――あの時、確かにヤツはこう言った。

「…キミに言ってるんじゃないんだ、 二人目のキミに、言っているのさ」

どういうことだ。
私は思わずヤツに訊いた。
ヤツは分からないかい、と笑うとこう続けた。

「彼――シンジ君が本当に逢いたいのは、キミなんかじゃない。
 キミの中に住んでいる、もうひとりのキミを…、彼は求めてるんだ」

私は、呆然とするよりなかった。
判らない。
いや、判りたくない。
理性を超えた範疇で、これ以上踏み込んではいけないという、警鐘が高らかに鳴り響いた。

「貴様… 一体…」
だが、私の口唇から洩れたのは、ヤツを引き留めるような言葉。

知りたくない。
こいつの持つ情報が、たった今、私の内に渦巻き始めた怖れと一致するとしたら…

「……」
「………!」
暫しの沈黙。
だが、フィフスを名乗る男は、表情を硬く強張らせたままの私に微笑むと、

「…キミ達が早く惹き合えるよう、祈っているよ」
ラボの向こうへと去って行った。






Ultra_Violet
#20 "口唇"






極力照明を落とした薄暗い室内に、幾つもの光源が浮かび上がっていた。
青白い光を放つそれは、縦横に張り巡らされた数値の羅列を内包し、それらを囲むようにして数人の影があった。

彼らの注視を独占してやまない光源とは、モニタの放つ光であり、そこに表示されているのは先程まで行われていた実験の結果。
そして彼らとは、NERV技術本部長とその部下、あるいは作戦本部長の肩書きを持つ人々であった。

「…まさか…ね」
白衣の女性――赤木リツコが口唇を開いた。
「コアの書き換えなしで、零号機とここまでの精度でシンクロを果たすとはね」
「でも、信じられません!」
傍らのショートカットの女性オペレーター、伊吹マヤが何時になく厳しい口調で敬愛する上司の言葉を打ち消そうと試みるも、

「…いえ、…システム上、ありえないです…」
弱々しい口調に打って変わったマヤの側で、腕組みの女性が静かに告げた。
「でも これは事実なのよ」

「…まず事実を受け止めてから、原因を探ってみて」
冷静な口調とは裏腹に、鋭い視線をモニタに注ぐ彼女――葛城ミサトは、光を放つ函の内にある、驚異的なシンクロ値を記録した主の名をもう一度、脳裏で繰り返した。






陽が暮れようとしていた。
碇シンジは独り、先の使徒戦で損壊した街の一角に佇んでいた。

(…もう一度、あの綾波に逢えるならって、意気込んでこの世界に来たはずなのに…)
膝を抱えた少年の胸中を占めているのは、自らに課した目的――即ち、この世界の綾波レイ殺害――を未だ果たせずにいる、自身に対する苛立ちにも似た感情であった。

恐らくはこの世界の綾波レイも、命を失ったとしても、魂はNERV本部ターミナルドグマの奥地に保存されている、予備の身体に再び宿り直すはず。
シンジは、彼がもう一度逢いたいと心より欲した、二人目の綾波レイの魂だけを保護すれば良い。

(ただ、それだけの事なのに…)
だが、シンジは時田より与えられた小型爆弾入りのぬいぐるみを、一人目のレイに渡さず引き裂き、殺害を放棄した。
目的遂行の最大の好機を、自らの手で潰してしまったのだ。

「そういえば… 時田さんは"時間がない"って言っていたけど…
 どういう意味なんだろう…」

呟く彼の前で、不意に小動物の掠れた鳴き声が響いた。

(…ネコ…か)

いつの間にかシンジの足元までやってきたそれは、埃に毛並みを随分と汚された子猫であった。

「お母さんと…はぐれたの?
 ごめんね、僕も今食べる物持ってな…」

子猫を抱き上げた少年の耳に、背後から声が掛かった。

「やあ」
「!?」
その声は、少年が忘れようはずもなく…
そして、全く予想だにしなかった。

「君が、碇シンジ君だね」

シンジが驚愕の表情とともに振り向いた先にあったのは果たして――静かな微笑を湛えた銀の髪を持つ少年の姿であった…

(カヲル…くん?! どうして…!?)

