片手に持っている。

「シンジ君、引っ越すなら今のうちよ」

「もう諦めてますよ…はは」

実際、引っ越せるなら、引っ越したかった。

でも、誰かに必要とされるのも、悪くはなかった。

僕は不純なのだろうか?

「そうだわ、忘れるところだった。シンジ君、これ」

リツコさんがバッグからカードを取り出しながら言う。

「何ですか?」

「レイの更新したカードよ。渡し忘れちゃって。
レイに渡しといてくれないかしら」

「別にいいですよ」

受け取り、写真を見る。

綾波の顔って、やっぱり綺麗だ。

「あら、シンちゃんどうしたの?レイの写真をジーッと見ちゃって」

完全に酒が入っている。こうなったらただのオヤジだ。

「いや、綾波っていつも一人じゃないですか?それでちょっと気になって」

「そうね、レイは人と接するのが不器用だから」

リツコさんが真面目な顔で言う。

「不器用…ですか?」

「そう。…そういえば、ミサト、シンジ君に言った?」

「ん?……ああ、まだだったわ。シンちゃん、いいこと教えてあげるわぁ」

ミサトさんが抱きついてくる。酒臭いぞ。

「うわっやめてくださいよ!!何ですか、いい話って」

「レイがね、シンちゃんのこと聞いてきたのよ!」

「えっ?ミサトさんにですか?」

「そうよ。初めの使徒の戦いで、シンちゃん暴走して入院したでしょ?
その時レイのところにお見舞いに行ったのよ。その時に聞かれたのよ」

一瞬、ドキッとした。

綾波が、僕のことを?

「どう聞かれたんです?」

「どうだったかしらね?ええと…確か、サードチルドレンはどうなったんですか、とか言ってたわね」

リツコさんは笑って聞いている。

「レイ、シンちゃんに一目ぼれしたのかもよ?フフフ」

「そんなことあるわけないですよ!やめてくださいよ、もう」

本当は、そんなことあってほしかったけど。







で。

僕は綾波のマンションに来ていた。

人っ子ひとりいそうにない場所である。

こんな所に住んでてだいじょうぶなのかぁ…?

ベルを押してみるものの、壊れているのか、鳴らない。

ポストにはダイレクトメールの山。

住んでないんじゃないのか?

そんな疑問が頭をよぎる。

仕方なくドアノブに手をかけると、ドアは簡単に開いた。

無用心だなあ。

「綾波ー?いるの?入るよ…」

恐る恐る部屋に入る。

そこには、ひどく殺風景な空間が広がっていた。

ここが女の子が住む部屋?

靴は…脱がなくちゃいけないよな。

ベッドは血で汚れている。

ダンボールには血塗れの包帯が、無造作に突っ込んである。

…ん?

ダンボールの中に、なにか、ある。

眼鏡…?

粉々になった、眼鏡だ。

フレームは無残にゆがんでいる。



「碇くん?」

綾波?声の方を振り返る。

そこには。

裸の、綾波。

「うわっごめん!!」

目を伏せ、反対に向き返る。

心臓が破裂しそうになる。

「ごめん…」

そう呟くことしか出来ない。

「そう…今日だったのね」

綾波が何か言ったようだが、心臓の音でかき消された。

「なに?」

綾波が、なにか言っている。

駄目だ、何か答えなくては。

「あのっぼ僕は、その」

そう言いかけた時、綾波がこっちに来た。

「そこ、どいてくれる?」

「えっごめん」

僕はいた場所から飛びのいた。

綾波の手はチェストに伸びる。

綾波が取り出したのは、下着だった。

「あっごめん!」

僕は何がしたいんだ?

と、綾波の手から目を離そうとした時。

僕は妙なものを、発見した。

綾波が下着を持つ、左手。

左手の手首に、長くて細い線が走っている。

僕の頭は急速に冷静になっていく。

なんだ、あれは?

