──第六使徒戦の後、気がつけば私は、碇シンジの眠る傍らに居た。

本来、その場に居る必要性が皆無であるはずの、この私がだ。

…厳密にはそれは、今回に限った事ではない。
思えば第四使徒との戦いの後も、気付けば私は、勝手に現れ、勝手に溺れたあの瑣末なる者───碇シンジの介抱をしていたに違いない。

何ゆえ、その様な言い回しになるかと云えば…
私には、第四使徒を殲滅した後の十数分間の記憶が、頭からすっぽりと抜け落ちているからだ。

あの時───我に返った私は、初号機を乗せた空母の甲板の端で、意識を失った碇シンジの傍らで膝をつき、海水に濡れた自らの姿を認めて驚愕した。

一時的な記憶障害?
あるいは、海中に落ちた奴を救うのに無我夢中で、記憶が飛んでいたのかも知れない。
…だが、私がそうまでして奴を助ける理由など、いったい何処にあろうか…?

私から、初号機を取り上げんとする者。
忌々しい存在である、碇シンジ。

だのにまた今回も私は、力尽きた奴のそばにいた。
恐らくはまた、戰闘後にこの瑣末なる者を、私は必死に介抱していたのかも知れない。

…そう、毎晩のように見続けている、海中に漂う碇シンジを引き上げる、あの夢の中の私のように…。

思えば、あの海の夢を見た頃からだ。
時折、私の胸が少しずつ… 痛み出したのは…───






Ultra_Violet
#17 "心の行方"






「ごきげんよう、シンジ君」

殺菌消毒したくなるような、きったない笑みを顔いっぱいに貼り付けてシンジを待ち受けていたのは、日重の総責任者たるこの男──時田シロウであった。

前回の使徒襲来により、有耶無耶になってしまった時田の呼び出し。
それに再度応じたシンジが、日重前線基地管理塔の奥にある部長室の扉を開けると、そこには執務机に片肘を乗せ、如何にも上機嫌な様子の時田の姿があった。

「…本題に入る前に、君には礼を言っておかないといかんな。
 先の使徒戦でのJAとシンジ君の働き、誠にあっぱれであったぞ」

殿様(属性:極悪)よろしくカッカッカと笑う時田。
それもその筈、時田がこの世界に逆行を試みた目的は、ジェットアローンでNERVのエヴァンゲリオンを出し抜き、使徒を殲滅するという事であった。

第三使徒戦で、使徒の股間にヘッドバットを食らわせただけでお祭り騒ぎであった彼ら日重。
悲願であったJAによる使徒殲滅の喜びたるや、格別のものであった事は想像に難くない。

「…それはどうも… お役に立てたみたいで…」

放っておけば、いつまでもJAの活躍と有能さを際限なく語っていそうな時田に内心困りつつも、シンジは今回の用件を引き出そうと試みた。

「…ところで、今日は何の話ですか…?」

おお、そうだったと声を上げた時田は、

「キミにこれを託ってほしくてな…。
 …ちょっとかさばるが、このメモに書かれた場所に持ってってやってくれ給え」
時田がロッカーから持ち出してきたのは、両手でなんとか抱え切れる程の大きさの、綺麗にラッピングされた箱と、一枚の紙切れであった。

「…何なんですか、…これ」
呆気に取られたシンジの問いに、時田はプレゼントさと笑い、さらにこう続けた。

「綾波レイへの、ね」







「…あれは、第九使徒──いや、この世界では第五使徒になるのか──
 が襲来する直前にシンジ君、キミはNERVに拉致された事があったな」
「いや、拉致ってわけじゃ…」
「同じようなものさ。
 その頃、私は街中でひとりの少女と意外な出会いを果たした──」

意味深な台詞に続いて時田が胸元から、一枚の写真をシンジに差し出す。
そこには、ファンシー雑貨の店頭のショーウィンドゥの前に立ち、一心不乱にガラスの向こうに陳列されてある商品を食い入るように見詰める、蒼銀の髪の少女の後ろ姿が写っていた。

「!?──綾…波…」

目を見張るシンジ。
彼も以前、マナとのデートの際の新吉祥寺や、日重前線基地行きのバス内で、店頭の前に佇むレイの姿を認めたことがある。

写真の内に居る彼女の視線の先。
そこには、やや擬人的にデフォルメされた、少しサイズの大きい、白いネコのぬいぐるみがあった。

「このぬいぐるみが前から欲しくて、仕方がなかったんだそうだ」
「……」
「彼女を見掛けた私は、贅の限りを尽くしているNERV所属なのだから、
 さっさと買えばどうかと促してみたのだが…──」

『──ッ!
 エヴァのパイロットたる私が、ぬいぐるみなどにうつつを抜かし、
 買い求める姿など、断じて他人に見せるわけにいかないッ!!』

「──…などと、本気で怒られてしまったよ…。
 …まぁ早い話、恥ずかしいんだろう。
 名だたるスパルタンぶりで、これ迄通して来た彼女だけに、ね」
「は、はぁ…」
「そこでだ。 私はシンジ君救出を手伝ってくれるならば、
 報酬として後日、このぬいぐるみを進呈しようと彼女に持ち掛けたのだ」

