「──第三使徒戦以来、レイが実験及び実戦も含め初号機を起動させたのは計6回…──」

手許の書類をめくる動作がひと段落した所で、赤木リツコ博士は、壁に寄り掛かったまま所在無げな様子の友人にようやく向き直った。

「そのどれもが、起動及び連動に成功しているわ」
「──良かったじゃない、安定してるって事でしょう?」

顔を上げたリツコに、友人である女性──葛城ミサトは不思議そうな表情で応える。


ミサトがリニア環状線湖尻駅で、碇シンジ少年と接触を果たす二日前。
彼女は親友であり技術部長でもあるリツコから、見せたい物があるとの連絡を受けた。

その肩書きから鑑みれば不相応と言ってもいい、実に簡素な事務机に片肘を置いて書類を読みふけっていたリツコは、部屋に入ってきたミサトに対し特に反応を示さず、その作業を終えるまで待たせた挙句、冒頭の言葉を洩らしたのだった。


「…そうね。シンクロ率も平均して30%台前半から40%をキープ…。
 乗れば暴走の不安定なレイにしては、これは手放しで喜びたい所だけど、ね」

だが、愛用の白いマグカップを口に運ぶリツコは、紡ぎ出された言葉とは裏腹にいわくありげな表情をのぞかせていた。

「…。 レイ、どうかしたの?」

怪訝そうなミサトに対しリツコは、紅い唇の端を皮肉な笑みに僅かに綻ばせると、端末のキーを叩いた。


「興味深い映像があるわ」






Ultra_Violet
#11 "ようこそ NERV 江"






少年を乗せたアルピーヌ・ルノーが、長らく続いたカートレインの暗路をくぐり抜けると、そこには広大なる人工の地下空洞が悠然と姿を現した

「ジオフロント…」

これまで沈黙を守り続けてきた車中の少年──碇シンジは眼下に広がる圧倒的なこの光景に思わず感嘆の声を上げる。

その様子を見守っていた葛城ミサトを名乗った美女は、口元に穏やかな微笑を浮かべると、傍らの少年に告げた。

「そうよ、シンジ君… 此処が私たち、特務機関NERVの本拠地よ」



日重の下から抜け出し、放浪を続けていた碇シンジは、環状リニア線のとある駅にて、以前の世界での彼の保護者であり上司だった女性───葛城ミサトと再会した。

だが、この出逢いは決して偶然に由るものではない。
永らく彼を監視し続けていた諜報部がもたらした情報──そして、NERV総司令・碇ゲンドウの指示によるものであった。

悩めるサードチルドレンとの接触を果たしたミサトはあえて、偶然を装ったような方便は使わずに、シンジには以前より遠巻きにNERVの監視者が付いていた事、そして今、NERVにはシンジが必要だという事を静かに告げた。

シンジはただ、無言で頷いて彼女の誘いを受け入れたのだった。



NERV本部・本館に通されたシンジは、ミサトの案内で各施設の紹介を受けていた。
セントラルドグマに続く長い回廊から、いつか皆でひとときを過ごした職員食堂も、カフェテリアも。
実験場やケイジに至るまで、ミサトは可能な範囲で日重の片棒を担ぐ存在であるシンジに、自らが身を置く組織の本拠地を案内して回ったのだ。

「……」

以前いた世界の、ありし日のNERV本部と全く変わらぬ風景を、ひとつひとつ確かめるように見て回ったシンジの涙腺が、感傷に思わず緩んだ。

トウジやケンスケ、ヒカリ達がいる学校もさることながら、彼の以前の人生において重要な位置を占めていたNERV本部。
その何事も起きてはいない健在な姿は、全てが灰燼に帰した運命のサードインパクト後から、自らが逆行を果たしたという事実を再認識する事となったからだ。

「…? どうしたの、シンジ君」
「あの、ミサ…いや、葛城さん」

セントラルドグマ第3層へ通じるエレベーター内で、たまりかねた様子の少年が妙齢の美女に問うた。

「どうして…僕にここまでしてくれるんですか…? 僕は──」

──僕は日重に協力しているのに、と言い掛けたシンジの口を、ミサトはそっとその白い指をあてる事で制した。

「分かってるわ。──でも、せっかく私達の誘いをシンジ君が受けてくれたんだもの。
 NERVとしては当初の方針と変わらず、貴方を私達の仲間として迎え入れたいと考えているのよ」

「…仲間、──ですか…」

ミサトのその言葉が胸に重く響く。
確かに、以前の人生では此処にいる人々は、自分と共に襲い来る正体不明の使徒と戦い抜いた、れっきとした仲間であった。

だが、今の自分は──…

俯くシンジを余所に、近代的な施設群の中に於いてやけに前時代的な性質のチャイムが筐内に鳴り響くと、エレベーターの扉が開いた。

ミサトが向かった先は、中央作戦司令室──第一発令所であった。



その姿はまるで軍用艦の艦橋を思わせた。
前方には壁面いっぱいに巨大な主スクリーン、及び第一から第三までの投影スクリーンが配置されている。
首を巡らせ、主の居ない司令塔を一瞥した後、ミサトは部下達のいるオペレーター席を目指した。