「碇くん、なにしに来たの?」

綾波はすでに制服を着つつあった。

「あっ、そうだ、カードを渡しにきたんだ」

「そう、ありがとう」

綾波は差し出したカードを受け取ると、鞄を取った。

「本部に行くんでしょう?行きましょう」







本部への道のりは、息苦しいものだった。

変質者になってしまったってのもあったけど、

それ以上に、あの傷跡が頭から離れない。

結局、一言もしゃべれないまま、本部に着いてしまった。







ジオフロントへの長いエスカレーター。

僕は綾波の後ろに立っていて。

沈黙に耐えられず、話しかけた。

「さっきは、ごめん」

「別にいいわ」

綾波は前を向いたまま答える。

また、沈黙。

「あのさ…これから再起動実験だよね」

「そうよ」

「綾波はエヴァに乗るのが怖くないの?」

綾波が僕の方を向く。

「怖くないわ」

「そう…綾波は強いんだね。僕は何回乗っても怖いよ」

「私は強くなんかない」

そう言う綾波の表情は、どこか物悲しそうだった。

「私は、失う怖さを知ってるから…」

そう言って、綾波は僕の目を見つめた。

赤い瞳が何を訴えているのか、僕には分からない。

そして、綾波は再び前を向く。

そして、こう呟いた。

地上に出るときは、気をつけて、と。







零号機の再起動は成功。

そこにアナウンスが入る。

「総員、第一種戦闘配置」

父さんの声。使徒だ。

「初号機パイロットは出撃準備」

更衣室に走る。







今さっきの綾波の言葉は、何だったのか。

エントリープラグの中で、僕はそのことだけを考えていた。

「シンジ君、行けるわね」

ミサトさん。

「大丈夫です」

地上に出た時?

「発進!」

どういうことだ?

暗い空洞を、上っていく初号機。

地上に到達した、まさにその時。

「敵内部に高エネルギー反応!」

「まずい!シンジ君、避けて!!!」

なんだ?

目の前のビルが歪んだと思った瞬間。

とてつもない痛みが、僕を襲った。







「うぐあああああああ!!!?」

胸が吹き飛んでしまいそうな痛み。

A.T.フィールドを全開で展開しているのにも関わらず。

「戻してっ!!!早く!!」

ミサトさんの叫び声が聞こえた。

連続した痛みが途絶えた。どうやら攻撃を振り切ったらしい。

「ううっがああ…」

意識が飛んでしまいそうだった。

ケイジに固定される初号機。

「シンジ君は!?」

ミサトさんがケイジに来ている。

よろけながらも、自力でプラグから這い出ると、

ミサトさんは安心したのか、その場に座り込んだ。

救護班が到着するや否や、僕は担架に乗せられ、病院に直行した。







「綾波、あの、ありがとう」

「何が?」

病室で寝ていたら、綾波が入ってきて。

新しいプラグスーツと、食事を持ってきてくれた。

「エレベーターで、言ってくれたじゃないか。気をつけてって」

「…なんとなくよ。運がよかっただけ」

「でも、ありがとう」

僕がそう言うと、綾波はポケットからメモを取り出した。

「明日午前0時より発動されるヤシマ作戦のスケジュール。はい」

そう言うと、僕にメモを渡す。

「あ、ありがとう」

「怖かったら、私一人でもいいのよ」

「えっ?」

びっくりした。まるで、僕の心を読んだかのようだったから。

「葛城一尉は私一人でも出来る作戦を立ててくれている。嫌なら私一人でかまわないわ」

「でも…そんなの無理だよ。綾波が危険じゃないか」

「私はいいの。私の命に価値はないから」

「えっ…なんだよ、それ…」

「それじゃ」

「待ってよ、綾波!!!」

叫び声に近い声だった。

そこで止めないと、綾波が消えてしまうような気がした。

「自分に価値がないとか、そんなこと言うなよ!
綾波が死んだら僕は、どうしたらいいか分からないじゃないか!」

綾波は、振り返らない。

「だから、そんな悲しいこと、言うなよ…」

必死だった。泣いてしまいそうだった。

「…ごめんなさい。あなたは、違うのよね…」

綾波はそう言うと、病室を出た。

どういう意味だ?

