照りつける日差しを、片手を挙げて視界から遮る仕草を見せた少年は、傍らの級友達にうんざりした様子で口を開いた。

「うへぇ〜… 今日もホンマ暑っついのぅ」

少年――鈴原トウジがかざした手の平。
その指の隙間から、今日も変わらず、ぬける様な青空がのぞいている。

「そりゃあ、お前のその格好じゃ、よけい暑いだろうよ」
眼鏡の少年が、年中ジャージというトウジの服装をかえりみて、今更ながらゲンナリした様子で告げた。

「わかっとらんのぅケンスケ。この暑い中にしてジャージには、
 ワイの信念っちゅうか、男の寡黙なダンディズムが込められて…」

わかったわかった、とトウジの言い分を流したケンスケを眺め、苦笑を浮かべたおさげの少女は、それとなくジャージの少年と同じく、上空高く広がる空に視線を移すと、

「…それにしても、碇君に霧島さん、それに…綾波さん…。
 皆、学校に来なかったね… どうしたのかな…」

「また、いつもの訓練ちゃうか?」
「そうだといいけど…」

おさげの少女――洞木ヒカリはいつもの面子が居ない、普段と違う下校風景に戸惑いと言い知れぬ不安を、それすらも愛らしい、そばかす混じりの表情に浮かべると、つぶやく様に小さく告げた。




暗く、閉め切った部屋。
その片隅にある、カプセル状の物体が仄かな光を燈し、傍らの膝を抱えた少年の姿が青白く照らされていた。

日重前線基地内の最深部、時田夫妻と彼のみしか入る事を許されない区画に存在する、秘匿された地下室内で、碇シンジは昨夜の出来事を想い返していた。

手にしていたスプーンでアイスの氷山をすくい、シンジの口元へと持っていくレイの仕草。
ネコのぬいぐるみを抱き、その腕を持ってシンジの肩を楽しそうに叩いている、レイの笑顔。
シンジの想いを知り、思わず涙を浮かべたレイの双眸。

そして、グラビィの内で無理に笑顔をかたどらせ、泣き顔のレイが紡いだ、
健気で… そして余りにも悲しい、惜別の言葉…―――


「…!!
 …ぅっ、 ひぐ…っ、うっ、…ふぅ… ぅっ…!!」


膝を抱えた少年は、頭を垂れて――、
どれほど流したか、見当も付かない涙と嗚咽に再び…暮れた。






Ultra_Violet
#23 "call me, call me"






陽光が容赦なく照りつけ、アスファルトに反射した熱が陽炎を造る。
霧島マナは、トウジやヒカリ達が見上げた空を、住宅街にひっそりと設けられたバス停の物陰から、ブラウンの瞳をどこか虚ろな色彩に曇らせ、見詰めていた。

昨日、彼女は自身の焦燥感に負け、シンジとレイの後を、朝からずっと尾行し続けた。

今に至らずとも、以前よりマナは薄々気付いていた。
彼女が想いを寄せてしまった少年、碇シンジの意識は知らずの内に、あの蒼銀の髪の少女の方を向いている事に。

それを認めてなお、マナは出来得る限り、シンジの傍らに居たいと願った。
頼りない隣人の男の子を見守る、しっかり者のガールフレンド。
いっそ、そんな陳腐な役割でも厭わないつもりであった。

しかし…――

夕暮れの公園で、二人が激しく唇を重ねている姿を、目の当たりにしてしまった。

碇シンジは、綾波レイを想っている。
恐らく自分などよりも、ずっと…深い所で。

そして、レイもまた、普段見せる冷静な表情は見る影もなくし、喜びの涙さえ流してシンジの行為を受け入れていた。
まるで、やっと巡り逢えた想い人を、いとおしむ様に…。
ふたりの切実なる絆を、感じる事が出来たのだ。

「シン…ジ…――」

少年の名を口にするマナ。
その脳裏に、今朝の日重前線基地、時田の執務室において投げ掛けられた、時田の言葉がよぎった。



「――来てくれたか、マナ君…。
 …――これから話す事は、シンジ君には伝えていないが…」
そう、前置きした時田は、早朝直々に出頭を命じた眼前の少女に、何時になく重々しい口調をもって、執務机より顔を上げた。

