蛍が、舞っていた。

幾つもの蛍が、雷鳴を宿した分厚い黒雲、血の色のように赤い海の広がるこの世界に、舞っていた。
その下では、痩せ衰えた小さな人影が、何度も崩れ落ち──這いつつも、手にした石片を胸にうごめいていた。
人影は、この総てが終わりを告げた世界にただひとり、取り残された少年であった。

傷つき、血を流し…、疲れ果ててしまった少年は、
それでも煉瓦の欠片を集め… またひとつ何かを、積み上げた。
彼の周囲には、これまで彼が積み上げてきた物が、幾十もの数に渡って点在していた。

うす汚れた包帯を、身体のあちこちに巻いた少年はやがて、
やっと出来たばかりの、瓦礫を積み上げた墓標───それに崩れるように身を預けた。

黒く、分厚い雲に覆われた空を見上げた、少年の視界が滲む。

最後のひとつを積み上げる、その使命、その事実を拒む様に…
宙を見据え、声にならない声で、哀願するようにつぶやいた。


「…綾波… ──あいたい…よ… あや…な…み…──!」


血と泥に汚れた少年の頬に、涙が伝う。
嗚咽する少年を、見守るように… 蛍が、舞っていた。






Ultra_Violet
#14 "Waking up in the morning"






「シ〜ンジぃ、あっさだよ〜っ」
束の間の眠りを、少女の明るい声音が打ち破った。

「……───ふぇ?」
まだ覚醒していない頭を左右に振り、開き切っていない黒い瞳をこすった少年──碇シンジは、眼前の事態を未だ認識できず、やや間の抜けた声を上げていた。

日本重化学工業共同体社員寮。
その一室でシンジは、隣室の霧島マナに朝の奇襲攻撃を受けていた。

「さぁさシンジ、早く起きないとまた遅刻しちゃうよぉ〜」
満面の笑顔で、まだ布団の中に居る少年の腕をひきずり、起床を促そうとするマナ。

シンジは、されるがままに引きずり出され、パジャマ姿のままリビングに連行された。
「さ、いっしょに食べよ!」

リビングの中央に置かれたテーブルには、既にマナの作った朝食が並んでいて、有無を言わさず椅子に座らされたシンジは目を丸くしたまま、
「──…いただきます…」
などと両手を合わせ、美味そうに湯気の立ち上る味噌汁と白ご飯に、箸をつける事となってしまった。

「おいしい?」「は、はい…」
「おいしい?」「は、はい…」
…などという会話をルーチンワークの如く食事中に何度となく繰り返した後、朝食をマナと一緒に食べ終わり、洗面所で洗顔に取り掛かろうと、洗顔フォームを手に取ったところで、ようやくシンジは起き出してから彼の内に長い間くすぶっていた疑問を形にする事が出来た。


"霧島さん、合鍵渡してないのに、どうして僕の部屋に入って来てるんだ…?"


「お楽しみのようだね?」

突如、眼前の洗面台が左右に割れ、中からゲンドウの如く顔前で両手を組みつつ椅子に座った時田が現れて、シンジに低い声を投げ掛けた。

「どわあぁぁぁっ?!」
虚を突かれたシンジが、腰を抜かして床に崩れ落ちるのを見届けた時田は、ゲンドウよろしく口元をニヒルな笑みに歪ませた。

「一体、どんな造りしてるんですかこのマンションは?!」
「…シンジ君、朝っぱらからマナ君と新婚気分とは、随分見せ付けてくれるじゃあないかね…?
 この時田、君らのアツさに足が痺れっぱなしだよ…」

──…あんた、昨晩からずっと此処で待ってたのか───?!

「ネタを仕込むのに、労はいとわんよ」
もはや二の句も告げず、絶句したシンジに時田は完勝、とばかりにゲンドウポーズのままほくそ笑んだ。






マトリエル戦を終えてから、2週間あまりが過ぎていた。
再び日重へ復帰したシンジはまた、これ迄通りの学校と前線基地、そしてマンションを往復する日々に戻っていた。

「おう、なんやなんや? 夫婦(めおと)が来よったでぇ〜」
「前方より、友軍機発見! ギューン、ダダダ…」
「あっ、霧島さんに碇君、おはよう」

朝の通学路を急ぐシンジとマナ。
交差点で彼らは、馴染みのクラスメートと遭遇した。

鈴原トウジと相田ケンスケ、そして洞木ヒカリ。
再びこの世界に舞い戻ってきたシンジの友人は、やはり彼らであった。

彼ら友人達と活発なマナの取り成しにより、内気な転入生──碇シンジは前回の人生よりも遥かに迅速に、クラスに溶け込める事が出来ていた。

もっとも、シンジにとっては、何時の間にか既成化されていた「マナのボーイフレンド」という肩書きと、彼の斜め前の席に居る蒼い髪の少女の、ここの所何故か不機嫌な様子が引っ掛かるところであったが…