そして今日、レイの携帯にプレゼントの引渡し場所と時間を伝えたメールを送信した時田は、手渡し役をシンジに与える事となる。

「…午後6時に、早川の三枚橋で受け渡す約束だ。
 シンジ君、…勿論行ってくれるよな?」

「どうして… 僕なんですか…」
シンジが、ぽつりと呟く。

「──キミの目的はどうした?
 …もう、あまり時間は残されていないんだろう?」

それが理由だ、と告げる時田の傍らで、シンジは丁寧にラッピングされた箱を切なく、見詰めていた。






鉄の咆哮を上げ、黒い機体が噴き上げた気流に身を任せ、浮上を果たす。
VTOLと称されたその機体には白く、「NERV」の文字が刻まれている。

北米大陸西部ネバダ州、米国第二支部。
そこから放たれた機体は、護衛の戦闘機を従え、これより遠く極東の本部へと飛ぶ事となる。

その主賓たる人物は、機内で本部より発せられた通信に耳を傾けていた。

『…君がフォース(四番目)か…』
冬月の、ノイズ交じりの重々しい声が、涼やかな顔立ちのその者の鼓膜に伝わると、彼はそれを微笑みで打ち消した。


「いえ…冬月副司令。 僕は──五番目…ですよ」


蒼銀の髪を持つ少年はそう、告げた。






時田が受け渡し場所に指定した三枚橋とは、国道1号線と県道湯本元箱根線の分岐点に流れる、早川に架けられている。

午後5時半。
箱根湯本駅に降りたシンジは、遠く夕暮れに紅く照らされた、橋の様子が望める場所まで辿り着いた。

(…まだ、綾波は来てないな…)
両手に抱えた小奇麗な箱に目を遣る。

此処から、三枚橋までは数百メートル。
このまま歩いて橋の袂まで行き、受取人である綾波レイにこの品を手渡せば良い。

(──そう、ただ…、 それだけの事なんだ。
 なのに、僕は…──)

「…」

シンジの、足取りが止まる。
再び、視線を手にした箱に移す。


「………───」


"また、逢ったな"

"格好良かったぞ? 碇シンジ"

"私が、貴様の眼になってやる"


閉じた瞼に浮かぶは、彼の知る綾波レイとは、似ても似つかぬ悪戯な笑顔の数々。
そして──


"──碇シンジ。貴様は死なんよ。 …私が、守るからな"


あの時、通信モニターの向こうで見せた、まるで…
ラミエル戦後、二人目のレイが彼に見せてくれた、月夜の微笑みとそっくりの、優しい笑顔…───


「────!!!」


シンジは絞り上げるように、声なき声を発すると、やにわに抱えていた箱のラッピングを破り、箱を開け放つと…
内に入っていた、白いネコのぬいぐるみの腹を引き裂き、側を流れる川の流れにそれを放り投げた。






午後8時。

「…遅いな」
とうに日も暮れ、人通りも途絶えた三枚橋。
その袂には、夕方より依然としてたたずむ、制服姿の少女の影があった。

綾波レイは、先の碇シンジ奪還計画の報酬である、あの白いネコ──『ねこさん』のジャンボぬいぐるみを持参してくるであろう、日重の使者を待ち続けていた。

「…全く、奴らめ… どれ程人を待たせるつもりだ…」

今日の下校時間。
レイは、日重より使者が報酬を与えるとのメールを受け取っていた。
彼女の忍耐はとうに限界を超えていたものの、なにしろ欲しかったぬいぐるみが懸かっている為、嫌でも待たざるを得ない。

報酬を手にした暁には、その足で本部へ行き、初号機を起動して日重前線基地に奇襲を掛けてやろうか…などと剣呑な思考がレイの脳裏に巡り出したその時。
川沿いの歩道を駆けて来る人影を、レイは認めた。

「──やっと来たか… おい、貴様らいい加減に── ?!」

こちらに息を切らして駆けて来る、日重の使者。
その姿が橋の灯りにぼんやりと照らされる。
それは…、『ねこさん』のジャンボぬいぐるみを抱えた、碇シンジであった。

「…──綾波!!」
シンジは、驚きと羞恥に固まったままのレイに、ぬいぐるみを差し出した。

「ご…、ごめん、新吉祥寺まで探しに行ってたから…」
「なぜ…貴様が…?」

「……」
シンジの脳裏に、ぬいぐるみの入った箱を手渡す時田の姿が映る。
『言ったはずだろう?──君の目的の手助けをさせてもらう…とな』

「──僕は、」

──ぼく……は……

"君の目的の手助けをさせてもらう"
"もう、あまり時間は残されていないんだろう?"

(───!!)
シンジは眼を瞑り、首を左右に振って… 何かを振り払うように、眼前のレイに告げた。


「綾波に… もらって、欲しいんだ…──」


ぽふっ。

シンジは、半ば無理矢理、少女の胸に赤いリボンを付けたぬいぐるみを押し渡す。

「──なんだと…っ、なに…を… 貴様…っ?」
レイは驚き、狼狽した口調の一方で、渡されたぬいぐるみを抱き締め…、赤面する。
誰にも知られたくなかった事柄を、よりによってこの相手に知られてしまった事に抗議せんと、ぬいぐるみを抱いたまま、腕を振り上げるレイ。

だが… シンジの真摯な表情を目の当たりにしたレイは、やがて…

「あっ… あ…」

「──…ありがと…」

「……」
蚊の鳴くような声で感謝の言葉を告げたレイは、そのままぬいぐるみを抱き、顔を真っ赤にして俯いた。
そんな彼女の姿を優しく見守るシンジは、自分の下した判断が間違っていなかった事を感じていた。



それでも、彼がこの世界に逆行した真の目的は…───














綾波レイを、殺す事。







+続く+





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