きっと、誰もが望む世界は作れない。

誰もが救われる世界、誰も犠牲にならない世界。そんなの幻なんだろう。



皆が笑って暮らせる未来なんて、偽善でしかない。必ず幸福の裏には不幸があり、生があれば死がある。

きっと、そうなんだ。















雲が、南から流れていた。今朝のテレビで見た天気予報では今夜から雨らしい。

無言で歩く僕の隣に、また無言で歩く綾波。手には包帯。この前の使徒との戦闘での傷だった。

ロボットとのシンクロ、とかいう説明し辛い現象で、ロボットへのダメージが直接綾波に伝わってしまう。そのせいで、あれから十日も経った今も綾波の両手は火傷で爛れていた。



人類を救うことの痛み。

世界を救うことの、代償。

そうなんだろう。それが分かっているから、綾波は文句一つ言わず、今日もネルフへ行く。



それが、どんなに辛いことであっても。





「……行って、来ます」

「行ってらっしゃい、帰って来る時、多分雨降ってるだろうからさ、気をつけてね」

「ええ」

ジオフロントへの十字路。そんな言葉を交わして僕達は別れた。綾波の姿が見えなくなるまで、僕はその場に立っていた。

そしてゆっくりと、気分がいいとは言えない体を回転させ、その場を立ち去った。

いつもの繰り返し。変わらない毎日。使徒が来ようとも、それと戦った翌日、両手に火傷を抱え、疲労困憊していたとしても綾波に休息の日は訪れない。

ワーカホリックのように。多少体調が悪い日もネルフはもちろん学校すら休まない。

少しは休めばいいのに。たまに綾波が心配になって、そう提言してみるが、その度に綾波は、寂しそうに笑ってこう言う。



「休むわけにはいかないから」、と。





















あの日。第二の使徒が襲来した日──トウジは、二週間ぶりに、学校に顔を見せた。

表向きは、何も変わっていなかった。笑顔で、軽快な冗談を飛ばし、ふざけすぎて洞木さんに怒られていたり。

僕と、ケンスケ以外の皆には、何一つ特別なことが、トウジに起こったことに気付かなかった。

「でも、なんかトウジ、強がってるような、無理してるような……そんな気がする」

事情を直接伝えられた僕は別にしても、ケンスケの、小学校からの付き合いの目だけはごまかせなかった。

それでもトウジは、クラスの道化として。自分を取り繕って。

多くが疎開して行く中、暗くなりがちだったクラスに、明るさを取り戻してくれた。

けれど。

……けれど。



綾波の方に、視線が向けられることは、不自然なほどになかった。

それに気付いてしまったとき。

僕は、悲しくて、泣きたくなってしまった。





トウジがあんな話を僕にしたのは、僕があの場に居たから、だけではないだろう。

僕がいつも綾波と一緒に行動しているから。僕だけが、綾波とトウジの中間に存在する人物だから。

僕にしか話せない、綾波への複雑な感情が、トウジの言ったそれだったんだと思う。

そして、あれから何度も考えてみると、トウジはきっと僕に、助けを求めていたのだと、思う。

「どうしていいか分からない」。感情論で綾波の罪を断ずるのなら、そんなことを言うはずがなかったから。

ロボットに乗って、しかも戦わなければいけないのだから足元なんて気にすることは出来ない。下手すれば綾波が死んでいた状況だった。

そして、もし綾波が戦っていなかったら、妹さんを含め自分達が死んでいた。トウジはそれを冷静に理解していたから、怒りに任せるのではなく、自分が混乱していることを含め全てを吐露した。勝手にそう解釈するしかなかった。

憎いとか、そんなことではない。

けれど、仕方なかった、なんてありきたりな言葉では片付けられないのだろう。

綾波の、せいなのだろうか?

違う。違うと思う。

では、誰のせいなのだろうか。

悪いのは、使徒だ。使徒が来なければ、綾波は戦わなくてすんだし、トウジの妹さんも傷つくこともなかった。

けれど、僕もトウジも、使徒を直接殴り返すことが出来ない。綾波の戦うのを、シェルターで膝を抱えて怯えながら見守らなければならなかった。

……そして、何もすることが出来なくて綾波に守ってもらった結果、あんなことになってしまった。

どうしようもないジレンマ。もし僕がトウジの立場だったとしても、大切な人が大怪我をしたのに簡単にそれを許すことなんて出来ないだろう。



……ずっと、仲良くして欲しいと思っていた。

いつか、皆で一緒に笑いあっていければいいな、と思っていた。

それが、まさか、こんな状況になってしまうなんて、誰が予想出来ただろうか?