「ね…、シンジ。 今度の日曜、買い物に付き合ってほしいんだけどなぁ〜、なんて…」
「え…っ」

マナが緊張気味にシンジを誘ったのは、そんな放課後のひとコマの中であった。

「やっぱ…、…ダメ?」
下校や部活に向かう周囲の喧騒の中、かなり意を決して発言したのであろう、固く身を強張らせたマナが、いっそ泣き出しそうな表情で、訊き返したシンジの顔を見上げている。

「う、ううん…そんな事、ない…よ」
シンジの言葉に、マナはぱっと表情を輝かせると、

「嬉しい! じゃあ、私お弁当作ってくね!」
と、実に嬉しそうに跳ね上がった。

「おおう、なんやセンセ、おデートかいなぁ。 ほんまにもう、あやかりたいもんやのぅ」
「鈴原!! 碇君が困ってるでしょう?!」
マナの喜びように恥ずかしげに赤面し、俯くシンジを冷やかすトウジの背後から、待ち構えていたかの様に、両手を腰に当てたヒカリが彼をたしなめた。

いつもの、何気ない光景…───
それを、少し間隔を置いた場所から見詰める瞳があった。

「………」
窓際に頬杖を突いて、外を見ていたはずの紅い瞳を持つ少女──綾波レイが、こちらを向いていたような、シンジはそんな気がした。

(綾波……?)

シンジが視線を窓際に移すと、レイは既に教室より立ち去った後であった。






日曜日。

少し寝過ごしたシンジは、急ぎ足でマナの指定した待ち合わせ場所──仙石原駅前へと向うべく、マンションの階段を下りていた。

「隣に住んでるんだし、何も駅で待ち合わせしなくても…」
「いいのっ! こういうのが大事なんだから」

シンジの脳裏に、野暮な疑問にやや赤らめた頬をふくれさせた、マナの顔が浮かぶ。
今朝は彼女が起こしに来てくれなかった為、寝坊してしまったシンジは思わず苦笑した。

エレベーターがなかなかシンジの居る階に辿り着かない為、やむなく階段を選んだシンジであったが、

ドンッ。

「わッ…?!」
角を曲がった彼は、急に視界に入ってきた人影を避ける事が出来なかった。

軽い衝撃の後、よろめいたシンジは、同じく驚いたような表情を一瞬浮かべた衝突相手──幾らか年齢を重ねているが、それでもなお細身が魅力的な、美しい女性──を見上げ、「すいません」と頭を下げた。

「……」
ぶつかった相手の女性は、暫しシンジの顔をまじまじと見詰めると、

「…いいのよ。 私こそ、ごめんなさいね」
と告げると、そのまま何事もなかったように階段を上り、去っていった。






「もぉ、シンジ、おそーい!」

仙石原駅前の噴水でシンジを待ち受けていたマナは、両の手を腰に当てて、遅れて来た同伴者を責めるような仕草を見せた。

「霧島さん、ごめん…ちょっと、寝過ごしちゃって…」
面目なさそうに頭を掻くシンジの視線がマナを捉える。

「!!」
途端、シンジの眼が見開かれた。

この日、マナが着て来た服装は、白いノースリーブのブラウスに、赤いチェックのミニスカート。
彼女にしてみれば、前日の晩に精一杯悩んで決めて来た服装であるに違いない。

だが…
彼女のこの姿は、シンジがこの世界で彼女とめぐり会った時以来、ずっと心の奥底に封じ込めて、目を背け続けていた記憶を、否が応にも呼び起こす事となった。

彼女が着ている服は、前回の人生で彼がマナと忘れがたきデートをした日、彼女が纏っていた服と全く同じ。
そしてまた、その後に辛い別れを強いられた時と、同じ服装でもあったのだ───。