「なん…でしょうか」
顔面メイクも貧乳ネタもない、普段とは明らかに違う、ひどく沈痛な時田の面持ち。
これから話す内容は、決して良い知らせではない事を、この執務室の端にて無言で煙草を燻らせているメイファの表情からも、窺い知る事が出来た。

「…戦自より復隊要請が来ている。
 直ちに、前所属の研究機関に復帰を求む…との事だ」

ブラウンの瞳を見開いた少女は、胸の奥を鷲掴みにされ、引き裂かれんばかりの衝撃に言葉を失った。
いつかは自らの許に届けられるであろう、元所属機関よりの帰還命令。

覚悟はしていた。
していた筈だった。

だが、マナにとって出来得る限り意識の外に置いておきたかった一報は、彼女の予想よりもずっと性急に、来訪を果たしたのだった。

「どう…してです…か」
淡い色合いの唇が、小刻みに震えている。

「…トライデントの乗組員に欠員が出たそうだ。
 戦自はその補充の任を、キミで充てたいらしい」

「!!」
時田が差し出した報告書の写しには、過日行われた戦自によるトライデント型陸上軽巡洋艦の機動試験に於いて、事故が発生――乗組員が重体と記されていた。

事故を起こしたトライデントの機体名は、『震電』および、『雷電』。

(ムサシ!?ケイタ?!)
マナの脳裏に、同じ研究機関に属していた少年兵たちの姿が浮かんだ。

「…――どうするマナ君?
 我々としては、あらゆる理由を付加して
 キミの在任期間を引き伸ばすつもりだが…――」
「…つか、拒否すりゃいーのよ。 アンタはもう、日重所属。
 あたしと違って…居場所は、ちゃんと此処にあるじゃないの」

時田、そしてメイファ。
ひどく胸に染み入る、ふたりの言葉にマナは俯き、やがて…焦げ茶色のつぶらな瞳に涙を溜めると、

「ありが…と…ござ……ます…。
 でも… すこし……少しだけ…  ――考えさせて…下さい」



(――居場所…。 …私だけの…「居場所」…)
停留所のベンチに身を置いたマナが、心の内で呟いた。

日重という組織に於いて、No2の地位を持つ存在であるメイファ。
しかして彼女は、対抗組織であるNERVに機密情報漏洩を行ったと言う噂が、まことしなやかに流れている。

いつかのシンジとの逢瀬の際に出くわした、チャイナ服姿のメイファとNERV幹部・加持リョウジとの関係を鑑みるに、恐らく件の噂は推測の域に留まる事はないだろう。

時田は何故か意に介していない様子だが、組織の建前上、近い内にメイファに何らかのペナルティは課せられるかも知れない。
それを加味しての、メイファのあの発言だったのだろうが…――

「私だって… 居場所なん…て…」
ぽつり、少女は独りごちる。

彼らは知らないのだ。
霧島マナが日重に所属する最大の理由であり使命…――元サードチルドレン・碇シンジの心を支え、日重に繋ぎ止めておく事――それが、彼女では適わなくなりつつあることを。

マナの胸の内が、締め付けられる様な感覚と共に、重く沈殿を進めて行く。
見上げた空の青さとは、裏腹に。

不意に、マナの視界を影が覆った。

「――あのぅ」

長身を折り畳む様にして、顔をのぞかせたその男性は、すまなさそうな表情でマナに語り掛けた。
「ここは、第3新東京市…の、どのあたりでしょうか?」

どことなく、妙なイントネーションだった。
だが、とても優しい口調だった。






「…昔から、変わっちゃいないんだな」

ようやく軋むことを止めたベッドの端に腰掛けた男――加持リョウジは、胸元に差し出された白い湯気の立ち上るマグカップを前にして、微かに笑った。

「…あら、最初は貴方が始めた事じゃなくって?…」
裸身に白衣ひとつを身に纏っただけの女の声に、加持は暫し記憶をまさぐる素振りを見せたが、やがて詮無い事と判断したのか、抗弁を表する代わりに手渡されたカップを呷った。

