使徒、その襲来。 ──瑣末な事だ。 世界、ひいては人類の存亡を賭した決戦。 ──瑣末な事だ。 特務機関NERV、ならびに碇ゲンドウ総司令。 ──…それも、瑣末な事だ。 周囲の人々。あるいは、クラスメート。 ──瑣末な事だ。 何故、闘うのか? ──戦え。 そう云われたからだ。 黒髪の少年。 ──よく判らない。 欲するもの。 ──皆無。 …否、私を『証明』できるモノが欲しい。 汎用人型決戦兵器、その初号機。 ──…私を証明するモノ。 …初号機が、最も近いのかも知れない。 ──…それしか、ないのだ。 今の私には。 #08 "異変、そして証明" 空は青く、射す陽光も清々しい。 見上げた先の入道雲が馴染み深い、四季をなくしてしまった常夏の日本の海を、一隻の旅客船が航海の締めくくりに向け、ゆっくりと航行を続けていた。 佐世保から出港したこの客船の旅は、道中特に大きなトラブルもなく、目的地である新横須賀港到着まであと十数海里を残すのみとなっていた。 陽の光をキラキラと映し続けている海は至って穏やかであり、さしたる波も立ってはいない。 その様子を、船内の個室の窓から煙草を燻らせ、ぼんやりと眺めている男が居た。 「旧伊東沖に未確認移動物体を検知!」 「パターン、…青! ──使徒です!!」 数時間後、夕暮れの迫った第3新東京市。 その地底に潜みし世界を守護する砦が、突如として緊張に包まれた。 ショートカットの女性オペレーターが指し示す通り、主モニターに張り出された洋海図の太平洋上、新横須賀に程近い地点にブルーの光点が明滅している。 「15年ぶりの次は、3日後ですって…」 「極端も甚だしいわね」 あまりにも性急な使徒の襲来に、やや慄然とした表情の作戦本部長の傍らで、技術部長の肩書きを持つ女性が同意とばかりに眉を顰める。 前回の使徒の事後作業が、未だ終了していない中での今回の使徒襲来。 使徒の出現時期を把握できない彼らNERVにとって、寝耳に水のこの事態は彼らを狼狽させるに充分であった。 「映像、出ます」 伊吹マヤの緊張した声と共に、スクリーンに洋上を侵攻する使徒のシルエットが映し出される。 水の抵抗を極めて小さくしたその流線型のフォルム、そしてその巨大な身体をくねらせる事で移動を果たす事から、今回の使徒は魚類を強くイメージさせられる。 「──以上の映像から推測するに、目標は水中活動に特化した使徒と思われます」 「…でも、相手が水中に居る間は、こちらからは手の出しようが無いわ」 ミサトの懸念は、もっともであった。 現在、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンには、水中戦用のM型装備の研究・開発が進められているが、まだ試作段階で実戦配備には程遠い。 陸戦用のB型装備では、水中での作戦行動は無理に等しく、かくなる上は最寄の沿岸まで侵攻してくるのを待ち、水際で使徒を叩く以外ない───。 NERV作戦本部長・葛城ミサトがそう判断したその時であった。 「新横須賀沖近辺を航行中の船舶の存在は?」 彼らの頭上より、重い響きを持った声が思いがけず降って来た。 「?!」 ミサトらが振り返り、見上げた先に存在したのは、彼らの居る発令所の頂点に君臨する男──碇ゲンドウであった。 「回答はどうした」 両の手を組んだいつも通りの姿で、起伏なき冷徹な声を再び発したゲンドウは、眼下の呆然としたままの部下達に返答を促した。 「はッ…、はい! ──現在、漁船が六隻、旅客船が二隻、 及び戦自の哨戒艇が三隻、空母が二隻航行中です…!」 弾かれたようにマヤが手元の端末を叩き、確認する。 「戦自に協力を要請。──初号機を空母に着艦させ、使徒を洋上で迎撃しろ。 