―――僕は「彼女」を抱き上げ、静かにベッドの端に降ろす。 そして、打ちっぱなしのコンクリートの壁に申し訳程度に切り取られた、窓枠へと視線を遣った。 いま、こうしている間も、僕の行動は彼らの報告の材料となっている筈だ。 僕の様な子供が足掻いた所で、これらの行動は隠匿する事も叶わず、彼らの目を通じてNervに筒抜けだった。 そう、見ているはず。 彼(――彼ら、か?)はきっと、この窓枠の向こうの暗闇の中から、僕を見張っているはずだ。 でも、あの日、あの出来事が起きたいま、僕がこの部屋を訪れた事を、恐らく彼らは咎めることはないだろう。 もう、事態が変わったからだ。 僕がこの部屋に来たところで、彼らは何の感慨も示さないだろう。 全ては、手遅れだから。 NEON GENESIS EVANGELION February the Fifth is Too Late:03 "Blithe spirit" 「映画ぁ?」 さっきから僕の机に乗っかって、テコでも下りてくれそうにないお尻の主――アスカが「はあ?」と訊き返すのと同じモーションで声を上げた。 そうさ、とデジタルのビデオカメラ片手に飄々と応えた人物は、ケンスケだった。 昼休みもそろそろ半ばに差し掛かった頃だった。 朝のホームルームで、副担任の先生から来たる12月24日、終業式の日に行われる「クリスマス会」の出し物を各自決めておくように、とのお達しを受けて、ケンスケが僕らのグループは映画にしないか、と提案してきたんだ。 「ええと、今日が12月16日だから…」 黒板の片隅に白いチョークで刻まれた、本日の日付を確認してみる。 「あと一週間ちょいやな」 「できるの? そんな短期間で…」 僕の隣の席――女子の席なんだけど――にどっかりと座り込んでるトウジが、そしてその横に近いようなそうでないような、微妙でもあり絶妙な距離で佇む洞木さんが、口々に疑問を発した。 綾波は、僕の斜め前の窓際の席で頬杖をついて、窓の外を眺めている。 これでも一応参加していることになるんだ。彼女の場合。 「アンタばかぁ? 無理に決まってンでしょ〜!?」 やや過剰に否定的な態度は、アスカだった。 「アンタねぇ、いっぱしの映画作ろうと思ったら、 脚本書かなきゃダメ、配役そろえないとダメ、セット造ンなきゃダメ、 そもそも期間内に撮り終えたとしても編集作業とかあるじゃないの?! もう、ダメダメダメのダメスケじゃない?!」 …そこまで言わなくても、とも思うけど、ダメ出しモードでしかもいい感じに加速装置の入ったアスカには、逆らわない方が無難だ。 ヘタすりゃ休み時間はおろか、家に帰った後もうるさく言われてしまう。 ケンスケには悪いけど、だんまりを決め込むことにした僕だったが、当の企画の発起人たる人物は、存外ひるむことを知らなかった。 「もっちろん!」 我に勝算あり、といった顔でにんまり笑ったケンスケは、小脇に挟んでいた大学ノート数冊を、誇らしげに僕らに広げてみせた。 ノートには黒のマジックで“愛のメモリー(仮)”とあり、またその下のノートには“美しい人生の限りない喜びをキミに(仮)”などと書きなぐってある。 …細かい是非はともかく、タイトル選考に多分に苦労している様子だ。 「な、ナニこれ…」 「なんや、ごっつ書き込んどるな」 「いつの間にこんなのを…」 「す、すごいわね…」 「………」 ページをめくってみると、脚本はおろか絵コンテまでもが細部に渡って書き込まれていて、僕らはケンスケの手回しのよさ、というか映画に賭ける並々ならぬ熱意に、しばし唖然としていた。 「ふふん、驚いたろう? 実は最近、写真の売り上げが好調でさ、 前からの念願だったビデオカメラをゲット出来たんだ。 