重金属がぶつかり合うような衝撃がシェルターに響き渡る。地上で激しい戦闘が行われていることは想像に難くなかったが、周りの人々の表情に曇りはなかった。
また、戦闘か。そんな、表情。
度重なる使徒との戦闘だが、回数を重ねる毎に人々は"自分達は生き残る"と信じて疑わなくなってきているように思える。それは、綾波、ネルフの勝利を確信しているからなのか、ネルフが負けても自分達が死ぬことはないと思っているのか、分からないが、シェルターの中にかつてのような緊張感はなくなってきていた。それが良いことか悪いことかと聞かれたら、戸惑いや混乱なんかない方がいいには決まっているけれど、やっぱり上では一人の少女が命を賭けて戦っているわけで。もう少し、神妙になってもいいんじゃないかとは思うこともあるけれどそんなことはどうでもいいことで。
僕は自分に与えられたスペースの中で、いつもと変わらず動き回る生き物に目をやる。
ハムスター。
このシェルターには基本的には、動物の持ち込みは禁止されている。犬や猫などはこの空間ではなく、別の場所のペットセンターみたいな所で預かる決まりになっているらしいが、サイズの小さいもの、ハムスターや鳥のようにケージに入れられるものは、自分で管理することが許されている。
彼女には、不安も恐怖もないらしい。どんなにシェルターが揺れようとも、回し車を回し続けていた。
リリィ。それが、彼女の名前。
案は、綾波が出した。僕はミニーを推していたのだが、綾波がそんな沈没したテーマパークのキャラクターの名前をつけるのはよくないと主張したので泣く泣くリリィに決定した。僕は未だにミニーのほうがしっくり来てリリィに違和感があるのだが。
指で、網の隙間から彼女を撫でる。リリィは気持ちよさそうに指に身を寄せる。この瞬間が彼女の一番可愛らしい姿だと僕は主張しているが、綾波は、彼女が丸くなって寝ている時が一番可愛いと言う。
腕時計に目をやる。針は十時をわずかに回っていた。いつもなら彼女はこの時間には眠っているように思う。しかし上からの振動や周りに多くの人が居るせいか、眠る様子はない。興奮しているのだろう、僕も初めてシェルターに入ったときは……
そうだ。居なくなった綾波のことを、心配していたんだ。
最後に、大きな爆発音とともに最大の衝撃が伝わってきた。それが意味することは、大部分の人が理解していた。ほどなくして流れる戦闘が終り家に帰ってもよいというアナウンスを心待ちにしながら、僕はその時を待った。
戦闘が終わったばかりの街は、歩いている自分の足音が響き渡るほど閑静だ。街灯は戦闘の影響でついていない箇所もたまにはあるが、夜道を歩くのも一興だった。
そういえば第三に来る前は田舎道ばかりで夜は気をつけないと脇道に転がり落ちてしまうような暗い道ばかりだったな。
僕は空を見上げた。星はほとんど見えなかった。あれはオリオン座だろうか?少ない知識を振り絞って三角形を成す星々を、そう認識してみたが確信はない。帰ってネットで調べてみよう。先生の所では星がよく見えた。眠れない夜は窓を開けて星を眺めていたものだった。
先生の家に居た時、何度か考えたことがある。宇宙に果てはあるのかと。ビッグバン説のような宇宙のことを知識として得ていなかった当時の僕は毎晩のように星を眺めて自問していた。
たぶんあの頃の僕が出した結論は、宇宙に果てはある、ということだったはずだ。宇宙といっても所詮空間だから、いつかは果てに辿りつくはずだ。けれど子供心にその説に疑問も抱いていた。では、その果てが壁であったとしたら、その壁の向こうには何があるのか?答えは出なかった。そのようなことを禅問答のように毎晩繰り返していた。
丁度その頃に、死についても考えるようになったように思う。死んだらどうなるのか?これも答えは出なかった。天国なんてあるのか?天国に行けば母さんに会えるのか、そして生まれ変わるのか。そして、死んだ後のことは死ぬことでしか知り得ないという結論に至った後に、どうしようもない恐怖に襲われた。死は無だとしたら、僕がなくなってしまうということだ。そこから先を考えるだけで涙が出そうになった。どうしようもない感情に襲われた。そうやって眠られない夜は先生の奥さんが一緒に寝てくれた、先生の奥さんは母さんに少し似ていて、まるで母さんと一緒に寝ているような感覚になって心地よく眠られた。
