僕の手。
その中に、一本の細いペン状の物体が収まってる。

あの日、あの時。
彼女たちが僕にあたえてくれたもの。

僕を守ってくれる、彼女たちの気持ち。
嬉しい、あたたかい、彼女たちの気持ち───






Ultra_Violet
#03 "I Will Follow"






「わーい」
たたた。

「わーい、わーい」
たたたた…。

「あ、時田部長、お帰りなさいませ」
「うむ、進捗状況は?」
「92%まで進んでいます」
「早いな」
「夕飯の話ですよ」
「…いただこう」

「わーい、わーい、わーい」
たたたたたた…。


眼前に広がるこの光景について、どうコメントすればいいだろう。
そして彼らはこの自分に、一体どういうリアクションを求めているのだろうか。

碇シンジの思考は、今まさに混迷を極めんとしていた。

ドーム状の巨大な施設。
その中を奔走している、NERVとはまた趣の違う、技術者らしき集団。
…に混じって嬉しそうに駆けずり回っている幼い子供たち。
豚汁の炊き出し。

そして、彼の眼前にそびえ立つ、無駄に巨大な鋼鉄の悪魔。

連れて来られた先の、この非常識にして牧歌的な風景。
その中心に巨躯を据えている悪趣味な鋼の巨人の姿は、確かにシンジの過去の記憶の片隅に、かろうじてという注釈付きで存在していた。


──あれはヤシマ作戦を終えて、数週間後のある日の事。

朝から珍しく正装で出掛けて行った筈の葛城ミサトから、突然の連絡が留守番をするシンジの携帯を鳴らした。
彼女いわく、農協が暴れてるから初号機で応援に来てくれ…と。

ウイングキャリアで駆けつけたシンジと初号機を待っていたのは、農協の建築物とは似ても似つかない妙なロボットが、煙を吹きながら市街地に向けて旧東京市をモソモソ練り歩いているという、実にシュールな光景であった。

直接このロボの内部に潜入し、活動を止めると豪語したミサトが件のロボットの中で工作している間、初号機はあちこちから煙を出している、見るからにあぶないこのロボットを嫌々ながらせき止め、自爆数秒前で停止させる事に成功したのだった。


そのはた迷惑なロボット──ジェットアローンが、今ふたたび、しかも、第三使徒襲来のこの時期にシンジの眼前に現れたのだ。

はっきり言ってお呼びでない。

しかも背後に居る、時田を名乗る中年男は、言うに事欠いてシンジに「これに乗れ」などと言い放っている。
期せずして、シンジの脳裏にこの言葉がよぎった。


「…罰ゲームですか」








「国連軍は、目標・第三使徒に対し、強羅絶対防衛線付近の山間部にてN2地雷を使用。
 目標の構成物質に──表層部に過ぎませんが──中度の損傷を与える事に成功」
「その後、目標は侵攻を一時休止。同地点にて自己修復機能を発動しています」
「再度侵攻について、MAGIはどう言ってるの?」
「予想では3時間後と出たわ。…あくまで目安に過ぎないけどね」
「3時間…──か」

発令所の壁面一杯に設置された主モニターから溢れ出る映像の洪水が止んだ後、室内に集う人々の口から、彼らの当面の目標である第三使徒に関する現状報告が紡ぎ出される。

特務機関NERV本部・中央作戦司令室のオペレーター席に集う日向マコト・青葉シゲル・伊吹マヤらの報告を受け、技術開発部長赤木リツコ博士、そして本部に帰還した葛城ミサト作戦部長が今後の指針を取り決めるべく、先程からしきりに言葉を交わしている。

国連軍の切り札・N2地雷を持ってしても使徒を殲滅に至らしめることは出来ず、数時間の足止め程度の結果しかもたらさなかった。

「──現在、自己修復中の使徒ですが、対抗能力は依然健在。
 無人偵察機が現在まで4機、落とされています」
「…迂闊には近づけないって事ね」

モニターに映る、望遠カメラで撮影された使徒の姿を横目で睨み、ミサトは歯噛みした。
本来、使徒が身動きが取れない今が、目標を叩くには絶好の好機となり得る筈だった。
だが、使徒に対抗し得る唯一の存在である汎用人型決戰兵器・エヴァンゲリオン初号機のパイロットとなるべき少年が、ミサトとの接触直前で忽然と姿を消してしまったのだ。