綾波、泣いていたのか…?







「本作戦における各担当を伝達します。シンジ君、初号機で砲手を担当」

「…」

ミサトさんは、やっぱりすごいと思う。

半日もかからず、作戦を立てたのだから。

「レイ、零号機で防御を担当して」

「はい」

結局、僕が出ても綾波が危険なことにはかわりない。

「あの」

「どうかした、シンジ君?」

「綾波と僕、変わることは出来ませんか?」

「シンジ君、今回の作戦はより精度の高いオペレーションが必要なの。
シンジ君の方がレイよりシンクロ率が高いから、この役割にしたのよ」

リツコさんが説明する。

「僕と綾波のシンクロ率なんて似たようなものじゃないですか。
それに射撃の成績は綾波の方が圧倒的にいいし、
綾波が危険にさらされるっていうのに冷静な行動なんてできませんよ」

考え込むミサトとリツコ。

「確かに、そのことも考えて作戦を立てたんだけど…
シンジ君がそう言うなら、それで行きましょう」

「ミサト!!成功確立は明らかに低くなるのよ?」

「でもMAGIが計算した時、シンジ君の動揺による誤差は計算に入ってなかったわ」

沈黙が場を支配する。

「責任は、とりなさいよ」

「分かってるわよ。シンジ君、そこまで言うんだから、絶対に成功させなさい」

「はい!」

「では時間です。二人とも着替えて」







「どうしてあんなこと言ったの?」

「あんなことって?」

「私と変わること」

「ああ、なんでだろうね。死んじゃうかもしれないのにね」

「…碇くんは、どうしてエヴァに乗るの?」

「…分からない。今までは、他人のために乗ってたつもりだった」

「つもり?」

「うん。綾波やミサトさんに死んでほしくないから乗ってた。
けどさ、それって結局は自分のためだったんだ」

「どうして?」

「だって、綾波が死んだら、僕は悲しいから。
悲しくなりたくなかったから、他人のためにって自分に嘘ついて戦ってた。自分勝手だよね」

「人は誰もが自分のために生きているわ。だからそれは、普通のことよ」

「そうだね。そうなんだよね…あのさ、綾波」

「なに?」

「昼間に綾波の家に行っただろ?その時、見たんだよ。綾波の手首」

「…」

「あれは…自分で?」

「…そうよ」

「どうして!!」

「疲れていたのよ。何回繰り返しても、あの人がいないから」

「繰り返す?」

「あの人がいないと、生きてる気がしないの。
でも、手首から流れる血を見ると、生を実感できる」

「でも、そういうのはよくないよ…」

「そうすることでしか、この世界と繋がることが出来ないのよ。私は」

「…綾波はどうしてエヴァに乗ってるの?」

「…思い出と、あの人との絆だから」

「あの人?父さんのこと?」

「違うわ。私の大切な人…いなくなってしまったけど」

「…ごめん」

「なぜ謝るの」

「だって…そんなこと、言いたくないんじゃないの?だから」

「いいの。彼は碇くんとそっくりだったわ。やさしくて脆い人だった」

「…」

「私は彼と一緒にいて、幸せだった。けど、幸せな時間なんて長くないものだったわ。
彼は私のもとからいなくなってしまったの」

「ひどい奴だよ、綾波を放って行くなんて」

「仕方なかったの。理由は確かにあったから」

「綾波は、それで納得できたの?絶対に理不尽だと思うよ」

「別れは誰にでも訪れるわ。けど、彼は私に約束してくれたの。絶対に、会いに行くって」

「え…?」

「もう随分待たされているけどね。でも信じているの。いつか巡り合えるって」

「…」

「私にとって、彼は生きていくために必要な人だった。
だから、さっき言った、私の命に価値が無いっていうのはそういう意味」

「…」

「彼といないと、私は真の意味で生きていないの」

「…」

「だから。私は彼と再会できる日まで、戦うわ」

「…僕じゃ、駄目かな…?」

「碇くん?」