それで、以前から暖めてた題材を形にしようと思ってね」 最新式のデジタルビデオカメラを手に、その驚くべき性能の数々の解説を勝手に語り出すケンスケ。 実は写真だけでなく、映像作品を手がけるのが彼の夢だったらしい。 「いっやぁ、買う時にさぁ、型落ちで安いのにしようか ちょっと悩んだんだけど、やっぱり最新型にしといて良かったよ〜」 最近、ケンスケの机にやたらと高そうなカメラ機材が並ぶようになった。 理由は彼も語るように、アスカや綾波たちチルドレンの写真が生徒たちの間で馬鹿売れしているからだ。 中でも、こないだの作戦終了後に帰投中の僕らを、望遠で隠し撮った写真――もちろんプラグスーツ姿である――が異様なほどに男子生徒達の間で人気を博していて、焼き増し作業が追いつかないと嬉しい悲鳴を上げていたっけ。 …そりゃあんなに体のラインが出てるもんなぁ…。 僕はもう慣れちゃったし、戦闘時はとにかく必死で気にしてられなかったけど、それでも一般の人達からすれば、なんかスゴイ物着て戦ってるって感覚なんだろうな。 普段の制服姿とは違う物珍しさと、学校で1、2を争う美貌の持ち主である綾波とアスカのボディラインくっきりの悩殺戦闘服という事で、普段の倍というボッタクリ価格であるにもかかわらず、売れに売れたそうだ。 「イヤったらイ・ヤ・よ!」 ケンスケの提案に、やけに意地になって抗ってるのはアスカだ。 「今度のクラス会はバンドやるって、アタシの中ではとっくの昔に決定済みなんだから! いまさら訳のわかんない映画やるっていわれても、手遅れなのよ!」 「げ、地球防衛バンドかい……」 「それもいまさら感が…」 「また“正義のロボットエヴァンゲリオーン”ってやるの…」 「………」 秋の学祭でスベリに滑った、あの忌まわしき地球防衛バンドの記憶を嫌が応にも思い出されて、僕は眉間に指を添えた。 「ふふん、アンタ達じゃ実力も華もなさ過ぎたのよ、 なんたってねぇ、今度は――アタシがヴォーカルやるんだから!」 「…それはやめとけ…」 「なおさらダメな気が…」 「ア、アスカが、歌うの…っ?」 「………」 天は二物を与えずとはよく言ったもので、アスカの衝撃的なまでの音痴は、僕らの間では周知の事となっている。 こないだもアスカは、このグループで行なったカラオケ大会で熱唱して、無残な死屍累々の山を築き上げたばかりだ。 …それでもなおバンドのヴォーカルを務めたいと強固に主張するあたり、自覚してないのかもしれない…。多分。 ケンスケの提案には半ば乗り気でなかった僕たちだけど、アスカが唄うと聞いたからには黙ってられない。 先を争うように、映画派に転向した。 「映画や!!」 「映画映画映画!!」 「わ、わたしも… 映画…かな」 「…………映画」 「アンタたち、覚えてなさいよ…!(ズゴゴゴゴゴ…)」 ああっ、アスカの背後で、鬼と龍と般若の面がくんづほぐれつしている…! な、何かフォローしないと、家帰った時が恐い…! 恐怖と焦燥にカタカタ震える手で、とりあえず手にしていたケンスケの脚本を開いてみる。 「あれ…。…アスカ、これ…」 「あによッ!?」 「『主演 : 惣流・アスカ・ラングレー』 ……だってさ」 翌日、僕らは休日という事もあって、朝から早川に程近い、仙石原の文化センターに集合していた。 ここは、度々使徒との戦闘に遭う第3新東京市の近辺で数少ない、営業を続けている公共施設のひとつだ。 数年前に建て替えられたそうで、建物の外観や内装はまだ真新しく感じられる。 今日はここで件の映画のクランクインをするらしい。 駐車場の一角に停められたミサトさんの車から降りた僕は、まだ少し昨日の事を引きずって、ぶすっとした様子のアスカをなだめつつ、みんなの待つ正面玄関へと歩を急がせる。 