夢を、見た。

綾波が、消えてしまう夢を。

僕の手は届かず、綾波は笑顔で。

「さよなら」、と。

そこで、目が覚めた。

背中は汗でびっしょり濡れていて気持ち悪い。

枕下の目覚まし時計を見る。

五時半。

太陽は少し出かかっているのか、窓の外はうっすらと明るくなってきていた。

二度寝しようかと思ったが、濡れたシャツが体に張り付き、とてもではないが眠れる気がしない。

仕方なく起きる覚悟を決めて、シャワーを浴びに風呂場へ向った。





今日は土曜日。

外はすがすがしい程に晴れていたけど、ジオフロントへ行かなければいけない僕達にとっては全く無縁のものだった。


















蛹の夢:ある晴れた土曜日




















「おはよう、綾波」

寝惚け眼で部屋から出てきた綾波。

その柔らかそうな髪には寝癖が少しついていた。

「ご飯、すぐに出来るから。その間に顔、洗ってきなよ」

綾波は目を擦りながら小さく頷き、洗面台へ向った。





綾波は、実は朝に弱かった。

ここで暮らすようになった初日は起こしに行った時には起きていたが、本当はほとんど寝てなかったらしくて。

決して顔には出さないが、多分、緊張していたんだと思う。

慣れない他人の家で暮らすようになったこと、そして、学校に行くこと。

だから、あの日は、家に帰って食事をして、その後すぐに綾波は部屋へ行ってしまった。

眠たかったのもあるだろうけど、一人になりたかったんだと思う。

学校から帰る道で、僕は綾波に一生懸命話し掛けた。

「学校、どうだった?」とか、「体は大丈夫だった?」とか。

けど、綾波は、曖昧に頷くだけで、どこか遠くを見ていた。

……多分、トウジとケンスケのことを気にしていたんだと思う。

あの後。

授業が終わり、下校時間になって。

綾波は、相変わらず外を見てたけど、午前中とは感じが違った。

思い込むような、そんな感じ。

僕は綾波に、「帰ろう?」と、声を掛けて。

ゆっくりと視線を僕の方に移して、帰り支度を始めた。

綾波の支度が終わり、鞄を手にとったところで、教室を見回す。

役割の掃除に行ったのか家路についたのだろう、教室には僕達以外にほとんど人がいなかった。

……そして、トウジとケンスケも。

今週は、そういえば二人とも掃除当番だったことを思い出して。

そして、少し、ほっとした。

僕は、いつも二人と途中まで一緒に下校しているから。

今顔を合わせれば、綾波とも接触することになる。

綾波にとって、今問題を解決するのが最善なのかは分からない。

それに、きっと今の綾波は困惑している。

自分を取り巻く環境との摩擦に。

けど、時間を置けば。

考える時間があれば、綾波も自分の気持ちを整理することが出来るはずだ。

だから。

トウジとケンスケに、心の中で、ごめんと呟いて、僕は綾波を連れて教室を飛び出した。





綾波が学校に復帰した昨日は、金曜日だった。

だから、まだ一回しか綾波は登校していない。

考えを整理する、その意味でも、タイミングよく土日が挟まってくれたと思う。

……けど。

僕が心配しているのは、学校のことだけではなかった。

昨日の夜にかかってきた電話。

ネルフの、確か赤木さん、が言った事には、綾波はネルフに何か検査をしに行かなければならなかったらしくて。

それで、今日は一日潰れるらしい。

それが、意味すること。

綾波の実験が、再開される。

綾波を事故にあわせて、心を閉ざす原因になった実験が。

僕は出来れば綾波にそんな実験に関わって欲しくなかったけど、

どうすることも出来ない、その歯がゆさが胸を締め付ける。

昨日の夜、部屋に篭っていた綾波にそのことを告げると、

「……分かったわ」

と、表情に影を落として言った。

その顔は、悲しみ、恐怖、色々な感情が混ざっていたように感じた。

僕に出来ることは、綾波が安全に実験出来るように祈ることだけ。

けど、今さっき見た綾波の表情は、いつもと変わらない感じだったから、少し安心した。