月が、綺麗だった。
不意に、金属が擦れ合う音が耳に入ってきた。その音は、道路の曲がり角の向こうから発せられていた。キイ、キイと、こちらに近付いて来る、そして聞こえてくる会話。
聞き覚えのある、声。
「晩飯、何にする?」
「なんでもいいよ、どうせ昨日の残りで済ませて作る気ないくせに」
「ぐっ……いや、そんなことせえへん、ちゃんと作る」
「じゃあ、ボンカレー。お兄ちゃんの手作り、正直あんまりおいしくないんだよね……」
「……」
トウジだった。そして、彼の押す車椅子には、小学生だろうか、彼の面影を何処かに残す、少女。
「……あっ」
正直。トウジとは、あの事件以来、ずっと話していない、それは僕が綾波といつも居るせいもあったけれど、どちらかというと、トウジが僕達を避けているように感じていたからだ。
運が、悪い。僕とトウジは地区的に避難するシェルターは別々だった。だからシェルターの中で顔を合わせる心配はなかったけれど、こうして帰り道で出くわしてしまうとは。
「あ、えっと、久しぶり」
「あ、おう、せやな」
久しぶりなんかじゃなく、毎日学校で会っているはずなのにその言葉が出てしまったのは、こうして会話すること自体が久しぶりであることの象徴だった。やはり互いに気まずさがある。そんな牽制し合うかのような僕達のやり取りを見て、不思議そうに少女は口を開いた。
「……お兄ちゃん、知り合い?」
「ん、ああ、友達や」
「ふーん、そう。今晩は」
少女は笑顔で挨拶をしてきた。僕は彼女の足に視線を向けた。両足には、何もない。あの時から、半年経っていた。見た限りギブスも装着していない。なら、完治していないということなのだろうか。
「今晩は、えっと、ナツミちゃん?」
「はい。いつも兄がお世話になってます」
ナツミちゃんはそう言って頭を下げた。トウジから以前に聞いた話だと小学三年生だったか四年生だったか、いずれにしてもしっかりとした子だ。トウジが可愛がるのも分かる、いい子だった。けれど。
「……えっと、それじゃあ、僕はこれで。お休みなさい」
いてもたっても居られない、凍りつくような空気。
辛かった、まるでトウジとナツミちゃんの視線に貫かれているような感覚。一秒でもそこから早く離れたかった。それは逃避でしかなかった、けれど僕にはどうにも出来ない。彼女が綾波のことを憎んでいるのではないかと考えるだけで胸が張り裂けそうになった。
僕は早足に二人から離れようとした。
「あ、シンジ!」
トウジの声。足が、止まる。
「……ずっと言えへんかったんやけど」
そして。
「わしら、来週、疎開するんや」
僕はトウジを振り返った。トウジは僕をしっかりと見据えていた。言葉に出来ない想いが、喉の奥までやってきていた。
「ナツミ、怪我は治ったんやけど、まだ歩けへんのや、リハビリ続けてんけど、いつ治るかも分からへん、うちの親父はネルフで働いとんやけど、あのバケモンとの戦いもいつ終わるか分からへん言うとるし、せやから、な」
「……そう、なんだ」
口がパクパクと開く。その可能性は誰にでも十分にあった。ケンスケや委員長や他のクラスの皆。ただ、考えようとしていなかっただけだったのだろう。それが現実になってしまった今、僕は動揺を隠せなかった。
「……言うの遅れて、悪かったな、何か、シンジに話し掛け辛かったから」
「ううん、いいんだ、今言ってくれて、何かよく分からないけど、何か、嬉しかった」
「さよか」
そう言って、トウジは笑った。あれ以来に見る、笑顔だった。
「やっと普通に話せてよかったわ。ずっと気まずうてしょうがなかったわ、でもわしももう気にしてないし、ナツミも、な?」
「?何が?」
「こいつの友達が、あのロボットのパイロットなんや」
「え!そうなの!すごい!」
彼女の顔に笑顔が溢れた。信じられなかった。僕が予想していた反応と全く違う現実が、そこにはあった。
「あの、突然あれなんですけど、その人に、頑張って、って伝えて貰えますか?私、ずっと感謝したくて。助けて貰って、すごく尊敬してるんです!出来れば会いたいんですけど駄目ですかね?」
「それはどうやろうな……忙しいやろうしな」
「残念……でも良かった!ずっとありがとうって言いたかったんです、伝えて貰えますか?」