「僕が、そいつの代わりになるよ。綾波の支えになるよ」

「ありがとう。でも…」

「綾波のこと、好きなんだ」







「えっ?」







「綾波を、守りたいから、役割を変えてもらったんだ」







「…」







「僕じゃ、駄目かな…?」

「…」







静寂が、世界を包む。

均衡を破ったのは、アラーム音だった。

「時間よ、行きましょう」

「綾波!絶対守るから!!」

「ありがとう。じゃあ、一発で仕留めるわ」

「そうしてよ。盾があるっていっても、痛いのは嫌だからね」

「フフッ、分かってる。じゃ、また後で」




























23:59:56







23:59:57







23:59:58







23:59:59







00:00:00


























「レイ、日本中のエネルギー、あなたに預けるわよ」

「はい」

「ヤシマ作戦、スタート!」

「第一次接続開始」

「第一から第八○三区まで送電開始」

「電圧上昇、圧力限界へ」

「全冷却システム、出力最大へ」

「陽電子流入、順調なり」

「第二次接続」

「加速器、運転開始」

「第三次接続、完了」

「全電力、ポジトロンライフルへ」

「最終安全装置、解除」

「撃鉄、起こせ」

作業が進んでいる。

決戦の時が来た。

「地球自転誤差修正、プラス0.0009」

「電圧、発射点へ上昇中。あと15秒。14・13・12」

カウントダウンの声。しかし。

「目標に高エネルギー反応!」

「なんですって!?」

使徒の中心部に光が集まり、やがてそれは一本の線になった。

「3・2・1 発射!!」







しかし。

零号機の動きは、無い。

「レイ!?」

「くそっ」

使徒の光が辺りを包む。

「綾波…!!なにしてんだよ!!撃ってよ!!」

零号機の前に立ち、守る。

「ごめんなさい、もう少し我慢して」

使徒の光が途切れる気配は、無い。

「盾が持ちません!!」

「シンジ君!!」

「うわぁああああああああああああああ!!!!!」

盾が、消滅した。







しかし。

「A.T.フィールドです!!強力なA.T.フィールドが、初号機の前方に展開!!」

「なんですって!!シンジ君がやってるとでもいうの!!?」

「いや、零号機です!零号機のA.T.フィールドです」

「そんな使い方もあったの?」

騒然となる指揮車内、そして、僕が一番驚いた。

死んだと思ったのが、生きている。

傷ひとつなしで。

「使徒の過粒子砲、収縮!!」

光が途切れた。

「くっ」

零号機から、光が放たれる。

完全に使徒の中心を貫いた。

崩れ落ちる使徒。

「碇くん、大丈夫だった?」

綾波から通信が入る。

「うん、傷ひとつないよ。何がおこったの?」

「零号機のA.T.フィールドを初号機のものと重ねて展開しただけ。
言ったでしょう?一撃で仕留めるって」

「そうだね、ありがとう綾波」

「どういたしまして」

そう言って、綾波は笑った。

そのLCLの中で形づくられた綾波の笑顔は、僕が今まで見たものの中で、一番美しかった。

そして、それが僕の見た、綾波の最後の笑顔だった。
























昼の太陽が、僕を照りつける。

蝉は相変わらず五月蝿い。

「綾波?いるよね。入るよ?」

今日、僕は綾波の家を訪ねていた。

あのときから変わっていない、相変わらずのポスト。

「お邪魔します…」

部屋に人気は、無い。

水の音がしたから、またシャワーかな?

僕は部屋を見回した。

…綺麗になっている。

ベッドは真っ白なものになっていた。

包帯の入ったダンボールは、そこから姿を消していた。

掃除したんだな、と思った。

ふと、チェストの上に、何か置いてあるのが目に入る。

手紙…?