一晩寝れば心も落ち着く、そんな経験は何度もしていたから、そうなんだろうな、と思った。





「……よし、完成」

フライパンの上でベーコンの入ったスクランブルエッグを完成させて、朝食が出揃った。

今日は時間に余裕があるので、普段よりも力を入れて作ることが出来た。

いつものことだが、今回も味のことを心配してしまう。

味見は当然するが、僕の味覚と綾波の味覚は違うから、口に合うか分からない。

綾波の好きな味付けにしようと心がけているつもりだけど、具体的なものが分からないから不安だった。

皿に盛り付けていると、綾波は学校の制服に身を包んで戻ってきた。

「早かったね?」

綾波はさっぱりした表情になっていた。

けど。

寝癖は、そのままだった。

「……どうか、したの?」

綾波は僕に頭部を見つめられていることに気付いて、僕の視線から逃れるかのように頭を少し横に向けた。

「い、いや、何でもないんだ。さ、食べようよ」

そう言ってごまかし、綾波の椅子を引いた。

「……?」

綾波は不思議そうな顔をしたが、すぐにもとに戻って、椅子に腰掛けた。

エプロンを外し、僕も自分の椅子に座る。

話し合って決めたわけじゃないけど、それぞれの座る位置は決まっていた。

まあ、綾波は自分から座ろうとしないので、僕が綾波の椅子を引いて、それに座るから、僕が位置を決定したと言ってもいいかも知れないけど。

「いただきます」

「いただきます」

綾波は、もくもくと目の前にあるものを食べる。

今までに僕が作ったものを残したことは、ない。

僕の作ったものがおいしいか、それは聞いてみないと分からないけど、

ただ、綾波が僕のことを気にして、無理して食べてるのではないかと心配だった。

だから、綾波の分は少し少なめにしてあるのだが……。

「綾波、足りなかったら言ってよね?」

「……大丈夫」

と、曖昧に答えられてしまう。

「……」

「……」

食事が進む音だけが、食卓に流れる。

僕は、綾波と二人で居る時は、必死で話題を考えなければいけない。

何か会話していないと、不安だった。

綾波が、僕と居て退屈だと感じてしまったら、それはすごく悲しいから。

「……そうだ、綾波」

綾波は食事の手を止めて、こちらに視線を向けた。

「……なに?」

「この前、買い物に行こうって言ったよね?それなんだけど……」

少し緊張して、言葉を続ける。

「今日は無理っぽいから、明日にしない?……いや、別に明日じゃなくてもいいんだけどさ」

僕がそこまで言って一息置くと、綾波は。

「……いいわ」

「そ、そう?じゃあ、明日にしようか」

そう言って、再び箸を動かして、食事を再開した。

それ以上会話が続かなくなったので、仕方なく僕もご飯を口に中にかき込む。

数分だっただろうか、食卓に沈黙が流れた。

僕と綾波が食事を終えたのは、ほとんど同時だった。

「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」

僕が言うと、綾波もつられるように言う。

「……さ、片付けよう。綾波、お皿下げるから、貸して」

二人が使った食器をてきぱきと重ねて、流しに一気に運ぶ。

……洗うのは、後にしよう。

水道のそばにある時計は、八時半を指していた。

ネルフに来い、と言われた時間は、十時。

そこから逆算すると、あと三十分ほど余裕があった。

……とりあえず、着替えよう。

私服に着替えるか、制服にするか迷ったけど、綾波が制服なので合わせることにした。

今日、僕がすることは、綾波を送ってネルフまで行くこと。

赤木さんに頼まれたのだけれど、きっと頼まれなくてもそうしたと思う。

綾波の病院服はまだ返してなかったし、他にすることもなかったからちょうどよかったけど、一日中は辛いかも知れない。

鞄に読みかけの本を暇つぶし用に忍ばせて、一応出発の準備は終わった。

あとは、バスの時間まで、どうするかだった。

リビングに戻ると、何もすることなく椅子に座っていた綾波が目に入った。

僕は、そばに歩み寄って。