バンドのヴォーカルという野望を阻止されてしまったアスカも、映画では主演女優という事で、渋々ながら一応納得してくれた様子だ。 それでもなお、あからさまに憮然とした様子なのは、ミサトさん曰く 『アスカはねぇ、シンちゃんに構ってほしいのよぉ〜』 ということらしい。 …それはどうかと。 「シンジに惣流! 遅いぞお前ら!」 玄関の前で黄色いメガホン片手に、仁王立ちなのは、今作品の監督・脚本・編集その他etc…を務めるケンスケだ。 「遅れちゃったかぁ〜ゴミンね、相田君」 「いえいえぇ〜、葛城さんはいいんですよぉぉぉ〜」 僕らに続いて現れたミサトさんに謝られるや否や、体をクネクネさせて態度を変えるケンスケ。 「うぉ、ケンスケツンデレやがな」 「鈴原、ツンデレってなに?」 「知らん」 「あ、綾波、おはよう」 よく分からない会話をしているトウジと洞木さんの後ろで、ぽつんと佇んでいる綾波を見つけた。 「……」 綾波は、ゆっくりと小さく頷いた。 その腕には、大事そうに仔猫が抱えられている。 「ねこさん、連れてきたんだ?」 こくり。 声を発しないのは、多分仔猫が目を覚ましてしまうからだろう。 先日、僕と綾波とで拾った仔猫の『ねこさん』――綾波がそう呼び続けてたらいつの間にか定着した――は、綾波の努力の甲斐あって元気だ。 僕も、昨日の帰り道に綾波の家に寄って、ねこさんの遊び相手をさせてもらったり、育て方について綾波と相談したりしたんだ。 …まぁ、綾波の家に遊びにいけるっていうのも大きいんだけど…。 「ところでさ、時間がないんだったら、なんで昨日の内から撮影始めなかったワケ?」 アスカのもっともな疑問に、仕方ないだろ、と答えたケンスケは、 「大事な主演男優兼撮影クルーが先生に呼び出されて、そのまんま帰っちまったんだからさぁ」 「んっ…、あ、あぁ…。そうか、スマンかったな、皆…」 ケンスケの突っ込みを、いつものように反発して混ぜっ返す訳でもなく、今日のトウジはどこか沈みがちだ。 だからかも知れないけど… 「きっ、ききき… キミの閉じた瞳…に…い、射殺され…るな…ら、 ぼぼ、ボク…は喜ん…で、うがああああぁぁ〜〜〜っ!」 「…カァ〜ット! カットカット! トウジ〜、もうちょっと、しっかり台詞喋ってくれよぉ」 「お、おお…。スマンの」 撮影に取り掛かって数時間経った。 また、ケンスケのカットの掛け声が建物内に響く。 この映画の主なストーリーラインはこうだ。 盲目の美少女ピアニスト(アスカ)が、ライバル(洞木さん)に演奏コンクールで敗れて絶望に打ちひしがれている所に、通りがかった流れ者のピアノ講師(トウジ)と出会い、励まされ、最後には恋に落ちるという青春恋愛ものらしい。 ちなみに綾波は、洞木さんのピアノの先生役でちょい出場、 僕はアスカとトウジの最後の告白シーンを見守るナゾのおさる、らしい…。 「…それで、この着ぐるみがあるのか…」 胸に「浅間山」と書かれた紙名札を下げた、おさるの姿で反射板を掲げているという、恐ろしくシュールな光景を演出しつつ、僕はケンスケのこの配役に微量の悪意を感じずにはいられなかった。 「いや…、なんちゅーかワシ、関東弁で喋るんは無理や… しかもなんかごっつ台詞クサいし…。 むずがゆーて、しゃーないわ」 主人公の台詞、全編これ標準語という台本片手に、トウジが頭をかいた。 その向かいでは、着飾ったアスカが、NGを連発しているトウジに鼻を鳴らしている。 「無理か? トウジ…。 そーか、そーか、それならば!」 主役の弱音を聞いて、監督のケンスケは困るどころか、何故か益々テンションを上げて発奮した。 「それなら…?」 「……?」 頭の中が?でいっぱいになってる僕らに、立ち上がったケンスケは不敵に宣言した。 