彼が以前の世界で出会った、フィフスの少年、渚カヲル。
こんなにも弱く、意気地なしの自分を好きだと言ってくれた、そして、この手で握り潰した少年がいま、自分のすぐ傍にいる――
子猫を抱えたまま両の目を見開き、身動きできないでいるシンジに、銀髪の少年は不思議そうに告げた。

「キミ、どうしてこんなトコにいるの? キミも道に迷ったのかい?」
「あっ、え… 僕は、その…」
「…キミのネコ?」

少年に指摘され、シンジは手にしていた子猫に視線を遣った。

「…違うよ」「そう」
違うけど、と続けかけたシンジの手から子猫を取り上げると、銀髪の少年はやにわに子猫の首に手を掛け…
それを、両手で握り潰した。

「……ッ?! 何するんだよ!!」
「このネコ、キミのじゃないんだろう?」
すでに息絶えたネコを瓦礫の山に放り投げると、銀髪の少年は激昂するシンジに不思議そうに応えた。

「それは…ッ、そうだけど!だからって殺すことないじゃないか!」
「このネコは、ほっといてもどうせ死ぬんだよ?」
「……!」
「親もいないし食べ物もない。飢えて苦しんで、徐々に死ぬんだよ?
 …だったら今、殺してあげた方が幸せなのさ」

「――君は、本当にカヲ…」
「ヒカル」

「…え…っ」

「僕の名は、渚ヒカル。 ――キミの目的を援護せしモノ、さ」






明くる日の放課後。
副担任に呼び出されたシンジは、日直の果たすべき役目として、先日より欠席を続けている綾波レイに、たまったプリントを渡すよう依頼された。
手渡された住所録に記された、レイの住所に視線を落としたシンジは、思わず目を見張った。
驚くべきことにレイの住むマンションの所在地は、彼の過去の記憶の中にある、あの人気の無い廃団地の区画ではなく、ごく普通の住宅街の一角であったからだ。


「…綾波、いる…?」
数十分後、シンジは小奇麗な造りの建物、そして故障していないドアホンにどこか違和感を感じながら、"綾波"と書かれたネームプレートが置かれたドアの前に立っていた。

数度の呼び掛けの後、ゆっくりと十数センチほど扉が開く。
ドアチェーンの向こうから半身を乗り出し、半目の視線を遣って来たのは、大き目の白いワイシャツに身を包んだ、蒼銀の髪を持つ少女であった。

(…よりによって、貴様か…)
「え…っ?」
「何でもない…。 何の用だ?」
かぶりを振ったレイに、シンジはおずおずと鞄から紙片の束を掴み出すと、
「これ… プリントたまったからって、先生が」
「要らん。 何処にでも捨てておけ」
「…でも、受け取ってもらわないと…」
「いいから、早く帰れ」
「綾波…」
黒い瞳を困惑で曇らせる少年に対し、レイは暫しの沈黙の後、深くため息をつくと、

「――いいか碇。 貴様は重大な事を見落としている。
 まず第一に、私は学校生活に対し、さして重きを置いてはいない。
 第二に、NERVの実験がこの所徹夜続きで大変疲労し、先程まで寝ていた。
 第三に…――」

チェーンロックを外し、ドアをもう少し開いたレイは、悪戯な笑みと共に腕組みしつつ、シンジの前にその身を現す。
白い大き目のワイシャツの下には、ショーツ一枚という就寝時のあらわな姿を見せつけると、
「つまり、そういう事だ」
「あわぁぁっ!? ごっ、ごめん、綾波!!」

