果物売りの少年――信濃ユウジは、静岡県第二藤枝の農家の長男として生まれた。

セカンド・インパクトにより7割以上が水没した地で、それでも農業を続けていく事を選択した両親を、ユウジは彼の独創的なアイデアで助力する。

そう、使徒被害等で渋滞を繰り返している東海地方一円の路線に目をつけ、そこで作物を売り、渡り歩く事を提案したのだ。
元々物怖じしない快活な性格であった彼は、いまでは運送トラックのドライバーを中心に、馴染みの客が出来るほどであった。

今日も今日とて家族と共に藤枝から河口湖まで出張し、付近の道路で野菜や果物を売り歩く彼は、珍しい客を目にした。

自分と変わらぬ年齢、しかも制服に身を包んだ如何にも中学生らしき少年が、焦れた様子でハンドルを握り、運転席の窓より遥かに居並ぶ渋滞の列を、恨めしそうに眺めているのだ。
そしてその隣の助手席には、珍しい髪の色の美少女が眠っており、その膝の上にはネコが鎮座していた。

常日頃より過多気味であるとの周囲の指摘が絶えない、ユウジ少年の好奇心がみるみる頭をもたげ、事情を何度となく訊いてみたのだが、どうやらワケ有りの様でなかなか心を開いてくれない。

彼の少なくない経験より引かれた、こちらの商売につきあってくれなくなるギリギリのラインを如才なく守り、これ以上の追求を我慢した彼は、運転手の少年からミカンひとパックとリンゴ3つ分の代金をせしめる事に成功すると、奇妙な乗員たちの車をあとにした。


その後、数台廻ったところで籠にある売り物のストックが尽きた。

日が高くなってきた。
今日も、じりじりと暑い。
これなら、冷やしたミカンが売れることだろう。

ユウジは、がら空きの反対車線よりゆっくりとやって来た、家族たちの乗るワゴン車へと歩を進めていった。






2月5日では遅すぎる 第8話 「想いの果てに」

NEON GENESIS EVANGELION
February the Fifth is Too Late:08 "The second"






「おい、そこのボウズ」










息が止まった。



小男の保安部員は、明らかに僕に対して声を発していた。

僕の背筋を嫌な汗が伝い、腰椎に届く前に凍りつく。
それとは裏腹に、心の臓は胸を突き破らんばかりに激しく跳び跳ねている。

無言で知らぬ存ぜぬを押し通して、逃げ切れるか?
いや、その可能性は限りなく低い。

いつかの加持さんの言葉が僕のショートしそうな脳裏に再生される。



『……どうして、僕の名前を?』
『そりゃ知ってるさ 君はこの世界じゃ有名人だからね』




Nervに関係する人々にとって、僕や綾波の顔は僕らが思う以上に広く知れ渡ってる。
ましてや、僕らに危険が及ばないように身辺警護をしている彼ら保安局員なら、僕の顔なんてイヤと言うほど見知っているはず…。

でも、だからといって呼びかけに応じなければそれは、僕が彼らに顔を見られちゃいけない存在なんだという事を認めることになってしまう。


(それでも…―――)


ダメだ。

僕は、振り向けない。


振り向いた瞬間、小男の保安部員は獲物を発見した猛禽類のように容赦なく、迅速に。そして嬉々として僕に飛び掛ってくるだろう。
僕みたいな非力なヤツじゃ、訓練された彼らに到底かないっこない…!