手紙は、2通あった。

片方には、綾波レイ様、もう片方には碇シンジ様、と書いてあった。

僕宛ての手紙?綾波が書いたのだろうか。

いずれにしても、他人のものを勝手に見るのはよくない。

僕は誘惑をおさえ、椅子に腰掛ける。

…今日は、綾波を誘いに来たんだ。

今流行ってる映画のチケットを持って。

今日は祝日でネルフの訓練もないから。

綾波は、どんなことが好きなんだろう。

綾波のことがもっと知りたい。

綾波には好きな人がいるみたいだけど。

絶対に僕に振り向かせて見せる。

そんなことを色々考えていたけど。

綾波、今入ったのかな?

僕が来て、20分は経つ。

まあ、そのうち出てくるだろう。

しかし、30分経っても、1時間経っても、綾波は出てこなかった。

水の音は気のせいだったのか。

留守だったのかな?

僕は仕方なく、帰ろうとして、玄関まで歩く。

水の音は、まだ聞こえる。

「留守だったのか。しかたない、また来よう」

心の中でそう呟き、ドアノブに手を伸ばす。

と。ドアノブの下に位置する、ポストに目がいった。

…おかしい。

何か、違和感がある。

ポストには、ダイレクトメールの山が出来ている。

部屋を掃除したのに、なんでこれを処分しないのか?

「…綾波?」

部屋に振り返る。

左手には、バスルームがある。

奥のチェストには、手紙。

おかしい、おかしいよ。

走って、チェストに置いてある手紙を拾う。

碇シンジ様、と綺麗な字で書かれてあるそれは、異常に重たい気がした。

この文字は綾波のものだ。授業で黒板に書かれた文字を見たことがある。

それは間違いない。

だとしたら、何故自分宛てのものがあるんだ?