学生時代よりの長きに渡って、赤木リツコは自分と身体を重ねた後は、決まってコーヒーを炒れ、無言の内に差し出すのが習慣となっていた。

「…貴方と出会う前は、コーヒーなんて飲みはしなかったわ」

行為の後にも関わらず、いつになく多弁なリツコが独りごち、猫のイラストが印刷されたカップを口に運んだ。
その言葉に、どこか責めるような感情が込められている事を察した加持は、よしてくれとばかりにおどけて片手を挙げた。

「もう、あの娘とは切れているさ」
「そうかしら?」

そうとも、と応えた加持は、傍らに腰掛けたリツコの金色に染めた髪を撫でると、
「これ以上、『会う事』は出来ないそうだ」

「振られちゃったの? …あの子、昔から貴方にご執心だったじゃない」
リツコが発した言葉。
その前半は、驚きよりもむしろ、呆れた様な色を含み、後半は貴重な情報提供者をみすみす逃した加持を責めるそれであった。

赤木リツコと加持リョウジ。
二人は、日重の誇るジェットアローンが発するATフィールド、それはパイロットである碇シンジが、独力にて展開させているという説に、一片の疑いも挟んではいない。

だが、決め手となる証拠が見つからない。
ならばと日重の前線基地に単身、潜入した加持は、思いがけず自分を慕うかつての後輩、霞村メイファと再会を果たす事となる。

メイファを利用し、JAおよびシンジに関する多くの情報を彼女より引き出した加持は、碇シンジの異能力の源――「トリガー」についての「協力」を得る寸前で、こちらの目論見を見透かされてしまった。


――もう、これ以上… あたしを弄ばないで…、哂わないでください…――!!