「綾波、今日はどんな実験をするの?」

さり気なく気になっていたことを聞き出そうと試みて話し掛ける。

けれど、綾波は。

「……」

顔を下に向け、答えようとはしなかった。

「……えっと、綾波?」

「……」

気まずい空気が部屋に流れた。

「いや、言いたくないんならいいんだ。ごめん」

「……いいの」

僕と綾波の間にある、壁。

知られたくないことと、知りたいことのギャップ。

もちろん僕にだって、綾波に知って欲しくない醜い面はある。

けど。

綾波の抱えていることは、とても大きく、そして重たいことのように感じたから。

だから、教えて欲しかった。

知ることによって綾波を支えることが出来るかも知れない、と思ったから。

「……」

「……」

今はまだ、教えてくれなくても。

いつか、自分から話してくれる、そんな日が来ればいいのに。

そんなことを、思った。

「……テレビ、見ようか」

その空気に耐え切れなくなり、話題を変えようとテレビのリモコンを手にとって、綾波に尋ねる。

綾波は、小さく頷いた。

「……次は、スポーツのコーナーです」

テレビでは、前世紀から続いている朝の番組が流れていた。

チャンネルを適当に回す。

けど、朝の番組はほとんど似たようなものだった。

「綾波、見たい番組、ある?」

「……ない」

綾波は画面を見つめたまま、言った。

「……そっか」

仕方なく、最初につけたチャンネルに戻して、見ることにした。

そこでは、メジャーリーグで日本人選手が活躍した、ということや、

ワールドカップの出場権がどうのこうの、といった情報がにぎやかにトークされていた。

でも、スポーツに興味がない僕には、さっぱりだった。

綾波も、見てはいるが楽しんでいるかどうかは分からない。

結局、その時間は息苦しいもので終わってしまった。

テレビの隅っこに表示されている、時刻が九時ちょうどに変わった瞬間。

「そろそろ行こうか。綾波、準備はいいの?」

そう聞くと、綾波は。

「……うん」

と、少し自分の周りを見回して言った。

「よし……じゃ、行こう」

立ち上がり、置いていた鞄を背負う。

綾波も立ち上がり、僕について玄関まで歩き、靴を履いた。

ドアを開けると、むわっと夏の暑さに体を包まれ、太陽の眩しさに目を細める。

蝉は、今日も元気に鳴いていた。















ジオフロント行きのバスに揺られること、三十分。

会話らしい会話もなく、僕達はネルフ本部の入り口まで辿り着いた。

僕は一応綾波の病院に通っていた時のパスがあったから入れたけど、これには使用期限があったから、そのうちジオフロントにすら入れなくなるかも知れなかった。

まあ、いつまでも僕は綾波を送って行くというわけにもいかないだろうし、それは仕方のないことだったけれど。

パスを通し、許可が下りるのを確認してからゲートをくぐる。

しばらく歩くと、広いロビーが広がった。

赤木さんは入り口まで迎えに来てくれると言っていたけれど、その姿は見えなかった。

「……座ろっか」

僕は広いロビーのベンチに綾波を誘って座る。

出勤時間は過ぎ去っているだろうけど、やっぱり出入り口だからだろうか、人の姿はちらほらと見える。

そして、その全ての職員がこちらを見ては、近づいてきて、綾波に話し掛けた。

「もう大丈夫なの?」とか、「また一緒に頑張ろうね」とか。

綾波はそれぞれに、相変わらず無愛想な対応で答える。

……綾波の、ネルフでの立場が、なんとなく掴めたような気がした。

仲間、なんだ。

一緒に何かを成し遂げる、共同体の一員。

話し掛けてきた職員は、事故にあう前の綾波を知っている。

それは、僕との大きな差異。

正直に言うと、羨ましいと思った。

「……レイちゃん?」

何人目だっただろうか。

書類を抱えて通りかかった可愛らしい女性が、こちらに気付き歩み寄ってきた。

「レイちゃん!もう、大丈夫なの?実験再開でしょ」

「問題ありません」

「そう……ごめんなさい、あの時は、どうすることも出来なくて」