「あ、うん。分かった、絶対に、伝えるよ」
「ありがとうございます!」
「そういうわけやから。綾波によろしゅうな、シンジ」
「うん……トウジも、元気でね」
「ははは、まだこっちにおるっちゅうねん、明日も学校で会えるしな。じゃ、また明日」
「うん、また明日」
街の闇に消えていく二人を僕は見つめていた。脳裏に残る、彼女の笑顔。不思議な感覚だった。僕は家への数十分間の間、ずっと彼女の顔を思い浮かべていた。彼女はどうして、笑うことが出来るのだろう。
きっと、彼女は、幸せなんだろう。自分が怪我をしていても、優しい兄が居て、学校に行けば友達も居るだろう、好きな男の子も居るかも知れない。普通の女の子だからだ。
家に帰り、僕は電気も点けないままベランダへと向かった。街には明かりが戻りつつあった。しかしそれほどまで明るくはないので星も美しく輝いて見えた。
綺麗だった。こうやって真剣に風景を眺めること自体が久しぶりだった。
第三に来てからは初めてといってもいだろう、ああ、そういえば昔、ネルフ本部の夜景の綺麗なレストランで綾波と食事する約束をしていたな、忘れていた、というか僕もネルフに滅多に行かないし綾波も忙しいからそんなことをしている暇なんてないだろう。暇になったら、また誘って行ってみたい。綾波には長期休暇とか貰えないのだろうか。がちゃり。そんな静寂の夜をドアの軋む音が打ち破った。綾波だ。今日はやけに早いな。
「ただいま」
彼女は電気の点いていない部屋に疑問を抱いたようだが、僕が帰っていることには気付いていた。
「綾波、ベランダに来てよ。すごい綺麗だからさ」
彼女を誘導する。彼女は暗闇の中、ベランダから漏れる明かりを頼りに、一歩一歩近付いて来る。
「どうしたの、電気も点けないで」
「すごい綺麗なんだ。綾波、あんまり見たことないでしょ?この時間帯の風景ってさ」
僕の隣に彼女は立つ。手摺から身を乗り出して食い入るように星と街の光を見詰める。
「綺麗」
「ね?」
誇らしげに言う。僕が発見したんだ、そんな気分だった。この街に居る者なら誰でも共有出来る風景、だけど綾波はパイロット故にこの戦闘が終わった直後の風景を見ることが出来ない。今日は本当に運がいい日だった。
「今日、早かったね」
「体調が、少し優れないから、軽いメディカルチェックを受けただけで帰宅許可が下りたから。あと、送って貰ったから」
自分のことを、他人のことのように言う。体調が優れないというのは、風邪気味という意味だろうか?今朝の段階ではそれほどいつもと違う風には見えなかった。僕は引っかかることを無視し、話題を変えた。
「いつも、終わった後何してんの?」
「反省会」
「結構本気でやってんだね?」
僕のその能天気な言葉を聞き、彼女は微笑む。
「当たり前よ、必死にやっているのだから」
そりゃあそうだ、綾波が負ければ彼女自身の命はおろか、少なくとも僕たち市民の命もないだろう、一分の隙によって死に直結する、彼女の生きる世界では当然のことだろう。
僕達はそれからしばらく、無言のまま夜景を眺めていた。次第に点いて行く、街灯、そして家の明かりが、揺らめいて幻想的ですらあった。
「ねえ、綾波」
「なに」
「宇宙の果て、って、あると思う?」
「どうして?」
「いや、今さっき考えてて。別に深い意味はないんだけど」
彼女は少し考えて。
「ないと思う」
「なんで?」
「宇宙は、常に膨張しているから。私達がそこに到達することが不可能だから」
「じゃあ、もし膨張する以上の速度で移動出来たとしたらさ、どうなると思う?」
「……分からないわ、そんなこと不可能だから」
「……そうだよね」
実も蓋もないことを言う。それが可能だったときの場合の話をしているのだが……。
「碇くんは?」
「え」
「碇くんは、どう思うの?」
「えっとね、果てはあると思うんだ、口では説明が難しいんだけど、なんていうか……膨張しているとしても、"その瞬間"の限界はあるわけでしょ?だから、綾波の言う通り実現は無理だと思うけど、確かに果てはあると思う」
ふうん、と綾波は納得いかないような顔をしている。これ以上は僕では上手く説明が出来ない。けれど、そんな僕等が知り得ることがない真理に関係なく、見上げた宇宙は美しかった。
少しの沈黙の後。