数日前のあの夜、涙ながらにメイファが叫んだ姿が、男の瞼に浮かんだ。

「可愛い後輩の苦しむ姿を、見ていられなくなってね」
「…嘘ばっかり」

『トリガー』奪取をメイファ持ち掛けるまでに、彼女と交わした数々の役得をリツコに咎められた加持は、苦笑しつつ煙草に火を点けると、紫煙を肺深く吸い込んだ。

「…ま、いいさ。 こちらが望む情報の粗方は、提供してもらったしね」
「……」

加持に一瞥をくれたリツコは、不服そうな空気を収める気配は見せないが、それでも気を取り直したようにカップの内の液体を胃に流し込むと、傍らの男に身を寄せた。

「…後は、回収班の報告を待つばかりね」






失意のマナが出会った男。
彼が差し出したメモには、驚いたことに「日本重化学工業共同体」と謳われ、その所在地のアドレスが書き記されていた。

男は、台湾より遥々日本へとやって来た技術者で、是非とも会いたい人が居ると言う。

(そっか… 外人さんかぁ…)
案内するマナの傍らを歩く、細身でやや長身の男の姿をそれとなく見上げたマナは、男の発する発音の違和感の正体を知り、納得した。

「…? どうしました?」
きょとんとした表情の男は、自分を見上げている眼下の少女の、視線の意味合いを測りかねている。

線の細い体躯に、額が見える程度にやや短めの黒髪。
歳は二十台半ば。
骨太とは正反対の、優しい印象の物腰、顔立ち。

シンジが大きくなったら、こんな感じの暖かい青年になるのでは。
そう思わせるような、心地よく穏やかな空気を纏っていた。

「……――!!」
そこまで浮かんだところで、マナは目を瞑り、頭を左右に振った。

気付けばまた、彼のことを考えてしまっている。
碇シンジの事を、考えてしまっている。

マナの閉じた瞼の裏に、頼りなく、それでいて何より暖かい、あの笑顔がまた…浮かんだ。


――悔しい…


ぽつり、マナの瑞々しい唇から、つぶやきが漏れた。

もう、決めなければならないのに。
決断しなくては、いけない時なのに…。


「シンジの事… キライに…なれない…よ…ぉ」




マナと共に前線基地にやって来た青年を目の当たりにしたメイファは、翡翠の瞳を大きく見開き、ひと声も上げられずに暫しその場に立ち尽くすと…――

次の瞬間、声なき声を上げながら大粒の涙を浮かべ…青年の胸に飛び込んでいった。

訳も分からず、呆然としているマナや、周囲の職員たちの呆気に取られた表情も構わず、普段の表情をかなぐり捨てたメイファは、ただ、ひたすらにこの青年の名前らしき言葉を口にしながら、泣き崩れていた。

「うッ…うぅ…ぅ…! パオ…!パ…オ…ぉ…!」

それに対し、青年・パオは今も変わらない、暖かい微笑を絶やさず…、

「…迎えに来たよ…、 メイファ」

と、告げた。






シンジが、メイファ退社を知ったのは、翌日、時田の呼び出しに応じて、虚ろな表情を引き摺ったまま、前線基地上階のロビーに姿を現した時だった。

食事も喉を通らず、やつれた少年。
ロビーを埋める人だかりをかき分け、向こうにある光景を目の当たりにする。

「…―――!!」
生気をなくした表情に、驚愕の色が一瞬にして広がった。

玄関にはパオを伴ったメイファと共に…、戦自の正装を身に纏った霧島マナの姿があったのだ。

「――この度、霞村副部長は寿退社、
 そして霧島君は任務期間満了の為、戦自に復隊。
 両名とも、日重を去る事となった…」

時田の言葉が、現実的でない物のようにシンジの脳裏に響き、少年は言を失った。

「…ねぇ、ナイチチちゃん…。
 本当に、これでいいの?」

時田の口上が職員でひしめくロビーに響く中、メイファがマナに問うた。

「……いいんです。
 仲間が、心配ですし…」

少し俯いたマナは、それでも笑顔を作ってみせると、

「…メイファさんみたいな、
 ステキな『居場所』…、私もいつか、見付けてみせます!」

と、ガッツポーズを作って見せた。

「……――!」

その言葉に多くを悟ったメイファは一瞬、瞳を潤ませると、小柄なマナの体を抱き寄せ、

「うん、うん…! 断言しちゃう…
 アンタ、絶対…素敵な居場所…みつかるわ」

その言葉に嬉しくも、豊満な身体のメイファの抱擁に、若干の羨望の表情を浮かべたマナは、自らの視界に、出会って間無しの頃に見た、まるで捨てられた仔犬の様に悲しげな瞳を湛えた、黒髪の少年の姿を認めた。

「霧島…さん…」

マナは、出来得る限り彼女らしく、明るい表情で…。
シンジに語り掛ける。

「本官、霧島マナ三曹はぁ、本日9月11日付で、
 戦略自衛隊に復隊する事になりました!」

あくまで自分らしさ、シンジ達の持つイメージを崩さずにいたいマナであったが、
ブラウンの瞳よりあふれるそれが、許さなかった。

「……!!」

思わず俯き、堪えた後…
マナは再び、シンジに笑顔で向き直ると、

「シンジとはぁ、好きなまま、サヨナラしたいからね!」

「…――! …っ、――!!」
少年は、泣き出しそうな表情で何かを訴えかけるが、声にならない。

それを見たマナは、いつもの「仕方ないなぁ」という、世話焼き娘の表情を浮かべて、泣き出す寸前の少年に歩み寄ると、


シンジの唇に、キスをした。


「シンジぃ、大好き!」


「――…ナ…」

メイファと同じく、バスに乗り込んだマナは、にっこり微笑むと…
ガラスの向こうの少年に手を振った。


「…バイバイ!」






+続く+




++あとがき++

ココノです。

どの様な物にも始まりがあり、
そして終わりがあります。

早いもので、読者の皆様の暖かい御支援を戴いてきたUltra_Violetも、残り数話となりましたが、
その終わりを、これまでと同じく、どうか見守ってやっていただければ幸せです。




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