その、ボーイッシュな感じのする女性は少し俯き、謝罪の言葉を口にした。

「……」

口篭もる、綾波と女性。

「……あなたは、碇シンジ君ね」

話題を変えるように、僕に視線を向けて微笑んできた。

「はい……でも、どうして僕のことを?」

「色々と、話に聞くからね。レイちゃんと仲がいい男の子、ってね」

そう言うと、女性は無邪気に笑った。

「……そうですか」

嬉しいような、嬉しくないような。

どう答えていいか分からず、苦笑してしまう。

と、そうこうしていたら。

女性は、通路の向こう側に、何かを発見して。

「先輩!」

と、手を振って言った。

向こうから近づいて来るのは……金髪の女性。

赤木さんだった。

「マヤ、どうしたの?大声出して」

「レイちゃんとシンジ君が来てますよ」

マヤと呼ばれた女性は、妙にハイになって僕達の方に赤木さんを連れてきた。

「時間通りね。ありがとう、シンジ君」

「あ、はい」

赤木さんは、何度か会ったことがある。

綾波の病室に行くと、赤木さんはしばしば綾波の体温、脈拍などを測定していたことがあった。

だから、けっこう話もしたし、それなりに仲はいい……と思う。

向こうはどう思っているかは知らないけど。

「それじゃあレイ、行きましょうか」

「……はい」

綾波は、消えそうな声でそう言い、立ち上がった。

「かなり遅くなると思うわ。シンジ君は、これからどうするつもりなの?」

「ここで、綾波を待ちますよ。他にすることもないですし」

「そう。だったら、図書館を使うといいわ。場所は……」

「ああ、分かります。行ったこと、ありますから」

こっちに来て、初めの頃。

ネルフを見学して、歩いたことがあった。

だから、多分、行けると思う。

「そう。なら、終わったらアナウンスで流すわ。またここに来て頂戴」

「分かりました」

「じゃ、また後で……。レイ、行きましょう」

そう言うと、赤木さんは来た方向に向き返り、歩き始めた。

「シンジ君、またね」

マヤさんも小さく手を振って、赤木さんの後を追って歩き出す。

綾波は。

ちょっとの間、立ち尽くしていたけど。

すぐに二人を追って、ゆっくりと歩き出した。

「綾波……頑張ってね」

僕が、立ち上がって綾波の背中に向って言うと。

綾波は、立ち止まって。

少し、振り返ろうとしたけど。

何も言う事なく、再び歩き出した。



僕は、小さくなっていく綾波の後姿がエレベーターに消えるまで、その方向を見つめていた。

「……行くか」

時間は、有り余るほどにあったけど。

図書館に向う前にやらなければならないことがあったので、僕は歩き始めた。










病院に、借りていた服を返して。

とりあえず、やらなければいけないことを先に終えて。

僕は、図書館へ向ってエスカレーターに乗った。

あそこは人がほとんどいないから、きっと快適な時間が過ごせるはずだ。

そんな期待をしていた。

それに、持ってきた本だけでも時間は十分に潰せるだろうけど、あそこにはたくさん本がある。

それを眺めているだけで、楽しいだろう。

少しわくわくしていた。

けど。

綾波が、いまどうしているか。

それが、どうしても頭から離れなかった。





辿り着いた図書館は予想通り人は少なく、クーラーが効いていた。

奥の方にある椅子に座って、机の上に持ってきた本を置く。

読み始めると、時間を忘れてその世界にのめり込み、一気に最後まで読んでしまった。

けど。

最後になると、一気にその世界から放り出された感覚を味わった。

……なんだ、これは?

主人公を含めて登場人物のほとんどが不幸な結末を迎えたと思ったら、夢落ち。

つまらなくはなかったけど、もう二度と読む気になれない、そんな気分。

何だかよく分からない気持ちで、壁に掛けてあった時計に目を向ける。

午後、四時。

……そういえば、お腹が空いてきたような気がしてたんだよなぁ。

昼飯は、別によかったけど、そろそろ空腹で辛くなってきた。

綾波は、まだ時間がかかるのだろうか?

食事はとったのだろうか?