おかえりなさいという声が方々から掛けられる中、振り向いてミサトを迎えた日向や青葉は、連れ立って歩いて来る少年の姿を見て、相好を崩した。

「はじめまして、シンジ君」
「ようこそ、NERVへ」

彼らの表情は皆、一様に驚きと安堵に彩られている。
そんな彼らにミサトは、彼女の親友の所在を尋ねた。

「ただいま皆。…リツコは?」
「此処にいるわ」

発令所の奥、総合分析所の方角から声が響いた。
そこには、MAGIよりの端末のキーボードを叩く伊吹マヤを見守る、リツコの姿があった。

「…あら、今回はちゃんと連れて来れたのね」
顔を上げたリツコは、マヤに作業の中断を促すと歩み寄るミサト、そしてシンジに交互に視線をくれた。

「…──確か、第4使徒戦以来ね、碇シンジ君。
 私は赤木リツコ。 そしてこの娘は──」

「伊吹マヤです。よろしくね、碇シンジ君」
泣きぼくろが印象的な白衣の美女が、傍らのショートカットのオペレーターを紹介する。

「あ、ど、どうも…よろしく──お願いします」
「ここでじゃ何だから──そうね、場所を移しましょうか」
「リツコ!」

早速といった様子でシンジを審問の場に促そうとするリツコを、ミサトが咎める。

日重の支配下から、いわば逃げ出したシンジの身柄を確保したNERV。
捕虜や亡命者然とした扱いではなく、"仲間"として迎えたいと考え、見るからに気弱で繊細そうなシンジを萎縮させまいと心を配っていたミサトとしては強引にではなく、出来うる限り無理のない流れでシンジに審問を受けさせたかった。

だが、リツコはそんなミサトの配慮に追従する事無く、

「遅かれ早かれ、彼には訊かないといけない筈よ?
 ──それに、彼も分かってくれていてよ」

諭すようなリツコの言葉に、静かに頷いてみせるシンジ。
行き場を見失いかけていた少年を、今更ながら必要としたNERV。
その裏には、彼が身を置いていた日重、ひいてはJAに関する情報を求められるであろう事は、ミサトが接触を図った時よりシンジには理解できていた。

「…シンジ君──」
辛そうな瞳で見詰めるミサト。
その少年の表情は、苦悩に顰めながらも、相応の覚悟が表れていた。






学校の教室程度の広さの「第二会議室」に案内されたシンジは、そこでリツコらの審問を受けた。

第3新東京市に召喚された際、どのような経緯で日重に身を置く事となったのか。
身の回りの事、日重の事、時田シロウという男について…──

そして、問いの矛先はジェットアローンについて向けられた。

「…貴方が搭乗させられているジェットアローン…。
 ──あれは確か、無人での活動を想定された物だったわ。
 何故、貴方はあのような場所に乗せられていたの?」

「──それ…は…」

それまで、比較的淀みなく審問に答えていたシンジが、初めて返答に窮した。

JA搭乗におけるシンジの役割は、"トリガー"を駆使し、ATフィールドを発生させる事。
しかし、その事を話せば、おのずと自身の存在の特殊性を彼らに暴露せざるを得なくなる。

これだけは、話す訳には…いかない。

「──どうしたの?」

バインダー片手のリツコの視線が、鋭さを増す。
尋問のセオリーとして、最初はさして障りのない、答え易い質問を幾つも与え、相手に安心感を与えた所で不意に核心に近い質問をぶつける。
そして相手の反応を見て、有益な情報を所持しているのか見定めるのだが──

シンジの反応は、実に顕著であった。

暫しの沈黙。

やがて、シンジはおずおずと口を開いた。



「時田さんの、……趣味です」



「……」
かろうじて無表情を保ったリツコが思う。
この少年は、明らかに苦し紛れの嘘をついている。


──だが。


あの男なら、さもありなん。


そういった思いも捨て切れないのもまた確か。




結論。






── …微妙。



「……」
「……」
「……」
「………」
「………」
「………」

会議室を、鉛よりも重い沈黙が支配していた。






膠着状態に陥った審問を、用を足したいからと一時中断を申し出たシンジは、逃げるように会議室と同階にある、レストルームと銘打たれた一角にその身を滑り込ませた。

一番奥の個室に立てこもり、タイル状の壁に背を寄せたシンジは、ひと息つく暇もなく制服のポケットをまさぐり、先程から執拗に主張を繰り返している物品を取り出した。

二週間ほど前、日重の社員用マンションに入寮したシンジに、時田より手渡された携帯電話。
それが、着信を告げる表示とマナーモードによる振動で賑やかに入電を知らしめている。