「どうした? ボウズ」

いやに甲高い、首筋を引っ掻かれる様な、不快な声。

小男が2歩、僕との距離を詰める。
爪先でカリカリと細く、気味の悪い足音。

「…………………」

ひと言さえも、発する事も出来ない。
僕の声音だけでも、彼らは店の隅っこで背を向けて立ち尽くしているこの少年は、碇シンジだと看破できるかも知れないからだ。

僕は、手にしていた買い物袋を握る手に力を込め、震えが来ている左足を数センチ外側に開き、体重を乗せて震えを押さえ込む。
もう、我慢が限界に来ていた。

僕は軸足に重心を置き、次の切っ掛けには店外へと駆け出す準備をしていた。

この、背に刃物を突きつけられているような、恐ろしい沈黙から逃れられるなら……契機はなんだって良かった。

物音ひとつ、空気の揺れ。
小男の保安部員がもうひと動作すると同時に、地面を蹴ってやる。


ああ、それなのに……――――


小男が、もう一歩僕との距離を詰めてきた。
さらに僕の目の前のドアが開いて、新たな客が店内に入り込んできた。


なのに、僕は一歩たりとも動けなかった。
足の裏が、まるで吸い付いたように床に密着して、離れてくれない。

身体が、動いてくれないんだ。


(動いて……! 動いて…よ……――)


僕は恐慌と焦燥に喉の奥から跳び出しそうな心臓をやっとの思いで抑え、凍りついた身体を心中で叱咤する。

こんなところで、

こんなところで捕まるのは嫌だ。

もしここで捕まったら、僕らはどうなってしまうのか。

僕らを逃がしてくれた日向さんの行く先には、銃声が待っていた。

そして、綾波がNervの元に渡ってしまったら……日向さんの言うとおりなら……
綾波は人類破滅の為の生け贄にされてしまうんだ……!


「………ククク」

背後に立たれ、軽く顔をのぞき込まれた――――



ぞわり。

首根っこを鷲掴みされたような、戦慄にも似た感覚に襲われる。



「〜〜〜〜〜っ!」


それで…も…

僕は……

ぼく…は……

此処で捕まるわけには、いかないんだ―――――!


(動けっ!動けっ!動けっ!動けっ!
 動けっ!動けっ!動けっ!動けっ!
 動け動け動け動け動け動け動け動け動け……――!)


小男の手が伸びる。

僕は反射的に両目を瞑る。

僕の後頭部から伸びてる、何かを軽く摘んだ。






「ボウズ、値札がついたまんまだぞ」






軽い笑いに包まれた、店のドアが開いた。

帽子を目深にかぶり直し、駆け出したい衝動と必死に戦いながら、僕は出来うる限りの速度で歩み去る。

僕の後を追う、足音は不思議と感じられなかった。

誤魔化しきれたなら、幸いだ。
一刻も早く、彼ら追っ手の届かない地域まで車を走らせ、距離を稼がないといけない。

僕は、一目散に綾波とねこさんの待つ軽自動車への道を急いだ。







……少年が店より去った後、小男の保安部員―――七尾は唇の片端を吊り上げながら、早足に視界の外より消えようとする華奢な後ろ姿を追っていた。






ガソリンスタンドを後にした僕は、店が見えなくなると小走りに切り替えて、綾波たちの乗る車を目指した。

僕は手にしていたビニール袋の中身、買出しの品々に目を遣る。
アイスクリーム…。
自分で食べるつもりだけど、もし綾波が目を覚ましていたら食べて欲しいんで、2個買ってある。
他にも、スポーツドリンクとか、おにぎりとか…。

エンジンは切らないでおいたから、エアコンはずっと作動してるんで綾波は熱中症にはなってないと思うけど、存外に時間を食ってしまった。
やはり、早く戻らないと気が落ち着かない。

Nervの追跡の手は、もう僕らのすぐそばまで伸びていた。
ここで手をこまねいていては、いずれまたあの保安部員と出くわさなきゃいけなくなる。

そして、今度こそは僕らの正体を感付かれるかも知れないんだ…。



僕らの車に辿り着くまであと6台というところで…、



僕の背筋が再び、

凍った。



「!!」

ゆるやかなカーブを描く車道。
その外側に並列されている木々の向こう側から、ひとりの人物の存在を僕は認めたんだ。

反射的に、停車してある傍の車の脇に身を潜ませる。

何故なら僕の視界の遠くに、黒ずくめの男がこちらに歩いてくる姿が、映ったんだ……――!