帰りがけに、食事に誘ってみようか。

ここの最上階にある、レストランに。

初めてネルフに来た時付き添ってくれた、確か……葛城さんに連れて来てもらった、レストラン。

あの時に言っていた。

夜になると、ジオフロントの中でも夜景が綺麗だって。

ジオフロントは地中にあるから、電気で明るくなっている。

けど、何やら経費節減の為に、地上の日没にあわせて段々と暗くなっていく。

だから、夜景というものも存在した。

僕も見てみたかったけど、綾波に見せてあげたかった。

そんなことを考えて、本を鞄にしまい、立ち上がる。

……そういえば。

僕はあることを思い出して。

ファッション雑誌をニ、三冊持ってきて、目を通した。

そこには、女性が様々な服を着て、ポーズを取っている写真が載っていた。

……こんな感じなのだろうか?

どんな服が綾波に似合うか、頭の中で当てはめてみる。

けど、ファッションに疎い僕には、さっぱり分からなかった。

明日、買い物に行った時に、どうしよう。

まあ、僕が選ぶわけじゃないし、本人に任せればよかったのだけど。

それに、この本に載っているような服は、値段的にも購入出来ない。

結局、その場で決めるしかなかった。





持ってきた三冊目の雑誌を読み終えたけど、それでもアナウンスは流れなかった。

暇を持て余して、ニ、三十分館内をうろうろしていたら、やっと放送が入った。

ロビーに十分後。

綾波の実験が終わったのだ。

僕は図書館から飛び出して、ロビーに向った。

到着した時には、綾波はすでに着いていて。

赤木さんは、疲れた表情をしていた。

「待たせて悪かったわね、シンジ君」

「いえ、大丈夫です」

とは言うものの、実際はけっこう辛かった。

綾波の方を見る。

別れた時と、同じ……?

僕は、少し違和感を感じた。

別れた時とは、何か違う。

それは、髪の毛。

朝見た、寝癖がなくなっていた。

そして、その髪は少し濡れていた。

「……綾波、風呂に入ったんですか?」

赤木さんに尋ねる。

「ええ、洗い流さないといけなかったから」

「……そうですか」

洗い流す、とはどういうことなのだろう。

疑問は尽きなかったが、今は聞いても答えてくれないだろう。

それはよく分かっていた。

「もう、帰っていいんですか?」

「もちろん。今日はお疲れ様、レイ」

「……はい」

綾波は視線を赤木さんからそらして言った。

赤木さんの表情が一瞬曇ったのを、僕は見逃さなかった。

「……それじゃあ、僕達はこれで」

僕が軽く会釈をすると、赤木さんはぱっと顔をこちらに向けて、笑顔を作った。

「ええ。気をつけて帰ってね」

「ありがとうございます。じゃ、綾波。帰ろう?」

「……さようなら」

綾波も、小さく頭を下げて。

僕達は出口に向って、歩き出した。











「今日は、大丈夫だったの?」

「……うん」

「そっか。良かった」

僕の少し左後ろを綾波は歩いている。

ロビーから歩いて、ゲートまでの道。

綾波は、少し疲れているのか、いつもに増して口数が少なかった。

「……そうだ。綾波、ご飯食べた?」

立ち止まって、綾波の正面を向いて話し掛ける。

「……?」

「晩御飯だよ。実験で忙しかったんでしょ?」

綾波は、間を置いて、首を縦に振った。

「だったら、ここの最上階に、いいレストランがあるんだ。そこで食べない?」

「……」

精神的にも、疲労しているだろう綾波に、少しでも楽になって欲しかったから。

けど、綾波は、下を向いて考え込んでしまった。

「いや、別に無理にとは言わないけど……どう?」

外食一つにしても、綾波にとっては一大事なのだろうか。

そこらへんのギャップも、まだ理解し切れていなかった。

綾波は。

ゆっくりと、顔を上げて。

「……分かったわ」

と、言った。

「じゃあ……行こう」

近くにあったエレベーターのスイッチを押して。

財布の中身を確認する。

多分、カードも使えるし、大丈夫だろう。

……ネルフの司令の息子ですって言って、顔パスは駄目だろうか?