ピッ。

「…もしもし?」

通話ボタンを押し、抑え気味の声量でシンジが架電者への遅い応答を送る。
彼の耳に飛び込んで来たのは果たして、安堵の色を露わにした、世話好きな少女の声であった。

「あッ、もしもしシンジ?! やっと出たぁ…。 私!マナよ」

「ご、ごめん…、勝手に外出したりして…」

スピーカーより弾け出る、快活なマナの声。
それに何故か安心したシンジは、訊かれもしないのに、病院を脱け出したことを詫びた。

「ううん、それよりシンジ、体調は大丈夫なの?
 疲れてない? 目まいとかしない? それからえーとね」

少年の身を案ずる思いを、立て続けに発し続ける少女の声が、突然途切れたかと思うと、今度はひどく聞き覚えのある中年男の声がしっとりと洩れ聞こえてきた。

「私だ。 …シンジ君、もう動いて良いのか?
 もはや君ひとりの身体ではないのだよ…? だから早く帰っ──」

時田であった。
そして、『キモチ悪い言い方すんな!』という罵声と共に、女性の声が取って代わった。

「あー、もしもしシンジ君? あたし。
 つーか、何処に居るか知んないんだけどさぁ、
 ぶっちゃけ皆さびしがってるから、夜ンなる前に帰って来てよね」

「メイファさん…」

日重の面々の声を聞く度に、シンジの表情に温かみが差していく。
通話が切れた後も、少年はその場に立ち尽くして、苦悩に俯いていた。


(僕は…)

──僕は…

ぐっと目を瞑り、葛藤するシンジ。

以前の世界でNERVの人々は、自分に無理矢理エヴァを押し付けた。
しかし、それに対して彼らは謝意を持っていた事も知っている。
そして、今回に於いてはこんな自分を、暖かく迎え入れようとしてくれている。

確かにJAにこれ以上乗せられるのは御免だ。
しかし、彼らを、マナや時田らを容易く裏切ってしまっていいのか──


「…どうすればいいんだ…──」


手にした携帯を握り締め、弱々しい声をシンジは洩らした。

数分間か、あるいは十数分以上経過したのか。
とうとう答えを見い出せないまま、彼を呼びに来た日向に連れられ、シンジは再び第二会議室の扉をくぐった。


──とにかく、今日は一旦帰らせてもらって、考える時間を貰おう…


だが、そこで彼を待っていたのは、先程と佇まいを異にした、リツコの姿であった。


「ねぇ、シンジ君───」
「は、はい…」

リツコの視線が少年を捉える。
紅い唇が艶かしくも動き、そこから紡ぎ出された次の言葉は、彼に逃げ場を与える余地は無い事を宣言していた。


「試しに、起動実験をしてみない?」


「えッ…───?!」

少年の双眸が、暗転した。






一方、日重前線基地。

「──シンジ君の携帯の位置、判明しました!──ジオフロントです!」

オペレーターの男の声が、居並ぶ幹部連+栗色の髪の少女の表情を一斉に曇らせた。

「…やはりNERVに連れ去られていたか…」
「あーあ、ってトコね」
「えーッ、どうしよ…、シンジ、NERVの方に行っちゃったら私…!」

腕組みの時田の傍らで、メイファが不機嫌そうに紙巻きを吹かし、マナが瞳を潤ませている。

「…案ずるな。敵の手に落ちたならば、取り返すまで。
 その為に、強力な助っ人を呼んである」

狼狽する少女に、男は管制室の一角を眼で指し示す。

管制室のひと際小高い位置に存在する、ガラス張りのゲストルーム。
そこから、ひとつの人影が動き出した。


「──…何やら、外が騒がしいようだな」

不機嫌そうに声を上げたそれは、ゆっくりと時田らの方へとステップを降りて来る。

人々の眼が、驚きに見張られた。


「…紹介しよう。"碇シンジ奪還計画"に賛同してくれた──」






「綾波、レイだ」







+続く+




++あとがき++

ココノです。

いつも皆様より感想・催促メールを送っていただき、本当に感謝しております。
ここに来て、メルアド無記入だけど感想を送って来られる方が増えていまして、
できればきちんと返信にて感謝の気持ちをお伝えしたいのですが、
先方に事情等、色々あるやも知れません。

ですので、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
根気のない僕が、ここまで小まめに更新出来ていますのも、
ひとえに皆様のご支援のおかげです。
本当に、ありがとうございます。m(__)m

こんな作品と作者ですが、頑張りますので
どうぞこれからもよろしくお願いしますね。

では、次回の更新でお会いしましょう…




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