「? …どうかした?」
「い、いや、別に…」
こちらの顔を覗きこむ、マナの心配そうな瞳に気付いて、シンジは慌ててかぶりを振った。




リニアで新吉祥寺に辿り着いた二人は、デパートでマナの所望物を見た後、カフェで昼食を取り、せっかくだからと午後は、芦ノ湖近辺の散策に出掛ける事となった。

勿論、発案者はマナだった。

「…湖にね、海賊船があるって洞木さんが言ってたの! ね、シンジ、そこも行こうよ!」
「う、うん……」

湖での海賊船…。
前回の人生でも、マナとのデートコースに含まれていたスポットだ。

揺り起こされる甘い、幸せな記憶が、そしてその後の悲劇の苦恨が、シンジから自然と口数を減らしていた。
そしてその横顔を、傍らのマナは切なげに…見詰めていた。




「あれ?」
新吉祥寺駅に戻る道中、シンジはやにわに人通りの中、立ち止まった。

「どうしたの?」
「あれ… 綾波じゃないかな…?」

シンジが指差す方向。
そこには、店先のショーウインドゥの前に立ち尽くしている、制服姿の蒼い髪の少女の姿があった。

「ほんと? …って、誰もいないじゃない」
シンジにつられ、視線を巡らせたマナが確認しようとするが、シンジが指差した店先には、それらしき少女の姿は見当たらなかった。

「…あれ? 今、確かに綾波がいたと思うんだけど…」
怪訝そうなマナの隣で、頭を掻くシンジ。

だが、再び視線を上げたシンジのその正面に───ひと組の男女が歩いて来るのが視界に入った。

美しいストレートの長髪に、やや濃い目の化粧、
見事なプロポーションに、スカイブルーのチャイナ服を纏った、可憐な女性。
その傍らには、長髪を束ね、無精髭にゆるめたタイ、くわえ煙草の飄々とした容貌の男──…

通りを行き交う、ふた組の男女の視線が、ものの見事に正面衝突した。

「わぁ、メイファさん?!」
「──げッ… シンジ君にナイチチちゃん…っ?!」
「…おや、あの子達は───」
「メッ…、メイファさんッ、 …かッ、かかか…!」
加持さん、と叫び掛けて、シンジは慌てて口をつぐんだ。

その動揺した黒い瞳を覗き込む、加持の視線があった。

「…やれやれ、こりゃまずい所を見られちまったかな?
 ──はじめまして。おふたりさん。
 俺は、加持と云ってね。 NERVで働かせてもらってる者さ」

長身を折り曲げた加持は、にこやかに、それでいて実にあっさりと自らの身分をシンジ達に明かした。

「は、はぁ… はじめまして…」
動揺を隠し切れないまま、生返事で挨拶するシンジ。

「…察するに、君がサードチルドレン・碇シンジ君だと思うが… 違うかな?」
全てを見透かされるような、油断ならない加持の視線が、シンジを捕える。

「は、はい… そう…です」
それの前に、シンジは身を固くして頷くのが精一杯であった。
ちなみに、その傍らでは、

「どうしたのメイファさん?! 隣のひと、彼氏?! …てかチャイナ服かわいーっ!」
と、魅惑的な女性の周りではしゃぐマナと、

「なんで… こんな所であんた達とぉ…っ!」
と、普段のクールかつ自棄諦観気味な日重副部長時の姿とは打って変わって、この上なく真っ赤な顔を両手で覆って俯く、ほとほと困り果てたメイファの姿があった。

「まあまあ… せっかく彼らと出会ったんだ。
 ちょっとそこで皆でお茶でもして行こうじゃないか。 …な、霞村?」
「…はい… 先輩…──」
苗字で加持に呼ばれたメイファは、両手をもじもじさせながら、俯きつつようやく応えた。

「お茶ですか? 嬉しい!
 あのですね加持さん、実は私たち、午後から芦ノ湖に行くんですよー」
「ほう、そりゃいいなぁ。…じゃあ、俺達もお邪魔ながらついて行こうか?」

「「ええ"ぇ〜〜〜〜〜〜っ?!」」

シンジとメイファの思いを余所に、マナと意気投合した加持が、にこやかな表情で提案する。
その何気ない言葉に、シンジ達は両目を見開いて絶句した。

石化したシンジとメイファの傍らで、加持が悪戯っぽい笑顔を見せていた。

「ダブルデート、ってやつかな」





+続く+




++あとがき++

ココノです。

日重幹部連達が、マナさんに付けていた渾名が明るみに。(笑

1話で済ますつもりが、書いてたら思いがけず前後編となってしまったデート編。
ちなみに今話のタイトルは、エヴァサントラの中でも凄く好きな曲から拝借しました。
次回はシンジ君の貞操の危機(いや、嘘ですが)もさることながら、
メイファさんの隠された一面にも少し、迫ってみようと思います。
お楽しみにお待ち下さい…




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