そんな下らないことを考えていたけど。

本当は、かなり緊張していた。










ネルフには、けっこう食事出来る場所があるけど、ここは主に来客が使う店って、葛城さんは言っていた。

職員の姿はあんまり見えないけど、何故か客は多く、ほとんどの席に人が座っている。

入り口に突っ立っていると、ウエイターがやって来て、僕達は案内されるままに移動する。

……席は、あんまりいい場所ではなかった。

夜景は見えることは見えるけど、決してよい眺めではなかった。

目的のうちの一つが崩れ去って、少しがっかりしたけど、気を取り直そう。

「綾波、ここに来るの、初めて?」

「……多分」

「ふーん……」

周りに人がたくさんいる、その場の雰囲気に飲まれて上手く会話が出来ない。

仕方なくメニューを開いた。

「……どれにする?」

僕がそう尋ねると、綾波は自分側にあったもう一つのメニューを開き、目を通し始めた。

「どれでもいいよ。好きなのを選んで」

金銭的な意味合いも含めてあるが……綾波はそんなにデタラメな金額のものは注文しないだろうし、それは問題なかった。

問題があるとすれば、選んでくれるか、ということだろうか。

けど、どうやらそれは心配し過ぎだったようで。

「……カツカレー」

と、メニューを閉じながら言った。

「他には、何かない?ジュースとか」

「……水でいい」

「……じゃあ、決まったかな……」

僕は、まだ来ていないウエイターを探して、店内を見回した。

「……!」

思わず、出した頭を隠すようにしてしまう。

僕の視線が捕らえたもの。

……父さん。

父さんが、誰か分からないけど、中年の男と食事しながら会話をしていた。

一瞬、目が合ったような気がしたけど、気のせいだったことを願いたい。

……やっぱり、まだ苦手だった。

「……どうかしたの?」

不審な動きをした僕を心配したのか、綾波は真剣な表情で声を掛けてくれた。

「いや……なんでもなかったよ」

平常を装って言うが、上手く表情が作れただろうか。

「……そう」

綾波は、納得し切れていないだろうけど、それ以上追求してくることはなかった。







「いらっしゃいませ」

しばらくすると、案内してくれたウエイターが、水とおしぼりを持ってやって来て。

僕達の目の前に一つずつ、丁寧に置いた。

「ご注文は、お決まりでしょうか?」

そう言いながら、ポケットから注文を入力する機器を取り出して、こちらを見てくる。

「えっと……ラーメンと、カツカレーをお願いします」

「かしこまりました……ご注文を確認させていただきます。ラーメンが一つに、カツカレーが一つ、でよろしかったですね」

「はい」

「……少々お待ちください」

そう言って頭を下げて、ウエイターは奥へ戻っていった。

……二品なのに、確認する必要はあったのだろうか。

マニュアル通りに動かないといけないのは分かっているけど。

やっぱり、それが常識というものなのだろうか?

臨機応変に、少しはさぼってもいいと思うんだけどなあ。

店内を、父さんの方を除いて見渡すと、実に様々な人が目に付く。

サラリーマン風の男や、家族連れ。

休日は、許可をとったらジオフロントは見学出来るから、そのせいかも知れない。

父親の膝の上に乗って、お子様ランチについていた玩具で遊ぶ子供。

……僕にはなかった時代。

あったかもしれないけれど、思い出せれないほどかすかな記憶。

こんなことを考えたらいけないのかも知れないけど。

もし、母さんが生きていたら。

僕は、父さんと上手くやれていたのだろうか?







「お待たせいたしました」

それからさらにしばらくして。

さっきのウエイターが、お盆にカレーを乗せて帰ってきた。

綾波の前に音を立てないようにゆっくりと置き、皿の横にスプーンを置く。

「ラーメンは、もうしばらくお待ちください」

そう言って、彼はまた厨房の方へ戻っていった。

「綾波、先に食べなよ。僕のはもうちょっとかかりそうだからさ」

昼食抜きで、実は死ぬほど腹が減っていて、綾波のカレーの匂いで胃がキリキリと痛んだ。

早く来て欲しい、それが素直な気持ちだった。

綾波は、先端が紙に包まれていたスプーンを手にとって、紙をゆっくりと解いて、カレーをかき混ぜ始めた。

……一昨日の夜にも、そういえばカレーを食べたんだっけ。

それを思い出して、急速に不安が襲ってきた。

もし、こっちのカレーの方が美味しかったら。

僕の料理について、何か思ったりしないだろうか?