「トウジ、交代だ! この俺が主役をやるっ! お前たちに演技の真髄、教えてくれるわ〜っ!」 と、強権を発動した。 …なるほど、そういうことか。 初期段階ではあえてトウジに主役を譲り、その代わりに標準語オンリーのクサい台本を押し付け、トウジが根を上げたところで主役交代を申し出る…。 トウジも、ガラにもない役から解放されて、ホッとした顔をしている。 完璧なシナリオだ。 だけど、かたや主演女優は納得いかないようで、 「イ・ヤ・よ! ジャージバカだけでもイヤなのに、 アンタとラブストーリーなんて、論外!!」 と、ケンスケを足蹴にしながら、絶叫。 「ぐふっ…、そ、それじゃあ、キスシーンだけでも…」 「もっとイヤあああぁぁぁ〜〜〜っ!!」 ぐりぐりぐり。 「ああ…惣流、もっと…!」 「ほんなら惣流、シンジはどないや?」 「シンジぃ〜…?」 僕の方を見る。 1秒… 2秒…… 「…サルは、ちょっとねぇ…」 すいません。 ケンスケがなおも主役交代を叫んで事態は紛糾する中、僕はふと、施設内の大きなグランドピアノの椅子に仔猫を抱えて腰掛けている綾波に目が行った。 こうしていると判らないけど、綾波はその折れてしまいそうな華奢な体にいっぱい、細かい傷を刻んでいる。 それは、彼女がまだ小さかった頃から延々と続けられてきた実験と遠からず関係があるように思う。 僕らが乗るエヴァンゲリオンは、今でこそ割合安定した運用を続けているけど、此処に至る以前は試行錯誤の繰り返しだったそうだ。 実験には成功もあるけど、残念ながら失敗の方が遥かに多い。 彼女がエヴァとシンクロし、操れる域に達するまで、幾多の実験の失敗・暴走が繰り返されてきたことは想像に難くない。 そして綾波は、きっとその度に生命の危機に瀕し、傷を負ってきたんだろう。 はじめて綾波と会った時だって、そうだった。 NERV本部に連れて行かれた僕は、父さんにいきなりエヴァに乗れと言われ、混乱し――その身代わりとして引っ張り出された、包帯で真っ白になった女の子…――綾波の姿を見た。 いつかの、あの暑い午後――― 綾波の部屋にはじめて行った時に、僕は見たんだ。 彼女の透きとおる様な白い肌、その左の脇腹に生々しい、大きな切り傷の跡があったのを。 「……。………、………」 聞き覚えのある旋律に、ハッと顔を上げた。 そこで僕は、小さく歌を口ずさんでいる、綾波の姿を認めた。 (綾波が… 唄ってる…) それは、以前に本部からの帰り道で綾波といっしょに聴いた、DATの中に収められていた一曲だった。 「…………」 なんだか、とても珍しい光景を見てしまったような気がして、固まってしまっていた僕の傍をすり抜けて、洞木さんがグランドピアノの前の綾波に声を掛けた。 「…綾波さん、その曲私知ってる! ピアノ弾くから、合わせてみない?」 おずおずと頷く綾波。 ピアノの前に座った洞木さんが、ゆっくりと前奏をかなではじめる。、 綾波が先程よりやや大きめの声で、一音一音、確かめるように歌い上げていく。 その唄声はとても透き通っていて… 僕は暫し、この光景に見惚れてしまった。 そんな事をやってる内に、いつの間にか陽は落ちて、暮色に闇が忍び寄っていた。 あれ以降も、ケンスケが強引に主役を乗っ取って撮影は続けられたんだけど、結構グダグダになってしまって、更には休憩中にねこさんが、テーブルの上に置いていたビデオカメラを前足でぺたぺた叩いてる内に、内容消去のボタンを押してしまったらしく、これまで撮影した映像を全部おじゃんにしてしまったんだ。 「はぁ〜〜〜――…」 休憩所の長椅子に腰掛けたケンスケが、徒労に終わった一日を嘆いて、長い溜め息をついた。 「ケンスケ…」 「……」 さすがに、ちょっと気の毒かも。 