一般の船舶に使徒を近づかせてはならん」 ミサト達は意外という反応を隠せなかった。 水上での交戦には著しく不向きなB型装備のまま、初号機を洋上で使徒と相対させよというゲンドウの無謀さもさる事ながら、一般の船舶の保護に過大に執着せんとする姿勢がほの見えたからだ。 大別するならば、目的の為には手段を選ばないタイプと目されるNERV総司令・碇ゲンドウ。 その彼が、作戦の立案を一手に任せている作戦本部長であるミサトの立場を押し退け、初号機の負う少なくないリスクを無視してまで、民間船の保護を強く命じているのだ。 従来の彼なら船舶に避難勧告は出すものの、それ以上の手は差し伸べず使徒殲滅に力を費やす筈であったし、使徒が一般の船舶を狙う事は考慮に入れていなかったミサトも同じだ。 それだけに、ゲンドウが発した強権ともいえる命令は、事の重大さを暗に物語っていた。 胸の内に驚きと、幾ばくかの割り切れない思いが染み込んでいくミサトの背に、何時になく多弁な総司令の低い声色が投げ掛けられた。 「陽が落ちれば、使徒の捕捉はより困難になる───急ぎ給え」 「これは…──いったい…?!」 管制室のスクリーンいっぱいに張り出された使徒──ガギエルの姿を目の当たりにしたシンジと時田は、驚きのあまり二の句も告げられないでいた。 「例によってあちらさん(NERV)からの映像を失敬してきたんだけど…、 ──ちょっと、あんた達聞いてんの?」 端末席から振り返った日重副部長・霞村メイファが、目を見開いて硬直している背後のふたりを怪訝そうな目で見ている。 (シンジ君よ、次に襲来してくる使徒は、ムチ持ったイカみたいな奴ではなかったか…?) (…はい。 …というか、こいつがこの時期になんで…) シンジや時田の持つ記憶では、第四の使徒の襲来は、第三使徒襲来より15日後の8月29日。 8月17日である今日、出現する筈などあり得ない。 さらに言えばこの魚型使徒の襲来は、今より2ヶ月後の9月20日であり、エヴァ弐号機を護送した太平洋艦隊を狙って行われた。 当然ながら、この日の新横須賀近辺の洋上には艦隊の影などあるはずも無く、独国・ヴィルヘルムスハーフェンよりいずれ日本へやって来る紅い髪の勝気な少女の姿など、望むべくもない。 ──どうなってるんだ…? シンジ達の困惑を余所に、メイファが構わず、日重のライバルの動向を手短に伝える。 「どーやらNERVは、付近を巡回中の空母に初号機を着艦。 洋上で使徒を迎え撃つみたいね」 「そんな、無茶な…」 思わず出たシンジの悲嘆に、時田も同調する。 「NERVはまだ、B型装備以外の兵装は完成させていない筈だ…。 ──自殺行為だな」 「B型装備って?」 制服姿のまま、管制室に駆けつけたマナが、シンジの背後からひょこっと顔を挟む。 「!? ──え、と…。エヴァが地上で戦う時用の装備だよ、霧島さん」 シンジの両肩に手を掛け、ぴょこっと乗り上げる格好でいきなり登場して来たマナに、他人──特に異性との接触に慣れていないシンジは、頬を赤らめながら答える。 「ふーん。 …シンジ、意外とエヴァに詳しいんだね?」 いつの間にか黒髪の少年の事を「君」付けで呼ばなくなった少女が、可憐なブラウンの瞳をすぐ側の少年の黒い瞳に向けた。 「──!! そ、それは…」 知るはずのないNERVの機密を知っている事を何気なく指摘された事、そして至近距離でマナに見詰められて、息を呑んだシンジは顔を真っ赤にして狼狽し、俯いた。 「──そう、B型装備で水中の敵とやり合おうなど、無謀のひとことに尽きるな。 …マナ君が見栄張って、Bカップを装備するようなものだ」 「ころーす!!!」 しれっと吐いた時田の毒舌を合図に、再び香港カンフーアクションの幕が開く。 