「あ、それとさ、トウジ、鈴原のことなんだけどさ」
僕は突然切り出した。あまりにも無理のある展開だったが、言うのを忘れていたわけではない、会話の流れの中で言い出すタイミングを掴めなかっただけだ。
綾波は不思議そうな顔をしている、何故今そんなことを言うの?そんな、顔だった。
「妹さんが居るんだ。その子が、綾波のこと、尊敬してるって。頑張って、って言ってた」
「……そう」
今は、これ以上のことを言う必要はないだろう、綾波は、結果的にであっても、自分が彼女を傷付けたということを知ってしまったら、きっと、すごく落ち込むから。ナツミちゃんに対しても嘘はついていない。綾波がパイロットだという情報は中学校に居る者なら馬鹿でもいい加減悟ることが出来た。綾波がパイロットだということは、半ばオフィシャルな情報として彼女を知る人々の間に知れ渡っていた。勿論、ネルフによってある程度の情報統制はされているんだろうけど、もはや殆ど意味のないところまで来ていた。だから、綾波も、こうしてさも普通のことのように受け取ったのだろう。
「碇くん」
彼女は、街を見下ろしたまま、口を開く。
「碇くんは、雪、見たことある?」
「えっと、子供のころだけど、あるよ」
「桜は?」
「桜は……ない、と思う」
「そう」
そう言って綾波は、悲しそうな顔をして街から目を背けた。
「映像で見るのとは、全然違う?」
「そりゃあね、桜は分からないけど雪は冷たいし、その場の空気っていうか、すごいからさ、感動したのは覚えてるな」
「そう」
口癖のように呟く。月明かりに照らされた彼女の横顔から心理は読み取れない。
「何かあったの?」
「いえ、別に、ただ見たいと思っただけ。リリィに餌あげた?」
「え、うん、避難する前にあげたけど」
「そう」
そう言い、彼女はベランダから部屋に戻る。窓辺に置かれたケイジの網目の隙間から、藁にまみれてすやすやと眠るリリィを見詰める。綾波が言うリリィの一番可愛らしい瞬間はまさに今だった、"そしてリリィが眠っているのを見る綾波"を見るのが、僕は好きだった。油断しているというか、綾波が一番リラックスしているというか、とにかく素の綾波の姿が見られる数少ない瞬間だからだ。
「風呂入る?」
「いいわ、疲れたから。もう寝るわ」
「分かった、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
彼女は制服のまま自分の部屋へと入っていく。そういえば体調が優れないとか言っていたな、疲れ以上にそれもあるのかも知れない。僕はそれ以上の詮索を避けた。
僕も、風呂に入ってさっさと寝よう。
ベランダの窓を閉める。時刻は午後十一時を過ぎていた。
翌日、彼女は風邪をひいた。僕と一緒に暮らし始めてから、初めての病気だった。
「38度2分」
差し出された体温計が表示する度数は、彼女の辛そうな表情と紅く染まった頬に見て取れた。
「そんなことないわ」
意地、のようなものだろう。僕の知る限り彼女は皆勤賞で学校にもネルフにも行っていたから、そのこともあったのかも知れないが、けっこう彼女は無茶をするタイプだということがこれまでの経験で分かっている。
「休んだ方がいいよ、べつに今日テストとかないじゃん」
起き上がろうとする彼女を、ベッドに戻す。幸い、今日はネルフもない日だ。後悔先に立たず、もし使徒が来たときに風邪をこじらせていたら本当の意味で死活問題だ。
「だから、今日は休み、ね」
「……分かったわ」
渋々、といった表情だが、荒い呼吸が示すように相当苦しそうに見えた。
彼女は、健康でいることに全力で取り組んでいる。
ネルフのメディカルチェックも定期的に行っているみたいだし、僕と一緒に作る食事もバランスを考えている。健康でない、ということは、たった一人のエヴァのパイロットである彼女にとっては一番避けなければならないことであるし、万が一、今回のように体調を崩したとしても早急に治さなければならない、それは彼女自身も自覚しているし、僕も赤木さんから言われたことがある。
今は、体調を元に戻すことだけを考えればいい。
朝食を終え、お粥を食べた彼女は薬を飲み、再びベッドに戻る。食べて寝ることでしか風邪は治らない、それが一番の近道だ。
「じゃ、行って来ます」