僕も綾波も、どう声を掛けていいものか考えあぐねてたら、 「まぁまぁ〜。相田くん、こういう時は飲むのが一番よ! みんな川の方に行ってるから、立った立った!」 …ビール缶片手に、ミサトさんがやって来た…。 今日は非番のミサトさんは、僕らチルドレンの保護者として朝から同行してくれてたんだけど、その実、早川の河原でバーベキューしたり、飲み散らかしてたんだ。 ほろ酔い上機嫌の、すごく砕けた様子のミサトさんに若干引きつつも、ケンスケはミサトさんの言われるがままにズルズルと河原へ引っ張られていく。 …これはこれで、良かったのかもしれない。 僕は綾波と顔を見合わせると、打ち上げ会場である早川の方へと二人を追いかけていった。 ミサトさんが用意した打ち上げ会場がある、早川の河沿いの一角に到着した頃には、すでに辺りはとっぷりと夜の闇に包まれていた。 「おっ、やっと来おったかい御両人」 「ほらほら見て! 川に…星が映ってる!」 バーベキュー用の鉄板を囲んだトウジと洞木さんが、僕らに川の方を指差して騒いでる。 「わぁ……」 「………」 木立の奥を抜け出した僕らを待っていたのは、満天の星が瞬く空を映し込んだ、まるで…星の棲む川。 水面の中に浮かぶ星座の数々を、僕と綾波はしばし言葉も忘れて、見入っていた。 すごいやろ、と言いつつやって来たトウジと洞木さんは、遅れてきた僕らに待ちくたびれたと告げつつも、その顔は酔いで真っ赤だった。 「まさか…。 トウジも…洞木さんも…」 「ん〜っ、酒かぁ? 知らんがな、なぁ、いいんちょ」 「す…鈴原が、飲め飲めいうんだから…」 と、洞木さんは傍らにあるビール缶を、ちらちらと罪悪感いっぱいの様子で見ている。 驚いた。洞木さんまで…。 自分以外は中学生しかいないのに、飲み物はアルコール以外持ってきていないという、非常識な誰かさんのおかげで、彼らふたりは飲まざるを得なかったようだ。 そうでなくとも、僕らぐらいの年頃はお酒とか飲んじゃいけないと知りつつも、一度は飲んでみたいと思うもの。 …僕は、そうこう考える間もなく、この街に来た途端、ミサトさんの晩酌に付き合わされて、自分はアルコールは向いてないという厳然たる事実を思い知らされたんだけど…。 アスカは、ドイツに居た子供の頃からビールに接する機会が多かったため、ある程度は飲めるようで、トウジ達が顔を赤らめているのを肴に、傍でちびり、ちびりとやっている。 そして、ケンスケはヤケ酒モードでミサトさんに付き合って飲みまくっている。 うわぁ…。 絶対、潰されるよなぁ… というか、ミサトさん車運転してきたのに、帰り大丈夫なんだろうか? …まぁ、いざとなったらNervの監視員が出てくるかも知れないな。 彼らは、僕らがマンションや本部以外の場所に外出する時には、必ずと言って良いほど後を付いて来て、護衛というか、何か起こらないように監視をしている。 大体チルドレンひとりにつき同じ人がひとり、監視役に付いているそうで、普段なら僕らから彼らの姿を認めることはないんだ。 前に一度、綾波の家から帰る途中に偶然、綾波の監視員らしき男の人を見掛けた事があるけど……。 正直、気味の悪いというか、怖そうな人だった。 諜報部って、加持さんみたいなカッコいい人ばかりじゃないんだなぁ… …と思ってたら、ケンスケが、トウジを連れて僕に絡んできた。 うわ、だから僕飲めないって… ほんと、一滴だけでもダメなんだってば…! は、羽交い絞めにするなよトウジ! うわわわわわわ……! ごくごくごくごく…… 次に意識を取り戻したら、辺りは真っ暗で、かろうじて傍らにある焚き火の淡い光が、周囲の様子を頼りなく浮き上がらせていた。 …そうだ、僕はケンスケ達にお酒を飲まされ、一発でダウンしたんだっけ…。 まだ…頭が痛いや…。 