黒のスーツに黒いサングラス、黒い帽子。
その男はさっきの小男の保安部員と同じ、頭のてっぺんから足の爪先まで黒ずくめながら、体格は180cm以上はあるんじゃないかという、横幅もがっちりとした体格の大男だった。

追っ手は、ひとりじゃなかった。

そして大男の保安部員は、長い渋滞で停車中の自動車のウインドウを一台ずつ覗き込んで、僕らが乗っていないか探し続けている。


「……まずい……!」

僕は戦慄する。

捜索しつつ、僕の居る方向へとゆっくりやってくる彼は、あと数台調べ終えれば、綾波たちの眠る車の前にその足を止めることになる……!

綾波は未だに目を覚ましていないし、車を運転できる術を持つ僕は、大男の保安部員よりも遠い位置に隠れている。

今から駆け寄っても、間に合うかどうか。
それに、僕が全速力で走れば、相手に気付かれてしまうに違いない。

そうすれば、僕らは造作もなく彼らに一網打尽されてしまうだろう。

だからといって、綾波を見捨てるなんて、僕には考えることが出来ない――――!!



いこう。


一か八か、


切り抜けるしか、ないんだ……!



後ろ足に力を込め、腹をくくった僕は息を軽く吸い込むと…
僕らの車目指して、踵を浮かせた。



そこへ…――――



背後の何者かに、両肩を掴まれた。




「…………ひッ――――!?」






―――…混濁し、薄れゆく意識の中、私は自分を保たせるべく、荒い息を洩らし、喘いでいた。

使徒に取り込まれた零号機と私は、夥しい速度で侵食を進めていく使徒に何の抵抗も示せぬまま、融合をはかられていた。

私の視界が徐々に薄れ、闇色に融けていく。
L.C.Lに満たされた函の中。
その向こうで、水面に波紋が沸き立つ。

「誰?」

私は目を見張った。

水面より浮き出たのは、白いプラグスーツに身を包んだ……わたし自身。

「いいえ 違う… 私じゃないわ」

それは、私の姿をしているだけ。
口元に笑みをたたえたそれは、私とは決定的に、違う。



それなら


それならば


あなたは 誰…?



“私と ひとつにならない?”


水面に浮かぶ私は、私に向かってそう告げた。

恐らく……この水面に立つ者は、私たちが使徒と呼んでいるモノ。
だから、ひとつになる訳には、いかない。


「いいえ 私は私、あなたじゃないわ」


“そう…。 でもダメ もう遅いわ”


呟くように告げた使徒は、ゆっくりと唇の端を吊り上げる。


“私の心を あなたにも分けてあげる”


次の瞬間、私の身体の内を使徒の分身が枝葉に別れ、縦横に這い回った。


“ほら 痛いでしょ 心がこんなに 痛いでしょう?”


「痛い…」


胸に手を当て、私は身体中を這い回る異物感を口にする。

でも… それはすこし違う。

この苦痛は、けっして身体を蝕むものなんかじゃ、ない。

心の内側を抉り取られていくような、この感じは……


「サミシイ…」


“そう 寂しいのね”


「サミシイ…? …わからないわ」


“ひとりでいるのが イヤなんでしょ”

“私たちは たくさんいるのに
 ひとりでいるのが イヤなんでしょ”


それを 寂しいというの……?


“でもね それはあなたの心よ
 気付いていたはずよ? ずっと前から”


そんなことない…


“でも あなたはそれに気づかないフリをしてた”


そんなコト、…ない


“そして、もっと 醜い心にも”


「醜い……?」


目を見張る私に、まだ惚ける気?と薄く笑った使徒は、ゆっくりと口を開いて…。決定的な事を言葉にした。




“碇くんを 自分だけのものにしたい心”




「…―――――!」



“碇くんが 毎日セカンドの病院へ行くのを見て”

“碇くんが 毎日セカンドの顔を見つめるのを見て”

“……あなたは どう思った?”


やめて。


“イヤだと 思ったでしょう”


やメて。


“セカンドが 憎いと思ったでしょう”


ヤメ…て


“自分だけを 見てほしいと思ったでしょう”


ヤめテやメテ


“寂しいから いつもそばにいてほしいと思ったでしょう”


やメテヤめテやメてヤめテやメテ……



“それが あなたの心。

 悲しみと
 憎しみと
 切なさに
 満ち満ちている

 あなた自身の心よ”



何かが、私の膝の上にオチテイル。

いくつも イクツも。

頬ヲ伝って零れテくル、あタタかい

ソレは……



「涙…

 これが なみだ…?」


泣イテいルのは私?