薬の作用で眠りに落ちつつある彼女に後ろ髪を引かれながら、僕は学校へと向かう。彼女の看病をするために僕も休むことも考えたが、それは彼女に止められた。
疑問が、ある。
朝食の後に、綾波は薬を飲んだ。風邪薬とは別に、いつもネルフから支給されている薬も、いつも欠かさないように飲んでいた。彼女が言うには、ビタミン剤ということだった。ずっと前に聞いてから、それほど重要なものだとは考えていなかった。
最近。毎食後に飲む、薬の量が、増えている。
ビタミン剤で、彼女の体調に応じて増減しているのなら、そういうものであるのなら、何も問題はない。けれど、僕にはそれが、何か違うのではないかと思うようになっていた。彼女は自分のことについては殆ど語ろうとしない、過去のことも含め僕は彼女のことを未だに殆ど知らない。出会ってからの彼女のことのそれ以外は断片的にしか知らない。何故、彼女がパイロットに選ばれたのか。何故彼女しか出来ないのか。知りたくないといえば嘘になるが、彼女が語ろうとしないのだからどうしようもない。
それは、自分の体調についても同様だ。しんどいとも疲れたとも、最近は少しは言うようになったがそれでもあまり表に出さないようにしているように見える。
何か。ひっかかる。
トウジが疎開して行く日、駅のホームに僕は居た。ケンスケも、委員長も、クラスメイトも皆居た。居なかったのは彼女だけだった。ナツミちゃんも一緒だった。多くの小学生が彼女の周りに居る。電話番号や住所を交換している子も居れば、寄せ書きを渡す子も居た。多くの子は目に涙を溜めていた、ナツミちゃんも泣きながら笑っていた。戦いが終わったら戻ってくるから。そう固く約束を交わす少女達。
一方、中学生組の別れはそれほどドラマティックなものではなかった。単純に少しは大人というだけではなく、今まで何人ものクラスメイトを見送って来た経験もあるだろう。一人ずつと一言二言交わし、委員長は告白するという噂があったが結局しなかったし、ケンスケとは前々から話をしていたのだろう、元気でな、程度の会話しかなかった。それも親友の証だろう。そして最後に僕の前に立った。
「シンジ、ありがとな」
「いや、いいんだ、トウジ、元気でね」
「おう、シンジもな」
ニカッと笑う。もう、トウジはトウジだった。僕はうっかり泣きそうになるのを堪える。トウジは僕の感情を読み取ったのだろうか、優しく肩を、二度、三度と叩く。
「綾波は、来んかったか」
「うん、今日も、仕事」
「そか、大変やな、せや、あのこの前のあれは、言うてくれた?」
「言ったよ、ちゃんと言った。綾波も分かってるから」
「そうか、よかった」
その刹那、アナウンスがホームに鳴り渡る。別れの時はあっという間にやって来た。皆、途端に悲しそうな顔を作る。
トウジは、地面に置いていた鞄を持ち上げる。
「ほな、またな」
「うん、トウジ、元気で」
「当たり前や、全部、終わったら、戻ってくるから。シンジも、元気でな」
「うん」
ホームに、勢いよく入ってくる新幹線。そのスピードによって起きた風が、皆の髪を揺らす。会話はそれ以上必要なかった。僕もトウジも分かっていた。もう僕達は、大丈夫だ。トウジと綾波も、きっと大丈夫。全てが終わって、トウジが言葉通り戻ってきたときには、きっと、二人は、大丈夫だ。トウジは笑顔で応えてくれた。きっと、大丈夫。
十二月。前世紀には、綾波の云う雪が見られる季節が、やって来ていた。
体感ではほとんど違いは感じられない、けれど年々、少しずつ季節は戻ってきているらしい。今年の冬は例年よりも寒い──といってもほとんど夏なのだが──らしい。綾波が風邪をひいたのもそれも少しは関係するのかも知れない。まだ完全に治っていないみたいで二週間経った今でも咳き込むことがある。
帰ったら何を作ろう。綾波は最近仕事が忙しいのか、夜遅くなることがある。風邪の影響か、食欲もあまりないみたいだ。こういう時こそ料理人の腕が発揮されるというものだ、早く元気になってもらいたい。その一心だった。
街は、暗闇に包まれ始めていた。心なしか、吐いた息が白かった気がした。そんなこと、あるわけがなかった。
その晩、綾波が倒れた、という電話が、あった。
蛹の夢:虚無の孤独
つづく
◆FUKIさんへの感想・メッセージはこちらのページから◆
■BACK
|