──僕の手に、埃だらけのバインダーがある。

──それには、こう書かれていた。






夏へのトビラ 第五話 「Door」

NEON GENESIS EVANGELION
The Door into Summer:05






「D計画」と銘打たれたバインダー。
それは、シンジの目の前の装置についての研究レポートの数々がファイリングされていた。

「こんなものを作ってたのか…」

亡き妻、碇ユイと再び会う。ただそれだけのために、多大なる無関係の人々の命を犠牲にしてNERV総司令・碇ゲンドウが推し進めた、人類補完計画。
それの他に彼らは、このような得体の知れない研究を進めていた。

茶色く劣化したレポート用紙に、連綿と書かれた数式、そして見たこともない用語の羅列を読み飛ばしていくと、数冊を経た段階から実験の報告文が目に付くようになった。

この実験は、シンジの何とか理解できる範囲で判断するに、このカプセル内に置いた物体を一度粒子レベルまで分解し、それらを重力力学の力で過去や未来に飛ばし、その行く先で再構成させるという物らしい。

このような荒唐無稽な計画の要たる装置、そう、今シンジの目の前にある装置の名は『Door』と呼ばれていた。

"2006年09月X日"の見出しの実験レポートによると、この『Door』のカプセル内に2個のリンゴを設置。

時間跳躍は一週間の範囲で、それぞれ過去と未来に設定する。
過去に関しての結果は不明。未来に関しては、9日あとにリンゴを発見した。

「『分からない』じゃあ使いようがないよな…」
だが、そのレポートの最後の紙の端に、小さく走り書きがあった。


──『過去といえば、約一週間ほど前、私は司令の机に無造作に置かれたリンゴを見た覚えがある』


そして、数冊にわたって、リンゴやコイン、果ては実験用のマウスまで動員して繰り返し行われた実験の事細かなレポートが続いていた。

赤木リツコの母である、ナオコの2000年代初頭のタイムスタンプを見るに付け、かなりの期間をかけて研究されていたようだ。
それが、リツコに受け継がれて数冊。遂に彼らは人体での実験に移行する事となる。

計画は順調に進んでいるかのように思えた。
だがその一方で、時間跳躍における、思わぬ問題が発見された。

問題とはこうだ。
粒子レベルまで分解して再構築する影響からか、未来or過去に行った物体は、ある一定の日数を経ると急に崩壊をきたして、どれも砂のように崩れたのだ。
元の状態を維持できる期間は、日数にして平均約40日。最長で50日あまりだった。

また、その時間跳躍の弊害を回避するための研究論文が数冊続くことになる。
そしてその研究論文が4冊目に差し掛かった時、この現象に対し有効とおぼしき実験結果が記載されていた。

それによると、3日先に時間跳躍させたマウスを3日後に発見。
そのあと、体組織の劣化が始まる直前に、初めて時間跳躍させた前後の日付にまで再び時間跳躍させてみると、砂にならずに現在も健康に生き続けているという。

それを踏まえて、最終的にこういう仮設が立った。
"この装置を使って過去や未来に時間跳躍した者(物)は、40日以内にもう一度この装置を使ってタイムトラベルして再構成し直し、現代に戻ってこないと砂になる"ということ。

肝心の人体実験であるが、2011年10月7日に行われている。
ネルフ職員の"S"という男を被験者に選出。一週間後の未来にいくという設定で試してみた。

が、一週間後、装置の付近には何も残ってはいなかった。

ここでレポートは終わっている。
要は、人体実験の失敗により、この計画は打ち切られたのだ。


自嘲するシンジ。
レポートを読み進める内に、もし、できるならばこの装置を使って過去へ跳び、人類補完計画を阻止できればいいのに、という考えが脳裏の隅に明滅しかけていたからだ。

──それができれば…あの人だって、補完計画とか企てずに、
    母さんが初号機に取り込まれる前の過去にとっくの昔に跳んでるはずだよね。

所詮、失敗した計画。

立ち上がろうとしたシンジの前で、突然、端末が立ち上がった。







The Door into Summer
#05
"RETURN"