綾波の方に視線を向ける。

綾波は、スプーンの上に乗っているカレーを、口で冷ましていた。

そして、ゆっくりと口に入れた。

味わっているのかよく分からないが、しばらく噛んで飲み込んだ。

……僕は、知らないうちに綾波を見ている。

食事をしている姿をまじまじと見られたら、いい気はしないだろう。

いけない、と思いつつ、厨房の方に目を向けると。

あのウエイターが、またこっちにお盆を持ってやって来るのが見えた。

ここからでも立ち上る湯気が見えた。

僕の空腹感はいっそう増し、食事への期待も高まる。

「お待たせいたしました。ラーメンになります」

目の前に置かれたラーメンは、いつもより何倍も美味しそうに見えた。

「ご注文は、以上でよろしかったですね?」

と、営業スマイルで決り文句を口にする。

「はい」

そう言うと彼は、ごゆっくりどうぞ、と言って去っていった。

「うわ、美味しそうだな。いただきます」

割り箸を割って、丼の中に入れる。

値段のわりに丼は大きく、ボリューム満天、といったところだった。

味の方を確認するために、箸で麺を掴み、口に近付けた時。

僕達の隣を横切った、大きな影があった。

その影は、僕の隣で立ち止まった。

僕は、視界の隅に写る、その見覚えのあるズボンにどきっとして、口に含もうとした麺を丼の中に戻して。

ゆっくりと、顔を見上げた。

そこには。

父さんが、立っていた。

「シンジ、それに、レイか」

僕は、父さんと目が合った瞬間に、無意識に視線をそらしてしまった。

父さんはそれに気付いたからなのか、僕から視線を綾波に向けて。

「レイ、実験はどうだった?大丈夫だったか?」

「……問題ありません」

父さんは、誰にも見せないような優しい表情で、綾波に話し掛けている。

けど、綾波は、他の人に対する時と同じように、顔を上げることなく無表情に答える。

「碇君、どうかしたのかね?」

一瞬、僕が呼ばれたのかと思ったけど。

声の主は、さっき父さんと一緒に食事していた、中年だった。

「すぐに行きます。少し、待ってて下さい」

父さんがそう言うと、中年は手を振って入り口の方へ歩いて行った。

父さんは、それを見届けると、再び綾波の方を向いた。

「今度は大丈夫だ、もう二度と……?」

父さんは、何かに気付いたような顔をして、綾波の手元に視線を向けた。

そこにあるのは、なんてことはない、綾波が注文したカレーだった。

「……シンジ」

「……何」

父さんはカレーに顔を向けたままだった。

「レイは、肉を食べるのか?」

「……?」

父さんが見ているものを見ようと、カレーの皿を覗き込む。

「……カツのこと?」

父さんの視線の先には、半分まで食べられたいたカツがあった。

「……普通に、何でも食べるけど?」

不思議に思い、語尾に疑問符をつけて答える。

「……そう、か……」

「どうかしたの?」

「いや、何でもない……邪魔して悪かったな」

「?」

そう言い残して、父さんは食堂から去っていった。

……なんだったんだ、一体?

再び、綾波を見る。

食事を再開して、もくもくとカレーを口に運ぶ、綾波。

……食べてるよなぁ。

「……っと」

目の前の、湯気が立っていたラーメンの存在を思い出して。

箸を割って、少しのびてしまったそれを食す。

味は、良くも悪くもレストランの味、といったところだった。

「綾波、おいしい?」

麺を啜りながら話し掛ける。

綾波は、食事の手を止めて。

「……碇くんの作った方が、おいしかった」

予想だにしなかった答えを、直球で投げてきた。

「そ、そう?いや、嬉しいな。ありがとう」

顔が少し赤くなっているような気がするが、多分ラーメンの熱さのせいだろう。

ごまかすために、ラーメンを口の中にかき込む。

綾波は、やっぱり黙々とカツカレーを食べていた。








+続く+







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