同じ文字で、綾波レイ様、と書かれてある。

未来の自分に手紙を書く、ということはよくあることだが、

これはそんなものじゃないことが分かる。

だって。

その封筒から透けて見えるているのは、僕が持ってきたIDカードだったから。

僕は僕宛ての手紙を、恐る恐る開ける。

中には、2枚の紙が入っていた。






















拝啓 碇シンジ様

こんにちは、碇くん。元気ですか。碇くんがこの手紙を読んでいる頃には、

私は多分この世界にはいないでしょう。こんな手紙を残された方が辛いとは思いますが、

私の最初で最後のわがままです。許してください。

さて、碇くん、こんな書き方をしたら私は死んだのか、と思うかもしれませんが、

心配しないで下さい。私は生きています。でも、次に会う時には、私は碇くんのことを忘れているでしょう。

生まれ持った病気のせいです。私は、定期的に記憶を失います。

そろそろ、また記憶を失ってしまうでしょう。それは仕方ないことです。

人と付き合うのが苦手なのも、そのせいです。忘れてしまうのです、その人のことを。

子供の頃、私には大好きな人がいました。その人が、ヤシマ作戦の時に話した人です。

でも、私はその人のことを忘れてしまったのです。

当時の写真などを見ても、誰がその人かわからないのです。

けど、誰かのことが好きだったっていう気持ちだけは、残っていた。

だから、今でもその人を待っているのです。

きっと、会いに来てくれる、と名前も思い出せない人のことを信じているのです。

私の両親は、早くに死んでいて、私は行き場所がなくなってしまいました。

その時に拾ってくれたのが、碇くんのお母さん、ユイさんでした。

ユイさんは世界的に珍しい私の病気を治療するために、私をここに引き取ってくれたのです。

このことは、司令も知りません。

ユイさんは、当時4歳だった私に、日記をつけてみたらどうか、と言ってくれました。

日記をとることで、まさに記憶のバックアップをとることにしたのです。

それは今でも毎日続けています。場所は、ベッドの下です。最近の分しかありませんが、

もしよかったら、次の私に碇くんから渡して下さい。

あと、チェストの上の私宛ての手紙もよろしくお願いします。

私達は弱い存在です。だから、出来れば次の私を、支えてあげてくれないでしょうか。

そうしてくれたら、嬉しいです。

最後まで迷惑をかけてごめんなさい。もし私が碇くんのこと覚えてたら、笑ってやってください。

                                       綾波レイ

PS 私も、碇くんのこと、好きでした。
































手が震えた。

ベッドの下を覗き込む…あった。

3冊のノートには、それぞれ日付が書かれていた。



2013 5/23〜 2014 3/12



2014 3/13〜 2015 1/26



2015 1/27〜



僕はそれらと綾波宛ての手紙を鞄に詰めて、急いで部屋から出ようとする。

水の音は、止まっていない。

僕は、頭がおかしくなりそうな感覚を覚えていた。

逃げるのか、この現実から?

本当は、現実を見たくなんかない。

けど、綾波は、僕に発見されるのを望んでいるのだろう。

手紙に書かれてある通りに受け取るなら。

迷いを断ち切り、洗面所のドアを開ける。

水の音は大きくなった。

そこには、制服が綺麗に畳まれ、置かれていた。

バスルームのノブを握る。

綾波、僕はこれで正しいのか?























綾波の顔には、涙の通った跡が残っていた。

左手には、バスタブが真っ赤に染まるほどの、大きな、小さい複数の傷。

綾波は青白く、そして、美しかった。

「綾波…?嘘だろ…?あの手紙はなんだったんだよ。待ってるんだろ、好きだった人を…。
ねえ、目を開けてよ、もう充分おどろいたからさ…。
ねえ綾波、冗談きついよ。僕もう帰るよ。いい加減にしないと怒るからね?」

返事は、無い。

僕は、バスルームから出て、ドアを閉めて、その場に座り込んだ。

「ミサトさん…?シンジです…救護班の人を、早く綾波の家に送ってください…」

それぐらいしか、僕には出来なかった。















































































結局、僕は綾波がバスタブから引きずりだされるのを見てただけで、何も出来なかった。

その日僕は完全に腑抜けになっていた。

リツコさんから、綾波が一命を取り留めたという電話を受けるまで。

僕は病院に飛んで行った。

綾波の無事を、心から喜んだ。

ただ、一つ疑問も、あった。

何故綾波は、自殺しようとしたのだろうか。

好きだった人を、待っているのではなかったのか?

真実は、綾波の記憶と共に消え去ってしまった。

もう、そんなことはいいじゃないか。綾波は生きていたんだから。

自分を納得させ、綾波の病室に向かった。

しかし、病室の前には、ネルフ保安部の人がいて、病室に入れてくれなかった。

綾波は出血多量すぎて、面会謝絶で入院しなければいけないという理由で、、

僕は結局JAっていうロボットが暴走した直後くらいまで綾波に手紙と日記を渡すことが出来なかった。

でも、会って何を話すというんだろうか?

綾波は、僕の事覚えていないのに。







「こんにちは、綾波さん。」

「あなたは?」

「碇シンジです。あなたと同級生の」

「何の用?」

「渡してくれって頼まれてたものを、渡しに来たんだ。はい」

「何?これ」

「綾波のカードと日記だよ。読めば分ると思う」

そう言って、封筒とノートを手渡す。

ん?

受け取る左手の、手首の傷が、消えている。

ネルフの最新医療で治したのか?