少年──碇シンジの挙動をトレースしていたNERV諜報部の報告では、確かにサードチルドレンは第3新東京市に足を踏み入れていた。
しかし、国連軍と第三使徒との苛烈な戦闘の煽りを受け、諜報部員が3人目の適任者をロスト。戦火に巻き込まれる形で碇シンジは行方不明となってしまったのだ。

ルノーを駆った葛城ミサトが爆煙たちこめる市内を懸命に探し回ったが、遂に少年の姿を発見することは出来なかった。

「諜報部の報告では、サードチルドレンロストとほぼ同時刻に、不審な大型車を見たとありますが──
 避難に遅れた民間人の物という線が関の山でしょう」
日向の報告も、ミサトには半ば耳に入らず終いであった。


「…まさかここで予備のパイロットが届かなくなるとはな」
ミサトらが議論を重ねている場所よりもさらにひと際高い、発令所の頂上部で冬月とゲンドウが眼下の彼らの様子を見下ろしている。

「構わんさ。…予備は所詮、何処まで行こうと予備でしかない」
顎の前に両手を組む、いつもの姿勢でゲンドウは呟くように答えた。

「…。だがどうする? 初号機を動かそうにも、満足に操れるものは1人も居ないぞ」
「レイを出す」

低く、紡ぎ出されたその言葉に、冬月は息を呑んだ。








「あ、あのー…」
おずおずと挙手をしつつ、シンジは日本重化学工業共同体の開発部長を名乗る男──今は豚汁をむさぼり食う男──時田に向き直った。

「何かね」
「…ここはどこでしょうか」

「"日重"の前線基地よ」
不意に、シンジの背後から声がした。

「ニチジュウ…?」
振り向くシンジの眼が見開かれ、驚愕に声を失った。

栗色のショートの髪、ブラウンの瞳…
第壱中学校の制服に身を包んだ彼女は、シンジにとってJAなどよりも遥かに忘れ難き存在であった。

「き、キリ…シ…!!」

霧島さん、と思わず声に出し掛けて、ハッと我に返ったシンジは咄嗟に口ごもった。

彼は、終末を迎えた未来の世界から、記憶や経験そのままにこの過去の世界に還って来た、特異な存在である。
よって、これから起こり得る事件や歴史をある程度把握している彼からすれば、霧島マナの存在、そして、彼女が彼自身に対してどのような行動をしたかという事も当然ながら記憶として残っている。

だが、この世界においての霧島マナと碇シンジとは、初対面であるはずだ。
マナの名前を叫びかけたシンジは、咄嗟に口をつぐみ、やや大袈裟に咳き込んでその場を誤魔化した。

「??…どうしたの、調子悪い?」
「い、いや、だいじょう…ぶ」
咳き込むシンジを心配そうに覗き込むマナ。そこへ豚汁のドンブリ片手の時田がつけ加えた。

「戦自より出向中の、霧島三曹だ。
 主に情報収集や、君の世話役を任してある。まあ、仲良くしてあげてくれ給え」

「マナって呼んでね、碇シンジくん」

未だに固まってしまっている少年の心境を余所に、マナは可憐な表情に微笑みを乗せてシンジに向ける。その隣で時田がボソッと呟いた。

「絶望的に、胸はないがな」

「あんですって!!!」

スカート丈を大胆に翻しながら繰り出される、マナの猛ラッシュを柳に風と避けながら、時田はシンジに告げる。

「さて碇シンジ君。
 御察しの通り、此処は特務機関NERVでもなんでもない──
 日本重化学工業共同体という、政府直属の企業体の前線基地だ。
 折角のお父上との逢瀬を邪魔して悪いが、NERVには無断で君を拝借させてもらった」

「なっ…!」

時田のその言葉に、やっと硬直状態から脱したシンジが目を剥いて顔を強張らせる。
有り体に言えば、シンジは誘拐されたという事だ。

「先程も言ったように、君には直ちにこのジェットアローンに搭乗し、
 第3新東京市に侵攻中の正体不明の移動物体の殲滅を目標とする、我々の力となって欲しい」

抗議せんと声を上げかけたシンジを遮るように、時田はいよいよ本気となったマナの攻撃をかわしつつ言葉を続ける。
ちなみに、抱えた豚汁のドンブリからは一滴たりとも汁をこぼしてはいない。