神様が居るなんて考えはずっと昔に、母さんを亡くし父さんに捨てられた時に捨てていたけれど、きっと神様でも無理だっただろう。

そんなことを考えるほどに、精神的に辛かった。



運命が、憎い。

そして、トウジは綾波に対して、何かアクションを起こすことは、なかった。

何事もなかったかのように。綾波に対して、特別な思いはないかのように。

僕も、綾波と一緒に居る手前、トウジになかなか話し掛けることも出来ず。そして、綾波に本当のことを言うことも出来ず。

きっと、知ってしまうと、綾波は思い悩んでしまうから。人類皆の為に戦ったはずなのに、逆にそのせいで誰かを傷つけてしまったなんて、僕には言うことが出来ない。



何も解決せず。それでも、時間は無常にも過ぎていく。

皆が笑って暮らせる未来なんて、偽善でしかない。必ず幸福の裏には不幸があり、生があれば死がある。

きっと、そうなんだ。




















「……ただいま」

誰も居ないのは分かっているが、自分に言ったつもりで呟いた。家の中は出てくる時にカーテンを閉めたせいか、暗かった。ライトを点し、脱いだ靴をそのままにして部屋に上がる。いつもならきれいに揃えているところだったが、今は手には、帰りがけに買った日用品の入ったビニール袋がある。けっこうな重さのそれは指の肉に食い込み、手先の感覚はなくなっていた。

とりあえずそれらを置いてから揃えよう、と思いつつ、僕はリビングへと向う。

玉子が入った袋を乱暴に扱うわけにもいかず、そっと冷蔵庫の前の床に下ろし、牛乳パックと玉子、牛肉、そして野菜を順番に収める。冷凍庫からは、ガリガリと、氷が出来る音が聞えていた。



綾波が帰ってくるまでにはあと四時間以上もある。何を作るのかは、もうちょっとしてから考えればいいだろう。

料理もいくら考えているとはいえ、中学生レベルではどうしてもマンネリ化してしまっていた。まあ、こうやって何を作るのか悩む日は結局、前の日の残り物を食べることになることが多いのだが。

昨日作った肉じゃがはまだあるし、それと味噌汁とご飯でいいのではないだろうか。シンプルイズベストともいうし……と、そんなことを考えて、自分の手抜きを正当化しようとしたけれど。

本当は、毎日新しいものを作って、綾波に喜んでもらいたかった。

それが、僕に出来ることだったから。それくらいしか──僕にはこうやって家にいて、家事をするくらいしか、綾波に対して出来ることがないから。

僕には、何もないから──。





そんなことを考えて、一人で落ち込みかけていた、その時だった。

下を向いていた僕の目に入ってきたものが、あった。



チカチカと光る、ランプ。

リビングのチェストの上にある電話の親機に点滅している、赤いランプ──留守電、か?

滅多に電話なんてかかってこないから一瞬何かと思ったが、やはりそれは留守電だった。

僕はゆっくりと電話に近付き、ディスプレイに示された、録音メッセージありのアイコンを確認し、再生ボタンを押した。





一件の、録音メッセージが、あります。着信時間、午前八時、十分、です。





女性の合成音声がたどたどしく伝えた時間は、ちょうど僕達は学校へ向っていた時だった。入れ違いでかかって来たのだろうが──でも、誰が?

相手の電話番号は、非通知だった。時たま電話があるネルフの赤木さんや、トウジとケンスケの番号は記録させてあるから、彼らでは、ない。

もしかしたら、間違い電話かも──そんな余計なことを推理しながら、僕は再生が始まるのを待った。



そして。

一瞬の、録音テープに切り替わるノイズ。

電話の向こうの、空気の音。

息遣い。





しばらくの無言の後、"彼女"は口を開いた。




















「……レイ?……えっと、久しぶり。アスカです……」




















そう。

この時、僕が全てを知っていれば。

これから起こるあらゆることを、どうにか出来たんじゃないか。そんな思いに駆られ、何も出来なかった自分を責めたくなる。

……けれど、知っていたとしても、やっぱりどうしようもなかったんだ。






全ては僕の手の届かない所で進行し、この時点で──もう、手遅れだった。




















蛹の夢:終わりの始まり




















「……今まで、連絡出来なくて、ごめんね」













+続く+






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