まあいいや。綾波が生きてくれてて。

僕は綾波の日記を、読むことが出来なかった。

読もうと思ったが、それはやってはいけないことのように思えたから。

それは、綾波だけの、大切な思い出だと、思うから。

「じゃあ、もう行くね。もう、あんなことしないでよ」

「あんなこと?」

「ああ、ごめん。知らない方がいいよね。いいんだ、なんでもない」

そう一人で納得し、病室から出ようとする。

そう、知らない方が幸せなこともあるんだ。

「あのさ、綾波」

「何?」

「また、来てもいいかな」

緊張しつつ、言おうと決めていたことを言う。

「…かまわないわ」

「あ、ありがとう。じゃあ、また来るよ」

そう言い、病室を出る。

深く息を吸い、吐く。

よかった、断られるかと思ったよ。

今度こそ。

今度こそ、綾波の支えになってみせる。

そう決意し、歩き始める。



























シンジが去った病室には、綾波レイが一人残されていた。

シンジから受け取った日記を、読みふけっている。

最後まで読み終えた彼女は、自分の左手首を見つめる。

傷一つない、白い肌。

目線を日記に戻し、ノートを閉じる。

そして、渡された封筒を見る。

綾波レイ様、と書かれてあったそれをやや強引に開き、中のものを取り出す。

出てきたものは、自分のIDカードと、小さく畳まれた手紙だった。





















拝啓 綾波レイ様

こんにちは、お元気ですか?三人目の私。二人目です。

この手紙を読んでいるってことは、引継ぎが上手くいったということですね。おめでとう。

まず、あなたに謝らなければいけないことがあります。

私は、碇くんに嘘をつきました。あなたにこの手紙を渡しに来てくれた少年が、碇くんです。

私は碇くんに、この引継ぎのために起こる、記憶の消失を、病気のせいであると嘘をつきました。

碇くんが私について知っていることは、名前以外すべて嘘です。

だから、碇くんにとってあなたは、記憶喪失になった二人目の綾波レイです。

彼は、私が死んだことすら知りません。自殺未遂で入院している、と考えているでしょう。

ごめんなさい、あなたの人生を弄ぶようなことをしてしまって。

けど、私には、碇くんが私のことで傷つくのが耐えられません。

だから、最初で最後のお願いです。二人目として、生きてくれませんか。

本当にごめんなさい、自分勝手ですよね。勝手に自殺して、その後始末をあなたに押し付けて。

でも、私は、あなたに人間として生きて欲しいです。

碇くんは、あなたの支えになることが出来ると思います。

でも、全てはあなたの自由です。自分がしたいようにしてください。

縛られて、他人の人形だった、あの頃の私にもそう言ってあげたかったです。

あなたの人生を生きてください。それでは。

 