「我々が得た情報によると、現在使徒は国連軍の攻撃で侵攻を一時停止中。
 特務機関NERVはまだ、虎の子の汎用人型決戦兵器──エヴァンゲリオンを出すに至っていない。
 そこへ私と君のジェットアローンを向かわせ、使徒にトドメを刺す」

「そんなこと…できるわけ…ないじゃないですか…」

使徒に、通常兵器をいくら投入しようとも通用しない。
制御すらもおぼつかない欠陥ロボットなら、尚更だ。

シンジは、今にも勝手にそこら辺を練り歩き出しかねないジェットアローンの夕焼けに照らされたシルエットを見上げ、おびえた様子で首を何度も横に振った。

だが、時田は──

「出来るとも」
さらりと、実に事も無げに言ってのけた。
そして、ぜいぜいと肩で息をしているマナを尻目に、シンジの耳元に小声で囁く。

「さっき君が使った、"あの力"を持ってすれば、ね」
「…見たんですか…」

答えるまでもない。時田の表情が全てを物語っていた。

シンジは、記憶や経験の他にATフィールドを自在に発現させるペン状の物体『トリガー』を携えて、この過去の世界に還って来ている。

つい先程も、第三使徒に撃墜された国連軍の戦闘機から身を守るために、シンジは『トリガー』を使用した。
現時点でNERV以外の研究機関では殆ど概要すらも掴めていない、使徒殲滅を行う上で不可欠なATフィールドの解明。
その最も近道ともいえる代物を、此処にいる碇シンジが所持している…。

『トリガー』を使う様子を時田に見られていた以上、彼にシラを切り続ける事は困難だ。
シンジを待ち受けているのは、『トリガー』を強奪され、口封じに消される悲惨な結末か。あるいは──

「……」
紐を付けて首に掛けてある『トリガー』を、無意識の内にぐっ、と握り締める。
だが、時田は特に『トリガー』に関心を寄せるでもなく、ただひたすらにJAの素晴らしさについて懇々と語っている。

「それでも僕は…これに乗りたくありません。
 それに、NERVの人達が待っていますし…──」

勇気を振り絞り、蚊の鳴くような声でシンジは、拒否の意を改めて示した。

「あら、これでも?」

カチャリ。

女性の涼やかな声と激鉄を起こす音と共に、頭部に冷たい鉄の塊が押し付けられた。
シンジの表情に驚愕と恐怖の色がたちどころに浮かぶ。

いつの間にかシンジの背後にロングの美しい髪の女性が立ち、手にした拳銃の銃口を押し当てている──






時田の頭に。






「俺じゃねぇよぉぉぉ〜
 信じてくれよぉぉぉォォ〜」

「うるせーよ、クズ」

泣いて哀願する時田のこめかみに、煙草を咥えた美女がグリグリと銃口を押し付けている。

その傍らでは、もう訳が分からないとばかりに頭痛に悶えるシンジの姿があった。








「ともかくだ」
やっと美女に解放してもらった時田は、シンジを部長室にいざない、2人きりになった所で改めて話を切り出した。

「認めたくはないが…。現在のJAでは使徒の持つATフィールドを打ち破ることは至難の業だ。
 だからこそ、ATフィールドを自在に操れる君の力が必要となる」

「でも…。使徒のATフィールドを破るには、やっぱりエヴァの力を借りないと難しいと思います」
「問題ない。私が再設計したJAを見くびってはいけない── それに、だ」

時田は白衣のポケットから一通の封筒を取り出すと、内から数枚の写真を取り出し、シンジの眼前に広げた。

「!!」
シンジの表情が瞬く間に青褪めた。

「君にも、イヤとは言わせんよ…?」

「くッ……!!」
結局、最後は脅迫に出るのか。
歯軋りするシンジ。

勝ち誇る時田の頭上で、警告音が鳴り響いた。


「第三使徒、再侵攻を開始!!
 特務機関NERVは、エヴァ初号機を投入した模様!!」

(綾波?!)

シンジの脳裏に、零号機の起動実験で重傷を負いながらも、ゲンドウの命により初号機に乗ることを強いられた、綾波レイの傷だらけの姿がよぎった。



次の瞬間───
少年は、絞り出すように…叫んだ。



「…乗ります…。

 僕が、JAで出ます!










+続く+






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