マナの鉄拳乱打を、端末備え付けの椅子で軽やかに防御しつつ時田はシンジに、 「…とにかく、我々も出撃せざるを得まい。 ──シンジ君、悪いようにはしない。JAに搭乗してくれ給え」 少女は、LCLに満たされた函の中に再び佇んでいた。 双方向回線からは、作戦本部長の声がひっきりなしに響いている。 (…全く、煩わしいものだ) 初号機の内の少女は、モニターの向こうの上司に、いつものように小馬鹿にした笑みを向けて、意識を潜行させる。 ──何が来ようが、知った事ではない。 使徒であれ、人類の破滅であれ。 ──この初号機が、私という存在を証明するモノだとすれば…。 それが彼女の証明に近いというのならば、彼女は初号機に乗り続けねばならない。 ──勝ち続けねば、ならない。 少女の口元に、僅かな笑みが滲む。 「──…行くぞ」 綾波レイは、操縦桿を握る手に力を込めた。 『フッフッフ。久し振りだな、NERVの諸君』 再び顔面青一色の時田が、赤いマントを翻してNERV本部・第一発令所のメインスクリーンに登場した。 「昼頃に来ただろ貴様…!」 「もうイヤ…」 先刻、ウイングキャリアーで初号機を出撃させ、来たる海上での使徒戦に向けて緊迫感が高まっていた発令所の空気が、目に見えて減退方向へと萎え始めた。 今回の時田は、毎度お馴染み毛穴が見えるほどの強制どアップで登場するに飽き足らず、自身のテーマ曲ともいうべき軽快な音楽をバックに現れた。 しかも、随所に過去ゲンドウが吐いた、「ふっ、好きにさせろ」という余裕のコメントや、「わかった…JAの参戦、認めよう…」という、激しくブルーそうな台詞がコラージュされているのだ。 「…時田氏。協定の件は既に伺っております。 今回は如何なる御用件ですか?」 努めて、つとめて感情を抑えた技術部長・赤木リツコが南極の氷山もかくやという冷気を込めた口調で、スクリーン上の中年男に口を開いた。 『いえね、また使徒が襲来したと聞きまして、我々のJAも参戦しようと思ったのですが… …聞く処によりますと、どこぞの金槌ロボが、水中用の装備も無しに海中の使徒と 一戦交えるとか交えないとか? いやぁ、何処の作戦部長が考えたのか存じませんが、 なかなかに考え無し──いえいえ、斬新な作戦を立てられますな』 ミサトのこめかみがピクリと動き、剣呑な空気があふれ出すのを、眼鏡の青年オペレーターは半泣き状態で見守っている。 「…お言葉ですが時田氏。 新横須賀沖には民間の船舶が多数、航行しています。 市民の安全を考慮した結果の立案ですので…」 ぐっ、と両手を握り締めたミサトが、「私が考えたんじゃないわよッ!」と泣き叫びたいのを耐えている。 怒りのあまり言葉も出ないミサトに代わって、彼女の親友のリツコが告げた。 暫し、値踏みするような様子で発令所内を見渡す時田。 ふふ〜ん、とどこか半笑いのその表情は、味方の日重の職員たちが見ても腹立たしい。 『なるほど… では、そういう事にしておきましょう。 さて本題ですが、ウチのエースパイロットから、諸君らに要望がありましてな…』 主スクリーンの映像が切り替わり、黒髪の少年の緊張した表情が映し出された。 『…その、みなさん…。…僕は、──碇シンジです』 +続く+ ジャッキー・アクションでは、椅子を使った殺陣が一番好きです。 …さて、夏へのトビラのあとがきでも触れていましたが、僕はちょくちょく執筆や構想中に、エヴァのサントラを聴いてイメージを膨らませております。 今回のガギエル編で言えば「EVA-02」「MAGMADIVER」あたりを流して書いていますので、もしお気が向かれたら曲を流しつつ読んで頂ければと。 …どっちもアスカ系のタイトルじゃん…_| ̄|○ ++ 作者に感想・メッセージを送ってやってください ++ こちらのページから ■BACK |