「私なの……?」













私はその時、知った。



こんなにも

狂おしいほど

人と繋がりたい

私の心…。



いつの間にか

震え

もがき

血を流し

息づいていた。



最後のこんな瞬間に
気づくなんて。










全てが真っ白い光の渦に包まれる頃、
私は両の手を伸ばし……

届かなかった、届くはずもなかった、
心の中をあたたかく埋め尽くしてくれる、
ただひとりの名を口にしていた。































真っ白い世界が暗転し、暗がりの中で彼女は瞼を開いた。

身体を包む、僅かな振動。

それは、彼女が多くの時間を過ごして来たL.C.Lに満たされし空間とは性質を異にしていた。

彼女の周囲を取り巻く、果実の甘い匂い。
そして前方の座席より漏れ聞こえる、賑やかな声。

照明を落とした空間にゆっくりと首をもたげた綾波レイは、此処が軽トラック等の中型車の内部である事をぼんやりした頭で把握するのに、三十秒ほどかかった。


(車内……でも、どうして?)


不意に、猫の鳴き声がした。

傍らに視線を投げると、ねこさんが主人の目覚めを知らせるべく、にぃにぃと声を張り上げている。



「綾波……?」


傍らで、声がした。


身を起こす彼女は、暗がりの中その声の主を必死に探し、ああ、その果てに…――――!


「綾波…、目を覚ましたんだ… よかった…!」


レイの小さな唇が少しだけ開き、それは震えて……
彼女の視界が、みるみるぼやけていく


それは、彼女が彼の為に命を絶つ寸前にも起きた現象。


ああ、だけど。


だけれども。


彼女の心の中を満たすのは、とても、とても暖かい何かで……―――





「いか…り… く……ん………――」





消滅する間際、両の手を伸ばして、最期に告げた少年の名を、
もう一度彼女が口にする事ができるなんて……!





シンジの華奢な胸板にすがりつき、嗚咽の声を上げるレイ。

彼女が流した二度目の涙は、張り裂けそうなほど寂しかった彼女の心を潤い、満たす。




はじめての…、よろこびのなみだ。




「あやなみ……」


レイの反応に驚きつつも、シンジは飛び込んできたレイの蒼い髪の頭をしっかりとかき抱き、胸と両の腕で優しく包み込んだ。





ぬくもりが……あふれていく。








レイは涙が、とまらなかった。




















―――……後に、信濃ユウジはこう回想する。

籠にある売り物のストックが尽きて、果物の在庫を求めて家族の乗るワゴン車に乗り込んだ自分は、ズボンの裾を引っ張る何者かの存在を認めた。

それは、先程商売をしたばかりの、少年が運転する軽自動車に同乗していた仔猫だった。

仔猫はこちらの注意を引くと、自分を彼女の乗る軽自動車まで誘導し、中に乗る少女の袖を咥えてこちらを見詰めるのだ。

確かに車内はエンジンが切られたうえ直射日光に晒され、かなりの熱気が充満していた。
この制服姿の少女が病気か何かで寝込んでいるならば、此処に放置しておくのはよくないかも知れない。

「……もしかして、ウチの車にこの娘を入れろと?」

そう尋ねてみると、仔猫は元気よくみゃお!と応えた。

そして半信半疑のまま少女を冷房の効いたワゴンの後部に運び入れると、暫くしてやって来たこの軽自動車の主――シンジという少年が戻って来たところを掴まえて、このワゴンに招き入れたのだった。

説明を受けたシンジはどういうワケか、半分涙ぐみながら感謝の意を表して、しばらくこのワゴンで過ごした後、軽自動車に戻って何やら高価そうなノートパソコンを持ち出すと、このワゴンに同乗させて欲しい、などと告げたのだった。


そして今、ユウジ一家とシンジたちを乗せたワゴンは、第二藤枝へと続く道を夕闇迫る中、走り続けている…。





+続く+



++ 作者に感想・メッセージを送ってやってください ++
こちらのページから

■BACK