「…碇くん、目が…覚めた?」 と、静かな声音が上から降ってきて、僕の耳朶をくすぐった。 「……?」 声のした方へと顔を巡らせる。 そこには、僕を心配そうに見下ろす、綾波の顔があった。 ああ…綾波の顔が…間近にあるなぁ。 …ん、まて…よ…? じゃあ、この下の柔らかいのは… 綾波の、太ももだった…。 「………!!!」 普段の僕ならうろたえて、何度も綾波に謝りながら飛び退くだろう。 だけど、今の僕は普通じゃない。 酔い潰れてて、手足も動かせない状態だ。 「ごめん…、ごめん綾波…!」 お酒の力は、人を無防備にしてしまう。 缶ビールの半分程度で酔い潰れてしまった、情けない僕なんかのために、膝まくらして介抱してくれていた綾波に謝り続ける内に、段々と…とても情けない気持ちになってきたんだ。 「気にしないで」 「でも…、でも…! うっく…」 自分でも知らないうちに両目から涙が溢れてきて、自制もままならずに僕は、綾波の膝の上で泣きじゃくっていた。 泣き上戸、というやつらしい。 「うぅっ…、うぅぅっ…、ごめん綾波…! 僕なんかの…ために…!」 綾波は、どうしていいか戸惑っている様子で、それでも優しく「気にしないで」と繰り返してくれていた。 酒の席で、最も始末に負えない種類の人間なんだと僕は自覚すると同時に、この悲しい気持ちは何処から来るんだろうという疑問、そして、意識は大して良い事のなかった、僕のこれまでの人生を回顧する方向に向かっていった。 この街に来るまで、僕には仲間と呼べる人達はいなかった。 こんな馬鹿騒ぎできる友達関係も育めなかった。 だから当然、トラブルに巻き込まれて困っていても、こうして心配してくれる人は、傍にはいなかった…。 僕は泣いた。 泣いて、心の底から感じたことを、目の前の綾波に必死に告げたんだ。 「僕は…。使徒もエヴァもいらない。 皆と過ごすこの時間が、ただ…ゆっくりと過ぎてくれればいい」 それだけで、ただそれだけで、僕は幸せなんだ。 「………」 アスカが無言で見守る中、綾波は僕の頬に手を添えて…。 いっぱい流れた僕の涙を、拭いてくれた。 僕らの傍らで、ゆっくりと流れをたたえる川の水面は、今も静かに星空を映し込んでいた。 総司令執務室。 男は顔の前に組んだ手を見つめていた。 彼が両の肘を預ける執務机の上には、先程まで白衣の部下が読み上げていた報告書が積まれている。 男は沈黙を貫いていた。 いや、沈黙せざるを得なかったという方が妥当だろうか。 白衣の女性が持参してきた報告書、そしてそれらから導かれた結論は、男にとって予想し得る範囲の物であった。 執務机の対角線上に、それぞれ初老の男と白衣の女が、無言の内に男に決断を迫る。 組んだ両手には白い手袋が覆っている。 その向こうに在るのは火傷の痕。両の掌に今も残っている。 ――思えば、あの日が事の発端だったのか。 あの起動実験以来、「鍵」となるべき駒は、その責務を遂行するにあたって、不要な物を胸の内に芽生えさせた。 いつかはこの手にかけねばならない駒。 それ故に男は無機質な態度で駒と接することを自らに課した。 だが皮肉なことに、男になり代わって彼の息子が、引き続き駒の内にある不要なる物に接し、大きくはぐくませる結果となった。 もはや大きく育ち過ぎたそれを抱えて、計画の万全なる遂行など望むべくもない。 男は、決断せねばならなかった。 +続く+ 僕らは雫。 雨のシズク。 僕らはこの地に降り立った。 今は大きな水溜りで、 互いの身を寄せ合っていても、 明日はどうなるか分からない。 僕らは雫。 ただの、シズク。 次回、2月5日では遅すぎる #4「砂上の夢」 ++ 作者に感想・メッセージを送ってやってください ++ こちらのページから ■BACK |