赤面し、すぐに立ち去ろうとするシンジの背に、思いがけない言葉が投げ掛けられた。
「まあいい… 入れ。
 茶のひとつ程度なら、出してやっても構わんぞ」



着替えを済ませたレイに、改めて部屋に案内されたシンジは、彼女の住処であるこの部屋の内装に、驚きを隠せなかった。
年頃の女の子の部屋にしてはやや無機質な感が拭えないが、それでもシンジ達が居た世界の綾波レイの部屋よりは、随分と手入れが行き届き、少女らしい柔らかい空気を醸し出している。

(同じ綾波でも… こんなに違うんだな…)
思わずシンジは、周囲を見渡し、以前いた世界のレイの部屋に思いを馳せた。

「人の部屋をジロジロ見るな。 貴様にデリカシーというものは無いのか?」
手馴れた様子で紅茶を炒れる、レイの呆れたような声がキッチンより飛んで来る。

「ごっ、ごめん…」
「…本当に見てたのか…」
眉を顰めつつダイニングに戻って来たレイの表情を見て、シンジはカマを掛けられていた事を今更ながら知った。

「(ま、まずいな…)い、いや、その… あははっ、
 その… 綾波、紅茶入れるの… うまくなったね。 はは…」
受け取った紅茶を慌てて口にしつつ、シンジは笑ってこの場を誤魔化そうと試みた。

「……」
それに対しレイは静かに机に紅茶を置くと、回転椅子にその身を預け、伸びをしながら、
「そうか… 貴様は以前、私が入れた紅茶を飲んだ事があるんだな…」
「!!」
シンジが息を呑む様を確認したレイは、隠し事が苦手な少年の動揺する姿が映る赤い瞳に一瞬、どこか寂しそうな色をよぎらせた。

「ち…っ、ちがうよ綾波、それは、別の人の家にお邪魔した時の間違いで、その…!」
「それは、"二人目"というヤツの事か?」
「!!!」

レイのその言葉が耳に届いた瞬間、シンジの身体に言い知れぬ衝撃が駆け巡った。
心臓が飛び出しそうなほどに激しく鼓動を伝え、全身から汗が噴き出す。
言葉ひとつ発せぬままに、唇を虚しく上下させる。

「碇シンジは… そいつに逢う為にやって来たと、フォースチルドレンが云っていた…
 私は…、貴様にとって、そいつの代わりでしかないのだな…?」

「――ちっ、違…」
「いいや、違わない!」
やっとの思いで声を振り絞り、レイの言葉を否定せんとしたシンジであったが、少女の叫びが更にそれを打ち消した。

「貴様は、私に"二人目"の面影ばかりを追っているのだろう?!」
椅子から立ち上がり、叫ぶレイ。その表情は悲しく、声音には彼女らしくない、泣き声が混ざっていた。

「私は私だ! 私を見ろ、碇シンジ!!」

胸に両手を当て、まるで請うかのように悲痛な表情で…赤い瞳に涙を滲ませた少女は声を振り絞る。
だが、シンジは、レイの訴えに応える言葉を容易く紡ぎ出す事ができない。

「あや… な…――」
シンジがやっと、口唇を動かした瞬間、

「!?」

レイの唇が、シンジの口唇を捉えていた―――


「………」
やがて、シンジから口唇を離したレイは、俯き…
シンジの胸に両の手の平を当てると、涙に詰まった声で、

「――本当に… 嬉しかった…んだ…ぞ…?」

そう、つぶやく様に告げると、シンジの胸をそのまま突き飛ばした。
「綾…波…――」
よろめくシンジの視界に、部屋の端に木組みのベッドの上に置かれた、白いネコのぬいぐるみの姿が映った。

「かえれ…」

そして、目の前には必死に涙を堪えている、レイの俯いた姿があった。

「帰れ!!」

シンジは、少女に掛ける言葉を見つけられぬまま、マンションから立ち去らざるを得なかった…。




+続く+




++あとがき++

ココノです。


ドラクエ買ってしもたとです。

ココノです…
ココノです…


(すいません、後日ちゃんとしたあとがき書きますので…)




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