綾波レイ


PS 私のことは心配しないで下さい。私には、意志があるから。

あの人と再会するまで、生まれ変りつづけます。何度でも。

それがどんなに辛く悲しいことであっても。































































綾波レイは読み終えると、静かに窓の外を見た。

「あなたは、私であって私じゃなかったのね」

去ってしまった少女に向かって、語りかける。

「あなたは、自由になれたの?」

生まれ変って、その人と巡り合えたのだろうか。

少女は、静かに目を閉じると、二人目の幸せを願った。

どうか、巡り合えますように。

窓の外には、青い空がどこまでも広がっていた。



























2015 8/4 晴れ

決めていた日がやってきた。

この世界に碇くんは来てくれなかった。だから、死のうと思う。

彼の名前を手首に刻んで死のう。

次の世界には、いるのだろうか。いなくても、何度でも繰り返せばいい。逢える時まで。

これまでそうしてきたように…なんて言っても、次の私には意味が分らないことでしょう。

いいんです。日記は、その日の気分を残すものなのだから。

次の私にも、日記を書くことを勧めます。

きっと、大切な思い出になるから。






最後の日記を書き終えると、レイはベッドの下にそれを置いた。

チェストの上には、シンジと次の自分への手紙。

準備は、全て終わった。

さよなら、碇くん。

私には、あなたを幸せにすることは出来ません。本当に無責任でごめんなさい。

そう心の中で思い、バスルームへ向かう。

脱衣所で制服を脱ぎ、畳む。

ポケットに入れていたカミソリを、右手に握り締める。

水の入ったバスタブに浸かり、レイは自分の人生を回想した。

シンジと出会って、自爆して三人目に変わって。

碇ゲンドウを裏切って、シンジを選んで。

人類補完計画の発動により、シンジの魂と共に不滅の魂を得て。

サードインパクト後の世界を、シンジと共に生きて。

寿命がやってきて。

シンジと、生まれ変わっても再会すると約束して。

意識が無くなった瞬間を感じて。

次の瞬間には、14歳の自分になっていた。

使徒が15年ぶりに襲来した日に、戻っていた。

レイは、その時理解した。生まれ変わったんだ、と。

しかし、約束を交わしたシンジは、現れなかった。

2度目の人生を終えて、再び生まれ変わった時にも。

何度人生を繰り返しても、約束したシンジは現れなかった。

今回の人生は、何回目だっただろうか?

確か、57回目だった。

やけになって、使徒に特攻して死んだ回もあった。

ビルから飛び降りた時も、毒を飲んだ時も、首を吊った時もあった。

それでも、レイは生まれ変わり続けた。

まるで、魂の消滅が、許されていないかのように。

シンジの魂がその世界に存在しないと知る度に、絶望を味わった。

その度、どうやって死ぬかを考える。

一番多いのは、リストカット。

自分の死体を処理する人への配慮だった。

左手首の、傷跡を見つめる。

今回は、シンジが違うことが分かった時点で、死のうと思った。

シンジが自分のことを知る前に死のう、と。

しかし結果は、失敗。

何故だか未だに分からない。この世界に未練など無いのに。

シンジへの手紙の内容は、この世界のシンジを傷つけないための苦肉の策だった。

最後までの心配は、シンジが自分への手紙を読んでしまうこと。

読まないで、とでも書いておけばよかったのか。

しかし、それは不自然のような気がした。

最後まで迷ったが、結局、書かないことに決めた。

シンジに全てを託すことにした。

ごめんなさい、57人目の碇くん。

呟き、手首に刃を当てる。

力を込めて、自らの肉を切り裂く。

ざく、ざく、ざく。

吹き出る血と、傷跡によって描かれる、文字。

イ、カ、リ、シ、ン、ジ。

確かに、そう読めた。

痛みと共に押し寄せてくる、死への恐怖と、希望。

次こそ、碇くんと再会できますように。



零れ落ちる、涙。

世界が、暗転した。










































エピローグ










蝉の鳴く声。

無人の駅から、少年の声が聞こえる。

「…ええ、そうです。今駅で足止め食らっちゃって。とにかく、早く来てくださいよ。時間ないんでしょう?
え?携帯の番号?書類に書いてありましたよ。…そうです、頼みましたよ、葛城さん」

そう言い、受話器をおろす。

「58回目だったか、59回目だったか…綾波、この世界にもいないのか…?」

シンジはレイの最期を見届けた後、子供達と共に余生を生きた。

そして、レイの死の3年後、シンジは永眠した。

意識が回復したと思うと、シンジは14歳に戻っていた。

シンジは理解した。生まれ変わったのだと。

そして、レイとの再会を、確信した。

しかし、その世界に、レイの魂は存在しなかった。

サードインパクトを防いだ時もあった。人類補完計画を阻止した時もあった。

カヲルと、共に生きることが出来た時もあった。

でも、何度生まれ変わっても、レイはレイではなかった。

この世界でも、僕は綾波を見つけれないのか?

生まれ変わる度に、綾波がいないことを知り、落胆した。

綾波の魂は、消滅してしまったのかも知れない。

けど、約束したんだ。捜し出すって。

何度、人生を繰り返してでも。

何人ものカヲル君を、握りつぶしてでも。

希望がある限り。

そう心の中で呟き、顔を上げる。

その視線の先にあるのは、毎回見る、彼の捜し求める少女の幻影。

鳴きながら飛び立つ鳥の音。少年はそれを目で追う。

目線を戻す。

そこにいたのは、彼の捜し求めていた少女。


























「え……?」




































「待ちくたびれたわよ。碇くん」




















終劇













Special Thanks To T.F







◆FUKIさんへの感想・メッセージはこちらのページから◆


■BACK