「…?!」
驚きの感情すら表情に出す気力も無い。
そんなシンジの目前で、端末は自己診断に入る。

やがて、メニュー画面が立ち上がった。それは、ゲンドウが司令室で使用していた端末であった。
シンジは無意識のうちに、パネルに手を伸ばしていた。ドライブに、DVDディスクが入っている。

ロード。

そのディスクは、ゲンドウや冬月レベルのみが閲覧を許される、最高機密であった。

ディスクの内容は、対使徒戦における詳細レポートの一部であり、第十三使徒からのシンジたちの戦闘が動画として記録されていた。

第十四使徒、ゼルエル。
第十五使徒、アラエル。

そして、第十六使徒・アルミサエル戦の映像が再生された時、シンジは息を呑んだ。

「綾波!!」

零号機のエントリープラグに積まれたカメラは、使徒に侵食されていく、綾波レイの苦しげな姿を映し出していた。

「そんな…そんな」
シンジの声が震え出す。

『これ…いか……と、い…しょ…に…りた…』
ノイズ混じりで音声が聞き取れないが、そのレイの表情を見たシンジは驚きを隠せなかった。

──泣いている。

──綾波が。

そして、レイはシートの背面部にある、自爆用レバーを起こす。

その瞬間。

「!!!!!」

レイは、こちらの方を向いて、何かを見つけ、訴えるように目を見開いたあと、光に包まれる。

その表情は、哀しみにあふれ、淋しさに身を切られたように、切なく。
その瞳には、大粒の、涙が…。


ノイズ画面、そして、ブラックアウト。








「ひど…い…。…っく、ひ…ど……よ……」

「あん…な…に……、悲しそ…な顔…で…」

呂律が回らない。
喉は詰まり、押し留めようも無い激流が、込み上げて来る。

「うっ…ぅ…っ、あや…っ、あや…な…っ、あやな…み……ぃ…ぃ…っ!」

シンジは、激しく慟哭した。
呼吸も出来ないほど、息も継げない程に嗚咽が体を突き上げ、突っ伏する。
この数週間、まったくといって良いほど感情を現さなくなっていたシンジが今、嗚咽に身を震わせながら、泣きじゃくっている。

知らなかった。
レイは、心を持っていたのだ。

自分が消えてしまう事への、深い哀しみと満たされぬ淋しさを抱いて消滅したのだ。
あの涙は、彼女が、不器用ながらも確かに心を持ち、精一杯生きようとした、その証であった。

抉られた右眼の傷からも涙が溢れ、神経を刺激し、激痛が走る。
それでも、それでもシンジは涙が止まらない。


シンジには、怒りにも似た激情が渦巻いていた。
この世界を、あんな思いをしなければならなかった2人目のレイの運命を。
彼に再会する事も叶わず、病院でこと切れたレイの無念を。

綾波を、救いたい。

補完計画のようなエゴのために、綾波の魂が弄ばれ、そして失われたのか。


シンジは、床に落としたレポートを掻き集め、『Door』のマニュアルを探し当てると、端末のキィを叩いて装置の起動にかかった。

記憶を巡らせる。
第十六使徒アルミサエルが襲来したのは、2016年2月10日。
レイが零号機ごと自爆したのは、翌日の2016年2月11日。

この日に時間跳躍を果たせば、あるいは、レイの自爆を食い止めることが出来るかもしれない。
そして、その1ヶ月半後に来る、戦自のNERV虐殺、サードインパクトをも。

この『Door』が、うまく動作するかは分からない。
あの、実験台にされた男のように、粒子還元に失敗して、消滅してしまうかもしれない。
だが、この世界で死を望むよりも、シンジは時間跳躍を選んだ。

『Door』が鈍い光を放ち、起動音が室内を震わせる。

シンジはカプセルに身を投じると、やがてかき消すように、室内から消えてしまった。






<続く>





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